voice of mind - by ルイランノキ


 離合集散2…『ボロボロ』

 
「アールの様子は?」
 と、廊下の窓から外を眺めながら訊いたのはゼンダだった。
 
窓の外には庭園が広がり、噴水が空の青を映しながら水しぶきを上げている。
 
「はい、確かに自分の発言をすぐ忘れ、目が座っていたりと心の安定が定まっていないようですが、もう少し様子を見てみないとなんとも。まずは僕のことを知ってもらって安心させる必要があります」
 と、コテツは言った。
「そうか……。時間がない。お前に任せて問題はないか?」
「……えぇ。ご心配なく」
「返答に時間がかかったな。なにかあるのか?」
 ゼンダはコテツを見遣った。
「その……アールさんは思っていた以上に鋭い方で、まるでこちらの全てを見通しているような気がしてしまい……」
「確かに彼女は相手の心の奥まで見通すような目をしているな」
「ゼンダ様もそう思われますか」
「…………」
 
ゼンダはうんざりと窓の外に視線を送った。
 
「あっ、失礼しました。“ゼンダさん”」
「彼女に惑わされるな。彼女は自分が思ったことに確信は持っていない。ただ、考えすぎるだけだろう」
「はい。しかしあの……」
「なんだ?」
「僕なんかでよろしいのでしょうか。僕はまだ素人のようなものですし……」
「だから君を指名したのだ。理解者になる必要はない。彼女にとって良き話し相手となりなさい」
 
━━━━━━━━━━━
 
「ゲホッ! ゲホッ?!」
 
コテツが部屋を出て行った後、アールは冷めきった食事に手をつけた。空腹を感じていたが、なぜか喉を通らない。
水で流し込むように完食したが、腐った残飯でも食べたような気持ち悪さが襲う。
 
「オエ"ッ──」
 
胃に流し入れたばかりの消化されていない内容物が胃液と共に床を汚した。吐き出した反吐の上に、シロップのように流れ落ちた血が鮮やかだった。
 
喉の痛みを感じながら汚れた床のすぐ隣に横たわった。口の中が生臭い。鉄の味もしてますます気持ちが悪くなる。
しばらくの間、反吐の臭いが漂う部屋でアールは寝転がっていた。──鼻が麻痺して慣れてくるもんだな……そんなことを思いながら。
 
15分ほどそうしていただろうか。アールは体を起こした。体の怠さが酷い。椅子に手をかけて立ち上がると、テーブルの上に置いてあった鏡が視界に入った。鏡に映る自分と目が合う。
 
「……気持ち悪い」
 と、敬遠な眼差しで自分を見据える。
 
髪がボサボサだ。顔が青白い。顔全体にブツブツとした赤いニキビ。白ニキビもいくつかある。
力無く椅子に座り込み、鏡を見ながら自分の顔に触れた。本当に自分だろうかと確かめるように。この世界に来る前の自分を思い出す。ここまで肌が荒れたことはなかった。
自然と目に涙が浮かぶ。頬に爪を立てた。また心が不安定になる。バクバクと暴れ出した心臓。沈んでゆく精神を振り払うように、テーブルの上に置いていた食器を払い落とした。
食器は大きな音をたててベッド側の壁にたたき付けられた。器に少し残っていたスープの汁が布団を汚した。
 
ドクドクとせわしい心臓。テーブルに顔を伏せ、両手で髪を掻きむしる。ごわごわとした髪が指に絡み付き、目で確かめなくても何本か抜けたのがわかった。
廊下からバタバタと足音が近づいて来る。その音に異常なほど不快感を覚え、耳を塞いだ。
 
「アールちゃん?! 大丈夫?!」
 
いくら耳を塞いでも聞こえてくる。
 
「アールちゃん!」
 
耳を引きちぎりたくなった。
 
「開けるわよ?!」
 と、部屋に入ってきたのはリアだった。
 
リアは目に飛び込んできた光景に言葉を失った。アールは床にうずくまっていた。ベッドの上でひっくり返っている食器。嘔吐で汚れた床。一先ずアールを宥めようと背中に手を置いて顔を覗き込んだ。背筋がゾッとする。アールの耳から血が出ていたのだ。耳を引っ掻いたのだろう。
 
「アールちゃ……」
「……さい……うるさい……うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!!」
 アールは自分の耳を両手て叩き始めた。出血した血で赤く染まってゆく。
「アールちゃん落ち着いて!」
 リアはアールの背中に覆いかぶさるようにして、彼女の両手首を押さえた。
「離してッ! あ"ぁああぁああぁあぁ!!」
 
 
アールの奇声が部屋の外まで響き渡った。リアはアールが落ち着くまで強く抱きしめ続けた。強張た彼女の体は小さく震えている。この世界に彼女を救える人はいないのかもしれない……ほんの一瞬、そう思った。
 
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「薬で眠ったわ……」
 
ベッドで眠るアールに、布団をかけ直しながらリアが言った。
話を聞き付けたコテツが、また部屋を訪れていた。
 
「僕と話をしていたときは、落ち着いていたのですが……。ひとりにさせておくのは危険ですね」
「そうね。だけど彼女はひとりでいたいのよ。誰にも心の中に侵入されたくないんだわ」
 
食器は片付けられ、床もベッドも綺麗になっている。
 
「それでも誰かが寄り添わなければいけない。放っておけば自分の力で立ち上がれる人もいますが、そのまま堕ちていく人もいますから……。僕、バケツ戻してきますね」
 
コテツは部屋の隅に置いていた水が入ったバケツを手に持った。リアがアールの世話をしている間、コテツが気を利かせて床の掃除をしたのだ。
 
「ねぇコテツ君」
 と、リアはコテツが部屋を出ようとする前に声をかけた。
「はい」
「この世界に来たばかりのアールちゃんを、知ってる?」
「いえ……。お会いしたのは今日が初めてでしたので。彼女の存在は事前に聞かされていて存じていましたが」
「私ビックリしちゃったの。今のアールちゃん、別人みたいなんだもの」
 リアはアールを一瞥した。
「…………」
「お洒落さんだったのよ? 花柄の可愛い服を着て、髪は長くてウエーブがかってて、お化粧しててね、爪も綺麗で……肌も……」
 と、眠っているアールの顔を覆う髪を掻き分けた。「それなのに……」
「女性にとってはダメージが強すぎますよね……」
 コテツは視線を落とした。
「ふふ、わかった風なこと言っちゃって」
 と、リアは微笑した。
「すいません。でも自分の容姿が原因で心を病んでしまう女性の患者さんも多くいるようでしたので。アールさんの場合は、容姿の変化は“追い打ち”になってしまったのでしょうが……」
「患者かぁ……。時間がないことをいいことに、アールちゃんを追い詰めてしまったわね」
 
しばらく2人は静かに眠るアールを眺めていた。
想像を絶する苦しみや痛みが彼女の心を蝕んでいる。それを取り除く手助けができるだろうか。
 
「……バケツを片付けるついでに、お薬持ってきますね」
 そう言ってコテツは部屋を後にした。
 

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©Kamikawa
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