voice of mind - by ルイランノキ


 無常の風18…『BAR』

 
「あれ?」
 
アールはお風呂に入って驚いた。湯船がピンク色だ。ルイが入浴剤を買ってきて入れてくれていたのである。ローズのいい香り。体を洗って、湯船に浸かった。思わず顔がほころぶ。ただのお湯に浸かるよりも何倍も気持ちよく感じる。
 
ルイは布団を敷きながら、お風呂に入っているアールを気に掛けた。入浴剤は気に入ってくれただろうか。少しでも心が安らいでくれたらそれでいい。
シドを一週間待つと言ってから明日で6日目。明日の朝にでも具体的な話をしなければと思った。
 
お風呂から出たアールは、布団の上で本を読んでいるルイを見遣った。カイは既にベッドで眠っている。
 
「ルイ、入浴剤ありがと!」
「気に入っていただけましたか?」
「うん! 気持ちよかった」
「驚かせようと思いまして、カイさんに言わないように口止めするのが大変でした」
「あはは! きっと言いたくてウズウズしたんだろうなぁ」
 アールはベッドに腰し掛け、ドライヤーで髪を乾かし始めた。カイが寝ていても気にしない。ドライヤーの音ごときでは起きないからだ。
 
ルイはアールが髪を乾かし終えるまで本を読んでいた。ドライヤーの音が止まると、本を畳んでシキンチャク袋にしまった。
 
「ルイ、たまにはベッドで寝る? 私ばっかりずるいし」
「いえ、お気になさらず」
「いつもありがと。……今日もヴァイスはいないのか」
 と、布団に潜る。
 ルイも布団の中へ。
「いつも、どこへ行かれているんでしょうね」
「ムゲット村かなぁ」
「夜中にムゲット村まで行きますでしょうか」
「…………」
「…………」
「月明かりを浴びながら小高い丘の上で夜風に吹かれて黄昏てるのかな」
「ふふっ」
 と、ルイは思わず笑った。
「想像出来るでしょ?」
「えぇ、少し」
「雨の日とかどうしてるんだろうね。雨宿りしてるイメージないし」
「そうですね、どこか落ち着いたBARに行っているのかもしれませんよ」
「あ、それだ! BARだ! ヴァイスはBARにいるんだ。超想像できる!」
 
しっくりきたところで、おやすみなさい。
二人は眠りについた。
 
その頃ヴァイスは、本当にBARにいた。
店内では落ち着いたクラシックが流れており、カウンターの一番奥に座ってワインを飲んでいる。
 
「お兄さん、一人?」
 と、赤い口紅がよく似合う巻き髪の女性が隣の席に腰掛けた。
「…………」
「私も今日は一人なの。すっぽかされちゃった」
 と、女もワインを飲んでいる。
「ねぇ、お兄さんおいくつなの?」
「…………」
「ちょっと、無視は酷いんじゃない?」
 むっとする女性に、グラスを拭いていたマスターが言った。
「彼は一人で飲むのがお好きなようですよ。私でよろしければ話し相手になりますが」
「あらそう……つまらないわね」
 と、女性は席を立って、別の席へと移動した。
「すまない」
 と、ヴァイスはマスターに言った。
「いえ、どうぞごゆっくり」
 
 
  * * * * *
 
「良子、遅かったじゃないか」
 仕事から帰ると、父が待っていた。
「今日はお寿司を頼んだんだ。みんなで食べよう」
「うん……」
 
食卓に、母、父、姉、良子が並んだ。足元に白猫のチィが擦り寄ってくる。
 
「さぁ、好きなものを食べなさい」
「…………」
 アールは姉の美鈴が選ぶのを待ってから、サーモンに箸を伸ばした。
「お父さんさ、今度の休みに遊園地連れてってよ。城島ゆうえんち」
 と、美鈴が言う。
「おぉ、いいぞ」
「新しいアトラクションが出来たらしくて」
 話を聞いていた母の佐恵子も口を開いた。
「でも、もう子供じゃないんだし、お友達と行ったほうが楽しいんじゃないの?」
「いいじゃんたまには家族でさぁ」
 
良子はサーモンを食べ終えると、たまごに箸を伸ばした。
 
「そうね。お嫁に行っちゃったら当分家族でおでかけなんて出来なくなっちゃうものね」
「気が早いってー」
 と、美鈴は笑った。
「良子も行くでしょ? 遊園地」
 と、佐恵子。
「え……うん……どっちでもいいけど」
「なにそれ。行きたくないなら無理に来なくていいんだけど」
 と、美鈴。
「行きたくないとは言ってない……」
「よしなさい。どうも昔から二人は気が合わないようだなぁ」
 と、父、信二は缶ビールを開けた。
 
アールはマグロに箸を伸ばした。
 
「あ! マグロ取らないでよ!」
「まだあるからいいじゃん……」
「私がマグロ好きなの知ってるでしょー? あんたサーモン好きじゃん。サーモン食べなよ。ほら」
 と、美鈴は良子の小皿にサーモンを置いた。
「…………」
 まぁいっか、と、サーモンを食べた。なにか、変な味がする。
「マグロだけ多めに買っておけばよかったわね」
 と、佐恵子。
「お母さんは食べていいよマグロ」
「あらそう?」
「いつも感謝してますから」
「わーうれしい!」
 
「…………」
 随分と口の中でサーモンがねちゃねちゃしている。ふと、しょうゆ皿を見たらしょうゆが波打っていた。
「…………?」
 よく見てみると、なにか黒いものが動いている。
「なにこれっ!」
 と、思わず声を上げると、パラパラと黒いヒルがテーブルの上に落ちてきた。悲鳴を上げて家族を見遣ると、その目に眼球は無く、ぽっかりと開いた空洞からエノックスが湧き出していた。
 
  * * * * *
 
「きゃぁあ!」
 と、自分の声に驚いて目を覚ました。
 先に起きていたルイが心配そうに駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか……?」
 いつの間にかヴァイスも戻っており、窓際でコーヒーを飲んでいる。彼も驚いたようにアールを見遣った。
「あ……うん……」
 バクバクと心臓が暴れている。
「悪い夢でも?」
「……うん、お寿司が」
「お寿司?」
「食べ……食べたお寿司にウジが湧いていたの」
「それは……悲惨な夢でしたね」
「うん」
 と、呆然としながら頷く。
「なにか飲まれますか?」
「コーヒーを……」
「わかりました」
 
アールは一先ず洗面所に移動し、専用液で口を濯いでから顔を洗った。シキンチャク袋から精神安定剤を取り出し、飲んだ。正直、こういうものは効果があるのかどうかわからない。気休めなのかもしれないけれど、薬を飲んだことで少し気持ちが落ち着いた。
洗面所から出ると、ローテーブルにコーヒーが置かれていた。窓際に立ってコーヒーを飲んでいたヴァイスもテーブルに移動している。
 
「大丈夫か?」
 と、ヴァイス。
「うん。──昨日はどこのBARに行って来たの?」
 と、冗談で言ったつもりが、ちょうどコーヒーを飲み込もうとしたヴァイスは咳き込んだ。
「え、図星なの?」
「何故わかった……」
「寝る前にルイと話してたの。ヴァイスはいつもどこに言っているのかなって。BARかもってルイが当てたの。ね?」
「えぇ」
 ルイは朝食を運んできた。
「…………」
「大人のBAR?」
「…………」
 大人ではないBARが想像でいない。
「一人で飲んでるの?」
「あぁ」
「いいなぁ。ちょっと憧れる」
「…………」
「かっこよくない? カウンターに一人で座って飲んでる女の人! 男の人に声を掛けられるんだけど、『ごめんなさい、今日は一人で飲みたい気分なの……』って! 言ってみたい」
「…………」
 ヴァイスは笑いを堪えた。
「そういうの似合う女の人になりたい」
 
ルイは朝食を運び終えるとカイを起こしに掛かった。
 
「シドがいたら『程遠い』って言われそう」
「…………」
 ヴァイスは無言でコーヒーを飲んだ。
「大人の色気ってどうやって手に入れるんだろう。10代でもう大人っぽい女の子とかいるじゃない? あれ、なんだろうね」
「…………」
「だって色気なんて学ばないじゃない? どうやって身につけたんだろう」
「…………」
「聞いてる?」
「あぁ」
 
寝ていたカイはルイが取り出したお菓子のにおいがする瓶によってすんなりと目を覚ました。眠たそうにベッドから降りて、床を這うようにテーブルへ移動する。
 
「食事をしながらでいいので、少し話を聞いてもらえますか?」
 と、ルイ。
「? どうしたの?」
「シドさんのことです。一週間待つと言ってから、今日で6日目です」
「…………」
「明日の夜まで待つか、明日の朝まで待つか、決めたいと思っています」
「一週間でしょー?」
 と、カイ。「7日目も入れて一週間っていうんだよ」
「カイ……」
「わかりました。では、出発するのは明後日の朝、でよろしいですか?」
「…………」
 アールは黙ったまま頷いた。もう少しだけ、と言いたいところをぐっと堪える。
 カイは不機嫌そうにミルクを飲んだ。
「ではその予定でお願いします」
 
なんとも空気の悪い、複雑な朝だ。
 

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