voice of mind - by ルイランノキ


 全ての始まり8…『時運』◆

 
「子供の頃、一度だけ、施設に立ち寄ったことがあった」
 と、老人はアールの隣で体を横たわらせながら言った。
「施設?」
 と、アールは老人の隣で仰向けに寝転がった。
「どこかの山の奥にある隔離施設。魔法の研究が行われていたんだ。多くの魔術師や魔導士が、研究に身を投じて死んでいった」
「…………」
 アールは天井を眺めた。不揃いに伐られた木材が無造作に重なっている。
「父は研究室に私を連れて行き、そこにいた若い男にこう言った。『シュバルツ様、息子を連れてまいりました』とね」
「え……シュバルツに会ったの?」
 と、老人に目を向ける。
「会ったと言うべきか、見たと言うべきか……。シュバルツは一度もわしに目を向けんかった。『第三倉庫へ連れて行ってくれ』と、そう言った。第三倉庫、そんなもの覚えていても仕方がないというのに、忘れられんよ」
「第三倉庫にはなにが……?」
「子供たちさ。研究に使われるために生まれた子供たちが、そこにいた」
「そんな……ひどい……」
「子供たちは何も知らない。生まれた時から施設で育ち、人体実験のために使われるのが当然として生きている。外の世界など知りもしない。他に生きる道があることを知りもしない。だから恐怖というものも存在しない。──だが子を産んだ親は違う」
「あなたはその施設で生まれたわけじゃないんですよね……?」
「わしは外で産まれたが、母親はすぐに死んだ。父は施設で働いていた。食料や金に困ってわしを売ったんじゃ」
「…………」
 なんて言葉をかけたらいいのかわからない。
「手首に番号がふってある。今もうっすらと残っている」
 と、手首の数字を見せた。「でも見ての通り、わしは“外”に出た。外を知っているからこそ、外へ出る方法を探すことが出来た」
「すごい……」
「外の世界があることを、誰も信じんかった。好いたおなごがおってな、一緒に逃げ出そうとしたんだが、ついて来てはくれんかった」
「そう……」
「でも、皮肉なことに、施設に出てから寝床や食料を手に入れるのに大変苦労した。毎日生きた心地がせんかった。なにも知らずに施設で育った方が、幸せだったのかもしれん」
 
 アール、時間がない
 
ウペポの声に急かされた。その声が聞こえていないはずだが、老人が「さぁ、ひと眠りするとしよう」と言った。
アールは老人の手を取り、目を閉じた。
 
世界を脅かす前のシュバルツが生きていた時代へと遡る。
ふいに、陽月の恋人であったフォルカーの言葉を思い出す。
 
アール、敵は決して大きくはない。どんなに強大な力を持っていても、どんなに視界を塞ごうと、元は人の子。人は皆未熟で、時に過ちをおかす
 
「そこにあるのは人と人。相手に恐れることはない」
 と、フォルカーの言葉を呟く。
 
━━━━━━━━━━━…
 
そこは500年も前に存在していた場所とは思えない立派な設備が整っていた。それぞれがなんの役割を果たしているのか知る由もないが、回復系の魔法を専門とした研究魔術師のヤギという人物の研究室にあったような人が入れる円柱の水槽が並べられ、ポコポコと空気が水の中を流れる音がする。それを取り巻くように機材が置かれ、その手前に180cmほどある白衣を着た男の姿があった。
 
男は画面の数値を見て頭をかいた後、ふいに後ろを振り返った。驚いて身動きが止まる。アールが立っていたからだ。
 

 
「……君、どこから入ったの?」
 と、男はアールの後ろの扉を一瞥して言う。物音は一切聞こえなかったし、セキュリティーを突破してきたとも思えない。
「シュバルツさん……?」
 と、アールに表情は無かった。
「……一応そう呼ばれているけど、まずは自己紹介をするのが礼儀じゃないかな」
 シュバルツは苦笑して、腕を組んだ。
「私は、未来から来ました」
「…………」
 
20代半ばと思われるシュバルツはアールを足元から頭の上まで見遣り、「なるほど」と言った。さほど驚いている様子はない。
 
「信じてくれるんですか?」
「この部屋に音もなく入って来た理由として、納得がいく」
 と、困ったように笑う。
「あなたを止めに来たんです。研究を、やめてください」
「…………」
 シュバルツは水槽とモニターを交互に見遣り、アールに視線を戻した。
「僕の研究が、未来にどういった影響を?」
「世界はあなたのせいで滅びようとしている」
「……それは困ったな」
 と、頭をかく。「僕は世界の未来を守るために、そして豊かにするために研究に日々勤しんでいるのに」
「人体実験が、世界を守るの……?」
「もちろんだよ。モンスターと魔力を授かって生まれた人間は、未知なる可能性を秘めている。その可能性は理非善悪、定まらない。それはとても怖いことだ。例えば君が、ナイフを持って生まれてきたとしよう」
 と、シュバルツはアールを指さした。「そのナイフを、生き抜くための食料を得るためだけに使えば問題はない」
「…………」
「でも人間は多種多様、ナイフを人に向ける者もいる。そのナイフで何が出来るのか、どこまでのことが出来るのか、危険性と利便性を解明していかなければ、事前に防げるものも防げないし、宝の持ち腐れになる」
 
アールの目には、彼がとても世界を壊そうとしているようには見えなかった。だからこそ力づくで取り押さえることが出来ないでいる。
 
「でもあなたはこの先、どこかで、その道を踏み外す」
「……その予定はないけど」
 と、笑う。
「でも私はその未来から来た」
「…………」
「あなたはその体に魔物を宿して、暴走する」
 そう言いながら、自分のことを言っているようで目を伏せた。
「マモノ?」
「あなたがこれから生み出してしまうモノです」
「……なるほど、マモノか。おおかた、実験の段階でマモノを作り出し、人の体を使った実験では事足りずに自分の体を実験に使い、マモノと結合して……コントロールができなくなって暴走する、といったところだろうか……」
 考え込むように視線を落とし、顎に手をそえた。
「コントロールが出来なくなるのは魔物を取り込んだ体じゃなくて、心の方かもしれません」
 自分を重ねてそう言った。
「こころ? 僕が心を壊すと? 望んで暴走をはじめると?」
「なにかをきっかけに」
「いや……そんなことあるかな」
 と、眉間にしわを寄せる。「自分で言うのもなんだけど、僕は冷静沈着だ」
「…………」
「でも、君が嘘をついているようにも見えないから困ったよ。本当にそれは僕?」
 
小さなため息がこぼれた。ずっと平行線のまま、ただ時間が過ぎて行く、そんな気がした。きっとここで私が剣を握ったら、彼は助けを呼ぶかもしれない。でも攻撃魔法がまだ流通していない中で私を捉えられる人はいないだろう。
アールは周囲を見遣った。彼を殺さなくても、この研究施設を破壊すれば……。いや、施設は破壊できない。出来ても未来は変わらない。
 
「申し訳ないけど、僕は研究をやめる気はないよ。危険があるとわかっているものを放置できないし、なによりここまで自分を信じてやってきたんだ。それに、僕が研究をやめたって、僕の代わりに研究を継ぐ者が現れる。魔法というものがこの世界に存在し続ける以上、研究者は後を絶たないよ。実際、僕は父の研究所を受け継いだんだ。どれほど大変だったか君は知らないだろう。詳しく話す気はないけど、この研究所で働く者達を僕に従わせるのにとても苦労した。時に手段は選ばなかったよ。おかげで今では皆、僕の配下にあるけどね」
 
一見静かに見える海のさざ波の奥深くには、廃水が溜まっている。アールの目に映る若き日のシュバルツはそんな面影を見せた。足を踏み入れれば忽ち底に溜まっていた廃水が撒き上がり、彼自身もその周囲までも汚してゆく。そんな気がしてならない。
 
「あなたが研究をやめないのなら……私はもっと過去に戻ってあなたの幼少期に会わなければならない」
 と、視線を落とす。
「会ってどうするんだ?」
「…………」
「君は僕を殺しに来たの?」
「……そうです。未来では、殺せなかったから」
 

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