voice of mind - by ルイランノキ


 一体分身17…『いたずらな神様』


冬でもないのにひやりと体が冷えて目が覚めた。
隣にあなたがいないだけでベッドが広く感じた。
あなたが寝ていたその場所に手を添えると初めからあなたなんて存在しなかったと主張するかのように冷え切っていた。
突然襲った不安。私は部屋を飛び出して、あなたの名前を呼びながら家の中を捜し回った。
 
「おはよう。そんなに慌ててどうしたんだ?」と、どこからかあなたがひょっこりと顔を出すのを期待しても、しんと静まり返った家が私を無視して佇むだけ。
 
庭を覗いてもなにもなかった。
彼に貸したテントはとっくの昔に片付けた。
あなたと出会った日のことを思い出し、なにも持たずに外へと飛び出した。
海辺にあなたの姿があった。私は安堵して微笑んだ。
駆け足で近づくとあなたは風に吹かれて姿を消した。
あなたを求めて見えた幻影に、膝から崩れ落ちて泣いた。
 
大声で泣けばあなたが駆けつけてくれる。
大声で歌えばまたあなたが私の元に来てくれる。
 
そんな願いはさざ波に消されてしまう。
 
 
あなたは存在したのでしょうか。
歌うことを 生きることを やめてしまおうか、
そんなことをぼんやりと考えていた私の前に現れたあなたは
私が作り出した幻影だったのでしょうか。
私の頭を撫で 私の頬に触れた厚みのあるあなたのあたたかい大きな手は
私が作り出したものなのでしょうか。
私の髪に触れて愛おしく笑うあなたの目も
私の些細な心変わりを気にして遠慮がちに重ねた唇も
私の目を何度も見つめて愛を確かめながら包み込んでくれたあなたの体も
私を呼ぶその声も なにもかも
神様のいたずらだったのでしょうか。
 
あなたがいない世界は 色のない世界。
 
耳をつんざく電話の音。《マネージャーの飯塚です。陽月さん、今どちらにいらっしゃいますか? 歌詞は仕上がりましたでしょうか。期限は明日です。もし行き詰っているのでしたら、こちらでゴーストライターを雇いますので早めにご連絡ください》
 
両手で耳を塞いだ。それでも鳴り響く電話の音。
誰にも知らせていないこの場所にもやがて誰かが調べてやってくる。一人になれる場所なんてどこにもない。
私を取り巻いて宝物のように大切にしてくれる人は皆、商品に傷がつかないようにと大事に扱う。
私の言葉も声も私自身も、仕事を進めるために必要としているだけ。
 
あなただけは違ったの
あなただけは 裸の私を愛してくれた。
 
それなのに 私は今ひとり。
 
私が悪いのでしょうか
私があなたを上手に大切に出来なかったのでしょうか
私にあなたを引き止める力が 魅力が なかったのでしょうか
私の愛はあなたに届いていなかったのでしょうか
はじめから、一方通行の想いだったのでしょうか。
 
やっぱり運命のいたずらだったのでしょうか。
あなたと過ごした1年と3ヵ月は、幻だったのでしょうか。
 
あなたがいない世界で生きていく自信がありません。
心に突き刺さる言葉の矢を
そのたびにあなたは苦痛に顔を歪めて引き抜いて
大好きなその手で傷を塞いでくれた。
 
《陽月さん!? 別荘にいるんですか? 場所を教えてください! ファンが待ってるんですよ! ファンを裏切るんですか!? 飛ばれちゃ困るんだよ! 頼むから電話に出てくれ!》
 
広大な青い海に浮かぶゴミのように
愛の言葉の中を流れてくる誹謗中傷は私の目を引いて離さなかった。
 
愛してくれる人の声が霞んでしまうほど
流れてくるゴミで私の心は埋め尽くされた。
 
だけどあなたの声だけは
あなたと眺める海は
いつも汚れが無く美しかった。
 
この世界で生きていたいと思った。
この世界なら生きていけると思った。
 
甘えすぎたのでしょうか
弱すぎたのでしょうか。
 
「あぁ、うちにも来たことがあったよ。仕事させてくれって。しかも3回も。申し訳ないけど他を当たってくれって断った」
「身分証を持ってなかったからなぁ。不法滞在者だと困るよ」
 
そんな声が聞こえてきて、当てもなくあなたを捜していた私は足を止めた。
 
「最近はまったく見なくなったな。仕事見つかったんならいいが……死んでたら後味が悪い」
「死んでたら?」
「最後に見かけたのが蔵原神社がある森に入ってく後ろ姿なんだよ」
「まさか神社に住んでるのか?」
「いや、見かけたのが深夜の1時頃で、慌てたように森に走って行ったんだ。気になって翌日の朝に見に行ったんだが、誰もいなかった」
 
「…………」
 
大人になってから全速力で走ることなんてなかった。
だから足がもつれて派手に転んで、コンクリートで削った手の皮膚から血が流れた。
涙を拭って痛みを引きずって走った。
もっと早く走れるはずなのに。私の足は言うことを聞いてくれない。
 
森の中を駆け抜ける。草や石が私の足首を掴んで周囲の木々が行く手を塞いで彼の元へ行かせまいと邪魔をする。
 
彼の姿も人の気配さえも無いその場所にたどり着いたとき、クチナシの花が私を出迎えた。
無彩色で、光を反射する白い花。指先で触れる。
生い茂らないように、根元にビニール紐が巻かれていた。
窮屈そうで、紐に触れている枝が痛そうで、紐をほどいてやった。
 
ただなんとなく、神社の奥へと足を進めた。
ただなんとなく、足を止めて
ただなんとなく、目の前にあった木の太い枝に紐を括った。
 
会いたい 会いたいよ
 
あなたのいない世界にとどまっても
私の心も体もあなたを求めて朽ちていくだけ
 
それならばいっそのこと
あなたに愛されたぬくもりが残る体で……
 
首に掛けていてお揃いのロケットペンダントを外した。
ペンダントを開くと、笑顔で写る彼の写真がはめ込まれている。
 
よかった。
あなたはちゃんと、存在した。
 
ペンダントをギュッと握りしめて、ポケットに入れた。
木の枝からぶら下がっている紐に手を伸ばす。
 
 “別世界から来た”
 
本当に別世界があるのなら
そこにあなたがいるのなら
もしもあなたが私を求めてくれているのなら
 
もしも許されるのなら
 
いたずらな神様
どうか私にもう一度 微笑んで……
 

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©Kamikawa
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