voice of mind - by ルイランノキ |
隣のベッドでカイはVRCに何をしにきたのかわからないほど、スヤスヤと寝息を立てている。治療を終えたアールはベッドの上で仰向けになり、天井を眺めていた。2人組の男達に食ってかかったことを思い出すと、今更怖くなった。あの時は頭に血が上っていたが、冷静になった今思い返すと自分でも驚く。自分にそんな野蛮な一面があったとは。
ルイはアールが眠るベッドの横で、椅子に座っている。腕を組んで下を向いているが、寝ている様子はない。静かな治療室。女医師はディスクに向かって、訪れた客の症状を書き綴っている。
「ルイ……ごめんね」
アールは視線を落とした。
「…………」
ルイは顔を上げてアールを見遣った。
「弱いくせに突っ走っちゃった。自分が蒔いた種を自分で回収出来るほど強いならまだしも、結局また助けられちゃったし……」
壁にかけられている時計の針がカチカチと時間を刻む。
「自分ひとりでどうにか出来ないくせに、後先考えずに行動しちゃって……ごめん」
ルイはただ黙って、アールの話に耳を傾けた。
「最低だね、私。こうやって謝っても、また同じことして謝るんだと思う。その度に迷惑かけて、謝って、そしてまた……」
「…………」
「感情がコントロール出来ないの。気がついたら暴れちゃってて……。自分が怖いよ」
殴られたり蹴られたりして出来た痣が、ズキズキと脈打っている。時計の針が刻む音と、疼く痛みの速度が微妙にズレている。
「アールさん……僕は……」
ルイは、組んでいた腕をほどいて口を開いた。だけど、そのあとの言葉が出てこなかった。
「怒る気にもなれないよね……ごめん。ごめんなさい」
ルイはギュッと目を閉じ、立ち上がった。
「無事で、良かったです……」
ルイは、切なく微笑んで、怒ろうとはしなかった。
──青空の下で、翼を折ってしまい、上手く飛べなくなってしまった鳥に、広い鳥籠を用意してあげる。
自由に羽ばたいていた青空が見えない場所で、餌を与え、止まり木を用意してあげ、時々部屋の中で自由にしてあげる。
ルイがくれるのは、そんな優しさだった。
「無理せず、ゆっくり休んでくださいね。また後で様子を見にきます」
そう言い残し、ルイは治療室から出て行った。
──きっと、翼が治って、青空で羽ばたくことを望んだら、外に出してくれる。
広いお庭の外に。
外は危険だからと、また翼を折ってしまわぬようにと、目の届くお庭の外に。
そして、帰っておいでと言う。
安全な鳥籠へ。
餌もあって、おもちゃもある、広い鳥籠の中へ。
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暫く眠っていたアールは、空腹で目が覚めた。体を起こすと、痛みは殆どなくなっていた。
隣のベッドに目を向けると、カイの姿がない。布団から出て立ち上がると、少しふらついた。
「あら、起きたの?」
と、女医師がアールに気づき、ディスクから離れて歩み寄ってきた。「具合はどう?」
「大丈夫です。あの、ここに寝てた人は?」
カイが寝ていたベッドを指差した。
「あぁ、2時間前くらいに、ワオンに連れて行かれたわよ」
「ワオンさんに?」
「えぇ。いつまで寝てんだって叩き起こされて。ワオンはあなたのトレーナーでしょ? きっと退屈だったから連れ出したのね」
そう言って医師はクスクスと笑った。
「彼の具合は大丈夫なんですか?」
「すっかり元気よ。寝足りないみたいだったけどね」
「そうですか。よかった……」
「そういえばあなたを運んできた男の子が1時間置きくらいにあなたの様子を見に来てたわよ」
「ルイか……心配かけちゃった」
「素敵な仲間をもって良かったじゃない。──新顔の男の子も一度来たわよ」
「新顔?」
「なんだかムスーッとしてて、ご機嫌斜めだったわ。腰に刀をかけてて……そのルイ君と話をしてたんだけど、名前はー」
「シドですか?」
「そうそう! あの子は愛想ないわね」
「あはは。そっか、シド来てたんだ……」
アールは掛け時計に目を向けた。時刻は午後6時過ぎ。
「うわっ! もう6時!」
「3時間くらい寝てたみたいね。もう少しここにいなさい。ルイ君に頼まれたのよ。あなたが起きたら連絡してくださいって。彼が来るまでおとなしくしてなさい」
「はい」
アールはベッドに腰掛けた。医師はルイに電話を掛けはじめた。
治療室の奥から、男性が咳込んでいる。カーテンで仕切られていて姿は見えないが、あまりにも苦しそうだ。医師はまだ電話中で手が離せない。アールは立ち上がるとカーテン越しに声をかけた。
「大丈夫ですか?」
「ゲホッ! ゲホッ!……あー……ゲホッゲホッ!!」
「……カーテン、開けますよ?」
そっとカーテンを開けた。ベッドには横向きで胸を押さえながら咳込んでいる男が、顔を真っ赤にして苦しんでいた。
「大丈夫ですか?」
アールは男の後ろに回り、背中を摩った。
「ゲホッ!! ゲホッ……すまねぇ……ゲホッゲホッ!」
「先生は今電話中だから……もう少し待ってくださいね」
「ゲホッ! いや……だい……ゲホッ!! ゲホウッ!! ……大丈夫だ」
「大丈夫に思えませんが……」
「気管にっ……水が入ってな……ケホッ……」
「え」
ベッドサイドのテーブルに、水の入ったコップが置かれている。「あぁ……」
「咳込みすぎて肺がいてぇ……」
「どうしたの?」
と、電話を終えた医師が顔を覗かせた。
「あ、なんか水が気管に入っちゃったみたいです」
「また? もう……どうせ横になったまま水を飲んだんでしょ!」
「ヘヘへッ……」
と、男は笑ってごまかした。
「えーっと、アールちゃんだっけ」
「はい」
「ルイ君だけど、きりがついたら迎えにくるそうよ。──それまで暇なら、ちょっと手伝ってくれないかしら」
「お手伝い?」
いつの間にか、治療室には怪我をした男の姿があった。半袖の男は顔や腕に擦り傷や切り傷があり、息を切らしている。ソファに横たわり、痛々しい。
「アールちゃん、消毒液出しといたから、消毒してあげてくれる? ピンセットで綿をつまんで適当に塗ればいいから」
「え、適当に?」
「私はちょっと2階の治療室に包帯とか持って行かなきゃいけないから。切らしてるみたいなのよ。じゃ、頼んだわよ」
医師は段ボールに入った医療品を抱えて治療室を出て行った。
「あ……だ、大丈夫ですか?」
アールはディスクの上にあった消毒液を持って男が横たわっているソファの横に膝をついた。男は体を起こし、アールを見遣る。
「じっとしていてくださいね」
まずは顔の傷から消毒液を塗りはじめた。
「うぅ……イデデ……滲みるな……」
「ふふふっ」
と、思わず笑ってしまう。
「な、なんだよ。なにかおかしいか?」
「いえ、だって……体凄く鍛えてるし、こんなに傷を負うほど戦ったようなのに、消毒液が滲みただけで痛そうにするから……ふふっ」
「いや、まぁ……ぶん殴られる痛みより消毒液のほうが痛いもんだぞ? こう……地味に痛いっつーか……イデデ」
「ふふっ。我慢してくださいね」
と、消毒を続けた。
「我慢嫌いだからなぁ俺は。やられたらやり返さねぇと気がすまねぇ」
「え……?」
思わず手を止める。
「あはははっ! 冗談だよ、冗談! けどあんたも怪我人だろ? 女の子なのに可哀相に。顔、痣が凄いぞ。腫れてるし」
「うそっ?!」
アールは消毒液を置いて、鏡を探した。ディスクの上にある鏡を見つけ、覗きこむ。
「うわぁ……えらいこっちゃ……」
と、自分の顔をみて驚く。
自分が思っていた以上に酷い有様だった。これはカイもルイも心配するに決まっている。自分でも心配になるくらいだ。
「なーにが『えらいこっちゃ』だボケェ」
と、聞きなれた声がした。恐る恐る振り返ると、シドが立っていた。
「おわっ……ルイが来てくれるんだと思ってた」
「ルイじゃなくて悪かったなぁ。ひっでぇ顔だな。元からひでぇか!」
と、シドは笑う。
「むかつくけど否定出来ない。……顔は守ったはずなのになぁ」
と、また鏡を覗く。「まったく痛くないからすっかり治ったのかと」
「ここは病院じゃねーからな。やっすい薬しか出さねぇよ。痛みは消すが治りは通常よりは早いくらいだろ」
「そっか……まぁ……いいや……」
「すまねぇが……消毒してくんないか?」
と、ソファにいた男が横になりながら言った。
「あっ、ごめんなさい……」
アールは慌てて消毒の続きをはじめた。
「なんでお前がやってんだ?」
シドはベッドに腰掛けて腕を組んだ。
「先生が2階に用事があって……頼まれたの」
「お前なんかに頼むって……」
「うるさいな」
アールは男の顔の傷に消毒液を塗っていると、ふいに目が合った。傷口をよく見るために顔を近づけていたせいで、ドキリとする。
「な、なにか? あ、痛いですか?」
「いいや……あんたどっかで見たことあるような気がしてな」
「え? そうですか? 私は今日初めてお会いしたと思うんですが」
「そうか? ……そうだよなぁ」
「あ、顔の消毒は終わりましたよ。腕の消毒しますね」
「あぁ……」
「…………」
腕の消毒をしながらふと思った。
そういえばカイに乱暴をしたタンクトップの男も、自分のことを知ってるような素振りだった。気のせいかもしれないけれど。
Thank you... |