センリは主のいない寝室で一人、暇を持て余していた。
 真新しい布団の上に、大の字に体を投げ出したまま、ぽけーっと天井を眺める。その右手には、今日手渡されたばかりの額当てが乗っていた。本当にポンと、無造作に。
 センリの額当ては、(この屋敷のセキュリティを掻い潜れるなら、と頭につくが)泥棒どころか、野良猫でさえ易々と盗っていけるぐらい無防備な状態を晒していた。その扱いから分かるように、センリにとってこの額当てはそう重要なものではなかった。尤も額当てを紛失したら再給付に三千両掛かるし、きっと養父も呆れかえるだろうから、紛失しても良いとまでは思っていない。
 額当ては“幾つ紛失しても構わない消耗品”とまではいかないものの、“唯一無二の貴重品”とは言い難い。少なくともセンリにとっては特定の里に属する者か否か、抜け忍でも一般人でもないのならどこの里に属する者か判別するための“道具”に過ぎなかった。大抵の忍にとって、額当てなど所詮その程度のものだ。卒業試験を通過した達成感に酔いしれる子どもらも、じき我に返る。
 そう考える――アカデミー卒業という晴れの日にも拘わらず、家で独りゴロゴロしてる――センリは“平均”より冷めているのかもしれない。でも、決して“平均”から逸脱しすぎてはいないはずだ。平均より優秀で、異端というには凡庸すぎる。センリはそういう子どもだった。
 だからこそ、“あの落ちこぼれ”が何故そこまで額当てに執着するのか理解出来なかった。
 センリは先ほど目にした光景を思い返すなり、掌にあった額当てを払いのけた。額当ては自らの重みで敷布団の端から滑り落ちて、畳の上で暇を持て余す。センリみたいに。

「久々だったから、ちょっと疲れた」
 言い訳っぽく口にすると、センリはゴロンと寝返りを打った。
 もぞもぞ布団のなかに入り込もうとした拍子に、枕が頬を擦る。ツンと鼻をつく湿布の匂いと、整髪料の苦い匂い。枕カバーからほんのり漂う芳香に気付いて、センリは枕に顔を埋めた。
 部屋の主――養父はセンリの知る限り最も忍として優れた人物である。耐え忍ぶ者の代名詞であるからして、無論影も体臭も薄い。ついでに言うと、センリに対する関心も薄い。
 アカデミー卒業という晴れの日に、センリが一人ぼっちなのも養父が子どもの情操教育に無頓着だからだ。昔気質融通の利かない養父は、里が大騒ぎのなか養女の卒業おめでとうパーティを開いてくれるような人物ではない。センリはそういうサービス精神に欠ける養父が大好きだった。
 何故と問われれば、センリ自身もよく分からない。二人の関係を知る人間もセンリの好意を知ると驚くし、何なら養父もセンリの好意を気味悪がってる節がある。まあそりゃ、仕事から帰ってきたら自分の部屋の自分の布団のなかで血縁関係にない子どもが枕に染みついた自分の体臭をふんふん嗅いでいるのだから、ちょっとキモいのかもしれない。寝間着に着替えた養父がたった今開けたばかりの襖を真顔で閉めたのも一度や二度三度四度ではなかった。多分百回ぐらいあった。
 それでも、多分養父も内心ではセンリが可愛いのだと思う。思うっていうか、そうじゃなきゃ普通に家を追い出してると思う。絶対生理的に受け付けられないとかなったら追い出してる。おじさまってそういう顔してる。なんか母乳でさえ気が向かなきゃ飲みませんって感じの顔をしてる。
 乏しい体臭をすんすん確かめながら、センリは思った。既にさっき見たものは大分如何でも良くなっていた。封印の書が盗まれたとか、ナルトが影分身を会得したとか、ミズキ先生が捕縛されたとか何もかも如何でも良い。ナルト? アカデミー卒業おめでとー! よかったね!
 養父の香りに包まれて、センリは安らかな気持ちでナルトを祝福した。
 当初は「自分の卒業祝いを阻んだ馬鹿を殺してやる」と、“霊化の術”を使うほどに怒り狂っていたのだが、枕のおかげで大分気持ちが癒された。単にチャクラを使って疲弊しただけとも言うが、兎に角“養父の残り香”というレアアイテムさえあれば一週間はぼっち寝に耐えられる。良かった良かった! と自己完結したセンリが、枕を抱えたままパッと飛び起きようとした。魂は半分ぐらい出たけど、疲れ切った体は重く、センリの気持ちに反して布団の上に転がったままである。何とか起き上がろうとしたものの、長時間の霊化の術で草臥れた体は言うことを聞いてくれない。枕を抱えたままモゾモゾを体を動かすこと凡そ三十分、ついにセンリのいる部屋の襖が開いた。
 スッと開いた襖の向こうに立つ人物は、たった今開けた襖をスッと閉めたそうな顔をしていた。

「……何をしている」
 一応聞いとくか、という調子である。
「あの」枕を後生大事に抱いたまま、口ごもる。「おじさまの布団を温めてます!」
 “おじさま”こと志村ダンゾウ、またの名を陰険ダークネスクソ野郎(と言ってる中忍を、日課の霊化散歩の最中見かけた。その内殺そうと思う)という男は僅かに眉を寄せて、ため息をついた。

「当然のことではあるが、卒業試験合格大義であった」
 養女が自分の布団に潜り込んでいる現実は、この際無視することに決めたらしい。

「今後もこの調子で、下忍として日夜里の為に励むことを期待している」
「ねえ、おじさま」
 ダンゾウの台詞が終わるや否や、センリはきょとんと小首を傾げた。
 かわいこぶって、人差し指を唇に当てているものの、おっさんの枕を嗅いで歓喜していた事実は消えない。おっさんもそれを分かっている。センリは自分の容姿に非常に自信を持っており、事実同級生たちも彼女のことを美少女であると認めていたが、おっさんはロリコンではない。
 ちなみにセンリに友だちがいないのも、彼女が養父のおっさんを愛しているからではなかった。
 陰険ダークネスクソ野郎ダンゾウに育てられたセンリは容姿だけではなく、炊事洗濯裁縫忍術体術基礎学力その全てにおいて優れていた。それにも拘わらず、彼女にはただの一人も友達がいない。産まれてこの方友達を作ったことがない、ぼっち界のエリートである。何故といえば、センリは基本的にダンゾウと自分以外の人間は全員馬鹿だと思っていたし、馬鹿と関わり合いになる暇があるなら養父のおっさんの布団にくるまってゴロゴロしてるほうがずっと世のためになると思っているからだった。実際こういう馬鹿がのさばると世の風紀が乱れるので、彼女の選択はそう間違っていない。兎に角センリの同級生は皆センリが性格ブスだと知っていた。

 この養父子を見ていると、情操教育の大切さが分かる。
 尤も過ちを犯すひとの常で、本人たちに自覚症状はなかった。ダンゾウはセンリの性格に難があることを“自分の布団に潜り込むことよりかは大した問題ではない”と考えていたし、いっそ美徳だとも思っていた。実際センリは“平均”よりずっと頭が良いのだ。必要最低限のコミュニケーション能力があるのだから、同年代の子どもを軽んじようと、馬鹿にしようと、センリのやりたいようにやらせておけばよい。ただ堂々と自分の寝室に忍び込むのは控えて欲しい。ダンゾウは元々子ども好きな人間ではないが、センリについてはこと放任主義を極めていた。
 ダンゾウの誇る暗部養成部門“根”には、頭の良い忍も優秀な忍もいて、血継限界をはじめとする貴重な血筋を引く忍も少なくない。その豊富な手札において、誰からも警戒されない“普通の子ども”はセンリ一人である。センリもそれをよくよく分かっていて、ダンゾウに甘えるのだ。センリは度を越えた放任主義の下で長じてきたが、決して我儘なだけの子どもではなかった。
 アカデミーを卒業するまでは準備期間。センリという“ダンゾウを慕う普通の子ども”の真価はこれから発揮される。喩え自分の枕をくんかくんかしてても、捨てるには惜しい。惜しいか?

「おじさま、ほんとーおにナルトを里の外に出してしまって良いの?」
 甘えた口調で、センリが微笑う。
「だって、幾ら下忍とはいえ里外任務を一切回さないではいられないでしょう。ナルトだけなら兎も角、下忍はスリーマンセルでの行動が大原則。落とし物探しとか子守りとか、そんな任務ばっかり請け負ってて、一体誰が中忍試験をパスすることが出来るの? おやさしくって誰にでも平等な三代目は、一人のために他の可能性を潰したりしないわ。絶対にしない」
 養女の真っ当な指摘を聞いて、ようやく席を同じくする気になったらしい。
 ダンゾウは一歩前に踏み出してから、上体を捻って自分たち以外の気配がないことを確認する。有りえない――元々間諜対策に気を使っている上、人並み外れて他人の気配に敏感なセンリが平然としている――ことと分かっていても、どこにいても警戒を怠ることは出来なかった。それでもセンリがいる分、多少は気を抜いている。ダンゾウはセンリ個人の嗜好は兎も角、その感知能力と素直さには信頼を寄せていた。要するに彼はセンリのことを“御しやすい馬鹿”だと思っている。
 ダンゾウは唯一自由の利く左腕を使って、後ろ手に襖を閉めた。それから、やはり音もなく数歩前に進んで、その場に膝をつく。ふーっと長い息を吐いてから、右肩を揉み解した。
「そうだろうな。ナルトを里外に出さないといった選択肢はまずないだろう」
「そうよね、そうよね。なんて理想的に、そう考えなしなのかしら」
 まるでクイズにでも正解したかのように、センリがはしゃいだ声を出した。
 頑張って身を起こし、自分から離れたところに腰を落ち着けたダンゾウの下ににじり寄る。
「ナルトを里の外に出せば、あの子のなかの九尾を狙う他里の者にとっては絶好の機会となるでしょう。事が起こったら、三代目は、如何するおつもりなのかしら。上っ面だけの国家間の同盟を信じて、あとは頼りになる上忍師をつけておけば、それで大丈夫って思うんでしょうね」
 未だに枕を手放そうとしないセンリは、養父の同意を得て興奮気味に言葉を続けた。
「困ったことになってしまったけど、おじさま、一体如何なさるの?」
「さあな。まあしかし、お前も下忍になって早々ご苦労なことだ」
 さすっと、センリの頭をなにかが霞めていった。センリはポカンとした。
 珍しいことに――いや有史以来初の快挙である。ダンゾウがセンリの頭を撫でた。撫でたというか乗せた。腕を動かしたらうっかり乗ったというほうが正しいかもしれない。センリの頭に触れている時間より、滞空時間のほうが余程長かった。撫でたという表現は適切ではない。
 畳の上に這いつくばったまま、センリはワナワナと身を震わせた。
「お、おじ! おじひゃま!」
 神も御照覧あれ。ついに養父が自分のかわいさに屈した。アカデミー卒業など、それに比べれば些細なことだ。今日のことはナデナデ記念日として永遠にセンリの記憶に残るだろう。ミズキ? 誰だっけソレ。え? ナルトがなに? そんな奴もいたね。ダンゾウの膝に縋り付いたセンリは蕩け切った笑みで「おじさま! おじさま!」と繰り返しダンゾウを呼んだ。
 甘ったるい声音で呼ばれたダンゾウは、“かわいい養女”を冷静かつ無造作に見下ろした。


「うちはの生き残りと九尾の子ども。無論“根”からも一人つけるとはいえ、下忍になって早々二人の人間を監視することとなる。幾らか荷が重いかもしらんが、ワシの期待を裏切ってくれるなよ」
 センリの“この世の春”はものの五秒で瓦解した。
おじさまと一緒
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -