voice of mind - by ルイランノキ


 一日三秋9…『連絡先の交換』

 
アールは一度展示会場に戻ってからサルジュと話し、ルイがチェックインをした宿に移動した。カイは布団を敷いて寝転がった。暖房がついているのに肌寒い。この国で暮らしている人たちからしてみれば十分な暖かさなのだろう。ルイは部屋の温度を上げようと思ったが、あまり暖かくしすぎるとまた外との気温の差に体調を崩しかねない。あまり上げすぎないことにした。
 
宿の部屋は広く、4人なら十分布団を敷いて眠れる広さがあった。大きめのローテーブルがあり、アールは座布団の上に座った。つなぎのポケットの中でカサカサと音がしたので取り出すと、展示会で貰った紙だった。全ての作品の写真が小さく載っている。そういえば、と、シラコが最後に展示してあった彫刻を険しい表情で眺めていたのを思い出し、あの女性の彫刻はなんだったのだろうと見遣った。
 
《尊敬する最愛の母の像》
 
「お母さん……?」
「どうしました?」
 と、ルイ。窓から外を眺めていたヴァイスも、アールに視線を向けた。
「シラコさんがこの彫刻をずっと眺めていたから、なんの彫刻だったのかなと思ったらお母さんだったみたい」
 そして、通路でシラコが「あなたは母に似ている」と言ったのを思い出す。
「綺麗でしたね。どの彫刻も繊細で」
「うん……」
「僕はこれから展示会場へ戻って、シラコさんに挨拶してまいります。一応電話では近くの宿に泊まると連絡しましたが、きちんと直接お礼を言っておきたいので」
「だったら私も……。レストランが空くまでまだ時間あるし」
「寒いですよ?」
「うん、大丈夫」
 シラコのことが気がかりだった。こういうのを余計なお世話というのだろうけれど。
 
アールとルイはヴァイスにカイのことを頼み、展示会場へ戻った。
シラコの姿は会場に無く、ルイはアールを待たせてマシューに声を掛け、シラコの居場所を尋ねた。けれど、マシューもいつの間にかシラコの姿を見なくなったという。ルイはシラコに電話を掛けた。
 
アールは展示会場の受け付けがある館内から外を眺めていた。しばらく雪が止んでいたが、またチラチラと降りはじめている。雪を見ると思い出すのはみんなで雪合戦をしたときのことだ。シドがいればまたカイと雪合戦を始めそうだなと、そんなことを考える。
 
「アールさん」
 と、携帯電話をポケットにしまいながらルイが近づいてきた。
「シラコさんの居場所がわかりました。《ヘルバタ》という紅茶専門店にいるようです。帰るところだったようですが、待ってくれているというので行きましょう。この近くです」
 
アールは居場所を聞いたルイについて歩いた。街の中は人が多く行き交っている。小さな子供がもこもこのフード付きコートを身に纏っており、小人のようで可愛らしかった。ところどころに雪ダルマが作ってあるのも心を和ませる。
シラコがいる紅茶の専門店はアンティークな雰囲気で、ちょうど店内から出てきた白髪が混ざった髭を綺麗に整えて黒いハットを被った60代くらいの紳士的な男性が「どうぞ」と閉まる扉を押さえ、アールとルイを促した。
 
「ありがとうございます」
 二人は笑顔で頭を下げた。
 
店内は決して広くはないが、数え切れないくらいの紅茶が棚に並んでおり、カウンターがある。ビシッとスーツを着た店員が「いらっしゃいませ」と頭を下げる。
シラコはカウンターの一番奥に座っていた。
 
「待たせてしまってすみません」
 と、ルイ。
「いえ。少しゆっくりしてから戻ろうかと迷っていたところですので。なにか飲まれますか? ここの紅茶は世界一ですよ」
「では一杯だけ。アールさんはどうされますか?」
「私も一杯だけ」
 と、二人もカウンターに座った。
 
二人はシラコが飲んでいたものと同じ紅茶を注文した。
 
「今日はお招きいただき、ありがとございました。どれも素晴らしかったです」
 と、ルイ。
「いえ。日ごろ流れの速い時間の中で過ごされていることでしょうから、少しでも羽が休まれば幸いです。それに、兄も喜んでおりましたので」
「お兄さんは本当に才能がおありなのですね。僕は特に、《生命の誕生》というタイトルの赤ん坊を抱いている女性の彫刻が印象に残っています。目を奪うものがありました」
「兄に伝えておきます」
 と、笑顔を向ける。
 
アールはそんなシラコに違和感を感じていた。やっぱりどこか元気がなさそうだ。
しばらくルイはシラコと昔話で盛り上がっていた。二人の会話を訊きながら、アールは紅茶を嗜んでいる。店内ではクラシックが流れており、微かに口に残る紅茶の渋みがまた大人の雰囲気を出している。こういうお店が似合う女性になりたいなとつくづく思う。
 
「ちょっと失礼します」
 と、突然ルイが席を立って外へ。誰かから電話が掛かってきたようだ。
「楽しんでいますか?」
 と、シラコ。「すみません、ほったらかしにしてしまって」
「あ、いえ。楽しんでます。こういう大人びたお店ってなかなか来る機会がないから、雰囲気に酔いしれてます。紅茶の香りもいいし」
「それならよかったです」
 笑顔を交わし、紅茶を飲む。
「あの、大丈夫ですか? 元気ない気がして」
 と、アールはずっと気になっていたことを口にした。
 シラコは驚いて、くすりと笑った。
「大丈夫ですよ」
「あれって、お母様ですよね? シラコさんが眺めてた彫刻……」
「…………」
 シラコは笑顔のまま、紅茶の水面を眺めた。
「なにかあったんですか? 私に言いましたよね? 母に似てるって……。なにか関係ありますか?」
「……ルイさんが感謝していましたよ」
「え?」
「お母様のこと。育ての母とずっとわだかまりがあったけれど、あなたのおかげで理解し合い、前に進めるようになったと」
「私は何も……」
「私の母との関係も、修復してくださるのですか?」
「…………」
 母親となにかあったのだと察する。
「難しい問題ですから、これ以上は踏み込まないでいただけますか?」
 穏やかな口調でそう言ったシラコは、やはりどこか悲しそうだった。
 
アールは紅茶を飲んで、自分のことを棚に上げて人の心に踏み込もうとした自分を恥じた。自分だって踏み込まれそうになって拒否したばかりだというのに。
 
「そういえば、客間に戻るときにシラコさんが言った言葉ですが、ありえませんから」
「ありえない?」
「新しい恋人なんていらない」
 
シラコはあの時、アールにこう耳打ちをしていた。
 
新しい恋人が出来るまででも、あなたの側に私はおります
 
「そうですか」
 シラコは微かに笑って、紅茶を口へ運んだ。
 そして、自分の連絡先が書かれた紙をアールに手渡した。
「直接、連絡が取りたくなったときはいつでも」
「……結構です。」
 と、アールは目を逸らした。敬愛してくれているのは有り難いが、距離感が近すぎると感じた。
「長い旅をしていると、予想外の出来事が多くあります。私はこう見えても国家魔術師です。モーメルさんにばかり頼っていては、彼女も休まる時がないでしょう。そういった時にでも」
「モーメルさんを知っているんですか?」
「それはもちろん。時折、各国の国家魔術師たちが集まって情報交換を行う催事があります。そこで何度かお目にかかりました」
「そうだったんだ……」
 シラコは連絡先を書いた紙を改めてアールに差し出した。
「言葉は悪いですが、利用出来る人間とは繋がっておいたほうがなにかと役に立つと思いますよ? これは旅の心得です」
「…………」
 アールは紙を受け取った。
「でしたら私の連絡先もお伝えしておきます」
 

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