voice of mind - by ルイランノキ


 全ての始まり13…『消えて行く夢の世界』

 
アールはベッドの上で目が覚めた。少しだけ頭が混乱する。ひとつ前の時代だから、あの今年で108になると言った老人の父親が眠っていた施設内の休憩室だ、と思い出す。
隣のベッドで寝ている男を起こそうとしたところで、「アール」と、声を掛けられた。ウペポが休憩室のドアの前に立っていた。ドアには魔法円が浮かび上がっている。
 
「ウペポさん……」
 血で汚れ、顔色の悪さからやはり彼女の怪我は現代で眠っている体が受けているものだと察する。
「ここは騒ぎになってる。この部屋から一緒に飛び出すよ。私がフォローするから、あんたは真っすぐに研究室へ行くんだ」
「…………」
 
確かに周囲が騒がしい。ドアノブがガチャガチャと周り、ドンドンと何度もドアを叩く音がする。
 
「もう一度シュバルツと会うことになる……」
 アールは複雑そうにそう呟き、隣で寝ている男を揺さぶった。男は眉間にしわを作りながら目を開いた。
「おじさん、ありがとう。助かりました」
「……あぁ」
 
アールはウペポと顔を合わせ、タイミングを合わせて休憩室を飛び出した。
廊下にいた武器を構えた研究員たちが一斉にアールたちに目を向ける。
 
「さぁ、行くんだ!」
 ウペポは虚空から杖を取り出して彼女にも扱える簡単な魔法で周囲の敵を払う。
 
アールも剣を構え、廊下を走った。前方からやってくる研究員を致命傷を外して交わしながら研究所へ向かった。タイミングよく研究所のドアが開いた。シュバルツが立っていた。互いに驚き、一歩後ずさる。アールは彼の様子に驚いた。数分前に会ったときと打って変わって乱れた髪に興奮したように肩で呼吸を繰り返している。一瞬戸惑ったものの、彼を押しのけて研究室に入り込んだ。すぐに彼に剣先を向ける。
 
「シュバルツ様!」
 と、研究員が掛けてくる声を聞きながら、シュバルツは研究室のドアを閉めた。
 
アールと向かい合わせに立ち、乾いた笑いをこぼす。
 
「君の方からまた会いに来てくれるとはね」
 怒りがこもった声は低く、震えていた。
「…………」
 アールは剣先でシュバルツを捉えたまま、時計の針を合わせる隙を探る。
「なにか、タイムトラベルに不備でもあったのかい?」
 シュバルツはなにか問題が生じてアールが再び戻って来たと思っているようだ。
「あなたと話すことはなにもない……」
 アールはそう言って腕時計に手を伸ばした。
「待てッ!! なにをしたッ!?」
 針を回す途中でシュバルツが掴みかかって来る。
「母に会ったのか!? お前は母になにをしたッ!?」
 
アールは力任せに床に押し倒そうとしてくるシュバルツに手こずっていた。そこにウペポが現れた。シュバルツの背中から攻撃を浴びせる。アールは緩んだシュバルツの腕から逃げ出し、時計の針を定位置に回した。
 
「ウペポさん、ありがとう!」
 ウペポは自分の夢の中だからどこにでも自由に姿を移すことが出来た。
「アール」
 ウペポが消えゆくアールに目を向けた。立ち上がったシュバルツが胸ポケットから短剣を取り出してウペポに向かって飛び掛かかった。
「ウペポさん!?」
 慌てて手を差し伸べたが、その手は届かなかった。
「がんばるんだよ……」
 と、ウペポの声が遠ざかる。
 
やだ……やだやだやだやだやだッ!!!!!!
 
アールは老人の家の中で目が覚めた。涙が頬を伝う。
 
「ウペポさん? ねぇ、ウペポさん……?」
 どこを見ていいのかわからず、天井のあらゆる場所を見上げる。何度名前を呼んでも返事は返ってこない。
 
そうこうしていると、次第に視界が歪みはじめた。眩暈だろうかと涙をぬぐう。視線を落としても視界に映る物がすべて歪んで見えた。
 
「おじいさん……起きて。ありがとう」
 と、アールは隣で寝ている老人を揺さぶった。
 
けれど、起きる気配がない。口を微かに開けたまま静かに眠っている。
 
「おじいさん……?」
 
何度揺すっても抜け殻のように体が揺れるだけだった。頬に触れる。ひやりと冷たい感触が指先から伝わって、アールは力なく頭を下げ、視線を落とした。
 
「ありがとう……ありがとうございました……」
 
家を飛び出して路地裏へ向かう。その途中、村人の声が響いた。
 
「ちょっとあんた! エルマーさんになにをしたのッ!?」
 
おじいさんの家から血相を変えて走って来る女性を一瞥して小さく頭を下げた後、足早に路地裏に入って時計の針を合わせた。次の時代に戻る。
最後におじいさんの名前を知れてよかったと、切なげに笑う。視界はずっと歪んでいた。その理由を薄々どこかで理解している自分がいた。
 
そしてまた次の時代も、そのまた次の時代も、人の手を借りて人の優しさに触れて現代へと戻っていく。
 
「おかえりなさい」
 目を覚ましたアールに不安げな顔をして声を掛けたのは、ユーアだった。ウペポの母親だ。寝ている間にアールの体が血で汚れていったため、怪我の心配をする。
「大丈夫……?」
「…………」
 アールは何も言わずに体を起こした。
 
ユーアはそんなアールを気にかけながら、隣の布団で寝ている老婆、ムツキを優しく起こした。
 
「うまく行ったのかい?」
 ムツキはアールを見遣る。「怪我をしているじゃないか……」
「怪我は治りました。元の場所まで連れて行ってくれませんか……」
 そう言ったアールの声は震え、涙がぼろぼろと溢れた。「ほとんど見えなくて……」
「見えない? 目が見えないのかい……?」
「…………」
 止まらない涙を何度も袖で拭い、首を振る。
「いいわ。私の手を離さないでね」
 と、ユーアがアールの手を取った。
 
アールはユーアの手を借りながら立ち上がる。視界が酷くぼやけていた。
 
「ありがとうございました……助かりました……」
 と、アールははっきりとは見えないムツキに頭を下げた。
 
そして、脳裏にウペポの顔が浮かび、「ごめんなさい……」と呟く。「いいんだよ」と返って来た。その声がウペポとよく似ていて、ウペポがそう言ったように感じた。
 
アールはユーアに頼んで集会所の屋上まで連れて行ってもらった。「もう大丈夫です」と、ユーアの手を離す。
 
「あの、私の指を使って、針の位置を変えてもらえますか?」
「わかったわ」
 ユーアは優しい声で応え、もう一度アールの手を取った。アールは人差し指を上げる。ユーアがアールの手を腕時計の上に持っていく。
「きっとすべてうまくいくわ」
 と、ユーアが言った。
「……それは、あなたの口癖ですか?」
「夫の口癖」
 と、笑う。「あなたに会えてよかった」
 
時計の針を指示通りにアールの人差し指で回した。
 
「これでよし!」
 と、ユーアが弾むように言う。
「私もです……」
 
もっとなにか言わなければ。ウペポのことを伝えるべきだだろうかと頭を悩ませたけれど、結局時間に追われて「ありがとうございました」とだけ伝えてこの時代を後にした。
 

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©Kamikawa
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