voice of mind - by ルイランノキ


 胡蝶之夢14…『3分』

 
息が熱い。吸っても吸っても酸素が足りない。額の汗が流れ、心臓が焦って血液を全身へ送り続ける。
──何がどうなってる……? なんだこの様は。なにをしているんだ俺はッ!!
 
「シドさんッ!!」
 歪んでいた視界に傷だらけの兵士が飛び込んで来たかと思うと、その首が胴体から切り離されて宙を舞った。
「……なんだ?」
 
なにが起きてる? なにをしている?
息を吸うのもままならない。
 
シドは右手に持っていた刀を強く握った。3mほど前方にバーランダが立っている。赤いモヒカンが煽るように風に靡いている。時折二重に重なって見えた。──視界が歪む。いや、違う。分身だ。いや、分身はさっき殺したはずだ。何体殺したんだっけか? まだいるんだっけか。頭が回らない。
バーランダに向かって駆け出そうとして足を取られた。足元にゼフィル兵の腕が落ちていた。その手には弓が握られたままだ。不様に転倒し、慌ててすぐに立ち上がる。
 
余裕がない。
 
「昔飼っていた犬がボケちまって、今のお前みたいにフラフラとわけもわからず俺の周りをうろついていた」
 と、バーランダが言った。
 
シドに負けず劣らずバーランダも体に傷を負っているが、その表情にはまだ余裕があるように見える。
 
「安楽死させてやるべきか悩んだが、自然に任せることにした」
「なんの話だよッ」
 と、シドはバーランダに向かって走りよると刀を振るった。しかしすぐに交わされてしまい、空振りをした勢いで転倒しそうになる。
「ボロボロじゃねぇか。回復薬は尽きたのか?」
「うっせぇ!」
 と、がむしゃらに刀を振る。吠えるばかりで噛みつく力が無い。
「ゼフィル兵は全滅。回復魔法をかけてくれる仲間もいない。どうする」
「……ッ」
 シドは肩で息を繰り返す。いつとどめを刺されてもおかしくはない中で、無駄話で与えられている猶予に苛立ちが募る。
 
シドチームのゼフィル兵の死骸が周囲に転がっていた。その隅で、かすかに息があった一人のゼフィル兵がイヤホン型トランシーバーに手を伸ばした。
 
「……こちらシドチーム……応援を……今すぐに応援を要請します……」
 と、息も絶え絶えに要求する。
 けれど、返って来たのは『今すぐには無理だ』という希望のない返答だった。
「お願いします……兵は私しか生きておりません……私はもう動けません……シドさんももう……余裕がありません……」
 
余計なこと言ってんじゃねぇよ……と、シドは周囲を見回し、生き残っているゼフィル兵を目で探す。しかし残念なことに、シドよりも先にバーランダが彼を目で捉えた。
 
『人手が足りない』
「お願いします……一人でもいいんです……お願いします……」
「生きていたのか」
 と、ゼフィル兵のトランシーバーを奪ったバーランダは、トランシーバーを足元に捨てて踏み潰した。
「あぁ……」
 絶望的な声が漏れる。
「やめろ……」
 と、シドがおぼつかない足取りでバーランダを追って来る。
「おまえも安楽死より自然死を選ぶか?」
 バーランダは向かってくるシドに手を翳した。攻撃魔法を放とうとしたが体がぐらついた。死にかけのゼフィル兵が足にしがみついて来たのだ。
「おまえは殺されたいようだな」
「やめろッ!!」
 シドの声が虚しく響き、バーランダの攻撃魔法によって応援を呼んだゼフィル兵の上半身が木っ端みじんに吹き飛んだ。
「おまえが守れなかった命がまた増えたな」
 と、バーランダ。
 
バーランダはシドの刀を腕で弾いて胸倉を掴んだ。刀が地面に落ちる。
 
「情けないねぇ。最期に言いたいことはないか? 全国に流れているんだろう? お前の最期が」
 
生まれ育った家で、姉たちが心配そうにテレビを観ている姿が目に浮かぶ。泣いているんだろうなと思う。必死に俺の無事を願っているんだろうなと思う。届きゃしねぇのに大声で「やめて!」と叫んでいるんだろうなと思う。
 
「お前の役目はここで終わりだ。俺によって、ここで終わる」
 
バーランダの右拳が丸腰になったシドの左頬にめり込んだ。骨を砕く鈍い音と共にシドは地面に倒れ込む。頬の痛みよりも激しい耳の痛みと耳鳴りに顔が歪んだ。左耳を押さえながらふらりと立ち上がる。
 
『私が行く』と、シドの左耳に装着されているトランシーバーから微かにアールの声がした。幻聴まで聞こえるようになったかと自分に呆れたが、その声はもう一度聞こえた。
 
『ゼンダさん、私がシドの元に行く! 3分後にゲート開いて!』
『そっちの状況は?』
『3分で片付ける。──シド、3分。カップラーメンが出来るまで待って』
 
声が遠い。ボリュームはどうやって上げるんだったか……? そう思いながら一度トランシーバーを耳から外すと血がべったりとついていた。耳から血が流れ出る。
そうか、鼓膜が破れたのか。
シドはトランシーバーを右耳に装着して、バーランダを一瞥すると刀を拾い上げた。──助けに来るつもりか? 待ってって誰に言ってんだ。俺はまだやれる。
 
「なにか朗報でもあったのか?」
 と、バーランダは自分の耳を人差し指でとんとんとしながらシドのトランシーバを見遣った。
「悲報だよ悲報。超、悲報だ」
「ちょう?」
 と、小首を傾げる。
「ラーメンの待ち時間って、なげぇーんだよなぁ」
 と、刀を力強く振るった。
 
正直、体力も魔力もほとんど残っていない。残り少ない力をバーランダにつぎ込んでいいものか迷いもあった。けれどその迷いは一気に吹き飛ぶ。自分のプライドがそうした。女が来る前に、こいつの息の根を止めたいと思った。3分後に来た女に、「おせぇよ」と言ってやりたいと思った。「なんだ心配いらなかったじゃん」と言わせてやりたくなった。
ボロボロな体で、立っているだけでも震える手足で、「おまえの助けなんか求めてねぇよ」と言ってやりたかった。そしてテレビの向こうで泣いている姉たちが笑うのを見たかった。
 
『──シドさん、僕も手が空いたらすぐに行きますから』
 と、ルイの声が届く。
 
シドの体がバーランダの攻撃魔法の衝撃で宙に吹き飛んだ。刀だけは絶対に手離すまいと握り締め、地面に強く体を打ち付けた。また骨が折れたような音を聞く。防護服はボロボロだ。右の脇腹に激痛が走った。ますます息がしづらくなる。ルイの声を聞いて泣けてきたのはなんでだ? と、らしくない自分を笑う。
 
「まだ立てるか」
 と、バーランダが歩み寄って来る。
 
『──私も手が空いたら向かおう』
 と、ヴァイスの声。
「いらねぇよ……」
 と、言葉を返した。
 
仲間と出会う前は一人でやってきたんだ。長い間、仲間の先頭を歩いていたんだ。なんで俺が助けられる側になってんだよ。意味わかんねぇだろ。なんで俺が一番足手まといになってんだよ。おかしいだろ!
 
『──俺も! ちょっと待って! お姉さんと眠気には勝てなくて!』
 と、カイもシドに声を掛けた。
 
なんだよこのザマは……と、シドの目から涙が溢れた。
 
「ははは、男の悔し涙はいい絵になるなぁ」
 バーランダはシドに拍手を浴びせたあと、手の平を向けて攻撃魔法スペルを唱えた。
 
シドの足元に魔法円が広がる。逃げようとした足がまたもつれる。それでも攻撃範囲である魔法円からあと一歩で出られると思ったシドの前に、別のバーランダの姿があった。シドは彼を見上げ、手を翳している方のバーランダに目を向けた。──分身がまだいたのか……。
 
「ざーんねん」
 と、分身のバーランダはシドをもて遊ぶように魔法円の中に突き飛ばし、尻餅をついたシドに火属性の最上級魔法、インフェルノが降り注ぐ。
 
防護服の防御力はもうほとんどない。甲冑を着たほうがまだマシなくらいだった。
全身に重度の火傷を覆うような痛みは体を動かすたびにその爛れた皮膚が剥がれ落ちるようだった。それでも辛うじてまだ命が続いている。焼けるように熱い喉から浅い息が漏れる。敗れた防護服の奥から血がドクドクとあふれ出て地面を這った。
 
──いてぇし……なげぇな……3分は……。
まだできねぇのかよ、ラーメン。
 
地面に倒れているシドを、二人のバーランダが上から覗き込んだ。
 
「今ので死ななかったのか。生命力はあるようだな、死にぞこないが」
 

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©Kamikawa
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