voice of mind - by ルイランノキ |
私が 意識 を取り戻したのは
人々の悲鳴が聞こえた時だった。
ここがどこなのか、
どうやってここへ来たのかはわからない
窓ガラスに映ったその醜い姿に人々は怯えているのだと思った。
“助けなければ”そう思ったけれど、
窓ガラスに映っているそのバケモノが自分自身であることに気づいたのは
顔面蒼白でライフルを構えた男が視界に入り込んだときだった。
銃口が私に向けられている。
人々の悲鳴も私に向けられている。
もう一度窓ガラスを見遣り、ここにいる“私”が映っているのだと察したとき、
言い知れない恐怖と絶望が襲った。
銃声が何度も鳴り響き、身体に振動を感じた。
痛みが波打つ。意識が遠のくほどの痛みを感じたと思ったら、すぐに消えてなくなり、
また波のように押し寄せてくる。
ガラスに映るそれは姿形を変えて安定しない。
人型になったかと思えば四本足の魔物になり、何発もの銃弾が身体に入り込むとドロドロとした液体のような体を動かして暴れ狂い、銃弾を吐き出した。
私の身体でありながら、そうではない。
誰? 私の中にいるのは
──そう思った。
アールの姿は、とても醜くおぞましい姿に変貌していた。人とは思えない魔物のような悪魔のような姿で、気がつけば小さな町に来ていた。町の男たちが一斉に銃口を向ける姿を目で捉えたアールは、目の前にいた男を押し退けて町の外へと逃げ出した。
強い力で突き飛ばされた男は民家の壁に頭から激突し、その頭は無残にも砕かれ即死だった。
アールは森の中を走り抜けた。四本脚で走っていることに違和感を抱いた瞬間、脚が縺れて横転した。痛みで咄嗟に出た声は魔物のうめき声だった。
だ れ か ……
体を起こし、再び森の奥へと歩き出す。二本脚で歩いている自分に気づく。両手を見遣ると焼け焦げた手のように真っ黒で骨ばっていた。自分の手じゃない。
だ れ か ……
森の外から人間の声が聞こえた。冷やりと嫌な汗が背中を伝い、慌ててもっともっと奥へと逃げ込んだ。自分の姿がわからない。二本脚で走っていると思いきや気がつけば四本脚で森の中を駆けている。人間の声はどこまで逃げてもついてくる。──それなら噛み殺せばいいだろう?
だ れ か 助 け て
足を止めて振り返ると、自分が走ってきた道筋に赤黒い液体が流れていることに気がついた。身体から血がとめどなく溢れている。気がつかなかった。自分の身体である感覚が時折無くなる。──だれ……? 私の身体を動かすのは。
だ れ か ……
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血の匂いを辿ってきたヴァイスは、ある町にたどり着いた。出入り口付近に大きな血溜まりが出来ていた。
「なにがあった」
近くにいた50代くらいの男に訊く。
「不気味な魔物だよ……。町の結界なんかものともせずに突然唸りながら入ってきたもんだから騒然としてね。あんな気味の悪いバケモノは初めて見たよ。しばらくそこの店を眺めていたんだ。中の店員を見ていたのかもしれないがね」
「…………」
血溜まりが出来ている場所のすぐ前には、ブティック店があった。窓ガラスの奥にはハンガーラックに掛かっている服が見える。その奥にはレジも見えた。けれど、その窓ガラスに映っている自分に気づき、ヴァイスは全てを察した。
「その後はどうした?」
「え? あぁ、逃げてったよ。何発も銃弾浴びてたから、今頃死んでるとは思うがね」
「被害者は?」
「ひとり。突き飛ばされてコンクリートの壁に頭を打ってね。ほら、あの壁に血の跡がまだ残ってる。壁に出来た皹を見ればどれだけの威力で突き飛ばされたのかわかるだろ? 即死だよ」
「…………」
ヴァイスが町の外へ出ると、沢山の武器を抱えた男たちが5人程、森の中から歩いてきた。
「あんた気をつけたほうがいいぞ、不気味な魔物が出たばっかりだからな」
と、注意を促された。
「…………」
「逃げられちまったから、用心しろ」
「あぁ」
男たちは不安を残したまま町へと戻って行った。
ヴァイスは森に目を向けた。血の跡が奥へと続いている。迷わず足を踏み入れた。
助けて 誰か
声にならない声が涙に変わる。
どうしてこうなったのか、
思考が回らなかった。
なにかを考えようとすると何者かに妨害され、
思考が停止する。
そして気がつけばどこかもわからない場所で
捨てられた人形のように横たわっていた。
とても息苦しかった。
指先を動かすだけでも吐いてしまいそうな不快感が襲う。
楽になりたいと思うのに、
私の一部が止まろうとする。
声を出そうとした瞬間、口や鼻や耳や目からなにか液体が溢れ出た。
鉄の味に、血なのだとわかる。
どろどろと体からあふれ出てくる血。
身体の中から血液が作り出されては排出されていくのがわかる。
自分の血の池に
溺れてしまうかと思った。
「アールッ!!」
遠くの方で私を呼ぶ声がした。
動かせない身体で、救いを求めるように意識だけがあなたを求めた。
血を流していた目から熱い涙が溢れた。
涙が溢れて止まらなかった。
ヴァイスは足元に広がる血の池に入り込み、その中央にいたアールに走り寄った。
アールは赤黒い血で覆われていた。けれど、かろうじて人の姿であることはわかる。
「しっかりしろッ!」
ヴァイスはうつ伏せで倒れていたアールを仰向けにして抱きしめた。袖で顔の血を拭う。拭っても拭っても、血がにじみ出てアールの顔を覆った。
ドクドクとアールから流れ出る血の池は徐々に大きく広がってゆく。
私を見つけてくれた
こんな私を
あなたは 見つけてくれて
今にも壊れてしまいそうな私の身体を
抱きしめてくれた。
「ヴァイス……」
やっと人間らしい声が出て
また涙が溢れる。
「気をしっかり持て。乗っ取られるな……」
声をすぐ側で聞いているだけで
心が落ち着いていくのがわかった
私の中で叫び続けるこの世のものではない醜い声。
私を支配しようとしていた何者かの声。
「ヴァイス……たすけて……たすけて……」
そう言って再び大量の血を吐き出したアールを、ヴァイスは抱きしめて背中をさすった。
「大丈夫だ……そばにいる」
「たすけて……」
つらいよ しんどいよ こんなのやだよ たすけてよ……
アールの涙は血に混じって流れたが、ヴァイスにはその匂いも感じ取れた。
そして、突き刺すような彼女の痛みも苦しみも。
けれど、アールへの救いを妨げようとする力がヴァイスを突き飛ばした。アールは唸りながら身体を起こし、ヴァイスに襲い掛かった。馬乗りになって歯を剥き出しにし、魔物のように首を噛み切ろうとした。
「アール……怯えるな」
ヴァイスはそんなアールから逃げようとせず、彼女の顔を見つめ、そう言った。
「──?!」
アールは獲物を前にした魔物のように呼吸を荒げていたが、理性が戻ったのか、ヴァイスから離れるとそのまま森の奥へと姿を消した。
耳をつんざく叫び声
耳を塞いでも頭の中で響いて止まない
うるさい うるさい うるさい
抵抗しても私の声をかき消す呻きと叫びと笑い声
皮膚の中で虫が蠢いているようで
爪を立てて胸を掻きむしる
内臓が口からあふれ出そうになって両手で覆う
気づいたら大声で笑っていて
泣いていた。
Thank you... |