■まるで陽だまりのような
「……明日から中尉、らしい」
このことを一番に知って欲しかったのはソーマ、だった。
受け取ったばかりの辞令を手に、自室に戻るより先にソーマの部屋を訪れてこのことを報告すると――ソーマはベッドに寝転がったままふん、と小さく鼻を鳴らした。
「ついに俺より階級上になりやがったか……出会ったときは頼りないルーキーだったのにな。ま、せいぜい明日からもよろしく頼む、櫻庭中尉殿」
それだけ言って、天井からソファに座った私の方にちらりと視線を動かす。
だが、その声はいつにも増して優しい。それだけで、ソーマが私の昇進を我が事のように喜んでくれているのが伝わってきた。
「いいことばかりでもない……正直胃が痛いし、寝る時間は多分削られるし」
「……藍音の『眠い』を聞く機会が増えるってことか」
「間違っていないから腹が立つ」
冗談めかした軽口を叩き合いながら、私は先刻、この辞令を受け取った時にツバキさんから言われたことを思い出していた。
――お前から話してみて、それで気が変わらないのなら諦める。
ただそれをソーマに伝えることが正しいのかどうか……少しだけ逡巡したがそれでも、上官命令には逆らえない。
軽く寝返りを打ち、身体ごとこちらを向いたソーマの目を真っ直ぐに見つめて……私は、言葉を繋いだ。
「ツバキさんが……ソーマに、本当に部隊長になる気はないのかって」
「意外としつこいな……」
ソーマは小さく舌打ちすると、ベッドから身体を起こしてソファへと歩み寄ってきた。
そのまま私の隣に座り、いつになく真剣な顔で私を見つめる。
「じゃあ、伝えておいてくれ。前に言ったとおり、俺はこれからも第一部隊の隊員としてやっていきたいってな」
「だろうと思った」
正直言えば、この答えは半ば予想できていた。
新型と旧型の差があることを鑑み、近接戦闘だけの実力だけで考えれば私より遥かに上を行くソーマ。
彼を部隊長にと望む声はこの極東支部内でも強い。それなのに、ソーマは頑なにそれを拒み続けている。
また今日もそんなことを言われたとぼやいているのも何度も聞いている。そんな彼が、私が告げたくらいのことで翻意するとはとてもじゃないが考えられなかった。
「正直言うと、少し勿体無いとは思うが。ソーマは実力もあるし、今は皆に慕われてるし」
「関係ないな」
私の言葉を打ち切るように短くそう言って、ソーマの手が私の肩をそっと引き寄せた。
そのまま、耳元に響くのはいつものソーマの……低く優しい声。
「俺の仕事は、仕事中以外は口癖みたいに眠い眠い言ってるくせにいざほっとくと寝るどころかひとりで突っ走って無茶するリーダーのサポートだからな」
「そんなに無茶をしてるつもりはない」
反論の言葉は、肩を抱くのと反対の手で額を叩かれることで封じられる。
叩かれると言っても……軽く音が鳴る程度で、ろくに痛くもないような強さで。
「自覚がないまま無茶するからほっとけないんだろうが。今回の一件、まさかもう忘れたんじゃないだろうな」
そう言われると反論のしようがない。
確かに、サカキ博士やツバキさんから緘口令を敷かれていたとは言えリンドウさんの一件を誰にも、ソーマにすらも話さずに一人で何とかしようとしていたことについては後々、アリサからもコウタからも散々責められた。
自分では無茶をしているつもりなんて全くなかった……二人から、無茶をしすぎだと叱られるまでは。
「それに……胃が痛いとか寝る時間がなくなるとか言ってるお前を休ませてやれるのも俺だけ、だろ。俺が他所の部隊長なんかになってみろ、藍音がどんなに疲れててもそれに気付いてやることさえ出来なくなるかもしれねえ」
肩を抱いた手が、ぽんぽんと優しく肩を叩く――確かにこうして、ソーマと過ごせる時間が私の数少ない安らぎの時。
地位とか名誉とか、そんなものよりもソーマは私を……なんて、それは自惚れかも知れないけれど。
「とにかく。藍音が隊長やってる限り、俺が第一部隊から離れることはない」
「分かった、ツバキさんにもそう伝えておく。それと……」
今度は私から腕を伸ばし、ソーマの身体にしっかりと抱きついた。
この暖かさが、私にとっては一番心地いいもの……ああ、確かにこのぬくもりからはそう簡単に離れられそうにない。
「……ありがとう」
「感謝してるんなら暫く無茶はするな」
まるで子供に言い聞かせるようにそう言って、ソーマの掌が今度は私の背中を叩く。
柔らかなぬくもりに身を委ねるように私はゆっくり目を閉じる……
「また眠いのか」
「そうじゃない……まあ、このまま寝るのも悪くはないが」
呟いた言葉がとても嬉しそうだったことに、呟いた私自身が一番驚いていた。
……やっぱり私はまだまだ、ソーマからは離れられそうにない。