voice of mind - by ルイランノキ


 覧古考新19…『少年』

 
「ここで……女の人が自殺……?」
 
宿の部屋に入った早々、なにか今にも雨が降りそうなどんよりとした空気を感じたアールは不快な表情を浮かべた。とはいえ、アールに霊感はない。ただ人が死んだ部屋だと聞いて妄想ばかり膨らんで勝手に怯えているだけである。カイも同じように嫌な顔をした。
 
「首を切って血が飛び散った部屋よりはいいけどさぁ」
 カイはアールにしがみ付いた。なにか出そうだと思えば出そうに感じる。
「怨念が……女性の怨念が立ち込めている……」
 アールは部屋の周囲を見回した。
「何も知らなければ綺麗なお部屋ですよ」
「じゃあなにも言わないで欲しかったよ!」
 アールは噛み付いた。
「そうだそうだ!」
 カイも賛同する。
「すみません……後から知るよりはいいと思いまして」
 ルイはそう言って、夕飯の材料をキッチンに並べた。
「どの辺かなぁ……この辺りかなぁ……女の人が死んだの……」
 と、カイはテーブルが置かれている場所を見下ろした。
「そもそも人が亡くなった場所なんて、沢山ありますよ。みんな知らずに生活しているだけで。──ところでシドさんとヴァイスさんは?」
「シドは知らない。ヴァイスは用を思い出したとかで途中でどっか行っちゃった」
 アールはキッチンに移動する。「夕飯はなあに? ステーキ?」
「アールさんもすっかり肉好きになってしまいましたね」
「?! 野菜食べられないからって肉ばかり食べていたら太るかな……あ、そうか太りもしないのか……」
 と、お腹をさする。いや、不老不治とはいえ、太ったり痩せたりはするのだろうか。いまいち自分の体がわからない。
「そろそろ慣れてきましたか? お野菜には」
「レタスはなんとかね……。あとは芋。お肉の味がしみこんだ、芋」
「レタスが大丈夫ならキャベツも大丈夫だと思うのですが」
「キャベツの葉っぱ感、知らないでしょ! でっかい葉っぱ」
「ナスはどうです? 昨日食べていましたが」
「肉の味や肉の油がしみこんだナスね」
「しみ込んでいれば食べられそうですか?」
「肉の味や肉の油がしみ込んでいればね」
 
とはいうものの、最初に比べて2回目からは嫌々ながらも食べていた。食べなくてもいいのなら食べないが、食べなければ死ぬというならいくらでも食べられる。ただ吐くのは確実だ。味覚が人間に戻るのもそう時間は掛からないだろう。
 
「あ、僕としたことが……」
 足元に置いていたスーパーの袋を漁りながら、ルイは困った表情を浮かべる。
「どうしたの?」
「かぼちゃが安かったので買うつもりだったのですが、忘れていました。かぼちゃは少々重いので最後にかごに入れるつもりでした」
「かぼちゃ……」
 きっと今の自分の舌には合わないだろうと思う。「私が買ってこようか?」
「いえ、僕がちょっと行ってきます」
「今日使うの?」
「いえ」
「じゃあ私が行ってくるよ。たまには頼って?」
 カイは部屋の隅で横になってゲームをしてる。
「では……お願いします。一玉100ミルのものです」
 そう言って、ルイは場所を丁寧に説明してからお金をアールに手渡した。
 
アールは部屋を出ると、隣の部屋の前を足早に通り過ぎた。男が自殺した部屋だ。それも最近だという。なんだかまだ生生しい気がして近くを通るのも嫌な気分だ。
けれど、宿を出たアールはルイに教えてもらったスーパーに向かいながらふと思う。なぜ人が死んだ場所に対して怖いとか気持ち悪いといった不快な感情を持つのだろうと。死体を見たことがある人は多いと思う。「死体」と言うと悪いイメージがどうしても浮かぶが、「ご遺体」と言ってしまえば不気味さはほとんど無くなる。例えば家族の誰かが病気で亡くなった場合、大抵の人は亡くなった病院で、もしくは棺桶で眠る遺体を一目見るのではないだろうか。そこに恐怖や気持ち悪いといった感情は生まれないはず。それなのに。
 
ホラー映画とかのせいかなぁ……。
悪いイメージがついてしまっている。
 
なかなかお目にかかれるものではないが、ドラマや映画では死体がよく出てくる。しかも大抵怖い顔をして死んでいる。酷いものだと目から血を流していたりする。実際はあそこまで“死体っぽさ”は出ないのではないだろうか。特に亡くなったばかりの遺体は生きている人間と見た目はさほど変わらない。何日も何ヶ月も放置されていたのなら腐敗して原型が崩れてとても目を向けれたものじゃないだろうけれど。
自分の首を切って命を立った男の遺体はどんな様子だったのだろう。──やっぱ無理。
アールは他の事を考えることにした。
 
他に食べられそうな野菜はないだろうかと考える。きゅうりは無理だった。人参も硬くてよくわからない味だった。ピーマンなんて以ての外だ。たまねぎは煮込んでやわらかくなっているものはなんとか食べられた。
そんなことを考えながら前方に見えてきたスーパーへ足を速めた。
 
スーパーにたどり着くと余計な買い物はしないように野菜コーナーへ一直線。お目当てのかぼちゃは3玉だけ残っていた。
 
「よかった」
 全部同じ値段であることを確認し、3つ比べて一番大きいものを選んでかごに入れた。
 
レジを済ませると店を出た。あとは帰るだけなのだが、何気なく路地裏に目を向けたアールの足が止まる。狭い路地の奥で、男の子が膝をついて地面に散らばっている本を拾い集めていた。よく見ると肘を怪我しているようだった。
 
「大丈夫?」
 声を掛けて近づくと、散らばっていた本は学校で使う教科書やノートで、敗れていたり落書きをされているものばかりだった。アールはすぐに少年が置かれている立場を察した。
「大丈夫です」
 男の子は12歳くらいだろうか。肘だけだと思っていたがハーフパンツの先から見える膝も怪我をしているのが見えた。
「薬使う?」
 アールはシキンチャク袋から傷を塞ぐ回復薬を取り出すと、男の子は目を丸くした。
「それ、回復薬だよね。魔法の力が入ってるやつ。そういうのに頼ってたら自力で治す力が弱まっていくから、一般人はあまり使っちゃいけないんだよ」
 男の子はそう言って、本を拾い集めると鞄の中に押し込んだ。
「しっかりしてるんだね」
 と、アールは回復薬をシキンチャク袋に戻した。
「子供らしくないってよく言われる」
「大人なんだね」
 アールは優しく微笑んだ。
「少しだけ」
 と、鞄を背負う。
 
その足元になにか親指くらいの小さな人形が落ちていることに気がついたアールは、それを拾い上げて少年に差し出した。
 
「君の?」
 木で彫られたアリアンの像だった。
「……違う」
「じゃあ誰のだろう?」
 と、木彫りの像を眺める。
「…………」
 少年は少し悩んでから、人形を奪うように取り返した。
「おれの。貰ったんだ。女の子に」
「わ、モテるね」
「そうじゃない。おれがアリアン嫌いだから」
「え……」
「お姉さんも、アリアン派でしょ? みんなそうだし」
「君は違うの?」
「おれ、シュバルツ派なんだ」
「…………」
 アールは困惑した表情で少年を見遣った。
「そしたら『君は間違ってるよ』って、これくれた。でもいらないから捨てたんだ。そしたらそれを見てた同じクラスの奴がおれに嫌がらせをするようになった」
「そう……」
 
アリアン様は、世界を救った。そう言い伝えられてきたのに、悪であるシュバルツを崇拝する者がいる。言い伝え自体間違っていると思っているのだろうか。
 
「君はどうして……アリアン様のこと嫌いなの?」
「おれ、世界平和を夢見ているんだ」
「世界平和……」
「いつも考えてた。世界を平和にするにはどうしたらいいんだろう?って。世界から争いを無くすにはどうしたらいいんだろうって。そんなの無理なのかなって、世界平和なんて、夢のまた夢なのかなって思ったりもした」
「…………」
「塀で囲まれた街って、昔の人たちが協力し合って作り出したんだ。もちろんその頃も争いごとはあっただろうけど、今ほどくだらないもので溢れてはなかったと思う」
「くだらないもの?」
「昔はみんな、生き残るっていう大きな目標があって、同じ方向を向いていたんだ。でも、安全な塀の中で暮らすのが当たり前になってくると、安心感からかくだらない欲が生まれて、そこから喧嘩が生まれて、酷いときは殺し合ったりするんだ。ちっぽけな塀の中でだよ? なにもかもくだらないよ」
 少年は鼻で笑って、木彫りのアリアンを眺めながら話を続けた。
「でもあるとき、たったひとつだけ、世界を平和にする方法を見つけたんだ」
「それはなに?」
 アールは少年の考えに興味を示した。
「支配者。絶対的権力者の存在だよ」
「権力者……」
「獄中では、監視がいるからみんな大人しくしてるんだ。どんな凶悪犯も、みんな仲良く遊びましょう、みんな仲良く仕事しましょうって、監視の下で動かされていい子にしてる。逆らえば酷い刑罰が待っているから。みんな嫌なんだよ、人には平気で酷いこと沢山するのに、自分がされるのは嫌なんだ」
 少年は手に持っていたアリアンの像を強く握った。
「お姉さんはさ、シュバルツが目覚めるって知ってる?」
 突然顔を上げ、アールの目を見遣った。
「……うん」
「信じてる? おれは信じてる。やっと、世界の王が目覚めるって」
「世界の王?」
「言うことを聞かない、風紀を乱す悪い奴は殺していけばいいんだ。魔物に食い殺されればいい。そしたらさ、いい人だけ残るでしょ? 悪い奴もいい人になるでしょ?」
「…………」
 少年の目は、傷ひとつないビー玉のように綺麗でどこまでも純粋だった。それが怖いと感じる。
「アリアンは、世界平和には役立たずなんだ。言い伝えも、全部、ただ人を甘やかしただけ」
 少年の手からアリアンの人形が地面へと落ちた。「こんなものいらない」
「……それは、平和なのかな」
 アールは人形を再び拾い上げて砂を払った。「恐怖に支配された世界は、平和なのかな」
「恐怖に支配された世界からの再生だよ」
「再生?」
「怖い怖いでおしまいじゃない。獄中の凶悪犯は、牢獄の中で楽しみを見つけるんだ。本を読んだり、会話をしたり、歌を歌ったり、誰かと手紙を送り合ったり。支配された中で、平和を見つけていけばいいんだ。悪いことさえしなければいいんだから。ずっと怯えてる必要はないんだよ」
「……そうかもしれないね」
「え?」
 少年は驚いてアールを見据えた。誰もわかってくれないと思っていたからだ。
「わかってくれるの?!」
 アールはその問いに、笑顔で首を振った。
「否定も肯定もしない。……君は、シュバルツがどんな人物なのか知ってる? 彼はどんな世界にしたいんだろう。もしかしたら、本を読んだり、会話をしたり、歌を歌ったり、誰かと手紙を送り合ったりして楽しんでいる人間を見て、目障りだと消してしまうかもしれない」
「……そんなことないよ」
 と、微笑する。
「どうして?」
「おれがシュバルツだったらそんな馬鹿なことしない。そんなことしたら誰もいなくなってしまう。この世界に魔物を放ったのは、人間同士の争いごとを収めるためなのにどうしてそんなくだらない理由で消したりするんだよ」
「それは……誰が言ったの?」
「おとうさん」
「お父さんって、なにしてる人?」
 

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