彼岸過ぎ迄

「ここがよくわかったな」
久しぶりに自由になった腕を回して、大きく伸びをすると、背骨がいくつかおかしな音を立てて、元の位置に戻った。
「貴殿にマーキングをした訳では、ありません故」
そう言った久楼の体がゆらりと揺れて、数歩歩んで背を向けられる。
おそらく見てるだろう懐中電灯の明かりの先に目を凝らすと、蟻が列をなして奥へ進んでいるのが見えた。
つまり、俺の足に這っていた一匹は迷子か。
「でもって俺はついでか」
「左様で」
聞いてないな、と、文脈的に感じた。
おそらく久楼は、行列の先に視線は向け続けていたとしても、そこから足を動かそうとする気なんてない。
結果を知っている。その上で、認めたくない。
俺が、例え地上に出ても、保健室の跡地を確認するつもりがないのと同じで。
「行かないのか」
無駄だとわかった問いを吐く。
「あの方は、大量出血の後に、この闇の中を生き続けられるほど、強くはあられません故」
バキン、と、何かが割れるような音が響くと同時に、一筋の光すら消えた。

「いずれ、この日が来ることは、承知しておりました」
”この日”という単語が何を示しているのか、それをわかってしまう自分が、辛かった。
「それまでが確約された時間でないことも。この状況下においては殊更に、難しいことであるとも」
まるで舞台役者の台詞のような発音の声が響く。

「日常は、かくも脆く崩れると、受け入れるだけの覚悟が足らなかったのであります」

人間的な感情を込めようと努めているのか、それとも、そのすべてを押し殺そうとしているのか。
この暗闇で察することは、到底出来なかった。

「お前、愁夜のこと好きだったのか」
「…慕う慕わないはとかく、あの方は我らが女王であられました故。兵なくして女王はならず、逆もまた然り」
懐中電灯の明かりの残像がちらついて、上手く気配が追えない。
それとも、さっきから微動だにしていないのか。
正常な聴覚が、ぶつり、ぷつり、と、何かが潰れる音を拾った。
「久楼…?」
こんなとき、音の反響で場所がわかるような能力があればと思う。
「なぁ、聞こえてんのか」

「虫ケラ如きが」

絞り出すような小さな声が、耳管から背筋を伝った。


「何してる」
「我らが仕えるべき主は、もはやこの世におられません故」
小さな破裂音をBGMに、変わらない声が響く。
時折混ざる靴底の擦れる音に、行為の見当がついた。
「…後追いで、死ぬってことか?」
蟻の行列をすべて踏み潰して、もろとも。
「自分は一介の蟻であります故、従うべき女王が彼岸へお渡りになった今、追従するがこの身に定められた道、抗えぬ本能であります」
今どんな面してそんな台詞をほざいてるのか、目にできない暗闇が恨めしく思える。
「じゃあ、俺が仮の主になってやる」
この台詞に対する反応すら、見えやしない。
「忠臣蔵しようぜ?久楼先生」


「二年三組 、哀川玄幽さんは此岸と彼岸を振れる虚ろな存在であります。それをどちらかに留めたところで、仇を討ったなどとの口上が通じる相手では、到底あられません故」
「誰が哀川を殺すなんて言った。原因がいるだろ。この事件の発端、張本人が、まだ」
そう言って上を指差す。
見えていないにしろ、さっきから徐々に強くなる振動と轟音で、何を示しているかくらいは伝わるはずだ。
「あの皇のアホ倒すって寄り道してからでも、バチは当たんねえだろ」
「…先程のお言葉ですが、四十七士には幾分差があるかと」
独特の笑い声と皮肉な軽口に、申し出が承諾されたことがわかった。
軋み立てて笑うその音は、いつも以上に派手に感じた。




「愁夜先生、これは雑談なんだが」
「何です?」
「久楼先生は、何故君についている?」
「…力関係として、不思議に思われるのは当然でしょうね」
「気を悪くしたのなら、済まない」
「構いません。言ったでしょう、当然の疑問です」
「…では、何故だ?」
「…あれは、強いけど、弱いんですよ」
「自分が主体的に考えて動くことを知らない。目的がないんです。それを破棄したからこそ、あの頭と体を手に入れたとも言えますが」
「ですから、今、主として仕えている僕が死んだとしたら」
「悪い例えだ」
「例えですからね。少なくとも皇孝を殺すまでは死ぬつもりはありません」
「…ではもし仮に、万が一、君が死んだとしたら?」
「あれは、新たな主を探すでしょうね」
「祖父の時と、同じ様に」


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