voice of mind - by ルイランノキ


 心声遺失1…『血涙』


   
町の結界を破って、人間の体に牛の頭がくっついてるミノタウロスが人々を襲った。母親とはぐれた5才くらいの男の子が逃げまどう大人に押し倒されて倒れ込んだところを、すぐに抱き上げたのがワオンだった。
 
「大丈夫か!? 今安全な場所に連れてってやるからな!」
 
男の子は涙をこらえて大きく頷いた。
 
「泣かないのか、えらいじゃないか!」
 
近くの家のドアをノックする。中から恐る恐る中年の女性が顔を覗かせた。
 
「すまないがこの子を少しの間でいいから預かっててくれ!」
「あんたの子かい?」
 と、室内に招く。
「迷子だ。きっと親が捜してる」
「名前は?」
 と、玄関に座り込んで怪我をした膝を眺めている男の子に目を向けた。
「カイト」
「いい名前だ。魔物を退治してお前の母ちゃんも見つけ出すから、迷惑かけずにいい子にしてろな」
 と、ワオンは男の子の頭を撫で、女性に頭を下げてから外に出た。
 
上空をハシビロコウに似たルフ鳥が飛んでいる。追うように駆け出した。途中、カイトの名前を呼ぶ若い女性の声に振り返る。20代半ばくらいの女性が切羽詰まった顔で周囲をしきりに見回していた。
ワオンは安堵して人々をかき分けながら女性に近づいた。
 
「よかった。息子さんなら俺が見つけて近所の家に預けてもらってる。ここから見える一番奥の電柱の手前にある青い屋根の家だ」
 説明を終えると女性は礼も言わずにすぐに走り出したため、その腕を掴んで引き止めた。
「騒ぎがおさまってから迎えに行った方がいい。あんたもそれまで安全な場所にいろ!」
「あの家が安全かどうかなんてわからないでしょ!」
 と怒鳴られ、女性はワオンの手を振り払って息子を迎えに行った。
 
心に余裕が無いのだ。仕方がない。町の中を逃げまどう人々も、我が先と前の人を押しのける。誰かも知らない人の家をノックもせずに開けようとする。「開けてくれ!」「助けてくれ!」と四方八方から声がする。
ワオンはここからは見えない死角になっている方面から上空のルフ鳥に向かって放たれた矢を見て、魔物退治は遠距離攻撃が出来る人に任せて自分は住人の避難の手助けに回ろうと再び駆け出した。
 
ポケットから携帯電話を取り出し、ミシェルに電話を掛けた。
 
『……はい』
 と、ミシェルが不安げに電話に出る。
「もし誰かが助けを求めてきたら家に入れてやってほしいんだ。特に女性と子供を」
『えぇ……もちろんよ』
「よかった。俺はもう少し援護や救助に回る」
『……わかったわ。でも、自分の身の安全を優先して』
「あぁ、無事に帰る」
 と、電話を切り、道の端で座り込んでいた老婆に手を貸した。
 
ミシェルはワオンからの一方的な電話に心が沈んでいくのを感じた。テレビに視線を戻すと、アールたちの状況が映し出されている。じわりと涙が滲んで頬を伝い落ちた。なにも出来ずに座り込んで、ただただあふれ出す涙を拭うことも堪えることも出来ずに、起きている現実を見つめている。
 
ドンドンドン!とけたたましく玄関のドアをノックする音がした。ミシェルは驚いて体を強張らせたが、「助けてください!」という女性の声にハッとして涙を拭い、玄関へ急いだ。
 
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モーメル宅のリビングに出されているテーブルの上の灰皿は、タバコの吸い殻で溢れそうになっている。
テトラは玄関に目をやり、隣に座っていたウペポに視線を移した。
 
「一人にしてよいものか……」
「少し一人になりたいと言ったのはモーメルさ。心配いらないよ」
 ウペポはそう言って、静かに冷えた紅茶を口に運んだ。
 
家の外ではモーメルが空を眺めていた。もちろんその目に空は映らない。眼球を失っても涙は出るのだと知る。
悲しいと言う感情が心を埋め尽くす。気が付けば声を漏らして泣いていた。足元から崩れ落ち、肩を震わせて泣いた。
 
──世界が壊れていく。世界が泣き叫んで壊れていくその音を聞かずに済むのなら、耳も失えばよかった。
目を逸らしてはいけない。耳を塞いではいけない。人にはそう言って、自分が一番逃げ出したくてたまらない。恐ろしくてたまらない。
自分も世界と共に壊れてしまいそうだった。
 
アール 
 
アール……
 
助けておくれよ
 
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「姉さん……」
 
ヤーナはベッドで横になっているヒラリーに声を掛けた。ヒラリーはヤーナに背を向けたまま掛布団を頭までかぶった。布団の中ですすり泣く声がする。
ヤーナのとなりにエレーナが歩み寄る。居間のテレビは消され、しんと静まり返っていた。
 
「…………」
 エレーナもヒラリーにかける言葉を探したが、見つからずに顔を伏せた。
 
掛け時計の針がチクタクと時を刻む。
ヤーナが突然その場にしゃがみ込み、膝に顔を埋めて泣き崩れた。エレーナはそんなヤーナに寄り添って背中を優しく撫でる。溢れそうな涙を袖で拭った。それでもまた溢れてくる。ヤーナを抱きしめながら、静かに涙を流した。
 
外がより一層に騒がしくなった。結界が壊されてしまったのだろうか。
確かめる気力もない。
 
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リアは城内の救護所で負傷した兵士たちの治療に当たっていた。世話をする衛生兵の人数に対して怪我人が多すぎて手が回らない状況だ。
 
「……はぁ」
 と、誰にも聞こえないほど小さくため息をこぼした。
 
目の前で横たわっている兵士の腕に新しい包帯を巻く。兵士は天井の一点を見つめていた。生気のないその目から一筋の涙がこぼれ落ちた。
 
「リア様」
 と、少し離れた位置に腰を下ろしていた兵士が声を掛けて来た。
「はい?」
「死にました」
 と、隣で寝ている兵士に目を遣る。
「…………」
 リアは腕の治療をしていた兵士の腕をそっと置き、立ち上がった。
 
命が尽きた兵士のとなりに腰を下ろし、両手を翳して墓地へと移送する。こうして救護所から運ばれる遺体が出る一方で、新たに運ばれてくる負傷者がいる。担架に乗せられて運ばれてきた兵士は足を片方失っていた。リアは立ち上がって周囲を見回した。助かる見込みが少ない重傷者が多い。
兵士も人手も足りない今、助かる者を優先して治療を行うべきだとわかってはいるものの、自力では動けずに目だけで訴えてくる兵士たちから目を逸らすのは心が痛んだ。
 
「リア様」
 と、衛生兵の一人が駆けて来た。「コテツさんが……」
「え?」
 と、救護所の出入り口に立っているコテツに目を遣った。
 
コテツはリアと目が合うと、小さく会釈をした。リアは運ばれてくる患者を横目にコテツに歩み寄った。コテツはバツが悪そうに目を伏せる。
 
「アールちゃんを手助けしてくれたそうね」
「……手助けというほどではありませんが」
「兵士を運んで来てくれたの?」
「辛うじて息をしていた者がいましたので……」
「ありがとう」
 と、コテツの肩に手を置いた。
 コテツはリアを見上げ、小さく首を振った。
「人手が足りないの。手を貸してくれない?」
「……でも」
 自分なんかが、と思う。ずっと騙していたのだ。誰も自分と話はしたがらないだろうし、誰も自分に面倒を見られたくはないだろう。
「見習いカウンセラーくん」
 と、リアは微笑む。「まだ戦えると思っている兵士も多いの」
「…………」
「誰に面倒をかけるとか考えてないわ。体が使えるようになることを望んでる。中にはあなたを嫌う人もいるかもしれないけど……優先すべきなのは感情じゃない」
「……そうですね。お手伝いします」
 と、コテツは頭を下げた。
 

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