voice of mind - by ルイランノキ


 秋の扇14…『女の執念』◆

 
怒鳴りながら暴れ回っていた男は、ビルの壁に寄り掛かり、地面に座り込んでいた。眉をひそめ、通り掛かった人を片っ端から睨みつけている。
アールは怖じけづきそうな心を落ち着かせ、一歩ずつ近づいて行った。
 
──この世界に来るまでの私なら、危険な男に近づこうとはしないだろうな。
そんなことを考える。路上で酔っ払っている男や、コンビニの前でたむろっている男性にはなるべく関わりたくない。自分より年下の男でも、中高生であればなるべく目を合わせないようにする。絡まれたくはないからだ。
そんな臆病な自分が、どう見ても危険な男に近づこうとしている。自分でも驚きを隠せない。怖い気持ちはある。一歩ずつ近づく度に鼓動が速まっているのがわかる。それでも足は止まらない。
いつ死ぬかもわからない旅を続けていたせいか、少しは強くなったのかもしれない。それに、せっかく出来た友達が流した苦痛な涙。知らんぷりだけは、したくないと思った。
 
「すいません」
 男の前に立ち、意を決して声を掛けた。
 
男はアールの顔を見遣ると、ふらつきながら立ち上がり、見下ろすように睨みをきかせた。酒の臭いが鼻をつく。
 
「誰だてめぇ……」
「私は、ミシェルさんの友達です」
 そう答えると、男の目が血走ったように見開いた。
「お前か電話に出たのはッ!! ミシェルはどこだッ?!」
 怒鳴り散らし、壁を殴ってアールを威嚇した。
「それは言えません……。なにか用件があるなら──」
「どこだって訊いてんだよッ!?」
「ミシェルさんになにか伝えたいことがあるなら、伝えておきます」
 
恐怖心で心臓がバクバクと騒ぎ立て、息苦しい。怯えていることを悟られないようにと、冷静を保つのは困難だった。
 
「お前に伝えてもらうことなんかねぇんだよ早く居場所言わねぇと殺すぞッ?! 脅しじゃねぇーからなッ!?」
 見開いた目はアールを捉えて離さなかった。アールは男の目を直視出来ないでいた。
「居場所言ったら……暴力振るうじゃないですか」
「はぁあぁぁッ? 誰がんなこと言ったんだ? あの女かッ!!」
 男はそう言いながら威圧的にアールとの距離を詰めた。視界が男の体で遮られ、圧迫感に囚われる。それでもアールは一歩も下がろうとはしなかった。
「貴方は……ミシェルさんのことどう思ってるんですか?」
 アールは男を見上げて目を合わせた。攻撃的な男の目に思わず怯みそうになる。
 
大切に思っている女性に対して、“あの女”という言い方をするものだろうか。愛情のカケラも感じなかった。
 
「どうって? 大切に思ってるよ」
 そう答えた男だったが、口元だけ緩ませて歯茎を見せたが、目は赤く血走り、怒りに満ちたままだった。
「ならどうして暴力を振るうんですか? ミシェルさんは本気で貴方のことを愛してるのに……。どうして愛してくれている人を悲しませたり苦しませたり出来るんですか!」
 つい感情的になったアールは呼吸に熱がこもっていた。悔しくて涙が滲む。こんな男を愛したミシェルの想いはきっと、報われない。
「──どーして、どーして、どーして、どーして……」
 と、男は繰り返し言うと、怒りに震えた左手をアールの襟に伸ばした。「うるっせぇえぇぇんだよッ!?」
 
怯んだアールの襟を掴み、右の拳を振り上げた。
 
「あんな馬鹿女好きでもなんでもねぇーからに決まってんだろぉーがッ!?」
 アールは身を構え、目をギュッと閉じた。
「──ッ?! 離せ!! 誰だテメェはッ!!」
 
殴られる覚悟で目を閉じたアールの顔に、男の拳は飛んでこなかった。恐る恐る目を開けると、振り上げていた男の右腕をシドが掴んでいた。
 

 
「どーも。どうやらお前とは縁があるみてぇだな。女なんかに手ぇ出してんじゃねーよ」
 
シドが男の動きを止めている間、アールは不安げにホテルに目を向けた。ルイとカイが、俯いて顔を覆うミシェルに寄り添っている。
 
「──?! またテメェかッ」
 シドの顔を思い出した男は、アールから手を離すと、シドの手を振り払った。
「……知り合いなの?」
 と、アールは訊く。
「いや、ただ何度か見かけただけだ」
「ミシェルはどこだ! あ"?」
 男は苛立ちながらそう訊くと、シドの肩をど突いた。
「女に依存か。可哀相にな」
 シドは鼻で笑った。
「どこだって、訊いてんだよッ!!」
 と、殴りかかってきた男だったが、シドは軽々と交わした。
「知らねぇーよ」
 と、馬鹿にしたように答える。
 
「シド、ちょっとごめん……」
 アールはそう言うとシドの肩に触れて男の前に立った。
「女だからって馬鹿にしないでよ。男より力が弱いからって暴力で支配しようなんて頭おかしんじゃないの。結局シドの言うように貴方が彼女に依存してるんじゃない。ストレス発散のはけ口にして彼女がいなきゃ周りも見えないしなにも出来ないんでしょ!」
「……なんだとッ?!」
 怒りに拍車がかかった男はアールの胸倉を掴むが、すぐさまシドが止めに入った。
「シドは手ぇ出さないで!!」
「はぁ?! 殴られてぇのかテメェは!」
 と、シドが怒鳴った。
「馬鹿にされっぱなしは嫌なのッ!」
「テメェが馬鹿にされたわけじゃねーだろ!!」
「友達が馬鹿にされた挙げ句に女に手を出せば黙るとか思ってる男がムカつくの!」
「ムカつくのはわかるがボコられたら意味ねーだろうがッ!!」
「やられっぱなしは嫌だし逃げるのも嫌なのっ!!」
 そう言ってアールはシドを押し退け、男に掴みかかった。
 
シドがそばにいるから、安心して言いたいことを言い放てるのだ。
力ずくで女を押さえようとする男は最低だ。力じゃ男に勝てないのをわかっていて痛めつけるなんて最低だ。逃げればきっと「ざまぁみろ」と笑うんだ。やり返してもやられて「ざまぁみろ」と笑われるんだ。
どっちにしろ馬鹿にされるんだ。だったら私は戦って笑われたほうがいい。
 
「あんたみたいな男を理解しようとしてくれて愛してくれてたミシェルさんに少しは悪いと思いなよッ!!」
 

──人に愛されたとき、感謝の気持ちを忘れない。
私は自分が嫌いだから。冷静に自分を見たとき、私が男でも自分と付き合いたいとは思えない。
そんな私を、好きになってくれる人がいるって、凄いことだと思うから。
 
ダメなところ、沢山あるのに、
全部包み込んでくれる人がいたら、それは奇跡のようなものだと思うから。
 
だから許せなかった。
 
ミシェルがあんな男を信じて愛していた気持ちは私にはわからない。
でも、愛していた人に裏切られる悲しみは、理解出来るよ。
 
顔に電気が走ったような痛みを感じた。馬乗りになった男の重さを感じた。髪を引きちぎられる音がした。頭を地面に打ち付けて、一瞬全てを忘れてしまった。
手を伸ばしても、簡単に振り払われた。髪を掴んでやっても、顔面に激痛が走って力が入らなかった。
 
怖かった。痛かった。熱かった。悔しかった。悲しかった。
 
ミシェルは他にどんな思いをしたの?
 
全部知って、気を失うまで仕返してやりたかった。
彼の本心を聞いて動けなくなっていた貴女の代わりに……。

 
「もういいだろッやめろッ!」
 シドがそう叫んだ。「いい加減にしろッ!!」
 
シドはアールから何度も男を引き離そうとした。それでも男の手はアールの服を掴んだまま離さない。
シドは男の顔を殴り、注意を引き付けた。漸くアールから手を離した男は息を切らし、アールの血で赤く染まった手の甲を見て不気味に笑った。
ぐったりと倒れているアールの体を、駆け寄ったルイがそっと起こした。苦痛で表情が歪む。
アールは重い瞼を開け、男を見据えると、手を伸ばした。
 
「アールさん……」
 
アールの目から痛みや悔しさの涙が流れ、切れた口元にしみた。
シドはため息をこぼし、男を後ろから羽交い締めにした。
 
「一発殴んねーと気がすまねーんだろ? 押さえててやっから、思いっ切り食らわしてやれ」
 
アールは黙って震える拳に力を入れた。けれど、あまり力が入らない。体を起こす力もなく、ルイに支えてもらっている状態だった。
男は、叫びながら身をよじる。殴られて目が腫れ上がっているアールの視界は悪く、ぼやけ、狙いが定まらない。
 
「最低……」
 とアールは呟いた。
「あ"ぁ?!」
「ミシェルさん以外に……あんたなんかを好きになる人……いない」
「好きになって欲しいなんて思わねーよ」
 と、男はアールを見据えて笑った。「あの女もただの奴隷だ」
「可哀相なのはあなただよ」
 そう言ってアールは、男の顔に血の交じった唾を吐いた。
「なにすんだテメェッ?!」
 アールに殴り掛かろうとする男をシドが地面に押さえ込んだ。
「……殴られるより、屈辱でしょ?」
 と、アールは言い放った。
 
満足したのか、アールはぐったりとルイにもたれ掛かった。
 
「アールさん……」
「よく言ってやった」
 と、シドが笑いながら言う。「で、キメ台詞を言ってやったところでこの男どーすんだ?」
「連れていってもらいましょう。ゼフィル兵に」
「はぁ?!」
 と、男が地面に顔をつけながら暴れる。「こんなことで軍が動くわけねーだろ!!」
「動きますよ。詳細は言えませんが、“彼女”にここまで手を出したわけですから」
 と、ルイはアールに目を向け、抱き上げた。
「んじゃ、俺は手ぇ離せねぇから暇そうなカイに連絡するよう言ってくれ」
「わかりました」
 
ルイはホテルへと戻り、言われたことをカイに伝えた。
男はまだ抵抗しようとするが、完全に押さえ込まれているため、身動きがとれない。
 
「さっきのどーゆう意味だッ! あの女はなんなんだよッ!!」
「さぁなぁ、企業秘密だ。まぁとにかく、女ってのは執念深いから気をつけろよ? 俺からも忠告だ」
「うるせぇ!!」
 

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