「はあ…旧棟マジで遠いわ…」

教科担当である玉得の指示で、生徒である須藤 成(スドウ ナリ)はクラス全員分の課題を旧棟にある国語科準備室まで運び届け、生徒会室へと向かう途中だった。

 生徒会執行部会計である須藤は、その容姿の良さと軽そうな態度から勘違いされやすいが、存分真面目な人間であった。週一で昼休みに行われる生徒会会議に遅れてしまっているため、旧棟と本棟の間にある雑木林を早歩きで歩く。須藤の脳内には「随分と優雅な登場ですね?」と嫌味を言う生徒会長が浮かび上がっており、ますます歩幅は大きくなる。

 するっ…

「お、わっ!?」

 突然何かに足を掬われ、転倒してしまった。石や木の根のような硬さではなく、犬や猫につまずいてしまったような柔らかさ。怪我を負わせてしまっただろうか。須藤は心配になり、自分の足元を見る。
「…猫…?」
そこには猫のような見た目のなにかが、自分の足に擦り寄ってきた。その様子に、須藤は思わず顔を綻ばせる。

「お前名前なんてーの? 俺は、成っつーんだけど…ん?」
違和感を感じ、抱き上げる。その正体不明の動物は胴体に大きく怪我を負っているようだった。自分の手の中に収まってしまうようなサイズ感で黄色と白の毛の塊のような猫らしき動物。その怪我は自分がつまずいたせいで傷ついたのではなく、どうやら大きな動物に爪のような鋭いもので傷つけられた痕に見える。
 息も絶え絶えな様子の動物に、須藤は本棟とは逆の方向に走り出す。この学園は動物の持ち込みは禁止しているし、かといって自分がこの小さい命を救える気はしない。この動物がどこから侵入したのかはわからないけれど、須藤の行動はもう決まっていた。
 あの適当な教師がまともな対応をしてくれるとは思わないが、頭の固い教師らよりはマシだろう。
 須藤は元来た道を引き返し、その脚力を生かして物凄いスピードで国語科準備室へと走った。


 一方の玉得は、本棟から独り言を漏らしながら自分の城へと帰る途中であった。
「あーあンのクソジジイ、しっかりこってり叱りやがって…」
玉得はゆっくりと歩きながら、自分の城へと歩いていた。進めていた足をぴたりと止めて、周りを見渡し始める。
「……また面倒ごとが起こりそうだな」
まるで今にも雨が振り出しそうだな、とでも言うように玉得は空を見上げる。








 須藤が国語科準備室に入ると、先程までいたはずの人物はいなくなった。
「…たまちゃんせんせ、どこ行ったんだよ」
自分の腕の中で細い息を繰り返している動物は、どんどん衰弱しているように見える。これなら大人しく保健室に行けば良かったと後悔する。しかし、旧棟に来てしまった今本棟に引き返すのにも時間がかかってしまう。須藤は先程まで玉得が寝ていたソファに座って、自分の青色のハンカチで傷口を覆った。
 その瞬間、ガラリと扉が開き須藤は勢いよく顔を上げる。

「たまちゃんせんせっ…て、犬山センセ?」

 部屋の扉を開けたのは、予想外の人物だった。この部屋の主ではなく、自身の担任、そして生徒会顧問の教師の犬山の鋭い視線に貫かれた。

「…須藤君がなぜ”それ”と?」

 犬山の言い方が気になった。なぜこの国語科準備室に? という意味だと思ったが、それでは「なぜここに?」と言えばいいはずだ。つまりはこの胸のうちの今にも消えそうな命のことを言っているのだろうか。それならば、この猫のことを知っているような口ぶりだ。須藤が頭の中の疑問を消化するために、口を開こうとした瞬間、当初の目的であった人物が現れる。
「…あれ、須藤に…犬山センセじゃないですか」
 聞き返そうと口を開いた瞬間、廊下から顔を覗かせるようにして現れたのは、玉得だった。玉得は犬山の顔を覗き込むようにして見つめている、いや睨みつけているという方が正しいのか、あれは。ガン垂れている。
「なんすか、俺に用事ですか。一日二回も訪問してくるなんて非効率ですね。俺はこれから須藤の大事な人生相談なんで出てってもらえますか」
 まくしたてるように言い切った玉得に、犬山は表情を変えることなく玉得に視線を向けたままいた。玉得は犬山のことが嫌いなのだろうか。この先生そういうとこあるよな…とひとり勝手に結論付けた。しばらくの沈黙のあとに犬山は「…また来ます」と言って去っていく。「人生相談」なんて他に言い方があっただろうに。玉得の嘘に思わず苦笑いをする。
 玉得は去って行った犬山の背中をしばらく睨みつけ、最後に「もう来るなよ」と小声で言う。そして、こちらをちらりと見て重い溜息を吐いた。
「はあ…それで? お前はなに面倒ごと持ち込んだの」
玉得のその表情は『めんどくさい』というよりも少しばかりの焦りと心配が伺えた。須藤は不思議とその表情と言動に違和感を覚えたのであった。



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