ル イ ラ ン ノ キ |
「そういえば、有村さんと仲良かったんじゃないの?」
と、携帯電話越しに由愛の声がする。
瑞江は手に持っていた高校のアルバムをダンボールから取り出し、膝の上に置いて一枚ずつめくった。細かな埃が舞ったが、気にもしない。
「別に仲良くはないよ」
「そう? たまにそっちのクラスの前を通ったときに有村さんと話してる瑞江を見たからさ」
「それは……」
アルバムの中には有村ほのかがいたるところに写っていた。小さく写っているものから、完全に彼女をメインに撮ってあるものまで。そしてクラス写真が載っているページで手が止まった。
「──席が近かったからだよ」
「そうだっけ?」
「うん、有村ほのかの……真後ろだった」
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「席替えをします」
と、突然児玉先生が言った。教壇に両手をつき、歯を見せて笑う。
「独り言ですか? 寝言ですか?」
そう言い返したのは気の強い女子、国枝だった。先生を相手に強気な発言が出来るのは彼女だけだ。
「あいつおもしれぇよな」
国枝の発言に笑うのは松原だった。
「残念だが独り言じゃないぞ」
児玉がそう言うと、クラスがざわめいた。
なぜ急に席替えなんか、と、誰しも思っていた。漸くこの席の環境に慣れて来た頃だったからだ。
「このクラスは成績のいい奴と悪い奴の差が激しい。だから今から名前を呼ぶ成績の低い者は前に出て、呼ばれなかった者は後ろに移動しなさい」
どうやら成績が悪い人は先生の目が届く範囲、教壇に近い席になるようだ。
「俺やばいわ」
「私もやばい」
と、松原と瑞江は顔を見合わせ、苦笑した。
案の定、二人は名前を呼ばれ、前列に移動することになった。なにかと先生に言い返していた国枝は呼ばれなかった。後ろの席へ移動だ。
「児玉と国枝コンビのやり取りが見れなくなるのは残念だな」
松原は教室の後ろへ向かう国枝に、そう言った。
「うっさい。ちゃんと勉強しろ」
「はいはい」
瑞江は国枝の後姿を見送り、松原を見遣った。
「なに、仲良いの?」
「ガキの頃からの腐れ縁」
「ふぅん」
ちょっとそういうのに憧れるな、と、瑞江は思った。
児玉が決めた席に、机と椅子を持って移動した。一番後ろのままがよかったと思いながら椅子に座る。瑞江の席は前から二列目だ。顔を上げると前の席に座っている女子生徒の後頭部が正面にあった。肩より少し長い、黒々とした髪の毛がまっすぐに垂れ下がっている。
瑞江は突然言い知れない恐怖に襲われた。じわりと全身に冷たい汗が滲み、髪の毛から目が離せなくなる。見てはいけないという感覚に囚われるも、顔を固定されているかのように背けることが出来ない。──と、そのときだった。前の席に座っている女子の頭が少しだけ左に傾いた。それにあわせて髪がゆらりと左へ流れる。何本もの髪の毛の間から、地肌が見えた。はじめはつむじだろうかと思ったが、横に線を引いたような3cmほどある傷が左右対称に二つ。ドクドクと鼓動が速くなるのを感じながら目を凝らした。その傷口は徐々に開いていき、血走ったふたつの目玉が瑞江を凝視していた。
「きゃぁぁぁ!!」
瑞江は椅子から転げ落ちた。ガタガタと身体を震わせ、苦しげに呼吸を繰り返す。
クラスメートが一斉に視線を浴びせる。まだ机を運んでいた生徒は思わず動きを止めた。
「赤井、どうした、大丈夫か?」
と、児玉が歩み寄った。
「か、かみ、髪!!」
瑞江は小刻みに震える手で前の席に座っている生徒の頭を指差した。
そのときに自分の前の席にいた女子が、有村ほのかだと気づいた。彼女の後頭部にずっと感じていた違和感を思い出し、言い知れない恐怖が全身を襲う。そんな瑞江を有村ほのかは目を丸くして見下ろしている。
「髪?」
と、児玉が有村の髪を眺めた。
有村ほのかも自分の髪を撫で、なにかあるの? と不安げに顔を引き攣らせた。
「なにもないぞ。どうした?」
「あ……あの……」
瑞江は額に脂汗を滲ませながら、ふらふらと立ち上がった。「なんでもないです……」
「…………」
教室中が静まり返っている。その当惑した空気を切り裂くように、児玉は手を叩きながら声を上げた。
「ほら早く自分の席に着きなさい!」
そしてひどく青ざめた瑞江の顔を覗き込み、「大丈夫か?」と言った。
瑞江は俯いたままコクリと頷き、椅子に座った。
がやがやと教室に騒がしさが戻る。瑞江の心臓はまだバクバクと音を立て、落ち着きを失っている。
「赤井さん……?」
前から聞こえた声に、びくりと肩を震わせた。恐る恐る見上げると、有村ほのかが身体を捻ってこちらを見ていた。
「大丈夫? 私の髪になにかついてた?」
と、頭部を摩りながら顔を背け、瑞江に後ろ髪を見せた。
すっかり脅えていた瑞江の瞳孔が開いたが、そこにあったはずの二つの目はなくなっていた。彼女の綺麗な髪が、さらりと揺れる。
「赤井さん……?」
と、振り返る。
「あ……ごめん……私なんか疲れてるみたいで……虫が止まってるように見えたの……」
髪の毛の間から人の目が見えた、などと口にでもしたら気持ち悪がられるだろう。現に瑞江の周囲にいた生徒は「虫でそんなに驚く?」と笑っている。気持ち悪がられるよりは断然いい。
「そっか、ビックリしたよ、赤井さんって虫が苦手なんだね」
有村ほのかはそう言ってクスリと笑うと、前を向いた。
瑞江は再び声もなく硬直した。彼女の髪の隙間から、赤井瑞江をじっと見つめている二つの目。ぎょろぎょろと眼球が動き出す。
──やだ……やだ……やだやだやだ!!
金縛りにあったように動けない。何度も何度も有村ほのかの後頭部にくっついている目玉と目が合う。その度に血の気が引き、心臓が跳ね上がるのだった。
Thank you... |