テストが無事終わり、久しぶりにシラクへと出勤する。「毎日来てね」と言っていた山蛇にテストが明日で終わるからバイトに行かなければならないということを伝えると、少し考えた後に「わかったよ、頑張ってね」と言ってもらえた。
 山蛇にしては引きが良すぎて何か裏があるのではと思ったが、バイト先に向かう最中もとくになにもなく、無事シラクに辿り着いた。

「あら、来たの? 別に来なくても良かったのに」
しばらく会っていなかったというのに、酷いなあ。「すみません、来ちゃいました」と返したら早く着替えてこいと言われた。
 いつものようにブレザーを脱いで、制服のスラックスも着替える。ワイシャツにジーンズ、その上からエプロンをした。

 いつものようにゆったりと時間が流れるバーの雰囲気は、しばらくぶりでも変わっておらず、俺はこの店が好きだなと思った。
 裏に入ってグラスを洗っているこの時間が、一番日常を感じる瞬間であり、癒しだと感じる。この約一週間、学校に待ち伏せされ、山蛇の事務所で勉強をするか、後ろの開発をされるかで体力的にも、精神的にも相当疲弊していたようだ。
 本当に、疲れた。

「ちょっと! 俊平、来てくれる?」

 今日のシフトも22時までだった。時刻は21時45分、あともう少しで上がる時間だ。
 与一さんに呼び出されて、表のカウンターに顔を出した瞬間、俺は今日帰らない可能性が浮上してその場にへたりこんでしまいそうになる。しっかりと足腰を意識して、深呼吸をする。

「……なんで俺のバイト先を知ってるんですか、山蛇さん」

 そこにはカウンターに優雅に座る山蛇がいた。山蛇はいつものように、少し長い前髪を真ん中でわけ、高そうな黒いスーツを着ている。その下には今日はシャツではなく、紺色のタートルネックを着ていた。
 そう、客観的に見ればただのイケメンだ。だが俺にとってこの男は有毒でしかない。

 なぜここにいるのか、と問うと山蛇は出された酒を洗練された動きで煽り、あの蛇のような目を細めた。
「今晩は君に会いに来たわけじゃないよ、旧友が店を経営していると聞いてね。美味い酒がでてくると評判だと聞いてね、飲みに来たんだよ」
「旧友って…」

 与一さんを見ると、ひとつ頷いた。
「このうさんくさい男に、旧友だなんて呼ばれたくないけどね」
「そう言わなくたっていいじゃないか、相変わらず与一は酷いなあ」
「酷いのはどっちよ、残虐非道なことばかりしてるのはアンタでしょう」
「俊平君の前でそういうことを言うのはやめてくれないか、彼が怖がってしまう」

 山蛇がそう言った瞬間に二人それぞれ視線が送られ、気まずくなる。怒ったような顔をした与一さんがカウンターに思い切り手をついて威嚇する。与一さんは口調こそ女の人だが、れっきとした男性でその勢いも相まってかなり大きな音が鳴った。カウンターが壊れてしまいそうでハラハラした。
「ちょっと山蛇、アンタこの子に手ェだしてないでしょうね…?」
「さあ…?」

 その瞬間、店にピリピリとした空気が漂う。女豹VS蛇。その場に居合わせている自分の身の安全が保障されないことを察した。

「そんなに気になるなら、彼に聞いてみなよ? きっと教えてくれるよ」
山蛇がそう言った瞬間、与一さんの鋭い視線がこちらに飛んできた。
 この目はつまり、「早く言え、さもなくば刺す」といった目だ。
 だが俺はここで嘘をついたとしても、与一さんに見破られ刺される。しかし、本当のことを言えば与一さんは山蛇を刺すだろう。
 いや俺の場合は刺すはさすがに盛ったが、半殺しにされた上でまた尋問が始まる。というか、その前に俺が山蛇にされたことを自分の口から言うなんて、どんなプレイだよ…!

 考えている間も与一さんの怒りゲージはどんどん上がっていくし、山蛇の楽しそうな笑みはどんどん深まっていく。

「え、えっと…その…俺は…山蛇さんに…えっと…」

 天秤が、傾いた。

「その山蛇さんには恩がありましていや恩と言ってもほんと死にそうだったのを助けてもらったというかまあそんな感じでお返しをするために山蛇さんの手伝いをちょっとさせてもらってるというか奉仕をしているというかそんな感じです」

 嘘ではない。やすらぎ園がヤクザの手に渡るのを恩赦でやめてもらい、そのお返しとして奉仕をしているのだから。
 与一さんは黙っている。心臓がうるさいほどに鳴っている。黙り続ける与一さんが怖かった。もう怒るなら早く怒ってくれ…!


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