voice of mind - by ルイランノキ


 トーマの冒険記5…『コボルト』 ◆

 
絶体絶命を感じたのは何度目だろうか。
この世界に来てはじめて絶体絶命の危機を感じたのは、城の外に出て魔物を目の当たりにしたときだった。
あの時は咄嗟に雪斗の名前を呼んだんだよね。真っ先に浮かんだのが君の顔だったから。
でも結局あの日、自分を守ったのは自分だったけれど。
 
死を悟ると走馬灯のように過去の記憶が一気に流れ込んでくるというけれど、今のところそういった経験はしていない。ただ、このまま死んだ後のことが妄想として一気に流れてきた。
身動きが取れない私の身体に噛み付くコボルト。どんなに痛みに叫んでも怯みもしないコボルトの牙が私の皮膚を貫いて骨を砕く。その音をまだ意識のある私は聞き、気を失い、そのまま彼らの餌になる。
その後の世界が、一気に流れ込んできた。
後から仲間が駆けつけてくる。そこにはもう、私はいない。コボルトの食べ残しを見て、ヴァイスが匂いで私だと気付いてくれる。彼らは絶望に浸る。この世界の終わりを見る。
私の世界の時間が動き出す。止まっていた針がカチリと1秒を刻み、2秒、3秒と刻み始める。
その世界に存在していた私という人物が消えてゆく。家族の記憶からも、友達の記憶からも、そして雪斗の記憶からも消えてゆく。
そしてそれぞれがこれからの人生を生きてゆく。なにごともなかったように。
私という存在を思い出すこともない。
はじめから存在していなかったことになっているのだから──
 
「ッ?!」
 
コボルトが私の首に噛み付こうとした。咄嗟に右腕を動かしてコボルトの顎を殴ったが、砕くほどの力もなく、すぐに腕に噛み付かれた。そしてその鋭い牙が皮膚を突き刺し、骨に達する。骨に皹が入ったとき、残りの2体も腕を食いちぎろうと走ってきた。
 
アールは激痛に顔を歪め、声を上げた。
 
 
「ヴァイスッ!!」
 

あの時、咄嗟に名前を呼んだのはヴァイスだった。
後からならいくらでも理由は思いつく。
けれどどれも後付けにすぎなくて。

 
雨音を切り裂く銃声が3発響いた。そして、アールを食べようとしていたコボルトが次々とその場に倒れ込んだ。こめかみに銃弾が打ち込まれている。
意識を失いかけていたアールの元に、ふわりとヴァイスが降り立った。
 
「ヴァイス……」
「目を伏せていろ」
 
アールが目を閉じると、覆っている土砂をかけ分ける音がした。目を開けると、そこにいたのはライズだ。前足で穴を掘るように掻き分けている。──ライズの姿になるのを見られたくなかったのだろうか。思わずくすりと笑ってしまった。
コボルトに噛まれた腕から血が溢れ、雨で流されてゆく。安堵したからか、意識が遠のいてゆく。
 
土砂からアールを救い出したヴァイスは、彼女を抱きかかえて武器を拾い、ひとまず洞窟を探した。
 
「しっかりしろ」
 と、見つけた洞窟内に身を置き、回復薬を飲ませた。
 
少し肌寒いが、焚き火をしようにも雨が降っていて枝が拾えない。
ヴァイスはコートを脱ぎ、アールの肩に掛けた。
 
「ごめん……ありがとう」
「横にならなくて平気か?」
「うん、大丈夫。ここまでどうやって来たの……?」
「私が来たのがわかったのか」
「え?」
「…………」
「……あ」
 
ヴァイスはアールが自分の名前を叫んだ声を聞いていた。
 
「……うん。気配がしたから」
「そうか」
 

どうして、嘘をついたんだろう。
今なら痛いほどわかるのに、
あのときの私は目を反らずばかり。

 
膝に顔をうずめ、コートの重みを感じた。
ヴァイスの匂いがする。
止まない雨音。
静かな時間。
 
今はもう心細くはない。
ヴァイスが側にいるから。
 

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