voice of mind - by ルイランノキ


 全ての始まり11…『罪』

 
突然産気づいた女に、アールは慌てて隣に移動して背中を摩った。
女は陣痛の痛みに呻きながら体を横に倒した。「誰か呼んで来て……お願い……」と、息も絶え絶えにアールの服を握った。その手に力が入る。
 
アールは立ち上がって誰かを呼びに行こうとしたが、玄関を出る前に足を止めた。──いいの?このままで。シュバルツが産まれてしまう。
 
「…………」
 振り返り、仰向けで辛そうに呼吸を繰り返している女を見遣った。
 
──私にシュバルツは殺せない。シュバルツが存在しない未来は作れない。
本当に……? 母親もお腹の子も、無防備だ。剣を突き立てれば、その命を奪うことは容易いなはずだ。幸い、邪魔する者もいない。
 
女は額に汗を滲ませながら玄関の前で立ち止まっているアールに目を向けた。
アールは女と少しの間見つめ合った後、首に掛けていた武器を元の大きさに戻した。女はアールの手に握られている剣を一瞥し、涙を流した。
 
「お願い……この子にはなんの罪もないの……」
「産まれて来てはいけない命もあるんです」
 アールは女の横に立ち、剣を両手で持つと腹の上に剣先を向けた。手が震える。腹を一突きすればいい。そうすれば赤ん坊は外の光を知ることなく闇に消える。
「お願い……殺さないで……」
 女は這うようにして後ずさる。アールの剣先がそれを追った。
「私が責任を持って大切に……道を外さないように育て上げますから……」
「それは無理なんです」
「お約束します……必ず……この子を愛のある子に育て上げ──」
「あなたは死ぬから……それは叶わない夢なんです」
「…………」
「私はその子を殺せないし、あなたは彼を置いて死んでいく。あなたに彼を育て上げる未来が作れるのだとしたら、私に彼を殺す未来も作れてしまう」
 
女が叫べば村の誰かがやってくる。そうなればなにもできないまま、過去へ戻った意味がなくなる。ギリギリと剣を握る手がに力が入った。
 
「男の子なんですね……」
 
アールはハッと息を呑んだ。
 
「彼に似ているといいのだけど……。彼は間違いを犯したけれど、目はとても綺麗だったの……」
 
女のお腹に向けられていたアールの剣先が下ろされたその時、血しぶきが上がった。女の顔が飛び散った血で汚れる。アールは顔を歪めながら膝をついた。どくどくと血が流れ出る自分の右胸を押えた。
シュバルツの黒い根が眠っている私の体を貫いたのだろう。ウペポのことが心配だった。
 
「誰かっ……誰か助けてッ!!」
 と、女は大きなお腹を抱えて家を飛び出した。
 
その大声に村の人々が起きてくる。「どうしたんだい!」と血まみれの女に村の老婆が駆け寄った。
 
「命を狙われているのッ!」
 と、地面にうずくまる。破水していた。
 
村人の目に、女の家から出て来たアールの姿が映る。村の男たちが木の棒やクワやシャベルを持ってじりじりとアールに歩み寄った。その後ろで村の女たちがお腹の大きな女を家の中に避難させている。
 
「どいてください……」
 と、アールは言った。
 
村人たちはいっせいにアールに飛び掛かった。武器とも言えない武器を持った村人を斬りつけることは出来なかった。取り囲まれ、容赦のない暴行を受けた。
 
──未来の光を遮っている壁を突破する方法はどこにあるの? 過去に戻っても殺せないのならどうしたらいいの? ルイの記憶を辿ったときは手に入れたい物がはっきりしていた。でも今回ばかりは、なにもわからない。なにを探したらいいのかもわからないまま手探りで過去をかき回しているだけ……。
 
村の外がより一層騒がしくなった。突然暴行が止む。アールは自分を取り囲んでいた村人の足の隙間から様子を窺った。村の外から10人ほど、同じ紺色の外套(がいとう)を着た男たちがズカズカと歩いて来るのが見えた。村人ではないことはその風貌と村人のたちの困惑した様子からすぐにわかった。アールは隙を見て逃げ出し、身を隠した。
 
「──テレサ・ラトリッジ! お前がここにいることはわかっている! 悪魔の子を引き渡せっ!!」
 
アールは身を潜めながら、女の名前がテレサであることと、彼らは女が言っていた“グレンツェ”であると察した。ウペポはどこにいるだろうか。巻き込まれていないとよいのだが。
村の男たちが彼らに向かって行くのが見えた。しかし虫けらのように風の魔法で吹き飛ばされる。骨を折り、頭を強く打ち付け、肌を削った村人たちは恐怖に身を竦めた。
 
グレンツェはテレサがかくまわれている家をすぐに見つけ出し、彼女を引きずり出した。
 
「やめて……いや……離してッ!!」
 テレサは地面を引きずられながら必死に抵抗している。
「離してやっておくれ!」
 と、老婆が叫んだ。「もうすぐ赤ん坊が産まれるんだ! 産ませてやっておくれよ!」
 
グレンツェの男は女の膨らんだ腹を見遣り、手を離した。
 
「ならばさっさと産め。出て来た瞬間に殺してやる。なんなら引きずり出してやってもいい」
「…………」
 テレサは泣きながら首を左右に振った。
 
アールはグレンツェの一人が女の腹に手を置いたのを確認した瞬間、飛び出していた。彼らがアールを目で捉えた時にはアールの剣が体を貫いていた。グレンツェの中には刀を持っている男もいた。アールの剣と刀がぶつかり合う音が響く。
 
「誰だコイツはッ! 何者だッ!」
 と、叫ぶ。
「何者でもいい。その女の腹を切り裂いて悪魔を引きずり出せ!」
 と、リーダー格の男が言った。
 
アールは向かって来る彼らをすぐに追い払ってテレサに目を向けた。──赤ん坊の泣き声が響き渡る。女の腹が切り裂かれていた。かろうじてまだ息がある。男がへその緒を乱暴に斬り、生まれたばかりの赤ん坊の右腕を掴んで持ち上げた。未熟児であったが、普通の人間と変わりない姿だった。
 
アールはその男の首を刎ねた。その手から落下した赤ん坊をすぐに受け止め、人気のない場所へと連れ去った。
背後で声がした。「なんだあの速さは……人間じゃない……!」
 
無我夢中だった。息を切らして村から外れた森の中で足を止めた。腕の中の赤ん坊は元気に泣いている。口から羊水が溢れていた。袖の裾で拭ってやった。
足元の石や枝を払いのけ、赤ん坊をその場に寝かせた。
 
雪が降っている。
私が命を奪わなくても、このままここに放置して立ち去れば、この子は死ぬんじゃないかと頭を過る。過去は変えられない。でももしかしたら……。そんな可能性を捨てきれない。まだ赤ん坊のシュバルツを殺すことが出来たら、現代のシュバルツは消滅して平和が、世界が、私の帰りを待っているのではないかと。
 
アールは泣き続けている赤ん坊の前に膝をつき、右手を赤ん坊の首にかけた。
か細い首が産声と共に震えている。少しずつ力を入れてゆく。泣き声が小さく擦れ、ふいに泣き声が止んだ。
とうとう殺してしまったのだと赤ん坊から手を離すと、赤ん坊はケホケホと小さく咳き込んで、その小さな手を空に向けた。何かを掴もうとしている手。空に視線を移すと欠けた月が浮かんでいた。
 
「…………」
 
アールは慌てて赤ん坊を抱き上げ、冷え切った体を温めてやるようにその胸に抱いた。
 

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