voice of mind - by ルイランノキ


 指名手配8…『屋上にて』◆

 
ワオンが向かったのはVRC施設の屋上だった。ワオンはポケットから鍵を取り出し、屋上への扉を開いた。
 
夕暮れ時の涼しげな風が通り過ぎた。ワオンはおもむろに胸元からタバコとライターを取り出す。まだ開けていない買ったばかりのタバコだ。
 
「禁煙してたんだけどな……」
 そう言って一本目のタバコを口にくわえた。
 
誰もいない屋上は広々としていて、VRCの旗がパタパタと風に靡いている。
ワオンはタバコに火をつけた。煙りを肺に送り込み、ふぅーっと吐き出した。
 
「アールちゃんは話を聞いて、シドとカレン……どっちに非があると思ったんだ?」
 視線を落とし、ワオンがそう訊いた。
「……カレンさんかな」
「そうか」
 
タバコを持つワオンの手が微かに震えている。苛立っているのかもしれないし、真実を知るのが怖いからなのかもしれない。アールにはわからなかった。
 
「シドが話してくれたこと、全部話しますね」
 そう言って、アールは全てを伝え始めた。
 
人の揉め事に付き合っている暇など、アールにはなかった。ごたごたに首を突っ込む暇があるなら、トレーニングをして力を身につけたい。
けれど、屋上でワオンと話している時間が無駄な時間だとは思えなかった。“お節介”に過ぎないが、解決出来るかもしれない問題を挑戦もせずに無視するのは、学生時代のテストだけで十分だった。
 
「……アールちゃんはシドの言ったことを信じるのか」
 話を聞き終えたワオンが、目も合わせずにそう言った。
 
溜まったタバコの灰が、ハラリと落ちた。風に吹かれ、消えてゆく。
 
「はい」
「……まぁ、仲間だもんな」
「仲間じゃなくても、信じると思います」
 そう言ったアールに、ワオンは不服そうな視線を向けた。
「そんなにシドを信用出来るのか?」
「シドがずっと黙ってたのは、優しさもあると思うんです。本人は、言っても信じないだろうから言わなかっただけだって言ってましたけど」
「確かにそうだな。信じれねぇよ……」
「シドはワオンさんのこと、ちゃんとわかってるんですね」
 
ワオンは黙ったままタバコを落とし、火を足で揉み消した。
 
「でも私、気になることがあるんです」
「なんだ?」
「カレンさんはどうしてワオンさんと付き合ってたのかなって。ワオンさんのことが好きで付き合っていたのなら、どうしてシドにあんなこと……」
 
ワオンはカレンのことを思い出すように空を見上げた。脳裏に浮かんだのは、カレンの優しい笑顔だった。
 
「心当たりがねぇわけじゃ……ねんだよ」
 と、悔しげに俯く。
「心当たり……?」
「金をな……貸したんだ。カレンの母親が入院したらしくてよ、金がいるってんだ。俺は疑わなかった。治療費に金がかかってな、何度か貸してやった」
「でもそれは本当かもしれないし……」
 と、アールは苦痛な面持ちで言ったが、ワオンは鼻で笑った。
「本気でそんなこと言ってんのか? アールちゃんだって疑ってんだろ?」
「でも……その辺はカレンさん本人にしかわからないことだし……」
 
ワオンはため息をついた。
 
「今思えば、シドの様子がおかしくなったのは、俺の貯金が底を尽きた頃だったよ」
 
これまでずっと目を逸らしていたこと、信じていたことに、ワオンは疑いの眼差しを向けはじめた。綺麗だった思い出が、少しずつくすんでいく。
 
「シドの言ったことは……事実かもしれないな」
 そう言ってワオンは新しいタバコを一本、口にくわえた。「馬鹿な女に引っ掛かった馬鹿な男だな……俺は」
「そんなことないです……」
「いいんだ。ハッキリ言ってくれたほうがいい。お前は騙されてたんだって、ハッキリ言ってくんねーかな」
「…………」
 アールは視線を落とした。
「俺は信じねぇんじゃなく、信じたくなかったんだろうな」
 
黙って俯いているアールに、ワオンが目を向けて笑った。
 
「なんでアールちゃんがそんな悲しい顔をしてんだよ。笑ってくれたほうがマシだ。たかが一人の女にここまで落ちぶれたんだ、笑えるだろ? へへっ……」
「笑えません!」
 と、アールは顔を上げた。「騙されてたとか裏切られたとかそんなの関係なくて……人を好きになる気持ちを笑ったりは出来ません」
「……はははっ」
 ワオンは、参ったな、と苦笑した。
「忘れるのは難しいことだと思いますけど、前向きにまた人を好きになってみてください。所詮他人だし、心の中までは見えないから人を好きになるのは簡単なことじゃないけど……。だからこそ好きになれる人と出会えるって素敵なことだと思いますし。痛みを伴うものだけど、好きになる気持ちは素敵なことだと思いますから……」
「素敵……ねぇ」
 と、ワオンは口にくわえたまま火をつけずにいたタバコをケースに戻した。「俺には似合わねぇ言葉だな……」
「思い出は塗り替えられてしまっても、カレンさんに対するワオンさんの想いは、素敵なものに変わりはありません。──私は、ワオンさんの想いを受け取れなかったカレンさんを、哀れに思います」
「……ありがとう。そう言われると少し救われる」
 
一途に人を愛することが出来るワオン。アールは心から幸せになってもらいたいと思った。悲しい恋愛をしたまま終わってほしくはないと思った。それはミシェルに対しても同じだった。
 
「ワオンさんと同じように、過去の恋愛に背を向けて歩き出した人がいるんですよ」
 と、アールは微笑んだ。
「誰だ?」
「ミシェルさんです」
「あぁ、あのベッピンさんか……」
「今はますますベッピンさんになりましたよ。ワオンさんにも見せてあげたかったなぁ」
「そりゃ見たかったな。またVRCに来てくれるといいんだが」
「残念ながらもう来ないかもしれません。ここに来る理由もなくなりましたし」
「やっぱストレス発散にでもきてたのか? 残念だな。もう会えないのか」
「ワオンさんが動けば会えるんじゃないですか? ミシェルさんはもうログ街にはいませんが」
「じゃあ会えねぇじゃねぇか。俺が会いに行けってのか? 迷惑だろ。それに俺はまだ別に……気になる程度だしな」
「じゃあ気になる程度でおしまいってことで」
 と、アールは屋上から出ようとした。
「おいっ……そりゃねぇよ」
「──?」
 アールは振り返り、首を傾げた。
「いや……そういう言い方をされるとなんかな……」
 ワオンは困ったように頭を掻いた。
「別に付き合えって言ってるわけじゃなくて、友達っていうのも、悪くないですよ? 」
「そう……だな。でもどうすりゃいいんだ? 友達っていっても会えないんじゃなぁ」
「メル友とかは?」
「めるとも?」
「あ……メール友達です」
「メール友達?」
「あれ……? 携帯電話で文章送れますよね?」
「あぁ! メールか! わりぃわりぃ、俺メールとかしないからな!」
「じゃあこれから頑張ってください」
「え……いや、でもな、連絡先知らないからな。いや、名簿見りゃわかるが……勝手に送るのは紳士的じゃねぇよな」
「紳士的?」
 と、アールは笑う。「ミシェルさんに訊いておきますよ。忘れなければ」
「今すぐ訊いてくれ!」
 と、気になる程度のわりには積極的なワオンだ。
「今すぐ?」
「忘れられちゃ困る!」
「わ、わかりました……」
 
アールは携帯電話を取り出し、ミシェルに電話を掛けた。落ち着かないワオンからの視線にプレッシャーを感じる。
 
『もしもし、アールちゃん?』
 と、ミシェルはすぐに電話に出た。
「あ、ミシェルさん? 昨日は電話ありがとう。出られなくてごめんなさい」
『アールちゃん、また敬語になってる』
 と、ミシェルはクスクスと笑った。
「あっ、つい……」
 と、苦笑する。「昨日ね、連絡くれたのにお酒飲んでて……」
『そうなの?』
「うん、みんなとパーッとね。だから気づけなくて」
『ううん、いいの。気にしないで』
「お引越し終わったんだね、お疲れさま」
 
なかなか本題に入らないアールに、ワオンはジェスチャーで「訊いてくれ」と促した。
 
『そうなの。ちょっとバタバタしたけど、私の物はあまりなかったからすぐに済んだの』
「あ、あのね? ワオンさんのこと覚えてる?」
『覚えてるわ。トレーナーさんよね』
「うん。実はさ……」
 ワオンが両手を合わせて願っている姿に、アールは笑ってしまった。
「ミシェルとメールがしたいんだって」
『え……メール?』
「そう。別に特別な意味はないんだけど、ワオンさん今落ち込んでてね、話し相手になってあげてほしいの」
 と、アールは言葉を選び、ミシェルの警戒心を解く。
『私で……いいのかな?』
「もちろん。たわいのない会話でいいから、メールしてあげてくれる?」
『えぇ、私でよければ』
 と、ミシェルの声は明るかった。
「じゃあミシェルの番号、ワオンさんに教えとくね」
 そのセリフに、ワオンは無言でガッツポーズをした。


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©Kamikawa
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