ル イ ラ ン ノ キ


 ≪1≫ 口 の 悪 い 女





「今日も痴漢にあってさ」

はじまった。と、私は思った。
休日の喫茶店で希美と待ち合わせをして、20分遅れてやってきた彼女は謝罪を口にする前にそう言った。
 
「まじ? 最悪だね」
 先に謝ってよとか思いながら、口に出せない。
「ほんと。睨んでやった。今月に入って4回目だよ」
「警察に突き出せばいいのに……」
「そういうのやらない。だってさ、その男はともかく、その男に家庭があったら関係ない奥さんや子供まで巻き込むことになるじゃん。可哀相でしょ?」
 
そう言って彼女は隣のテーブルを布巾で拭いている店員に声を掛けた。
 
「アイスコーヒーください」
 
私はなんだかもやもやしていた。このもやもやを晴らしてくれたのは意外な人物だった。
 
「なに生ぬるいこと言ってんの?」
「え?」
 
私と希美は思わず彼女を見上げた。彼女とは、希美に声を掛けられた20代前半くらいの化粧っけのない店員だった。目鼻立ちが綺麗だからメイクをしたら化けそうなのに。寝起きのままバイトに来てエプロンを身に付けたような格好が残念すぎる。
 
「いい人ぶりたいのか知らないけど、あんたみたいなのが犯罪者を放置するから被害者が減るどころか増えてんだよ。まさかとは思うけど自分だけが痴漢にあってると思ってるわけじゃないよね? 相手の家族のことを考えて? 自分がいい人でいたいだけじゃん。そもそも相手の家族なんて関係ないでしょ。痴漢するような男と結婚したのはその女なんだし、子供は痴漢男と結婚してしまった女が責任持って守ってゆくべき。母親としてもね。それともなに、犯罪者の家庭を守る為に被害者は黙って尻や胸触らせとけとでも言いたいの? ていうか相手の家族に悪いとか言うのは言葉だけで、本当は自分が警察に突き出さなくても他の人が突き出してくれるだろうと思ってるだけじゃないの?」
「…………」
 
私は恐る恐る希美の顔を盗み見ると、希美はカッと顔を真っ赤にしていた。なにか今にも叫び出しそうだけれど言葉が見つからないのかその女店員を血走った目で睨むばかりだ。
そこにつかつかと別の男性店員がやって来て、その女性店員に向かってこう言った。
 
「君、クビね」
 そして私達に頭を下げた。
「申し訳ございませんでした。お代は結構ですのでごゆっくりなさってください。アイスコーヒーを今お持ちいたします」
 
希美にボロクソ言った女店員は無表情のまま一度カウンターの奥に引っ込んだかと思うと、すぐにエプロンを脱いだ姿で出て来てそのまま店を出てポケットからタバコを取り出して一服し、雑踏の中へ消えていった。
 
──かっこいい……。
 
私はどきどきと高鳴る胸を押さえた。同じ女として、ああもはっきりとものを言える人に憧れる。はっきり言いたいことを口にすれば嫌われるかもしれない、などと考えてなにも言えなくなる私とは正反対だった。
 
希美はずっとイライラしているのか、小刻みに震える手でスマホを弄っていた。きっとTwitterなどで愚痴っているのだろう。彼女は感情的になるとすぐにSNSで吐きまくる。愚痴も惚気も誰かに聞いてもらわないと気が済まない性格らしい。
 
「お待せいたしました。先ほどは申し訳ございませんでした」
 と、男性店員がアイスコーヒーを運んできた。
 
希美はスマホを乱暴にテーブルに置いて、アイスコーヒーにシロップとミルクを入れた。
私は昔から彼女が苦手だった。何回痴漢にあったとか、何回ナンパされたとか、嫌々そうに言いながら自慢しているようだったからだ。
ストーカーに遭っていると聞いたときは心配したけれど、他の友人から聞いた話だとストーカーは元カレらしく、希美から一方的に関係を切って着信拒否をしたのが原因だと知って自業自得だと思った。
 
「あの店員、凄かったね……」
 と、恐る恐る話題に出してみる。
「あの人絶対友達いないよ」
「あー…」
 苦笑い。
「相当性格悪いよね。なにも知らないくせに偉っそうに」
「うん……」
 
うんって。本心ではざまぁみろと思ってる私が一番性格が悪いと思う。
 
「ごめん急用できたから帰るわ」
 と、希美は席を立った。
「え、あ、うん。わかった」
 
希美は苛立ちを隠せないまま店を出て行った。急用が出来たというのは嘘で、気分を害しただけだろう。せっかく注文したアイスコーヒーが一口しか飲まれずに残っていた。
 
取り残された私は一人で喫茶店に居つづけるわけにもいかず、レジへ向かう。
 
「お会計お願いします」
「いえ、失礼がありましたので代金のほうは結構ですよ」
「いえ、払います。彼女のお陰でスッキリしたので」
 と笑うと、男性店員もつられて笑った。
「彼女は言いたいことを言わないと気が済まないようで」
「私とは正反対です。少し羨ましいです」
 と、代金を支払った。希美の分もだ。
「素直で正直と言えば聞こえがいいですが、あれはちょっと行き過ぎですよ」
「彼女はもう辞めちゃったんですか? お礼を言いたかったのに」
「多分近場の公園で情報誌を片手に次のバイト先でも探してるんじゃないかな」
 
私は迷わずその公園の場所を聞いて向かうことにした。わざわざ捜してまでお礼を言うほどのことじゃないのかもしれないけれど、どうせこの後の予定はなにもない。退屈しのぎでもあった。
 
男性店員の言うとおり、彼女は近場の公園にいた。一際目立つ大きな木を囲むように置かれたベンチであぐらを組んで、求人情報誌をめくっていた。
 
「あのー…」
 少し緊張しながら声をかけると、彼女は目を細めるように私を見上げた。
「先ほどはありがとうございました」
「……は?」
「あ、あの、痴漢がどうとか言ってた子の友達で」
「あーぁ」
 と、彼女は思い出したように頷いた。
「私は言いたいことがあっても言えないからスッキリしたっていうか」
「なんで言えないの?」
「え……だって相手に嫌な思いはさせたくないし、はっきり言って嫌われたら嫌だし」
「そこまでしてあんな女と友達でいたいんだ? 珍しいね」
 と、彼女は再び情報誌に視線を落とした。
 
別にそこまで気を遣ってまで友達でいたいわけじゃないけど……。
 
「あなたは平気なんですか? 言いたいことをはっきり言って、傷つけた人とかいなかったんですか? 友達が去っていったりしませんか?」
「んなことで去っていくような人、そもそも友達なの?」
 ページをめくりながら言った。
「親しい仲にも礼儀ありって言うじゃないですか」
「礼儀の話をしてんの?」
 と、見上げられる。
「えっと……」
「相手に対しておかしいと思ってんのに、言わずにそうだねーって合わせるのが礼儀だって言ってんの?」
「そうじゃなくて……」
「なにが言いたいのかはっきりしてもらえる? 忙しいんだけど」
 と、タバコをふかす。
「自分が絶対に正しいと思えることでも、相手にとっては通用しないことだってありますよね……。そういう時はハッキリ言っても意味がないというか……互いに嫌な気持ちになるなら始めから……言わないほうがいいかなって……」
 説明しながらなにを言いたいのか自分でもわからなくなり、もごもごと尻窄まりになった。
「別に私は自分が言ってることが正しいと思って言ってないし、わかってもらいたいとも思ってない」
「そうなんですか……?」
「ただ自分の考えや思ったことを言っただけ。否定したいならすればいいし、そのいい訳や意見にこっちが納得したら普通に謝るし」
「言いたい放題言われて言い返せない人だっていると思います……。一方的に言って黙らせることになりませんか?」
「黙らせることになったとして、それがなに? 先回りして気ぃ遣わなきゃいけない理由はなに? そんなのそいつの問題であって私の問題じゃないから知らんよ」
「…………」
 なんだか納得いかない。それを上手く説明できなくてもどかしい。
「まだなんか用?」
「トラブルに巻き込まれたらどうするんですか? 例えば、私の友達は黙って帰って行ったからよかったものの、逆上して大暴れでもしたら……」
「あんたに関係なくない?」
 と、タバコの煙を吐きながら笑った。「短気なその子の問題であって」
「一緒にいる限り無関係とは言えません……」
「あんたの問題は大暴れした友達を前にどうするか、でしょ。警察呼んで帰ればいいじゃん」
「冷たくないですか? それ……」
「なんで? 一緒に怒ったり泣いたり慰めたりするのが友達だと思ってんの? なんで他人の感情に乗っからなきゃいけないわけ? そういう役目はその子のことを心底大事に思ってる奴に任せりゃいいんだよ。あんた別にあの子のことそんなに好きじゃないくせになにをそんなに気遣ってんの?」
 
──確かに。と、納得してしまった。
 
「なんであの子のことそんなに好きじゃないってわかるんですか?」
「顔に書いてある」
「…………」
 
そんなにわかりやすいっけ? 私って。本心を隠してばかりだから、顔にも出ていないと思っていたのだけれど。
 
「空気を読んで自分を抑えることも時には必要だけど、そうじゃないときは自分に素直でいいんじゃないの? そうじゃなきゃ自分がなくなる。自分が正しいのか間違っているのかもわからないし、直接言われないと気づけない馬鹿も多いでしょ。息が臭い奴にお前息臭いって言えばそりゃあ傷つくだろうが、誰かが悪者になって言ってやんねーとそいつずっと息臭いまま陰で『息臭いやつ』って言われ続けるんだよ」
「……それは辛いですね」
 
まぁ確かに、子供の頃に私の笑い顔が歯茎全開で眉間にシワがよって酷かったのをクラスメイトの男子に「お前笑ったときの顔凄いね……」と言われて死にたくなったことがあった。家に帰ってバラエティ番組を見ながら大笑いしたときに鏡を見て愕然とした。ぶっさいくだったから。
指摘してもらったお陰で笑い方に気をつけるようになった。今は感謝している。
 
「でも……人によっては恨まれる。希美だってあなたのこと……」
「悪く言ってた? 別に気にしないよ。慣れてる」
 
やっぱり私には無理だ。相手の顔色をいつだって窺ってしまう。
 
「あんたも十分言いたいこと言ってるけどね、私に」
 と、彼女は情報誌を丸めて立ち上がった。
「それは……」
「それでいいんじゃないの? あんたがそれで生きやすいなら。あんたと私は違うんだから。無理に他人のようになろうとするのは疲れるし」
「あの……、クビにされてまで言いたかったことなんですか? 痴漢のこと」
「…………」
 
彼女はきょとんとした顔をしたあと、くしゃりと可愛らしく笑った。
 
「クビにされることまでは考えてなかったよ」
 
まいったまいったとそう言って、公園から出て行った。
なんだか少しほっとした。もっと気難しい人かと思っていたから。
ふと、彼女が座っていたベンチに目を向けると、名刺くらいの紙が落ちていた。それを拾い上げ、そこに書かれている文字を読んだ。
 
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電話番号とサイトのURLが載っている。彼女が持っていたものだろうか。もともと落ちていたものだろうか。彼女の姿はもう見えなくなっており、今更確かめようがない。
 
「…………」
 
近くにゴミ箱があったというのに、なぜか捨てずにジャケットのポケットに入れてしまった。
今頃希美はどこでなにしてるかな。少しは怒りが収まったかな。
そんな風に思いながら、私は公園を後にした。
 

end - Thank you

お粗末さまでした。150527
修正日 221227


≪あとがき≫
一部、人の実話です。シリーズ物の一話でした。
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