voice of mind - by ルイランノキ


 覧古考新5…『教えて欲しい』

 
そよ風が通り抜ける中、アールは地面に座り込んでいた。右手の指が、左腕に食い込んでいる。血が滲み、さらに爪を立ててゆく。耐えているのだ。突然湧き出てきた欲望から気を背けるために。
 
そこに、誰かの足音が近づいてきた。振り返らなくても、アールにはそれが誰なのかわかった。肩にスーが乗っているかどうかまではわからないが。
 
「それでいい」
 と、ヴァイスの声。
「なんなの……これは……」
「…………」
「朝、みんながごはん食べているのを見て、気持ち悪くなった。ルイの手料理、全然美味しそうに見えなかった。匂いも、嗅いでいるだけで気分が悪くなった」
「…………」
「あんなもの、口に入れるのを想像しただけで吐いてしまいそうになる……」
「…………」
「なんでわかるの」
 と、苦痛な表情でヴァイスを見上げた。スーの姿はなかった。
「私とお前は違う」
「でもわかるんでしょ……?」
「……私は時折、隠れて魔物を食う」
 
アンデッドを思い出す。ライズの姿になったヴァイスは“手”のアンデッドを食べていたようだった。
 
「人の姿になり、生きていた頃は、人が食うものを食していたが、再び獣の姿に戻されてからは人間が食べるものが口に合わなくなった。だから魔物を仕留めて食っていた。モーメルに拾われてからは、人が食うものを無理にでも食わなければ戻ったときに困ると耳にタコが出来るほど言われた。人の姿に戻る気はなかったが」
「今でも食べるの……?」
「この姿では無理だが」
「…………」
「ただ、食いたくて食っているわけではない。“ライズ”としての身体を維持するために必要なことなのだ」
 
アールは目の前で血を流している魔物を眺めた。とっくに冷たくなっているだろう。
 
「私は……やっぱりバケモノなの?」
「お前は人間だ」
「人間が崖から飛び降りて生きてるわけないでしょ?」
 と、苦笑し、立ち上がる。ズボンが血まみれだ。
「着替えなきゃ……。ていうか、なんでここにいるの?」
 今更だけど。
「…………」
「ルイに言われた? 一人にさせるのは心配なので、とか」
 と、笑う。
「お前を一人にさせたくなかっただけだ」
 
アールは心に動揺が生まれたのを感じ、目を逸らした。ペンテールに向かって歩き出すと、ヴァイスの足音が後ろからついてきた。
  
「モーメルさんと2人で話したいの」
「わかっている」
 
本当に保護者のようだ、とアールは思う。心強くはあるけれど。
 
ペンテールに着き、公園のトイレを借りて服を着替えた。それからゲートを使ってモーメルが入院している町へと向かった。ゲート代は当たり前のようにヴァイスが出してくれた。アールはお小遣いを貰ったばかりだし自分で出すと言ったが、ヴァイスは聞き入れなかった。
 
「ありがとう」
 と、素直にお礼を言うと、ヴァイスが微かに笑ったような気がした。
 
ルイが描いてくれた地図のおかげで迷うことなく病院の場所までたどり着くことが出来た。そして、モーメルが泊まっている病室がある廊下を歩いていると、前方から財布を持ったテトラが歩いて来るのが見えた。同じタイミングで互いに気がつき、足を止めた。少しの間見つめ合った後、アールから先に口を開いた。
 
「お見舞いですか?」
「……あぁ」
「モーメルさん、起きてますか?」
 テトラはこくりと頷いた。
「二人で話したいんですけど」
「それがよい」
 と、テトラはその場を後にした。
 
ヴァイスは病室の前の廊下で、窓に寄りかかって腕を組んだ。アールはドアをノックすることを少し躊躇ったが、コンコンと2度ノックを鳴らして病室のドアを開けた。
アールの目に真っ先に入ってきたのは、出入り口の左側にあるベッドに座っている見知らぬお婆さんだった。目が合い、会釈を交わす。そしてその奥に、目に包帯を巻いているモーメルの姿があった。ベッドに近づくと、モーメルは言った。
 
「忘れ物かい?」
 テトラだと思ったのだろう。
「アールです」
「…………」
 モーメルは、アールの声を聞いてハッと息をのんだ。
「話があって来ました」
 椅子があったが、座らなかった。
「私の体について、わかることを教えてください。この体を受け入れると、決めたので」
 その声から強い意思を感じ取ったモーメル。でもどこか、怒りも含まれているような力強さも同時に感じた。
「お前の身体には、チェレンという名の悪魔と、魔力を持った複数の人間と幾つもの魔物が合わさったモノが宿っている」
「幾つもの魔物? 複数の人間?」
「誰かが黒魔術を使って生み出した、名前も無い魔物だよ」
「…………」
 私の体の中で主導権を奪い取ろうとしていた“なにか”の呻き声。
「悪魔はお前の影に、魔物はお前の体内に宿した」
「それはギルトに頼まれたの?」
「そうさ。お前の覚醒の鍵はあたしがずっと握っていた。ギルトが見た未来の中に、お前が覚醒するそのときがやってくるのを、あたしは聞き、その手助けを託された」
「じゃあ私がはじめてモーメルさんと会ったときから、この日が来るのを知っていたってこと?」
「そうだね」
 
そういえばはじめて会ったとき、あまり目を合わせてくれなかった。あのときから意識していたからなのだろう。それをずっと黙っていたモーメル。隠し続けてきたモーメル。ギルトとの約束を守ったモーメル。アールは包帯が巻かれているモーメルの目を見遣った。
 
「目は、どうしたんですか」
「……代償だよ。悪魔を呼び出して言うことを聞いてもらう代わりに、奪われたのさ。普通は交渉するんだが、強引にあんたの身体に閉じ込めてしまったからね。向こうもやられっぱなしじゃ嫌だったんだろう」
「……私のせい?」
 消えそうな声で言ったアールに、モーメルは「まさか」と笑う。
「わかりきっていた事さ。命を落とす覚悟だったんだ。両目を失ったくらい、あんたにしたことに比べたら大したことじゃないよ」
 
気にしているような言い方に、アールはモーメルも好きで行ったことではないんだと察した。モーメルは両目を失っているため、アールからしても彼女の表情の半分以上が読み取れない。目は口ほどに物を言うという言葉があるように、心情は目に表れやすい。だからモーメルが今どんな気持ちで何を感じているのか、その言葉のひとつひとつや声のトーン、些細な仕草から読み取るしかない。
モーメルも、両目を失ったことで今アールがどういう表情でそこに立っているのか、わからない。だからこそ耳を済ませて彼女の声を待ち、些細な空気の変化を読み取るしかなかった。
 
「これから私は、どうなるんですか」
 アールの声は落ち着いていた。冷たいわけでもなく、不安げでもなく。
「お前の中で飼っているものを、どう活かすかで変わってくる。“力”を必要としたとき、お前に従うはずさ」
「……名も無い魔物について、もう少し詳しく教えてください」
「ギルトからのメッセージには、そのときが来たらどこかの町に巨大な魔物が姿を現すと書いてあった。魔物が現れたのは、カモミールという町さ」
「え……」
 よく知っている名前に、眉をひそめた。
「カモミールを突如襲った魔物がいた。町の大半が壊滅したようだが、ゼフィル兵の協力により、特殊なアーム玉に閉じ込めることが出来た。それをあたしが受け取り、お前を覚醒させるための儀式に使った」
「壊滅? ……あの町には私の友達がいるのに」
 と、居ても立ってもいられなくなった。そういえば、シェラから連絡が途絶えている。ルイがなにも言ってこないところを見ると、恐らくまだ彼女からの返事は来ていないはずだ。もしかしたら。
「ゼフィル兵達が復旧に手を貸しているところだよ……」
「魔物が現れた原因は?」
「そこまではわからない。デリックと言う名の兵士が知っているんじゃないかい。彼が指揮官として動いていたようだからね。魔物を閉じ込めたアーム玉を運んできてくれたのも彼さ」
 アールはすぐにでもデリックに確認を取りたかったが、まだ訊きたい事があった。
「私は雲よりも高い崖からトゲトゲの森へ落ちました」
「…………」
「でも助かった。崖の洞窟内で、私は自分の体の変化に気がつきました。壁を殴ってできた手の甲の傷が、見る見るうちに治っていったんです。試しに腕を軽く斬ってみたら……やっぱり傷は跡形もなく消えた」
「…………」
 モーメルは口を閉ざしたまま、俯いた。
「崖の下がどうなっているのか、雲で見えなかった。でも、もしかしたら木が生い茂っていて、地面に叩きつけられるまでにクッションの役割をしてくれて、ある程度の傷は、跡形もなく消えて無事でいられるんじゃないかって思ったんです。だから私は自分を信じて飛び降りました。でも、雲を抜けて見えてきたのはトゲトゲの森だった。『あ』て思った時には太い棘が体中に突き刺さったのがわかりました。すぐに意識は飛んだけど、ちょうど顔面にぶっとい棘があったのを覚えてる。突き刺さって後頭部から抜けたような感覚も残ってる。死んだと思った。私の賭けは負けたんだと思った。──それなのに、生きていました」
「…………」
「なんで私は生きていられたんですか」
 

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©Kamikawa
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