voice of mind - by ルイランノキ


 覧古考新20…『真面目に心配』 ◆

 
どういう環境で育ったら
人は道を踏み外すのだろう。
 
━━━━━━━
 
ヴァイスは沈静の泉にいた。
この泉に捨てたものは二度と戻ってくることはない。──はずだった。かつては大切な父の形見である銃を沈めたことがあった。いっそのことこの身も投じてしまおうかとさえ思う日もあった。けれど、それを取り戻したのがアールだった。彼女の行動力には驚かされる。仲間のことになると後先考えずに突っ走ってしまうところがある。
 
ヴァイスはポケットから指輪をふたつ取り出した。婚約者だったスサンナから貰った指輪と、自分か彼女へ贈った婚約指輪だ。
ヴァイスはそれを眺め、スサンナとの思い出に浸った。今でも鮮明に彼女の優しく可愛らしい声が脳内に響き、心を満たしてゆく。守れなかった愛する人の命。いつまでも彼女だけを心に留めておきたいと思っていた。彼女を愛した記憶。人と同じように愛された記憶。彼女と共有した時間。笑い合った日々。自分にだけ向けられた切ないまなざし。自分を求める声。命が通った白い肌。体温。香り。なにもかも全て。──失った痛みも。
 
「…………」
 
彼女の名を呼ぼうとした口はそのまま静かに閉ざされる。
手の平に乗せた指輪を今一度強く握りしめると、ずっと片時も手放さなかったスサンナのその形見を、沈静の泉へと放り投げた。
半円を描いた指輪は最後にきらりと光り、泉の中へと静かに沈んでいった。
 
泉に背を向けたヴァイスは、一度も振り返ることなくその場を後にしたのだった。
 

 
━━━━━━━
 
時間は止まらない。
 
アールは浮かない表情で宿の部屋の前に立っていた。お腹を擦る。少年の顔がちらついた。
 
「腹減ったのか?」
 と、そこにシドがやって来た。
「……ちがう」
「なんだよ。腹痛か?」
「刺された」
「は?」
「子供に刺された」
「……なんだそれ」
「私が聞きたいくらい」
 アールは詳しい説明はせず、部屋に入った。後からシドも入ってくる。
「お帰りなさい。遅かったですね」
 と、ルイ。
「ごめん、寄り道しちゃった」
 アールは笑って、かぼちゃだけが入れられている買い物袋をルイに手渡した。
「夕飯もうすぐできますからね。ヴァイスさんも戻ると連絡がありました」
「カイは寝たんだね」
 と、アールが視線を向けた先にカイが眠っている。部屋の隅だ。
「腹減った」
 シドは床に座り、腰に差していた刀を壁に立てかけた。
「この部屋ってお風呂ついてるのかな」
 アールも床に座る。
「ついていますよ」
 キッチンにいたルイが答えた。
 
ルイは買い物袋からかぼちゃを取り出そうとして、買い物袋のもち手の部分に水滴が溜まっていることに気がついた。もち手の部分は皺が寄っており、その隙間が濡れている。
 
「……?」
 
袋全体は濡れているようにない。汗だろうか。いや、どこかで手を洗ったのかもしれない。さほど気にもとめず、袋から出したかぼちゃを食材専用のシキンチャク袋に移そうとして、今度はかぼちゃに目を止めた。湿っている。
 
「アールさん?」
 と、キッチンから覗く。
「ん?」
「かぼちゃ、どこかで洗いました?」
「……うん。汚れてたから」
「そうでしたか。部屋に戻ってから洗えばいいと思うのですが、なにかあったのですか?」
「…………」
 鋭いな、と思う。シドもアールに目をやった。
「ちょっと、トラブって……」
「トラブルとは?」
 なんだこの犯人に自白させようとしている刑事みたいな感じ、とアールは思う。
「先に言っておくけど、大したことなかったから。それをふまえて聞いてね」
「えぇ」
「少年に刺されて血まみれになってしまったから近くの公園で洗ってきたの」
「刺された!?」
「あ、大したことないから。もう治っているし」
「なにがあったのです……?」
 
説明下手なアールは少し面倒だなと思いながらも、少年と出会った経緯と会話の流れを思い出しながら伝えた。
 
「──で、その子のお父さんが組織の人間だったの。『ムスタージュ組織ってところで働いてた』って」
 
そう言ったあと、少年はおもむろに鞄からハサミを取り出してアールに向かって何度も振り下ろしたのである。
 
「いきなり『お前のこと知ってるぞ』って言われたときはゾッとしたよ……。それまで知らない体で話していたのにいきなりハサミを振り回してきた上に『お前のこと知ってる』って、サスペンスドラマかと」
「なにをそんな流暢なことを……傷口を見せてください」
「ないない。すぐ治ったから。回復薬いらずで」
 と、苦笑する。「防護服着てたし、止めようとした手と顔を傷つけられただけ」
「シュバルツ派のガキねぇ」
 と、シドは鼻で笑う。「ぶっとんだ考え方だな」
「彼のお父さん、組織に消されたみたい。それも少年の目の前で」
「それは……気の毒ですね」
「家では暴力がすごかったみたい。彼の居場所はいつも押し入れの中だった。はじめは目障りだって押入れの中に入れられたのがきっかけだったみたいだけど、中で大人しくしていたら怒られなかったって。だからいつも押入れの中で静かに本を読んでた」
「ペラペラ話すガキだな」
 と、鼻で笑う。
「顔面血まみれの私を前にして最後に言いたいことを全部吐き出した感じ」
「支配者ねぇ。まぁ魔物が現れるまでは人間だけが弱肉強食っつー自然界の掟に反していたわけだが」
「あ、それ、違うよ。弱肉強食じゃなくて適者生存だよ。なんかで読んだことある」
「適者生存?」
「強い者じゃなくて、適した者が生き残るってやつ」
「めずらしくまともなこと言うな……」
 と、シド。
「私も同じこと疑問に思ったことがあって、調べたことがあったの。なんで人間界には弱肉強食が存在しないんだって」
「そんなことより僕はアールさんが心配です」
「え」
「大丈夫なのですか……? そんな目に合われて……やはり僕が行くべきでした……」
「相変わらずトラブルメーカーだなお前」
「プチイベント発生みたいな?」
「意味がわかりません!」
 ルイだけはいつも“真面目に心配”してくれる。
「ごめん……ほんと大したことないから」
 
そこにヴァイスが帰ってきたため、ルイは「あとでゆっくり話しましょう」と話を中断し、夕飯の仕上げに取り掛かった。
 

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