voice of mind - by ルイランノキ


 捨てた想い28…『姉との時間』

 
──家族団欒。家族全員揃って外食。そこに自分の恋人もいる。そんな画に描いていたような幸せが現実になるなんて思いもしなかった。
これはご褒美だと思っていいのだろうか。ずっとひとりで、別の世界で1日1日死の恐怖を感じながら身を削って生きていた私へのご褒美。そう思っていいのだろうか。
 
正午を迎え、お昼時に雪斗から電話が掛かってきた。待ち遠しくてずっと携帯電話を肌身離さず持っていたアールは、すぐに電話に出た。
 
「もしもし、雪斗?!」
『おー、具合はどう?』
「全然大丈夫!!」
 
久しぶりに聞いた雪斗の声に、アールの胸は高鳴っていた。ずっと聞きたかった声。ずっと求めていた雪斗の声。その声を聞いただけで胸がきゅんとして熱くなる。声だけでは物足りなくて、早く会いたいと願う。彼の笑った顔が見たい。彼に触れたい。彼に抱きしめられたいと切に思う。
 
『なんだ、心配して損した!』
 と、笑った雪斗の声。
 
とても懐かしくて、温かくて、涙がにじんだ。雪斗に対する強い想いを、改めて痛感する。電話の向こうに雪斗がいる。ちゃんと繋がっている。名前を呼べば返事が返ってくる。
どんなに求めても繋がることがなかった。でも今は、同じ世界で、同じ時間を生きて、同じ時間を共有している。
 
『もしもーし?』
「あ……あのさ、今夜……」
『あぁ、会えるよ。多分早く終わるから。俺ん家に来る?』
「あ、そうじゃなくて……なんかお姉ちゃんが、みんなで食事しようって言うんだけど……」
『みんな?』
「うちの家族と……」
『まじで……?』
「あ、やっぱ嫌だよね……」
『別に嫌じゃないけど、緊張すんなぁ……』
「あはははっ、うちの家族に緊張なんかしなくていいよ」
『いやいや、普通緊張するって。なんか和菓子とか持ってくべき?』
「いいよそんなの。気を遣わないで? それより……」
『ん?』
 
──早く会いたいよ。
その一言がなぜか言えない。素直になりたいのに。
 
『もーしもーし?』
「はいはーい……」
 と、アールは苦笑した。「あ、今大丈夫なの? 電話してて……」
『あぁ、今お昼休憩』
「そっか……」
 
言いたいこと、伝えたいことは伝えられるときに言わなければ後悔する。それは長い旅の中で痛いほど知った。
 
『ん? なんか元気ねーな?』
「あ、あのね……あの……」
『なに? 言いにくい話? ──もしかして別れ話? じゃないよな』
「ないない! 別れ話をする人が今夜家族と食事になんて誘わないよ」
『それもそうか!』
 と、安心したように笑う雪斗。
「えっと……会いたいなって……思って」
 やっと素直にそう言えた。
 
素直になることに慣れていないアールは、ただ会いたいと伝えるだけで心臓がどきどき脈打って、ケータイを持つ手が震えていた。
 
『今日会えるんだろ?』
「うん、まぁそうなんだけど……早く会いたいなぁーなんて……」
『ふぅん』
「な、なにその反応! 人がせっかく勇気出して素直に言ったのにっ」
『ぶはっ! いやいや、めずらしいこともあるもんだなぁと!』
「笑わないでよ!」
 そう言ったアールは赤面していた。
 
『──ごめん。かわいいなって、思ったんだよ』
 
勇気を出して素直になったら、冷めた反応が返ってきて、笑われて……かわいいって。卑怯すぎる。嬉しくて泣きそうになった。もっと素直になれたら、会いたい会いたいと連呼して泣きじゃくりたい気分だった。──やっぱり私は、雪斗が好きで好きでたまらない。今すぐにでも彼の胸に飛び込んで行きたい。彼の声も笑顔も真面目な顔も、ちょっとした仕草も優しさも、子供じみたところも、私の心を掴んで離さない。そんなことが出来るのは、君だけ。
 
『聞いてる? もしもーし』
「き、聞いてるっつの! バカじゃない?!」
 アールは照れ隠しに強がって言った。
『あはははは、なんだよ急にー。あ、照れてんだろ?』
「照れてねーよ!」
 そう言い返してハッと口を押さえた。
 
誰かさんのせいで口が悪くなっていたのが定着している。
 
『口悪いなぁー…』
「ご、ごめん! つい……」
『いーよ、いーよ。もう言わないから』
「ごめん……」
『ははっ! 冗談だって。かわいい、かわいい』
「もーうるさい!」
『良子』
「なに……」
『かーわいい』
「もうしつこいっ! もういいから!」
『あはははは!』
 
──良子と呼ばれて、嬉しかった。
早く会いたいし、会うまでずっと電話で話していたい。
雪斗、寂しかったんだよ。君に会えなくて。声も聞けなくて。どんなに必要としたことか。どんなに思い出したことか。どんなに抱きしめてもらいたいと思ったことか……。でも君はいなかった。あの場所に、君はいなかった。
 
『あ、俺まだ昼飯食べてないから、また仕事終わったら電話するわ』
「うん……」
『なに? 寂しい?』
「寂しくない……」
『ははっ、んじゃ、またあとでなー』
 
──そうだ。そうだった。雪斗は、私が元気ないとき、すぐに気づいてくれる。隠しても隠しても、結局はバレちゃってるんだ。それって、私のことをいつもちゃんと見てくれてるってことだよね……?
 
電話を切ると、直ぐにまた着信音が鳴った。友人である久美からのメールだった。
 
「久美!」
 思わず声に出して笑顔になる。久美は、大切な親友だ。
 
【元気してるかー?
 実は今日帰って来てるんだー。
 何時でもいいんだけど会えるー?】
 
「うそ……会いたいっ!」
 メールを読み終えたアールは、そう独り言を放った。
 
親友の久美は、アールと高校まで一緒で、卒業してからは東京の大学へ進学した。その為、なかなか会えなくなってしまっていたのだ。
アールはすぐに返事を打とうとしたが、ためらった。今日は雪斗も一緒に家族と食事に行く予定が出来た。食事をする夜までは時間があるとはいえ、お腹が痛いと仮病を使っているわけだから家から出るわけにはいかない。
 
アールは悪知恵を働かせて、久美にメールを打った。
 
【今からなら会えるよ!
 でも実は今日、仮病使って仕事休んでるの。
 だから家出られなくてさ。
 来てくれる? お見舞いに☆】
 
すると、直ぐに久美から返事がきた。
 
【悪い子発見〜(笑)
 フルーツの盛り合わせでOK?(笑)】
 
アールは歓喜のあまり、小さくガッツポーズをした。
向こうの世界で、もう二度と取り戻せないかもしれないと思っていた平凡な日常がここにある。隣の姉の部屋から、物音が聞こえてくる。すぐ側に家族がいる喜び、安堵感。これまでなら絶対に自分からは話し掛けなかった姉と、また会話を交わしたくなった。自分が別の世界へ飛ばされていたことは、誰も知らない。こんなことがあった、あんなことがあったと話したい気持ちもあったが、きっと信じてはもらえないだろう。
長旅で壊れそうになっていた心が、回復していくのを感じていた。
 
アールは部屋を出ると、少し緊張しながら美鈴の部屋をノックした。
 
「はいはーい。どうしたん?」
 と、美鈴が顔を出す。
 
アールにとっては怒った顔のイメージが強い姉だが、彼氏と同棲を始めてからか、にこやかになったように思う。
 
「あのね……、友達がお見舞いに来るからちょっと騒がしくなるかも……」
「いいよいいよ、なんだったらその子も食事誘ったら? 五人も六人も一緒だし」
「……うん、じゃあ誘ってみる」
 
美鈴の変わり様に、戸惑いを隠せなかった。いつも喧嘩ばかりでその度にもっと優しい姉が欲しいと思っていたが、温和になった姉はまるで別人のようだった。
 
「あ、そうそう……」
 と、美鈴は部屋のクローゼットから、チェック柄のスカートを取り出した。「これ、あげるよ」
「えっ」
 
そのスカートは、姉が着ているのを見て前から欲しいと思っていたスカートだった。母親の佐恵子が洗濯した際に間違えてアールの部屋に置いていたことがあった。そのときアールは美鈴の目を盗んで一度だけ勝手に着て出かけたことがある。後々そのことがバレて酷く怒られた思い出の品だ。
 
「あと、これもいらないかなぁ」
 と、美鈴は次から次へと洋服をクローゼットから出していく。「ちょっと。そこで突っ立ってないで部屋入んなよ」
「あ……うん」
 アールは恐る恐る姉の部屋に入った。甘いバニラの香りがする。
 
姉の部屋に入ったのは、中学生以来だった。それもこっそり入ったわけだが、普段は絶対にアールを部屋に入れない美鈴だった。ましてや、自分の服を妹にあげるなど、考えられなかった。
 
「これいる? あんたにはちょっと派手かなぁ……」
 美鈴は大人っぽい黒のワンピースをひろげながら、そう言った。
「どうしちゃったの? お姉ちゃん気前がいいね」
「そう? ここに置いてったままの服は着ない服ばっかだからさぁ。あんた結構私の服装マネしてたでしょー」
「う、うん。お姉ちゃんはお洒落だから」
「なーにそれぇ! 初めて聞いたそんなのー」
 と、美鈴はご機嫌な様子で言った。
「まぁ昔は真似されたらウザいだけだったけどさ、かわいいもんかぁと思ってねー。私も大人になったかも。あ、このスカートもいらないからあげるよ」
「ありがとう!」
 
これまでなんて無駄な時間を過ごしていたのだろうかと、アールは思った。ただ苦手で姉を避けてきた時間が、とてももったいなく感じた。
 
もっと早く、姉と打ち解けていたら……寂しさを感じることもなかったのに。
 

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©Kamikawa
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