ル イ ラ ン ノ キ


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冬 海 の 波 に の ま れ て

 
私が恋に落ちたのは、冬の寒さが身に沁みる1月の上旬。
海の近くに住んでいる私は夏が来るたびに「海が近くていいね」と言われ続けてきたけれど、私は別に海が好きで海の近くに住んでいるわけじゃない。海の近くにある家に、私が生まれたというだけのこと。
だからといって海が嫌いなわけでもない。ただ、騒がしいのは好きじゃないから、私は冬の海が好きだった。特に、静寂な闇の中で流れる海の音を聴ける、夜冬の海。

時刻は午後7時前。冬はあっという間に暗くなる。誰かが「冬は日が短くて一日動ける時間が短く感じるから好きじゃない」と言っていた。静かな時間に身を置くことが好きな私はその真逆。冷え症で芯まで冷えて寒いけれど、四季の中で一番好きなのは冬。

私はいつもの帰り道を歩いていた。右手には二斜線の道路があってその向こう側には家が並んでいる。私が歩いている歩道の左側には堤防があって、その向こう側にはテトラポッドと、海。海岸はここからもっと先にある。

冷たい風が頬を撫でては通りすぎてゆく。不意に足を止めた。

男の人が堤防の上であぐらをかいて座っていた。タバコをふかしながら海を眺め、タバコを右手の人差し指と中指の間に挟んで、首にぶら下げていた一眼レフカメラを構えた。
自分が撮られているわけではないのに、思わず体を強張らせる。ファインダーを覗く彼の真剣な横顔を眺めていると、彼の眼差しの先にある被写体にでもなったように固まってしまったのだ。
シャッターが数回切られ、彼はカメラを下ろすと再びタバコを吸い、ふぅーっと吐き出した。白い煙りが渦を巻いて舞い上がる。顎に無精髭を生やしているけれど、それがオシャレに見えてしまうほど彫りの深い顔立ちだった。大人の男性だ。

彼はタバコの火を消そうと左の胸ポケットから携帯灰皿を取り出したとき、私に気付いた。
私は私でドキリとして、慌てて立ち去ろうと思ったけれど、出来なかった。彼の視界の中にいたいと思ってしまった。それは不思議な感覚。彼の目に留まっていたい。彼の目を引きたい。通り過ぎてゆく景色の一部にはなりたくなかった。

彼は暫く私を見つめた後、ふっと笑って、カメラのレンズを向けてきた。パシャリと一枚写真を撮られ、消そうとしていたタバコをもう一度吸った。

「かわいいね」
「え……?」

彼は携帯灰皿にタバコを押し当てて火を消し、「さて、と」と立ち上がる。堤防の上にいて、背が高いこともあって私は夜空を見上げるように顔を上げ、彼を見遣った。

「君、高校生だろ? 早く帰ったほうがいい」
 そう言って彼は堤防から私がいる歩道に飛び降りた。「変な男に気をつけないとな」
「……大学生です。ここに長く住んでますけど、変な人なんかいません」
「いるよ、ここに」
 と、突然顔を近づけられて硬直する。

けれどまた彼はふっと笑って、「冗談」と言った。
からかわれている。だけど苛立つどころか惹かれるばかりだった。

彼は寒そうに肩を上げて、私とは逆方向へ歩いて行った。その後ろ姿を暫く眺めながら、また逢いたいと心の奥底で思った。一目ぼれってやつだ。
海に目を向けて、ファインダー越しの彼の目にはこの海がどう見えていたのだろうと思いを馳せる。やっと体の緊張が解けた私は帰り道を急いだ。

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片想いと言えるのかわからないけれど、あれからずっと彼のことが気になっていた。
大学帰りに同じ道を通りながら自然と彼の姿を捜す。なかなか会えなくて、7時頃にあの場所へ出向いてみたりする。
それでも会えない日々が続いて、もう一度会いたいけれどもう二度と会えないのだと諦めてしまった。だってあの人を初めて見た日から月日が流れ、一年が経とうとしていたから。

夏の熱い陽射しを浴びながら人々が集まる騒がしい海が終わり、再び静けさを取り戻しつつある秋を迎え、ひやりと冷たい風が水面を流れてゆく冬。
白い息を吐きながら、かじかむ手の感覚から思い出す感情。あの人はどこでなにをしているんだろう。
やっぱりもしかしたらまた会えるかもしれないと、淡い期待が浮かんだ。去年と同じ冬、同じ日、同じ時刻ならと。

もう一度出会えたからといって私はどうするつもりなんだろう。名前を知りたい。けれど知ってどうするのかな。告白、するのかな。名前も年齢もどこに住んでいるのかもなにも知らない男の人に。それ以前に彼は、私を覚えているだろうか。

車道を車が通り過ぎてゆく度に突き刺さる冷たい風が身に沁みる。夜空を見上げ、早々と顔を出した月を眺めながら帰り道を歩いていた。
そして私は足を止める。見上げていた月から視線を落とすと、あの人がいた。

去年の冬にタイムスリップしたみたいに、同じ光景が目に入る。堤防の上であぐらをかいてタバコを吸う彼。私の心臓は跳びはねて、また彼にくぎ付けになる。

彼はタバコを指に挟んだまま、首に掛けていた一眼レフカメラを構えた。ファインダー越しに見る海はどんな姿なんだろう。ずっと気になっていた。
ぼんやりと、夜空の下に広がる黒い海を眺めた。月明かりが水面に浮かんで揺れている。

「君、去年の子だね」
 突然話しかけられ、私は驚いて彼を見遣った。
「あ……はい」
 覚えててくれた。それだけで嬉しい。
「あれだけ注意したのに。早く帰ったほうがいいぞ」
 と、笑う。
「はい……」
 ぎこちなく笑い返すことで精一杯だ。やっと、逢えたのに。
「人生なんてなにがあるかわかんねぇからなぁ」

タバコをふかしながら、彼は堤防から歩道に降り立った。そしてポケットから一枚の写真を取り出すと、私に差し出した。

「え……?」

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