ル イ ラ ン ノ キ


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困 っ た ち ゃ ん の 卒 業 式

 
図書委員だった私は放課後、図書室に誰もいないことを確認し、鍵を閉めた。
生理3日目で貧血気味だし、お腹は痛いし、イライラするしで散々な一日だった。「いつか大人になって子供を産むための準備だと思えば平気だよねー」とか言っていた女子がいたけれど、一生独身でいろと思ってしまった。それも生理でイライラしているせいにしてしまおう。
 
廊下を歩き、職員室に向かう。生理薬の効き目が切れてきた。職員室に行く前にトイレに寄って薬をのもうかとも思ったけれど、我慢した。
職員室に入ると、壁側に各教室の鍵を下げる場所がある。そこに図書室の鍵を返した。職員室では担任の塚本先生がテーブルに顔を伏せていた。特に用はなかったのだけど、授業中に顔を伏せていたら「岡部、授業中だぞ?」と頭をコツンと叩かれたことを思い出してちょっとだけむしゃくしゃしたから、声を掛けることにした。
 
「先生、仕事中だぞ?」と。
「ん……ん? なんだ、岡部か」
 眠気眼で塚本先生は頭をかいた。
「仕事中に寝ていいんですか? 先生は授業中に寝たら怒るくせに」
「あんまり先生を虐めるなよ岡部」
 そう言って塚本先生は苦笑した。「ちょうどいい、教室に中村が残ってるから、ノート持ってってくれないか。今から課題のチェックするからちょっと待ってくれ」
 
クラスメイトの中村は課題を忘れる常習犯で、いつも昼休みや放課後に課題をさせられている。
 
「待ってもなにも、面倒だから嫌です」
「お前ハッキリものを言うな、相変わらず」
 と、先生はまた苦笑する。
「相変わらず?」
「2学期に俺が薬指の指輪を外して学校にきたとき真っ先に訊いてきたろ、『先生、離婚でもしたんですか?』って」
 塚本先生は中村の数学ノートを開き、課題のチェックをはじめた。
「そうでしたっけ」
 とぼけながら、実は覚えている。
 
冗談で訊いたつもりが、冗談にはならなかったからだ。あの時の先生は、困ったように笑いながら、「鋭いな」と言ったっけ。そのあとフォローのつもりで言った私の言葉は余計に先生を困らせた。
 
「お前は『若いうちに結婚なんかするからですよ。子供いないだけよかったじゃないですか』と言いやがった」
 と、塚本先生は笑う。
「すいません」
 
さすがに謝るしかない。なぜなら、先生は奥さんと子供のことで喧嘩し、離婚したのだから。
奥さんは子供を望んでいたけれど、塚本先生はまだ望んでいなかった。子供が嫌いなわけでもいらないわけでもない。ただ、今はまだ必要ないと思っていたらしい。
 
塚本先生は中村のノートに赤ペンでバツを付け、『やり直し』と書いた。
 
「先生」
「んー?」
 と、採点しながら反応する。
「腹痛薬とか頭痛薬とか、痛くなってから呑むじゃないですか。酔い止めの薬は酔う前に呑みますよね。どういう仕組みで効くんですか?」
「…………」
「…………」
「…………」
「先生?」
「お前なぁ……」
 と、塚本先生は手を止めた。「そういう質問は保険の先生に訊け」
「塚本先生はわからないんですね」
「いや、わかる」
「じゃあなんで答えないんですか?」
「それは俺が答えるより保険の桃子ちゃんが答えるほうが信憑性があるからだ」
 保険の桃子ちゃんとは、今年70になる可愛らしい保険の先生だ。
「うそばっか」
「いや、先生は嘘はつかない」
 と言いながら笑う。
「じゃあ先生、ヘソクリの言葉の由来はなんですか」
「……そりゃあお前、ヘソがクリクリしてる奴が金を隠したのがはじまりだな。江戸時代くらいだったか」
「嘘ですよね」
「うん、嘘だ」
「なにもしらないんですね」
「先生だからといってなんでも知っているわけではないし、知っていても安易に教えないよ。今はネットで調べれば簡単に出てくるが、辞書で手間をかけて調べることで記憶しやすいように、自分で調べることで学ぶこと大切だからな」
「ごもっともだけど結局は知らないってことですよね?」
「うん、知らない。──岡部は困ったちゃんだな」
 
そう言って困ったように笑う先生が可愛かった。
 
「先生、なんでスイカの缶詰って見かけないんですか?」
「もうやめてくれ!」
 お手上げと言わんばかりに言う。「俺岡部嫌いだっ」
「私も塚本先生好きじゃないです」
「そりゃ光栄だ」
 と、先生また可愛く笑った。
 
結局お腹が痛い中、中村のノートを私が届けるはめになった。中村は教室の最前列の、教壇の前の席で顔を伏せていた。
 
「中村君、ノート」
 と、私は中村にノートを渡した。
「え、なんで岡部さんが?」
「塚本先生に押し付けられたの」
「それはご苦労様」
「いい加減、課題忘れずにやってきたら?」
「放課後にやるときにはそう思ってんだけど、帰宅するとやる気なくしてる」
 と、中村はノートを鞄に突っ込んで席を立った。「じゃあな」
「…………」
 
自由な中村が少し羨ましい。でもあんなんじゃ、社会に出たときやっていけないと思う。
私は自分の席に置いていた通学鞄を肩に掛けた。好きでも嫌いでもないキャラクターのぬいぐるみをぶら下げている。友達にお揃いで付けようと言われて断れなかったやつだ。
 
教室を出て、歩きながらスカートのポケットから生理痛の薬を取り出した。口の中に放り込み、鞄から水筒を取り出して流し込む。
友達が聞いたらどう思うだろう、なんてことを考えながら階段を下りる。塚本先生のことだ。
私がもし塚本先生のことが好きになった、なんて言ったら友達は目玉が落ちるくらい驚いて、興味津々に根掘り葉掘り訊いてくるだろうな。
 
──私は大人に恋をした。
そう思ったと同時に首を傾げる。大人に恋をした?
 
塚本先生のセリフを思い出す。
 
  俺岡部嫌いだっ
 
大人がそんなこと言う?まるで子供みたいだ。案外大人に見えて、みんな子供なのかもしれない。うちの父も休みの日はいい年して子供みたいにプラモづくりに没頭しているし、母もジャニーズを見ながらキャッキャ言ってる。
大人ってなんだろう。私にはよくわからない。大人もわからないのかもしれない。先生に訊いたらまた苦笑いされるかな。
 
塚本先生の苦笑した顔を思い出して、思わず口元が緩んだ。
 
完全に好きになっちゃってる。
早い段階から片想い決定の恋のはじまり。
 

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©Kamikawa

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