voice of mind - by ルイランノキ


 有為転変1…『集めるもの』


 
ヒュオオ……と冷たい風が吹きすさぶ。すっかり辺りは暗闇に覆われ、足元は何時間にも渡って降り続けた雪が積もっている。ギップスはゼフィール国を離れ、タイヴァスという国の街外れにある森の奥に来ていた。そこにはひっそりと佇む一軒家があり、煙突から薪ストーブの煙が上空へ向かって広がっている。
ギップスの肩には雪が積もっていた。この一軒家には魔術師の老人が住んでいることも、その老人の眉毛が白く長いことも、その声が見た目と違って甲高いことも、室内は暖炉によってほかほかと暖かいことも、彼は知っていた。1時間ほど前に訪れ、酷い剣幕で門前払いにされたからである。
ギップスはそれでも諦めるわけにはいかなかった。モーメルから託された仕事をそう簡単に投げ出すわけにはいかない事情があった。彼女がどんな思いでこの使いを自分に頼んだのか、考えれば考えるほど、ここから背を向けて帰る気にはなれなかった。
ギップスは老人に「話を聞いてくれるまで待ちます」と言い、ずっと玄関の前で正座をしていた。そのため、膝にも肩にも雪が積もり、ズボンが溶けた雪を吸い込んで彼の足を冷やした。その冷たさは今では痛みと化して、ギップスの表情を険しくさせたが、彼は膝の上で拳を硬く握り、体を震わせながら耐え続けた。
 
老人はそんなギップスをはじめは気にもしなかった。厄介な客が来たとしか思っておらず、マイナス度あるこの寒さの中、何時間も待ってはいないと思ったからだ。だからギップスを追い払ってからはくたびれたソファに座り、テレビを眺めていた。しかし2時間くらい経った頃、不意に外の様子が気になった。人がいる気配を感じたのである。
 
「まさかな……」
 
重い体を立ち上がらせ、玄関に向かった。魔物である可能性もなくはない。靴箱の横に立てかけていた槍を持ち、ドアを開けた。すると、老人の足元には背中を丸めて正座をしている男の姿があった。頭にも雪が積もっている。
 
「まだおったのか……」
 
老人は槍を立てかけ、ギップスの前にしゃがみこんだ。
 
「生きとるか?」
「……死ぬわけにはいきませんから」
 その消え入りそうな声に、老人は大きくため息をついた。
「家の前で死なれちゃ困る。入りなさい」
 
ギップスは老人に深々と頭を下げた。頭に積もっていた雪が落ちる。
ほとんど感覚の無い足でなんとか立ち上がると、しわくちゃの老人の手に支えられながら室内に入れてもらった。
 
「一番風呂を客に譲るなどしたくはないが……まぁよい。温まりなさい」
「お心遣いに……感謝します」
 
ギップスはそう言って、家の奥にある風呂場へ向かった。
老人は寝室へ移動し、箪笥の引き出しを開けた。ギップスは細身ではあったが身長は老人よりも大きい。なにも着ないよりはましかと思い、適当に着替えを用意して脱衣所へ持って行った。
 
「お主、着替えは持っておるのかの?」
 と、念のため訊いてみる。こんなところまでくるのだから着替えのひとつやふたつ持っているのではないかと思ったからだ。
「はい、一応」
「なんじゃ、手間かけおって」
 老人は用意していた着替えを持って寝室に戻ると箪笥の中へと戻した。
 
再びソファに腰を下ろした老人だったが、落ち着かないのかすぐに立ち上がって台所を見遣った。人の世話を焼くのは柄ではないが、飲み物くらいは用意してやろうと思い立つ。それになにより、最近の若い者はうまくいかないとすぐに諦める傾向にあったが、ギップスは若いくせに熱意があると、少なからず好印象を抱いた。
 
ギップスが芯まで冷えた体を温めて風呂から上がると、ソファの前にあるテーブルの上には温かいミルクが置いてあった。
 
「飲みなさい」
「なにからなにまで……すみません」
 
ギップスの足は凍傷になっていたが、持ち歩いていた回復薬のお陰で症状は和らいだ。
 
「話は聞いてやるが、手を貸すかどうかは約束できん」
「えぇ、まずは話を……というより、手紙を預かっておりますのでご一読いただければと」
 
ギップスは愛用の鞄からモーメルより預かった手紙を老人に渡した。老人は怪訝そうにそれを受け取り、テーブルの端にあった老眼鏡をかけ、封筒から便箋を取り出して読み始めた。
 
ギップスは老人が入れてくれたミルクを一口飲んだ。温かい。はじめは老人に対して冷淡な人ではないかと思っていたが、そうでもないようだ。
老人は2枚に渡る便箋を、何度も読み返しているようだった。一度読み終え、視線を虚空に向けてなにか考え、再び手紙に視線を戻す。その表情は険しかった。
ギップスは彼を急かすことはしなかった。時間が無いのは確かだったが、これは時間がないからといって急かして答えを出してもらえるものでもない。力を貸すか貸さないかで、世界の運命を左右するのだから。
 
老人は何度も手紙を読み返したあと、封筒の上に手紙を重ねてテーブルの上に置いた。それから老眼鏡を外し、ポットから自分のマグカップに温かいミルクを注ぎ、2回ほど息を吹きかけて冷ました後、気持ちを落ち着かせるかのように少しずつ飲んだ。
 
「──他に必要なものはもう揃えたのかね」
 と、老人はテーブルの上に置いた手紙を眺めながら言った。
「いくつかは……」
「リストは?」
「あります」
 鞄からメモ用紙を取り出し、老人に見せた。
「モーメルの代わりにご苦労じゃな」
「……私は、彼女を尊敬しております。彼女の力になれるのなら、なんでも」
「…………」
 老人は暫くリストを眺めていた。
「あの……それで、例の魔道具は貸していただけるのでしょうか」
「構わんよ」
 と、意外にも老人は即答した。
「本当ですか?」
「わしはモーメルがどうなろうと構わんからな」
「…………」
 老人は立ち上がり、メモ用紙を返しながらギップスを凝視した。
「お主もわかっておるのだろう、彼女がなにをしようとしておるのか。その手伝いをしておるということがどういうことなのか」
「……はい」
 と、視線を落とした。
「やましいことでもしておるのか? そうでないなら視線を逸らすでない。地下へ魔道具を取りに行ってくる。待っておれ」
 
老人はそう言って、家の奥へ向かった。
ギップスは神妙な面持ちでリストを見遣り、胸ポケットからペンを取り出すと、老人から借りる魔道具の名前に横線を引いた。
 
「間違ったことはしていない……」
 
ギップスは自分に言い聞かせるように呟くと、少し冷えたミルクを一気に飲み干した。
 

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