voice of mind - by ルイランノキ


 捨てた想い39…『ヴァイス』

 
──違和感など、これっぽっちも感じられなかった。
ルイはいつも通り姿勢がよく、マゴカツを一口大に切って口へと運ぶ。味噌汁を飲むときはあまり音を立てずに、味を確かめるように口に運び、時折、カイがこぼしていないかを目で確認する。
すっかり大人しくなってしまったカイは、また一気に頬張ろうとして躊躇い、いつもより少し控え目な量を口へと運ぶ。よほど美味しいのか、口元を緩ませて「うまいうまい」と言うように頷く姿は、なんとも微笑ましい。ニワトリのトサカ頭は残念だが。
モーメルは、ルイが気を利かせて小さめに切り分けたマゴカツをゆっくりと噛んで味わっている。お茶を啜る姿は和やかで、次に何を食べようか箸をふらつかせるカイの手を、軽くペチン! と叩いた。
シドは椅子に片膝を立てたまま頬が膨らむほどがっつき、カイとは違ってこぼさずに食べている。一度に口へ運ぶ量が多く、お茶もがぶ飲みする始末。飲み干した湯飲みを黙ってテーブルの中央に置くと、ルイがすかさず急須からお茶を継ぎ足している。
 
「ふふっ」
 と、アールはつい、笑いをこぼした。
「なんだよっ」
 シドは不機嫌そうに言う。
「いや別に……なんかおもしろいなぁって」
 そう言ってアールはお茶を啜った。
「なにがおもしれぇんだか……」
 
アールが泉から戻ってきて意識を取り戻したとき、みんなを疑う彼女にモーメルは、仲間だけでも信じてあげてほしいと言った。本物だと証明する方法があれば教えてくれと。
証明する方法なんて見つからない。見つからなかった。でも、もうアールの中で、答えは出ていた。みんなに対する不信感は消え去っていた。同じ空間で同じ時間を過ごしていると、自然と見えてくる。見た目で判断するものじゃなく、感じ取れるものがある。
 
アールは漸く、泉から無事に生還出来たのだと痛感した。
 
「あ、ライズはまだ帰らないのかな?」
 と、アールは最後の一切れを口に運んだ。「ごちそうさま。私ちゃんと形見持って帰ってきた……?」
「大丈夫だよ」
 と、答えながら、モーメルは箸を置いて手を合わせた。「アタシが代わりに渡しておいたよ」
「よかった。それでライズは……」
「出て行ったよ」
「え? 出て行ったって……」
 
モーメルは席を立ち、モニターの前に立った。後は彼等の問題で、自分からは話すことではないと思ったからだ。
 
「……ルイ?」
 と、アールは困った顔でルイに目を向けた。
 ルイも箸を置き、改まった様子で話し始めた。
「アールさん、実は……ライズさんにアールさんが無事に戻ってきたら仲間になってほしいと、今一度お願いしてみたのですが……」
「ダメだったの……?」
「いえ……。時間が欲しいとのことです。今すぐには、無理だと」
 
それは、一応オーケーってことなのかな……と、アールは首を傾げた。
 
気持ちの切り替えがすぐに出来る人もいれば、そうでない人もいる。ライズは、アールが生還したあとに自分が生まれ育った、今はもう無くなったムゲット村へと向かったのだ。仲間に加わるのは、容易なことではない。死を覚悟で未来を切り拓く旅へ出るためにはまず、今まで心に溜め込んでは目を逸らしてきたことから向き合わなければならない時が来たのだ。
 
「遠回しに無理って断ったんだろどうせ」
 と、シドが完食した食器を前に、欠伸をしながら言った。
「え? ……そうなの?」
 アールは不安げにルイを見遣る。
「断ったわけじゃないさ」
 と、モーメルが背を向けたまま言った。「“準備”が出来次第、あんたたちに会いに行くと言っていたよ」
「だからホントかどーかも怪しいだろうが。会いに来るわけねぇよ」
「なんでシドは人を信じないの?」
 と、アールは不快な面持ちで言い返した。「根拠もなしに決め付けるの、どうかと思う」
「根拠もねぇのに信じるのもどうかしてんだろーが」
「根拠がないからこそ良い方に考えるんじゃない!」
「根拠、根拠ー!」
 と、カイが面白がって意味もなく言った。
「カイさんは黙っててください」
 ルイはそう言うと食器を台所へ持って行った。
「シドってなにかと盾突くよね」
 目も見ずにそう言うと、アールはシドに背を向けるようにしてテーブルに肘をついた。
「なんだよ俺の勝手だろーが」
「感じ悪い」
「はぁ? テメェも十分感じわりぃだろ! 人の優しさを踏みにじれる奴にあれこれ言われたくねぇな」
 ルイのことだと、アールはすぐにわかった。ルイの優しさを、踏みにじっている。
「……そうだね」
「わかりゃいいんだよ」
「でも……ちょっと自分のことは棚に上げて訊きたいことがあるんだけど」
「あー?」
 
「シドって……なんで“ひとり”なの?」
 
なぜそんな質問をしたのか、アール自身、自分でもよくわかっていなかった。ただ、なんとなくそう感じたから訊いてみただけのことで、深い意味などなかった。だが、シドはアールの質問に一瞬、怖い顔をした。触れてはいけない領域に、アールはまた、触れてしまったようだ。地雷が埋まっている場所に足を踏み入れたような、背筋がヒヤッと凍る思いがした。
 
「あっ!」
 と、カイが突然何かを思い出したように声を上げた。「そういえばアールぅ、ライズどんなだったー?」
「どんなって?」
 カイが話し掛けてくれたことが、救いに思えた。
「人間に戻った姿見たんでしょー?」
「え……なにそれ。ライズ元の姿に戻ったの?」
「えーっ、見てないのぉ?! 泉に飛び込んで助けたのライズでしょー?」
「えっと……ごめん、なんの話?」
 
そう訊き返し、後になって思い出した。泉の中で意識が薄れてゆく中、誰かが自分の手を掴んだことを。
 
「あ……そういえば誰かが……でもハッキリとは見てないよ。意識が朦朧としてたし、水面からの光がやけに眩しくて……」
「なぁーんだ……ガッカリ」
 と、カイは肩を落とした。「じゃあ誰も見てないってことかぁ……」
「誰も?」
「突然、泉から強い光が放ったのですよ」
 と、ルイが台所から居室に戻ってきた。布巾でテーブルを拭きながら、話を続ける。
「アールさんが泉へ飛び込んでから、水面が渦を巻き始め、ライズさんがすぐに飛び込もうとしたようなのですが、跳ね返されてしまったそうです。だから誰も泉の中へ入ることが出来なかったのですが、モーメルさんが用意してくれたおにぎりをシドさんが持って泉へ届けに来ていたとき、泉の渦が消えたのです。僕たちは駆け寄って泉の中を覗こうとした瞬間に、泉から放たれた強い光を直接目に浴びてしまい、暫く目が見えなかったのです」
 ルイは布巾を畳んで椅子に座った。
「それでライズは……?」
「そのときライズさんは、モーメルさんの家に戻っていたのですよ。でも、僕たちの視界が白く見えなくなっていたとき、駆け寄ってくる足音が聞こえてきたのです。ライズさんの足音ではないことはわかりました。ライズさんの場合は四本足ですからね。それに、強い光を浴びて一時的に目が見えなくなったといっても影くらいはぼんやりとわかる程度でしたので、人だということもわかりました。その影は泉へと飛び込んで行きました」
「バッシャーン! て音がしたもんねぇ」
 と、カイが椅子を揺らしながら話の間に入った。
「えぇ。その影がライズさんだとわかったのは、泉から出てきた後で──」
「『女は無事だ。拙者はモーメルに知らせてくる』って言ったから、ライズだぁー! ってね」
 カイはまるで自分の手柄のように自慢げに話した。
「じゃあ……モーメルさんならライズの姿見てるんじゃないの?」
 と、アールがモーメルに目を向けると、カイたちも一斉にモーメルへ目を遣った。
 
モーメルはモニターの機械を弄る手を止め、彼らの方へ振り向いた。
 
「あぁ、アタシは見てるよ」
「どんな人ー?! 俺よりかっこいい?!」
 カイは気になってしょうがないようだ。
 
しかしモーメルは、視線を落とし、苦々しく言った。
 
「どうだろうね……あんたたちがショックを受けなきゃいいが……」
「え……?」
 と、三人は声を揃えた。
「すんごく横幅が広い人なのかなぁ」
 カイがそう言ってテーブルに顔を伏せた。
「いや、大男だろ。毛むくじゃらのな」
 と、シドが笑いながら言う。
「どんな方でも、関係ありませんよ」
 優しくそう微笑むルイに対して、アールは、
「実は女性でしたっていうオチだったりしてね!」
 と、笑顔で答えた。
 
三人は無言でアールに目を向けると、どんよりと顔を暗ませた。
 
「え……? なんか私悪いこと言った? みんなだって言いたい放題言ってたじゃない……」
「女は勘弁だ女は……」
 と、シドはうんざりと言う。
「残念ながら女性ではないと思いますよ」
 と、ルイは困ったように笑いながら言った。「モーメルさんもライズさんのことを“彼”と呼んでいましたし、彼の過去の話からして、男性かと……」
「あ、そっか……。なんでカイまでそんな暗い顔してんの?」
 と、アールは訊いた。ライズが女性なら、カイは無条件に喜びそうだったからだ。
「アール……ダメだよ……あんな低い声の女性……? そんなのダメだよ……」
「なるほど……ごめん」
 
自分の姿をあれこれと想像されていることを、ライズは知るよしもない。
 
「あんたたち……」
 と、モーメルが呆れたように言う。「想像は自由だけどね、もう彼はライズじゃなく、ヴァイスだよ」
「あ、そうでしたね。ライズさんと呼ぶのはやめましょう」
 と、ルイが言った。
「ヴァイス、ヴァイス、ヴァイス……間違えてライズって呼んじゃうかもぉ」
 カイはそう言って、繰り返し「ヴァイス」と名を繰り返した。
「まぁ戻ってくるかわかんねぇんだから覚える必要ねぇだろ」
「シドはまだそんなこと言ってんの……?」
 アールはシドに軽蔑の眼差しを向けた。
「うっせぇな……いちいち突っ掛かんな」
 
アールは、食べ過ぎたお腹を摩りながら背もたれに寄り掛かった。
突然部屋のどこからか電話の音が鳴り、モーメルは沢山の物が雑然と置かれた棚から、埋もれていた電話の受話器を取った。
 
アールは電話をしているモーメルを眺めながら、様々な思いを巡らせた。ライズがいなくなって、モーメルさんはどう思ってるんだろう。心なしか寂しそうに見えなくもない。彼のために言葉を喋れるようにしたモーメルさん。罵倒されても、彼を元の姿に戻す方法を見出したモーメルさん。……あまり人と話をしたがらなそうなライズでさえ、過去のことをモーメルさんに話すほど、心を開いていたんだろうな……。
 
旅立つ人を見送る側の気持ちは、どんなものなのだろう。
アールは、仕事へ行く自分に「いってらっしゃい」と言ってくれた母を思い出した。
 
もし、向かう場所が仕事場じゃなく、別世界だと知っていたら……
なにか別の言葉を掛けてくれていたのかな……。
 
 

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©Kamikawa
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