voice of mind - by ルイランノキ


 秋の扇21…『カップル』◆

 
アールに髪型までも変えてもらったミシェルは、鏡に映る自分を見て、言葉を失っていた。鏡に映っているのは、自分の知らない自分だった。顔に触れ、自分であることを確かめる。
 

 
「どうですかお客様。ご自身の変身っぷりは」
 と、アールはメイク道具をしまいながら言った。
「…………」
「あ、あれ? もしかして気に入らなかった?」
 と、アールは慌ててメイク落としを取り出したが、長らくポーチに入れていたメイク落としだ。すっかり乾いているんじゃないかと不安になった。
「ううん。自分で綺麗だなんて言ってもいいのかな……」
 そう言ってミシェルは、目に涙を浮かべる。
「よかったぁ気に入ってもらえて。泣いちゃダメですよ? メイクが落ちちゃう」
 アールは嬉しそうに笑った。
「別人みたい……私じゃないみたい」
「今日から新しい自分ですね」
 
2人は鏡ごしに目を合わせ、互いに微笑んだ。
 
「新しい自分かぁ……素敵ね」
「他の服もプレゼントしますから、ぜひ着てくださいね。帰るまでシキンチャク袋に入れておきます」
 アールは買い物袋と、出していたメイク道具をシキンチャクに片づけた。 
「それじゃ、新しい気分でまた街を歩きましょ」
 
ミシェルは街に繰り出すと、ツナギを着ていたときとは全く違う気分に心が躍った。暗く沈んでいた心が晴れていく。これまで入るのが億劫に感じていたお洒落なお店も、今は入ってみたくてしょうがない。
 
「お洒落をすると、気分が変わるのね」
「そうですね。スーツを着たら仕事モードになるような感じかなぁ。お嬢様の恰好をしたら喋り方までお上品になっちゃうし、暗示みたい」
「ふふ。なんだか今まで……つまらない人生を歩んできたような気がするわ」
「人生楽しまなきゃ損ですよー…」
 そう言ったアールの笑顔が急に曇った。
「どうしたの?」
「あ、いえ! 次はどこに行きましょうか!」
 
──人生、楽しまなきゃ損。今の自分にもそう言えるだろうか。
 
「街を歩いているだけでも、なんだか楽しくなるわね」
「うん。これからはお洒落、欠かせないですね」
 と、目の前に本屋が見えた。「あ、ちょっと本屋に寄ってもいいですか?」
「えぇ、もちろんよ」
 
──旅を続けることに、楽しみなんて見出だせるのだろうか。恐怖でしかない旅なのに……。
 
「アールちゃん、なにを探しているの?」
「えーっと……」
 
アールはこの世界の歴史を、詳しく知りたいと思っていた。けれど、知ってどうなるのだろう。どうせいつかは去ってしまう世界なのに。
 
「昔の話がわかりやすく載ってる本とか知りませんか? 出来れば子供にでもわかるくらいの……」
「昔の話? 歴史の本?」
「はい。この世界を脅かす魔導師が現れたっていう話の絵本、ありますよね? まだ魔物が存在しなかった頃、現れた魔導師によって世界は変わったっていう……実話」
「えぇ、有名な絵本ね。どなたかにプレゼント?」
「はい、そんなところです」
 と、恥ずかしくて自分が子供向けの本を読むとは言えなかった。「絵本になっている昔話ってありますか? 実話の……」
「そうねぇ、沢山あるけど、《アリアンの願い》っていう本も有名よ」
「え? アリアンって……」
 
聖なる泉の中央に立っている女性像だ。
 
「やっぱり定番すぎて知ってるわよね」
「えっと……」
「知らない? さっきアールちゃんが言っていた絵本にも登場する、実際に存在した女性のお話なの。その魔導師と対等に戦ったのがアリアン様よ」
「やっぱりそうなんだ……」
「でもこの《アリアンの願い》は、魔導師が現れる前のお話。彼女には色々と不思議な力があったから、シリーズ化されているわ」
「へぇ……。どうしようかな……」
「定番の絵本だから、知っているかもしれないわね」
「へ?」
「プレゼントするんでしょ? その相手の子、知ってるんじゃないかしら」
「あ……そ、そうですよね」
 
アールは考えた挙げ句、結局買うのを止めてしまった。洋服にお金を使いすぎたこともある。一着一着は安いけれど、靴なども入れると結構なお値段だった。
本屋を出ようとした時、入口に新作コーナーがあった。何気なく目をやると、見慣れたタイトルの本が積まれていた。
 
「あっ! 《猫背の運転手》!」
 思わず手に取り、下巻であることを確かめた。
「人気の小説みたいね」
 ミシェルが覗き込み、《話題の新作》と書かれている帯を見て言った。
「面白いんですよ! 主人公の運転手が、とある事件に巻き込まれるんですけど、この運転手が謎だらけなんです!」
 と、熱弁したアールは、すっかりこの本の虜になっていた。
「おもしろそうね、今度私も買ってみようかな」
「ぜひぜひ! あ、私ちょっと買ってくるので、待っていてください」
 アールはレジへ向かった。
 
直ぐに買い物を済ませてミシェルの元へ戻ると、ミシェルは知らない男性に声を掛けられていた。
 
「お一人ですか?」
「いえ……お友達と一緒です」
「そうですか……お茶でもどうかなと思ったのですが」
 そう言った男性は、清楚な見なりで30代前半くらいだ。
「ごめんなさい」
「いえ。突然声を掛けてすみませんでした」
 と、男は頭を下げ、本屋の奥へと姿を消した。
「早速ナンパされましたか」
 と、アールはにこにこしながらミシェルに言った。
「アールちゃん……見てたなら助けてほしかったわ」
「美人さんは大変ですね」
 と、ミシェルをからかう。
「もう……そんなんじゃないったら」
 
2人は本屋を後にすると、あてもなく歩いた。
歩く度に、膝丈のスカートが靡く。履き慣れない靴は少し痛いけれど、コツコツとお洒落な音がする。メイクで痣も隠れ、ファンデーションやチークの色合い、マスカラで生き生きとした表情にみえる。
時折ミシェルは彼の事を思い出し、憂鬱な表情になった。背中を丸め、歩き方もだらし無くなって、どっと疲れが出てくる。けれど、ショーウインドウのガラスに映る新しい自分を見て、惜しいと感じる。勿体ない。素敵な恰好をしても、表情が似合っていない。歩き方がだらしなくて服が可哀相に見える。せっかく新しい自分に出会っても、これまでの自分が足を引っ張っている。
ミシェルは背筋を伸ばした。
 
「新しい靴っていいですよね」
 と、アールは言った。「履き慣れるまでは痛いけど」
「そうね」
「ミシェルさんは、その新しい靴を履いて、きっとこれから一歩ずつ、靴音を鳴らしながら色んな場所へ歩いて行くんでしょうね。これまで歩いてきた道とは違う道を選んで行くんだと思います。せっかく新しい靴を履いているのに、歩き慣れた道しか歩かないのは、勿体ないですし。その靴を履き古した頃には、また新しい靴を履いて、新たに歩き出すんです」
「──そうやって、靴と一緒に人生を歩いていくのね」
「あ、なんかドラマのセリフみたい」
 と、2人は笑い合った。
 
近くの公園に入り、ベンチに腰掛けた。小さな噴水が涼しげな音を鳴らし、子供達がボール遊びをして走り回っている。
一組のカップルが手を繋ぎ、幸せそうに微笑みながら2人の前を横切った。
ミシェルはカップルの背中を目で追っていた。アールはそんなミシェルに気づかないふりをした。だが、ミシェルが口を開いた。
 
「幸せそうなカップルだったわね」
「うん」
「あれが“普通”なのかな。あれを、幸せっていうのかな……」
「あれも、幸せっていうんですよ」
 と、アールは足元を見ながら、微笑んだ。「愛に普通もなにもないんじゃないですか?」
「でも……」
「失礼かもしれないけど、さっきのカップルあんなに仲が良さそうなのに、もしかしたら明日別れてしまうかもしれませんし」
「そんな風には見えなかったわ……」
「周りがいくら『幸せそう』と思っても、本人がそう思っていなければ、幸せとは言えないし。小さな幸せにも気づいて大切に出来る人じゃないと……」
「アールちゃんは? 恋人、いるの?」
 
アールの足元に、ボールが転がってきた。拾い上げて顔を上げると、噴水の前で子供達が困った様子でこちらに目を向けていた。
アールはボウリングの球を転がすようにして返してあげると、子供達は嬉しそうにお礼を言った。手を振られ、アールも笑顔で手を振り返した。
 
「います。会えないけど」
「会えない? じゃあ……仲間にはいないのね」
「仲間?」
「ルイさん達よ」
「あぁ……彼等は旅仲間です」
「アールちゃんの彼、心配してるんじゃない?」
「……そうですね、きっと」
 
恋人はいないと言ってしまったほうが、楽な気がする。でも、いないなんて言いたくはなかった。
 
「アールちゃんは彼といるとき、幸せだった?」
「……うん、とても。」
 
──とても幸せだった。
むかつくこともあったけれど、それでも幸せだった。小さな幸せも見逃さないように大切にしてきたのに。ずっと一緒にいたいから大切にしてきたのに……どうして……。
 
苛立ちが募る。でもこの苛立ちをぶつける場所はない。
 

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