voice of mind - by ルイランノキ


 覧古考新14…『朧月夜』 ◆

 
何日間眠らずにいられるだろうかと、アールは星空を見ながら思う。昨夜は結局2時間程度しか寝ていないのだが、体のだるさなどは感じないし眠気もない。深夜2時を過ぎても、眠くない。
 
一行は休息所でテントを張っていた。聖なる泉がある場所で休むのとない場所で休むのとでは大きく違ってくる。体の疲れはほとんど感じない。感じてもすぐに回復する。こんな体になっても聖なる泉を求めてしまうのは、やはり単純に“お風呂”に入りたいからだ。濡らしたタオルで体を拭く日々にはうんざりする。
 
アールは聖なる泉の縁に腰掛けていた。泉の水面には月が反射してい映っている。
暇つぶしにでも休息所を出ようかなと立ち上がると、休息所の外からヴァイスが帰ってきた。
 
「おかえり」
「眠れないのか?」
 ヴァイスの肩ではスーが大あくびをした。
「これからは“眠れないのか”じゃなくて“眠らないのか”って訊くほうが正しいかも」
 
スーはヴァイスの肩から飛び降りると、自らテントの中へ入っていった。
 
「アール、少しいいか」
「ん?」
 
ヴァイスは突然アールを横に抱き上げると、そのまま休息所を出てどこかへと連れて行ってしまった。
 
「おかえりなさい」
 
テントに入ってきたスーに小声でそう言ったのはルイだった。ローテーブルの上に水を張った小皿を出してやると、スーは眠たそうに水の中へ浸かった。
ルイは外を気にかけた。人の気配がしない。ふたりで、どこへ行ったのだろう。布団に戻り、目を閉じた。ふたりのことが気になり、なかなか寝付けない。
 
「なにここ……すごい……」
 
アールの目がキラキラと輝いた。ヴァイスがアールを連れてきたのは、神秘的な場所だった。透き通った綺麗な池の底で、藤色の花が一面に広がっている。
 

 
「水の中で花が咲いてる……」
 
藤色と言ってもその濃さは様々で、水面には星空も映り込んで微かな風が揺らすたびにキラキラと光って見える。月明かりがその場所を照らし、とても幻想的だった。
 
「水中花。偶然見つけた場所だ」
「素敵!」
 
アールは池の縁にしゃがみ込み、指先を水につけた。ひやりと冷たい水。波紋が広がった。
 
「いつもこういうところに来てるの? スーちゃんと。ずるいなぁ」
「美しい場所ばかりではないがな」
「そうなの? あ、カメラ持ってたらなぁ……。こっちの携帯電話はカメラ機能ないよね」
 
アールは立ち上がると、水の中で咲いている花を眺めた。まさにファンタジーの世界だ。目閉じるとこの世界の風を感じる。大地や植物の匂いを感じる。この世界で流れている時間と共に動いている自分の心臓。呼吸音。この世界の一部になる感覚が気持ちいいと感じた。
 
ヴァイスは目を閉じて世界を感じているアールの横顔を眺めた。何者にも踏み潰されることなく水の流れに体を揺らして気持ちよさそうに咲いている水中花と、黒い空を埋め尽くすほどの星と、彼女の髪を揺らす優しい風と彼女に光を注ぐ月明かり。そのすべてが彼女のためにあるようでとても美しかった。
 
アールは目を開き、空を見上げた。なぜだろう。どこか切なくなる。この世界を感じれば感じるほど心のどこかが切なく、悲しくなる。沢山の命を乗せた星。世界の未来は、自分の手の中にある。
自分の両手に視線を落とすと、とてもちっぽけに思えた。この星にある生きとし生けるもの、美しい場所、誰かの思い、すべて、守れるだろうか。──守りたい。きっと大丈夫。私は独りで戦うわけじゃない。
指輪を嵌めていない手を見て、良子の手ではなくアールの手だと感じる。そこから自信と希望が溢れてくる。
 
気分が良くなったアールは、懐かしい曲を口ずさむ。
 
 
 菜の花畠に 入日薄れ
 見わたす山の端 霞ふかし
 春風そよふく 空を見れば
 夕月かかりて におい淡し
 
 里わの火影も 森の色も
 田中の小路を たどる人も
 蛙のなくねも かねの音も
 さながら霞める 朧月夜
 
 (作曲:岡野貞一、作詞:高野辰之)
 
 
アールが歌を口ずさむと、白い発光体が大地から空へと舞い上がった。ヴァイスがこの光景を見たのは初めてではなかった。
 
「なんだろね、これ。前にも歌ったら白いほわほわしたものが飛んでった」
 と、笑いながら言うアール。
「アリアン……」
 と、ヴァイスは呟く。
「アリアン?」
「彼女はその歌声で迷える魂を天へと誘った」
「…………」
 アールは夜空を仰ぐ。
「じゃあ魂なの? 白いほわほわしたやつ……」
「白いほわほわ、か」
 ヴァイスは微かに笑った。
「じゃあなんて言えばいい? ていうか私の歌声で成仏するの? 変なの」
 
ずば抜けて上手いならそんな力があってもいいかもしれないけれど、音痴ではないがずば抜けた歌唱力があるわけでもない歌声で魂が天へと誘われるとは、魂も気分がいいものではないだろうなと思う。
 
「オーブと呼ばれている」
「オーブ? 聞いたことある。埃かと思ってた……」
 いや、写真に写るものは埃なんだろうなと思っている。
「アニソンでも天へ誘えるの?」
 と、アール。
「アニソン……」
「アニメソング。だんご3兄弟とかでもいいけど」
「…………」
 団子の三兄弟? 奇妙な絵が頭に浮かぶ。
「わかんないよね、ごめんね」
 アールは再びしゃがみ込んで、水中花を眺めた。
「さっきの歌は」
「朧月夜。童謡で好きな歌」
「綺麗な歌だな。──お前の歌声も美しい」
「……そう? ありがと」
 照れくさく、呟くように言った。
 

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