voice of mind - by ルイランノキ


 シャットダウン30…『夢幻泡影7』

 
「ひでぇ話だな」
 と、シドが言った。「けどそこまで不幸が続くとか笑えるな」
「シドさん! 失礼ですよ!」
 と、ルイが立ち上がった。
「あ、いいですよ。確かに笑えるから。もう笑うしかなかったし」
 
そう言って苦笑する丈瑠に、ルイは黙って椅子に座った。腑に落ちない気分だった。
 
「──で、別に夢もなかったし、希望もないし、終わりにしようかなって」
「なんだそれ」
 と、シドは鼻で笑った。「それで終わりかよ」
「色々考えたよ。高校行ってバイトして金貯めて家を出ようとかさ」
「でも終わりにしたんだろ?」
「うん。高校に行ってたらなにか変わっていたのかもしれないけど、父さんも新しい母さんも高校に行くお金は自分で稼げって中学卒業してから言われて、とりあえずでバイトはじめてお金を貯めようと頑張ってたんだけど……なんか急にプツンと切れて。未来なんか、どうでもよくなった。急に泣けてくるんだ……理由もなく、突然。バイト中でも……」
「奨学金制度など、なかったのですか?」
 と、ルイ。
「しょうがくきん制度? よくわかんないや」
「学費の付与や貸与を行ってくれる制度です」
「う〜ん、そういうの教えてくれる大人が俺の周りにはいなかったから……」
「そうですか……」
「みんな俺にはあんまり関わりたくないって感じだった。周りを見ればみんな幸せそうに見えるし、俺より不幸な人は沢山いることくらいわかってはいるんだけど……寂しかった。いつだって誰かに褒められたかったし、誰かに愛されてみたかった。でも誰からも見向きもされなかった。……寂しかったんだよ。俺は……孤独に負けたんだ」
 丈瑠は視線を落として、自分を嘆いた。
「でも今は俺がいるよー」
 と、カイが丈瑠の肩に手を回した。
「……ありがとう。嬉しいよ、本当に」
「タケルは必要な人間だよー。なんせ世界を救うんだ!!」
「あはは……、必要とされたいとは思ってたけど、荷が重いかな……」
「大丈夫! 俺達がついてる!! ねー? ルイ」
 と、カイはルイを見遣った。
「えぇ、勿論です」
「シドはぁー?」
「まぁ命令だからな」
「なんだよそれぇ!」
「それよりセックスの話はいいのかよ」
 そう言ってシドは紅茶を啜った。
 
ルイが動揺して咳込んだ。
 
「なになにエッチな話ー?!」
 と、カイは目を輝かせる。年齢的に一番興味がある話だ。
「あ……いや、死ぬ前にさ、やりたいことリストを作ったんだ。その中に……いちおう書いてて。でも結局経験しなかったから、シドさんはあるのかなと思って……」
「そりゃ、あるよ」
 と、答えたのはカイだった。
「なんでテメェが答えんだよ!」
 と、シドが言う。
「え、だって昔話してたじゃん。『三丁目の姉ちゃんは悪くなかった』って」
「ぶっ?!」
 と、シドは紅茶を吹き出した。「……んでそういうくだらねー話は覚えてんだよ!」
「だぁって俺、三丁目のお姉さん狙ってたんだから!」
「マジか……」
「大マジだよぉ! まさかシドに寝取られるなんてさぁ……」
「寝取った覚えはねぇよ!」
「──ってなわけで、シドは経験済みだよ」
「勝手にまとめんな!」
「……カイも?」
 と、丈瑠。
「もち。美しいお姉さんにご指導いただきました」
「嘘つけ!」
 と、シドが言う。「草刈りババアに襲われて逃げ出して以来未遂だろ全部」
「ちょっ! 草刈りおばさんのこと思い出させないでよぉ!!」
「草刈りおばさん?」
 丈瑠が首を傾げた。
「あぁ。他人の家の草を刈るのが仕事のババアだよ。ガキに悪戯するのが趣味の」
「うわ……悪戯されたんだ……?」
「ちがッ?! いやっそうだけど違う! 未遂だってば!!」
「逃げたんだよな? それ以来、そういう流れになるとビビって何も出来ずに未遂続きだ」
 と、シドは笑いながら言った。
「そういう流れ?」
「女にちょっかい出すのは好きだが、女から触られるとババアを思い出して中断。可哀相にな」
「あぁ……そうなんだ……」
 と、丈瑠はカイが気の毒に思えた。
「そんな哀れんだ目で俺を見ないでよぉ! ていうか経験はあるってばぁ!!」
「はいはい、そうですか。よかったですね」
「シドの敬語むかつくーっ! 本当だって! 確かに触られんのトラウマだけど、恥ずかしがり屋の可愛い女の子と……デヘヘ……」
 幸せの絶頂を感じた記憶がよみがえり、顔の筋肉が緩む。
「は? お前マジで経験あんのか?」
「だからそう言ってるだろー? 彼女は恥ずかしがり屋だから自分からなにかしてくることはなかったお陰で、俺が率先してですねぇ……無事にごちそうさまでした」
 と、カイは手を合わせ、瞳を閉じた。
「へぇ。そりゃ良かったな」
「本当なんだ……いいな」
 と、丈瑠は言った。
 
本心だった。正直、二十歳になるまでには童貞を卒業するのが夢だった。もちろんただヤリたいだけではなく、きちんと好きになった人と、結ばれたいと思っていた。
 
「まぁ、生きろよ」
 と、シドが言う。
「え……?」
「生きてさえいりゃ、経験は出来る。女なんかいくらでもいるんだしよ。セックスに限らず、なんでもだ」
「……そうですよね」
「敬語やめろよ。名前も呼び捨てでいい」
「あ、ありがとう……」
「まぁ焦んなよ。童貞くんは他にもいる」
 と、シドはルイに目をやった。
「え、ルイさんもまだ?」
「……紅茶のおかわりは?」
 と、ルイは答えずに訊いた。
「あ……いただきます」
 
ルイはテントへポットを取りに行った。
 
「ルイは微妙じゃないー?」
 と、カイが言う。「あんまりこういう話をしないだけでさぁ」
「あぁ……まぁ言われてみりゃ確かにな。やることはやってんのかもな」
「そうなの?」
 と、丈瑠は少し残念そうに言った。
「さぁな。訊いてもあいつは答えねーよ」
「ルイさんは一途そう……」
「あぁ、遊んだりはしないな。勿体ねーよなぁ」
 そう言ってシドは欠伸をした。
「勿体ない?」
「ルイはそこそこカッコイイし、イイモノ持ってるからさぁ」
 と、カイはにんまりと笑った。下ネタである。
「ルイさんは料理も出来るし優しいし、モテそうだね。見習おうかな」
 
紅茶が入ったティーポットをテントから持ってきたルイ。それぞれのカップに注ぎながら言った。
 
「もう夜も遅いので、飲み終えたら眠りますよ」
 
人の一生は、本人次第で決まる。生きていればチャンスは巡ってくる。行動に出せば更にチャンスは多く巡ってくる。
丈瑠はシドが「まぁ、生きろよ」と軽く言った言葉を噛み締めた。
 
だけど、そもそも本当に自分は今、生きているのだろうか。
疲れを感じる。痛みも感じる。けれど確かにあの時、屋上から飛びおりた。
死を、悟ったのだ。
 
廃墟と化したボロボロなビル。至るところの窓ガラスが割れていたため、中へ入るのは簡単だった。
高さは6階建てで、直に取り壊される予定の場所。
6階から飛び降りて死ねるかどうかは賭けだった。打ち所が悪ければ死ねる。死に切れなくてもそれはそれでいいと思った。死に損なって生きていたとしたら、死んだ気で新たに前へ進む気力が出てくると思った。
死んでも楽にはならないとよく聞く。死んでみなきゃわからないことだが、例え永遠の苦しみを味わうことになるとしても、それはそれでいいと思った。
どうなろうが、どうでもよかった。今以上に苦しむことになろうが、どうでもよかった。
 
ただ、“今”を変えたかった。
 
良くも悪くも、飽きた“今”から逃れられるなら、なんでもよかった。
遺書は残さなかった。残す相手もいなかった。
 
屋上から眼下を見やると、光が見えた。飛び降りればその光の中へと行けそうな気がして、恐怖など感じなかった。
 
──どうやって飛び降りようか。
両手を広げ、ゆっくりと体を倒そうか。それとも、プールに飛び込むようにジャンプして、頭から落ちようか。後ろ向きに落ちるのも悪くない。靴は脱いだほうがいいのだろうか。なんで靴を脱ぐんだっけ?
そんなことを考えながら、光を見つめていた。
どう飛び降りようと、ここから落ちればなにかが変わる。
一羽のカラスが、近くの電柱に降り立った。まるで飛べない人間の哀れな姿を見届けるかのように、その場から立ち去る気配はない。
いいよ。見せてあげる。人間は、飛べない。落ちて、もがき苦しむか、死ぬかだ。
 
 宙に足を下ろした。
 
死ぬ瞬間、思い出が走馬灯のようにかけめぐるというけれど、そんな経験はしなかった。
ただ、飛び降りる前までは一切恐怖などなかったのに、体が宙に浮いた瞬間全身に鳥肌が立ち、恐怖で身震いをしたのは覚えている。気が狂いそうになるほど恐ろしかった。
まだ“着地”していないのに、落下後の自分の姿が見えた。足も腕も変な方向にへし曲がり、潰れた頭から血が四方八方に飛び散っている自分の姿が見えた。
 
熱いとさえ感じる光に飲み込まれ、痛みは感じることなく、気づけば新しい世界に来ていた。
 
だから此処はあの世なんじゃないかと思ったんだ。
 
 
──見届けたのかわからないけれど、一羽のカラスが鳴きながら羽ばたいてゆく羽の音が聞こえた気がした。
 

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©Kamikawa
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