乱文倉庫
 菊地原士郎という少年について思いはせた時、きよらの胸中には言葉にしがたい感情が湧いてくる。
 そうした感情は郷愁とも悔悛ともとれる切なさで、きよらの五感を絞めつけるのだった。にわか雨で湿った路面の臭気や、渡り廊下の薄い屋根を鳴らす雨垂れ。何か生き物が棲息しているのかも分からないほど濁った三角池。砂利が敷き詰められたグラウンドで弾むボール。体育館前のホールで「あぶくたった……」と重なって、響く声音。
五時きっかりに流れてくる鐘の音に敏感だったのは、もう随分昔のことのように思う。

 子供の頃を思い返して、きよらは“愚鈍な子供だった”と過去の自分を繰り返し蔑む。
 自分のことしか考えていなかったし、世の中には好きとそれ以外しかなくて、そうした自分の価値観に忠実だった。四年前に死ねばよかったのにと、眠る前にふっと浮かぶことがある。
 名前を呼ぶだけで全部伝わると思っていた。
 あまりに幼くて、その胸奥に渦巻くものに自分の知らない感情があるとも思わなかった。
 長い髪で覆われた耳朶に、どれほどの悪意が触れるか考えたこともなかった。

 菊地原とは四年前から殆ど言葉を交わしていない。
 自分たちの間に何があったかは誰も知る由はないし、きよら自身も覚えていない。いや、覚えていないというのは嘘で“覚えていないということにしておきたい”のだ。そうして積み重なった嘘が、きよらの記憶を混濁させる。
 この世界は全部嘘。四年前から、きよらはずっと鏡のなかで暮らしている。きよらの五感は本物じゃない。この世界は全部夢。本当じゃないから、何があっても辛くない。夢のなかだから、“こうでありたい”と望む自分として振る舞える。何もかもが上手くいくわけではないけれど、そう思い込むことで気持ちだけは楽になる。勿論、きよらだって本気で「この世界は全部嘘。ここにいる私は本当の私じゃない」と思っているわけではない。そう胸奥に繰り返してみたところで、鏡についた手は生々しい冷たさを感じているし、頭のどこかでは「急がないと、また遅刻する」と確り現実を見つめている。この世界は全部嘘と思ってみたところで、それを頭から信じ込めるわけではない。ただ、そう思うことで自分を許すことが出来る。
 そうした誤魔化しを施すことで、菊地原に拒絶された自分を許して、愛することが出来る。

 自分を呪いながら生きることは苦しいものだ。自分はここにいるのだと分かっていても、時折五感が混濁することがある。両親とは不仲ではない。友達もいる。きよらは孤独ではない。それなのに、菊地原以外では気持ちが紛れない。

 四年前、第一次侵攻のあと、きよらは菊地原のことが好きだと思った。四年前のことだ。
 多分もうこれは恋ではないのだろう。大好きなしろーくんに拒絶された自分がきらい。四年前に死ねばよかったのにと思う。木虎と話してて楽しい。太刀川や当真とじゃれていて、楽しい。そうした幸福感の裏側で、自分の下した結論を思い出す。自分可愛さに見殺しにしたものを思い出す。菊地原が自分を見限った理由がそこにあるのではないかと、繰り返し考える。その薄寒い自己嫌悪から逃れるために、菊地原への恋情に縋っただけだ。私は悪くない。いつかきっと、しろーくんも分かってくれる。私を許してくれる。

 あんなに、しろーくんが好きだったのにね。

 もう少しで菊地原が自分を見限ってから、五度目のクリスマスが来る。

 クリスマスはきよらの誕生日だ。クリスマスも終わりかけの晩に、菊地原と長電話するのはきよらの楽しみだった。今度のクリスマスで、菊地原に祝ってもらったことより、祝ってもらえなかったことのほうが多くなる。これからもずっと、一つ年を重ねるごとに“たった四年”になってしまうのだろう。
 空っぽの犬小屋を見るたびに、きよらは四年前の選択を思い出す。逃げ惑う人々と得体の知れない轟音と、靄のように立ち込める土煙。菊地原の手を振り切って、走っていくべきだったと思う。
 きよらが産まれた時から共に育ってきた飼い犬。幼い退屈と淡い孤独感の傍らで常に寄り添ってくれた、たった一匹の家族。避難警報が解除されて戻ってきた時には、瓦礫の下で冷たくなっていた。
 四年半前の第一次侵攻の被害者は千二百人弱。メディアが報じる被害規模に、きよらが最も愛した“家族”が含まれることはなかった。幸いにしてきよらの家は塀の一部が壊れただけで、両親共に無事だ。きよらは下腹部に深い裂傷を負ったが、傷が残った以外は後遺症もなく快癒している。被害の内に数えられるほどの不幸は、存在しないだろう。
 鎖の先の死体と、蛆の蠢く様への本能的な嫌悪感。抱き寄せようと差し伸ばした手がのっぺりとした毛並に触れる前に地に落ちて、喉元に胃液がこみ上げてくる。地面にうずくまって嘔吐するきよらの脇で、その死骸を箱に詰めたのは菊地原だった。
 十年ずっと一緒に暮らしてきた飼い犬だった。留守がちな両親と、その間自分の面倒見てくれた祖母との折り合いの悪さのなかで、飼い犬だけがきよらと一緒にいてくれた。菊地原との縁を繋いでくれたのも、この犬だった。ママとパパがいなくても、  がいるから平気。十年ずっと自分を愛して寄り添ってくれた愛犬が、一人ぼっちで瓦礫の下敷きに、もう少し長いリードだったら――きよらが、家に戻ってきていたら。

 いぬねこ霊安室のなかに、棺桶代わりの箱が山と積まれている光景をきよらは忘れないだろう。
 きよらは身内の誰が死んだわけでも、家が壊れたわけでもない。それでも、近界民は確かにきよらの未来を摘んでいったのだ。きよらは近界民を許さない。恐怖に竦んで動けなかった自分を許さない。
 変わらず留守がちで、三門市外で働く両親は娘の安全のためにも引っ越しを提案したが、きよらは三門市から出ていく気は毛頭ない。自分の気持ちを慰めるための飼い犬も、もう要らない。

 きよらが欲しいのは、たった一人だけだった。
 その人のためなら、圧倒的な脅威を前に一歩踏み出すことが出来る自分でありたい。自分可愛さに大切なものを見殺しにするぐらいなら、今度こそ自分を殺すための覚悟が欲しい。
 菊地原がきよらの手を繋ぎとめる。その瞬間に、きよらの鈍い五感は恐怖を認識する。自分を呼ぶ声に、きよらは自分で選んだのだ。死にたくない。しろーくんと、一緒にいたい。きよらは菊地原の手を振り払わなかった。あの瞬間に、自分のなかの天秤ははっきりと傾いていたのだと、きよらだけが知っている。その薄情さと、自分の浅はかすぎる恋情を思い出す度に吐き気がする。
 自分の胸のなかでうつくしかった初恋が潰えたのは、それを突き放した菊地原でもなければ、近界民でもない。
 轟音と土煙のなか、己を引く手の温もりのためだけに、きよらは自分の初恋を踏みにじったのだ。

 尤も“十五歳になりたくない”とは思ったが、他人から祝われたくないわけではない。
 記念すべき十五回目のきよら誕がフリーになったのは、何か悲劇的な理由があるわけではない。単に親しい相手の殆どの予定がクリスマスに塗りつぶされるからだ。
 貿易会社に勤める父親は去年から中国に単身赴任しているし、母親は母親で、クリスマスは毎年自分の所属していたバレエ団のクリスマス公演を手伝うことになっていた。その上、今年はクリスマス公演が終わってから中国に渡り、父親の下で年末年始を過ごす算段らしい。勿論きよらも誘われたが、防衛任務を理由に断った。そもそも、母親はきよらが三門市に拘る理由を知っているので、そうしつこく誘われたわけでもない。
 母親にとって、頭の出来はさておき、かつてはプリマバレリーナとして活躍した自分に、容姿も才能もよく似たきよらは相応に可愛い。今は中国で暮らす父親も、一人娘を溺愛している。可愛く育った娘が、特に美男というわけでもない幼馴染に懸想しているのは両親共に面白からぬことらしい。特に母親は、きよらがバレエを辞めた理由が菊地原にあると思って、未だにそれを根に持っている節が見受けられる。ただ自分たちが放任気味なのが後ろ暗いのか、きよらの生活の殆どをきよらの好きに任せている。どうせ、その内菊地原に彼女でも出来れば気も変わるだろうと思っているのだ。両親は放任気味であることを加味しても世間一般的に善良的な人間ではあるが、如何せん娘の価値観が自分たちと同じく、世間一般のそれと同じであると信じて疑わない。

 子供の頃から、両親はきよらに様々なものを買い与えてくれたが、そういった貢物がきよらの心を捕えることは稀だった。フランス製のビスクドールは単に不気味なだけだったし、エナメル革の靴は木登りに不向きだった。今も昔も両親は好いているけれど、ごってりとクリームの乗ったケーキをワンホール渡された時にはほとほと嫌気がさした。両親は善良できよらを愛してくれる。でも、両親は自分たちの夢があまりに立派で、運よくその“夢”を実現させることが出来たから、それに割いた時間の“余り”でしか我が子を愛せないのだ。だから両親はきよらがツチノコやネッシーなどのUMAが好きで、家のなかでピアノを弾くよりも外をうろつくことのほうが好きなのだと知らない。自分たちの“可愛い”きよらは、レースやリボンのワンピ―ス、高価なビスクドールを本心から喜ぶような世間一般の女の子像を体現した“女の子”だと思っているのだろう。
 きよら自身も、可愛いものは嫌いではないし、例え自分が喜ぶものを与えてくれなくとも、貢物が両親にとっての愛情なら、それを嬉しいと思うのは嘘ではない。そして、なまじ自分が喜んでしまうから、一層両親の思い込みが解けることもないのだと、納得はしているのだ。両親のことは、愛している。
 愛しているけれど、十一歳の誕生日プレゼントに子犬を連れてきたことは、一生涯許さないだろう。

 きよらにとって第一次侵攻で喪った飼い犬は、可愛い自分を引き立てるためのアクセサリーでも、自分の気持ちを慰めるための愛玩物でもなかった。それなのに両親は庭で半分潰れかかった犬小屋を考慮することなく、世間一般の女の子が喜ぶような、とびっきり可愛い小型犬を連れてきたのだった。
 藤製のカゴのなかで何も知らずに尻尾を振る子犬は、その日の内に親類に貰われていった。

 きよらが両親からの贈り物を無碍に扱ったのは、それっきりだ。
 ただ、毎年毎年置いて行かれる誕生日のご馳走は、申し訳ないが捨てることにしている。食べ物を捨てることに罪悪感がないではないが、娘一人の夕飯にパーティサイズの惣菜を数種類買ってくるのはどういった料簡かと不思議になる。誕生日の朝に冷蔵庫を確認すると、どう軽く見積もっても四人前はあるスモークサーモンのカルパッチョや、ローストビーフ、アクアパッツァ……横文字のクリスマスメニューが冷蔵庫を占拠している。山のようなご馳走のなかには、当然のように凝った包装のホールケーキも含まれる。普通の子供なら少なからず嬉しいと思うのだろう。きよらも、まあ、母親が自分のために買いそろえてくれたのは嬉しい。家に友達を招いても困らないようにと考えての量なのだろうとも、薄ら分かる。しかしきよらは洋食より和食を好んでいるし、過度の甘味は好いていない。チーズケーキならまだしも、母親がきよらのためにと買い求めてくるものは、生クリームがふんだんに使われた“可愛らしい”ケーキと相場が決まっている。
 きよらの友達の殆どは同じく中学生なのだから、彼女たちがクリスマスを家族と共に過ごすだろうことはちょっと考えるだけで見当がつきそうなものだ。そこを考えずに、世間一般で“良い”とされているものを揃えるのがきよらの両親のやり方だ。きよらは、それを批難する気はなかった。きよらが、生クリームの乗ったケーキが嫌いで、川で遊んだり、木登りしたりするのが好きなのは、両親のせいではない。きよらがもし少しでも両親と同じ価値観を持ってたなら、両親から与えられたものを心から喜ぶことが出来ただろう。
 価値観の相違を感じているのはきよらだけではないし、その隔たりを縮める気がないのは両親だけではない。両親が自分の夢を愛するように、きよらだって菊地原と飼い犬以外のことは如何でも良いのだ。

 リビングには幸福な家庭らしいクリスマスの飾りつけが施されているが、これから二週間ばかりの間、きよらは一人暮らしも同然となる。ボーダー本部基地から帰ってきたら、きよらがこの飾りを外すのだ。


「何か不満なのか」
「いいえ、でもやっぱり今日の訓練は人が疎らでしたね」
「地形踏破訓練は普段から少人数だろう。入隊式から暫くは賑わうがな」
「ま、確かに訓練室やランク戦のロビーの人出は相変わらずでしたね。みんな暇なんだなー」
「それを言うなら、おまえもだろう」
「先輩もね。古寺くんも家族で出かけるとか言ってたけど、案外デートかもですよね」
 先輩、寂しくなっちゃいますね。そう小首を傾げてみせたが、奈良坂は呆れきった視線で一瞥するだけだった。

「あ、ちょっとコンビニ寄って良いですか?」
「また無駄遣いか」
 今年度前半いっぱい掛けての大喧嘩で少しは反省したはずなのに、きよらの私生活に全く口を挟まないではいられないらしい。一体いつきよらが奈良坂の前で無駄遣いしたのか問い詰めたい衝動を飲み込んで、きよらは煌々と光る店内に足を踏み入れた。
「夕飯でも買ってこうって思っただけですよ。こんな遅くなっちゃって、自分で作るのめんどくさいし」
「……クリスマスだぞ」
 あ、やば。きよらは、自分の失言に気付いて、慌てて言葉を付け足す。「クリスマスだなんだ、馬鹿馬鹿しいじゃないですか。そもそも、そんなこと言ってたら訓練にだって顔出しませんよ。もう十五歳だし、私が一人で良いって言ったんです。だって先輩だって、A級に上がるよう努力しろって言うじゃないですか。そこで冬休みいっぱい上海行って、」これはこれでヤバイ気がする。「あっ、季節限定のたけのこの里が!」
「今日が誕生日か。緑川から貰ったのはクリスマスプレゼントじゃなく、誕生日プレゼントか」
 奈良坂を連れたまま、緑川の呼び出しに応じたのは間違いだったかもしれない。いや、別に奈良坂に自分の誕生日を知られたくないわけでも、特に隠していたわけでもないのだけれど、このタイミングで思い出して欲しくはなかった。

「行くぞ」
「ど、どこ行くんです。つーか先輩、ちょっと」
「ファミレスは、まだ開いてる。誕生日なんだろう? 食事ぐらいなら奢ってやる」
「私、同世代の男に奢られるの大嫌いだって前も言いましたよね」
「……誕生日ぐらい、プレゼントだと思って許容できないのか」
「プレゼントと奢りは別物です。そもそも、今日はクリスマスですよ」
「それが如何した」
 間違いなくカップルに間違えられる。きよらと奈良坂は単にボーダー基地での訓練を終えて、連れ立って帰っているだけなのに、クリスマスデートの帰りなのかしらとか思われるに違いない。絶対に嫌だ。死んでも嫌だ。奈良坂は、この聖なる夜に異性と二人きりで行動することが何を示すか全く分かっていない。そもそも恋情と同情の区別もつかないような男だ。そんな男とカップルに間違えられるぐらいなら、舌を噛んで死ぬ。
「いらっしゃいませ。何名様ですか」
「二名」
「わかったわかりました、待って、私今外食する気分じゃないんです!!!!」

「じゃあ、うちに来るか。親に」
「やめて」
 おまえは、自分の両親さえも自分と同じく鈍感な生物だと決めつけて生きているのか。
 単なる後輩に過ぎないのに、奈良坂の母親か父親から「息子がクリスマスに彼女を連れてきた」などと思われたら、そのぐらいだったらファミレスに入るほうがマシだ。しかし外食したくないと宣言してしまった手前、やはり先ほどのファミレスに入店しようと切り出すのは躊躇われる。何よりも、きよらはフツーに奈良坂と別れて、コンビニ飯を食べて、クリスマス飾りを外して寝るだけのことを望んでいるに過ぎないのだ。ほんの五分前までそうなると信じて疑わなかった未来が手に入らないわけがない。
「……急な来客は陽介で慣れてる。それに三輪や章平も、たまに寄っていくしな」
 そら米屋先輩や三輪先輩、古寺くんはね!!!!! 息子が同性の友達を連れてきたからって「あら!」って色めき立つ親がどこにいるんだ。それとも、おまえはホモなのか。既に古寺くんを自分の恋人として両親に紹介しているからこそ、この聖夜に平然と自宅に来るよう誘えるのか。そら両親もホモの息子が女連れてきても勘ぐったりしないでしょうね。スマホ片手に不機嫌丸出しな奈良坂を前に、きよらはワナワナとその身を震わせた。何が腹立たしいって、奈良坂が“またきよらが駄々をこねている”と思っているらしきことだ。きよらは十五歳の良い年した女子で、奈良坂だって彼女の一人二人いて可笑しくない年齢の男なのだから、少しは自分たちが一緒にいて周囲に如何思われるか、ひと目を意識して然るべきだ。きよらが自意識過剰なわけでも、気にしすぎなわけでもないと思う。奈良坂がマイペースすぎるのがいけないのに、奈良坂は自分が正しいと思って疑わない。自分が正しいと言わんばかりの堂々とした態度を前にすると、自分のほうが間違っているのではないかと思わされる。そして流される。このままいけば、間違いなく十五歳になって初の夕食を奈良坂家で迎えることになる。絶対に嫌だ。十五歳になんて、ならなかったら良かった。助けて、しろーくん。

 奈良坂の腕にしがみついたまま、きよらは悶々と考えた。
「夜遅くに他人の家を訪ねるのに気が咎めるなら、陽介でも呼ぶか?」
 なんで米屋先輩、そんなおまえんち行ってるの? 単に同い年で、友達と言える人間が米屋先輩だけなの?
 平素の奈良坂であれば、ここまで食い下がったりはしないはずだ。きよらが駄々をこねていると判断した時点で“なら好きにしろ”とそっぽを向いて、きよらの反省を促そうとする。誕生日でクリスマスだと言うのに、祝ってくれる家族がいないのが余程可哀想に思ったのだろう。馬鹿げた失言をした。
 吉野家でもあれば事態は解決するのだが、生憎と見当たらない。果たして、如何すれば奈良坂はきよらを放っておいてくれるのだろう。そして、如何したら誰からも「クリスマスに一緒にいるなんて、きっと恋人同士なのね」などとふざけた誤解をされずに済むのだろうか。
「……疲れてるんです。早く寝たいんです」
 奈良坂は合点がいったという顔で、「ああ」と相槌を打った。
「どうせ明日も基地に行くだけだろう。泊まっていけばいい」
「分かりました。私が十五歳の誕生日に一人で可哀想だって思うなら、先輩がうちに来てください」


『他人のことにとやかく言いたくないけど、鈴原も年頃なんだからさ』
 緑川が遠ざかるや否や、古寺が肩を竦めながら口を開いた。
『親が留守がちだから友達を招くのに便利だって意識があるかもだけど、誰もいない家に男を招くのは、ちょっとは気をつけなよ。今は良くても、ちゃんと防犯意識つけとかないと後々後悔するからね』
 奈良坂や米屋・出水と違って、きよらにとっての緑川は“異性”ではない。そらたった一歳年下なだけだから、子供扱い出来る年齢差でないのは分かっているが、迅さん迅さんとはしゃいでいるばかりで色気づく様子のない緑川を警戒する必要はまだないだろう。きよらはそう思っているのだが、古寺はそうは思わないらしく、きよらが度々緑川を家を招くのに小言を漏らすのは珍しくなかった。古寺が気を付けろと言うのだから、まあ従うのはやぶさかではないし、緑川はもう仕方がないとしても、一人きりの家にホイホイ男を上げるのは止めておこうと思ったのも記憶に新しい。なのに、また奈良坂を家にあげてしまった。

 火に掛けたフライパンを弄る奈良坂の横顔を顧みて、きよらは深くため息をつく。
 まあ、奈良坂先輩ならノーカンでしょ。古寺くんも、奈良坂先輩なら「それはしょうがないね」って言ってくれるでしょ。敗北感と後ろめたさからブツブツ呟いていると、背後から声をかけられた。
「皿をくれ」
 はいはいと皿を片手に振り向いたきよらはフライパンのなかの物体を見て、盛大に噴出した。
 きよらが「自分で作るのはめんどくさい」と言ったのを記憶していた奈良坂の主張で、奈良坂が作ることになった時点で「本当に大丈夫か……?」と思っていたのだが――フライパンのなかで湯気をたてるお好み焼きは見事にぐちゃぐちゃだった。何が「お好み焼きなら調理実習で作ったことがある」だと言いたくなる気持ちをぐっと堪えて、いや噴出した時点で堪えられなかったのだけれど、きよらは食器棚にもたれかかって小刻みに体を震わせた。奈良坂はきよらとフライパンの惨状とを交互にみると、じっとりと眉根を寄せた。
「中まで火は通ってる」
 流石にバツの悪そうな声に、きよらは悪いことをしたなと思った。
「いや、まあ」きよらは食器棚から身を起こすと皿を差し出した。「自分以外が台所立ってるの見るのも、」
 新鮮っていうか。そう言いかけて、二人の間に微妙な空気が流れた。今日は失言ばかりだ。
「あと私がやりますよ。お箸とか、グラスとか出すだけだし。先輩、テーブルついててください」

 きよらは別に可哀想なわけではない。
 同世代の女子と比べてか弱いわけでもない。
 寧ろきよらは恵まれているほうだし、女子のなかでは逞しいほうだ。痴漢や露出狂相手にも平然と追い払えるし、怪我をしても、痛いには痛いが「おあー」と思いながらも冷静に対処出来る。他校生に告白されたという友人の代わりに断わりに行ってやることも珍しくないし、後輩がナンパされて困っているのを見ると割って入ることもある。背も高いほうだから、後輩からは「鈴原先輩かっこいい」と言われることも珍しくない。女子校でのそうした評価は、容姿の如何よりも言動に左右されるものだ。だから木虎なんかは内面の凛々しさも手伝って「綺麗」と形容されるが、運動神経以外に取り柄もなく、根が図太いきよらは「かっこいい」とか「男前」と評される。そうした評価は女ばかりの校内ではまあまあプラスに働くこともあるが、要するに“女としての可愛げに欠ける”ということだ。きよらは自分の容姿に対してそれなりの自信を持っているし、“私は可愛い”とも思っている。それは飽く迄自分の主観であって、客観的に考えた時にはまあ「可愛いタイプじゃないんだろうな」と思う。A級三馬鹿の態度を見ていても、一緒にいてドキッとされるような女子でないのは明らかだ。出水からは「次におれのAVの趣味にとやかく言ってきたら、おまえの性別はイソギンチャクだと思うことにするからな」とまで言われる。流石のきよらも先輩として慕う相手からイソギンチャク扱いされるのは嫌なので「だって年上ものばっかり好んで観るから……」とは言わなかった。

 なんだかんだ女子だから、他人から可愛いと思われたい気持ちはある。
 でも、同情心や、自分より劣っているからといった理由で可愛いと思われるのは嫌だ。
 冷蔵庫からパーティサイズのシーザーサラダのパックを取り出すと、きよらは冷え冷えとした棚に詰まった“愛情”を眺めた。きよらは決して不幸ではないし、恵まれているほうだと思う。
 それでも、寂しいのは事実だ。子供の頃からずっと自分を一番に愛してくれない両親の背を見送るばかりで、母方の祖母だってきよらよりも頭の出来の良い従兄を愛していたし、そもそもにして面倒を掛けるばかりの次女には内心辟易していたのだろう。自分の幼少時を振り返ったときに幸福感しかないのは、きよらが一番に求めていたのが両親でも、祖母でもなかったからだ。本当の意味での家族は、たった一匹だった。

 私を可哀想だと思って、大事にして。か弱いのだと見下して、守って。私を一人にしないで。
 そうした“甘え”が自分のなかにあることも、きよらは薄々理解していた。飼い犬を見殺しにしたのも、菊地原に見限られたのも、突き詰めてしまえばあまりに利己的過ぎる他者への甘えの故だ。その甘えを消すことが出来なかったと自己嫌悪が増さずに済んでいたのは、自分の甘えを受け止めてくれる人がいなかったからだ。誰か、自分の甘えを許容してくれるような人が出来ないよう、きよらは常に他人との間に線を引いてきた。自分に好意・関心を持って優しくしてくれる人より、自分に興味のない人のほうが好きだった。自分で自分を客観視した上で非難するより、他人から非難されるほうが楽だった。自分が縋ったときに冷たくあしらってくれる人のほうが、きよらにとって都合が良かった。自分へ向けられる好意なんて、きよらは要らない。

 きよらが欲しいのは、たった一人だけだ。菊地原から向けられる好意以外、如何でも良い。
 ボーダー隊員になったのも、A級隊員を目指すのも、全部菊地原のためだ。早く菊地原と同じA級隊員になって、近界遠征を目指せるような高位の隊に入りたい。きよらが未だにどこの隊にも所属していないのは、生半可な強さの隊員とチームを組みたくないからだった。下手にB級隊に所属して、ランク戦を勝ち上がっていけるかなんてわからない。きよらはチームの絆を深める気はないし、一緒にA級を目指して頑張ろうなんて友情ごっこに興じる気もない。風間隊と同程度の強さのない隊に興味はない。きよらの目指すものは、そこにある。スナイパーという役職を選んだのも、各役職のなかで一番素質があったからだ。
 早くA級に上がりたい。そして菊地原と“幼馴染”以外の縁を作りたい。菊地原に見直して貰いたい。
 奈良坂との師弟関係を続けてきたのも、単に彼がスナイパーとして最も優れているからだ。きよらが奈良坂との師弟関係を続けているのに、それ以外の理由はない。ない、と思う。

 大切なもののために、圧倒的な脅威を前に一歩踏み出すことが出来る自分でありたい。
 そんなに我が身が可愛いのなら、自分が縋れるものは全部排除する。今ここで死んでも、生きてても一緒だと、普段から考えて暮らそう。毎日毎日「ほら、一歩踏み出せなかった未来のなかで、ちっとも幸福じゃないでしょう。この寂しさのなかで生きるより、死ねばよかったのに」と自分に言い聞かせて生きていくの。そうしなきゃ、私は何が大切かも分からない馬鹿だから、そうするより他にない。私みたいな馬鹿の気持ちは、頭の良い人には分からない。とりわけ、奈良坂先輩みたく何でも出来る人には、決して。

 奈良坂先輩には、私の気持ちは分からない。
 頭が良くて、スナイパーとしての実績も残していて、自分に確固とした自信を持っていて、かっこよくて、身長まで無駄に高い。奈良坂先輩は「自分が今、何をするのが最善なのか」をきちんと分かっている人だ。
 奈良坂先輩に呆れられるたびに嫌な気持ちになる。なんで分からないんだと言われる度に、泣きたくなる。私みたいに“分かっててもそれが出来ない人間”の気持ちは、何でもできる先輩には分からない。
 奈良坂先輩と一緒にいると、自分が嫌いになる。自分が如何しようもない馬鹿で、身勝手で、利己的で、世界で一番醜い人間みたいに思えるから、先輩と一緒にいたくない。先輩から叱られたくない。

 年度頭に師弟関係を解消した時、きよらは奈良坂からの好意が存在するとも思っていなかった。
 師弟関係を結んでからというもの、奈良坂はきよらのやることなすこと不平不満だらけで、章平が章平は章平なら章平にの“章平五段活用”で説教されるばかりだった。その上、一度顔を付きあわせれば、必ず一つは小言が出る。しかも「髪や爪が長すぎる」だの「宿題は終わってるのか」とか「こないだの訓練に来なかったのは如何いう料簡だ」なんて、詰まらない理由で。当初はきよらも大人しく従っていたが、“顔を付きあわせれば小言を言われる関係”が“顔を付きあわせれば口論になる関係”になるまで、時間は掛からなかった。
 そんな調子だったのだから、奈良坂が自分との師弟関係を解消しないのは義理や体面の関係だと思っていた。一度師弟関係を持った以上は……と思っているのなら、スナイパーを辞めれば向こうも文句はないだろうと思って、アタッカーに転向した。それから三か月ほどは、緑川にカモられつつも結構楽しくやっていた。
 元々緑川を始め、きよらが親しい相手の殆どはアタッカーかオールラウンダーを勤めている。スナイパーはスナイパーで当真や穂刈など気の合う年上もいないではないが、結局先輩後輩の域を出ない。その点、緑川や木虎、米屋など特別親しい相手と和気藹々出来るアタッカーライフは充実していた。
 以前奈良坂から言われた「スナイパーとしては二流、アタッカーとしては三流」という評価の通り、アタッカーとしてのきよらの能力は中の上を出ることはない。A級を目指すなら、やはりスナイパーに徹したほうが良いと分かっていても、やはり奈良坂と顔を突き合わせるのが億劫だった。
 奈良坂のタイムスケジュールを把握したりして、すれ違うことさえないよう気を付けていたのに、まさか元鞘に収まることになるとはきよら自身予想外だった。それほどに、奈良坂に対する苦手意識があったのだ。有り体に言ってしまえば大嫌いだった。師弟関係を持つ切っ掛けを作った古寺を恨んだことも度々あった。

 奈良坂と一緒にいると、きよらは自分が嫌いになる。自分が如何しようもない馬鹿で、身勝手で、利己的で、世界で一番醜い人間みたいに思えてくるから、自分を守るために奈良坂のことを嫌うことにした。
 この人が大嫌いと思うことで、自分の愚かさも身勝手さも、その醜さの全てを忘れたかった。
 それなのに、

『おれは、責任感で他人に構うほど暇じゃない』
 奈良坂は、きよらのスナイパーとしての素質を認めていると言ってくれた。
 きよらが望むなら、A級に上がる手伝いをすると約束してくれた。勝手に師弟関係を終わらせたきよらを、責めようともしなかった。

 きよらが奈良坂を嫌うように、奈良坂もそうだと思っていたのに、単に義理や体面だけで付き合っていただけだと思ったのに、その事実を見たくないから突き放したのに――奈良坂が自分の手を強く引く。
 そうすると、他人の温もりがあると、きよらは甘え心の強い人間だから大事にしてほしいと思ってしまう。私を可哀想だと思って、大事にして。か弱いのだと見下して、守って。私を一人にしないで。そういう、奈良坂には何の責任も義理もない“甘え”を漏らしてしまう。何より困ったことには、奈良坂がきよらのことを“可哀想でか弱い女の子”だと勘違いして、きよらの甘えを許容する素振りを見せることだ。

 きよらが寂しいのは自業自得だ。奈良坂のせいではない。寂しいなら、両親にもっと構ってくれと言えば良いのだ。でも今更“寂しい”と言えば、これまでの不義理を責めることになる。そうしたら何故十五年もの間、ずっと黙っていたのかと問われるだろう。両親が薄々悟っていたのだとしても、両親より飼い犬を大事に思っていて、それが失われたから両親の不在が耐えられなくなったのだと知られるのが嫌だった。そしてきよらは両親よりも大事な飼い犬を見殺しにしたのだ。それも、その後すぐ失われた初恋のために。
 今日のように、奈良坂が自分を慮ってくれると嬉しい。でも、これ以上自分を嫌いになりたくないのなら、なるたけ奈良坂の優しさに甘えないよう気を付けるべきだった。


 食事をして、何かしょうもない話題で一人はしゃいでいたかと思えばことんと寝落ちてしまった。
 幾度かきよらが寝ている現場に居合わせたことがあるが、どうも睡眠時にひと肌を求める癖があるようだ。モニタールームで戦闘データを閲覧している最中にも、十回に一度の頻度で奈良坂の膝に崩れ落ちてくる。バスのなかで緑川を押し潰すようにして寝ていたこともあるし、仮眠室で木虎を抱き枕代わりに寝ていたこともあった。その際に「この子、寝相が最悪に悪いんです。修学旅行といい、校外学習といい……ちょっと剥がすの手伝ってください」と呻いていたことからも、木虎の苦労がしのばれた。同じボーダー隊員ということも手伝ってか、中学三年間ずっとクラスメイトの木虎は“きよらの飼い主”とも称されている。

 奈良坂は如何しようもない気持ちで、自分の手に追い縋る指を見つめた。革張りのソファの上ですやすやと肩を上下させるきよらは無防備な寝顔を晒している。それは勿論、奈良坂は生物的欲求に忠実な男ではないが、しかし仮にも思春期の女子がそう判断するのは如何なものか。奈良坂は、きよらに繋がれていない左手で、その頬に触れてみた。ふにふにっと突いて、完全に熟睡しているようだと判断する。起きてると碌でもない妄言を漏らすだけの唇が、寝息に合わせて微かに動いている。釣り目がちの瞳が閉じられているからか、年相応に――いや、実年齢よりも僅かばかり幼い寝顔だなと、奈良坂は思った。木虎と並んでさえ年嵩に思われがちなきよらは『老けてるんじゃないです。私の美貌がカンストして女として完璧な年齢である風に見えてしまうだけなんです』とほざいてやまないが、ふとした折に、その容貌があどけない顔を見せるのを奈良坂はよくよく知っていた。普段は奈良坂の顔を見れば憎まれ口ばかり、自分以外の相手にも屁理屈をゴネるか過剰にふざけてみせるかのどちらで、きよらという少女のなかに可愛げを見出すのはそう容易いことではない。

 奈良坂としても、正直言って、きよらと接していて「可愛い弟子」とか「目を掛けたくなる後輩」という風に思うのは稀だった。絶対的なIQの開きも相俟って、特別諍いの種になる事象が存在しない時でさえ「なんだこいつは」とか「如何してこいつは、こうも馬鹿なんだ」と苛立たしくなるのが殆どだ。東や米屋など、自分たちの関係にそれなりの関心を寄せる人間から「おまえたちは何で師弟やってるんだ……」と呆れられることはままある。理性的な行動を好む奈良坂と、動物的直感で動き回るきよらの相性は誰の目にも“良い”とは言えない。数ヶ月の冷却期間があったとはいえ、二年近くも師弟関係を続けてこれたのは一重に奈良坂の面倒見の良さ――というか、負けん気の強さと言うべきだろうか。
 幾ら相手が「you are all my reasons」を「貴方は私のオールレーズンを食べた」と訳す程度の知能指数であったとしても、一度師弟関係を持った以上は、それを投げ出すのは奈良坂の癪に障る。
 何よりも、当真が「奈良坂がキレて鈴原と縁切りするのに五億ジンバブエドル」などと煽ってくるので、もし奈良坂がきよらに心底呆れていて、好意を抱くどころか嫌悪していたとしても、師弟の縁を切ったりはしなかっただろう。奈良坂透というのは、そういう人間だ。体面や義理のためなら、そして自分の価値観を貫き通すだめなら、特定個人への好嫌感情など大した抑止力になりはしない。自分のなかの、そういった考え方を奈良坂は十分理解しているし、美徳だとも思っている。

 それ故に、奈良坂当人としては、きよらとの縁が途切れず続いていることに関して、何ら可笑しいとは思わない。寧ろ他人から「おまえら、まだ師弟やってんの?」などと驚かれるのが不思議なぐらいだ。傍目には、自分は心底嫌いな相手のプライベートにまで口出しするような人間に思われているのだろうか。きよらは自分の弟子としての最低限の結果は残している。奈良坂のなかの“師弟関係上に必要な体面や義理”を果たすには、それだけで十分だ。丸きり好意のない相手の私生活についてああだこうだ言うほど暇人ではないつもりでいるのだが、ジンバブエドルが飛び交う会話を聞いている限り、周囲にはそう思われていないらしい。尤も、奈良坂は“他人に自分を理解してほしい”といった自己顕示欲が旺盛なタイプではなかった。自分が好意を寄せる一握りの人間が自分を理解しようと努めて、その価値観を許容し、多少なり重んじてくれれば、他に望むものはない。
 最新型のスマホでジンバブエの位置情報を調べていた当真が「ま、奈良坂は何だかんだ鈴原のこと気に入ってるもんな」と失笑してみせたことも腹立たしいが、他ならぬきよら自身が「今学期末までに飽きて投げるにパプアニューギニアドル」などとほざいていることのほうが余程勘に障る。
 そもそもパプアニューギニアの通過は“キナ”だ。

 南アフリカと南アメリカの区別もつかないアホに囲まれて、奈良坂は如何しようもない気持ちになる。狙撃場での頼みの綱こと東は、後輩指導の名目から毎日狙撃場にやってくるというわけではない。大抵の場合、一緒に行動している古寺はある程度奈良坂に気を使ってくれるが、古寺自身は当真やきよらのようなアホを嫌っているわけではないので対応が甘くなる。そして荒船や穂刈といった年長組の殆どは当真に抱きこまれており、自分一人ならいざ知らず、きよらと古寺を連れている時に絡まれると、防衛任務や三輪隊での集まりといった理由なしに当真のからかいを躱すことは困難だった。まあ、当真が与えてくるストレスはきよらと古寺がある程度遮ってくれるのだが、きよらが与えてくるストレスは如何しようもない。きよらに対して多少なり情というか、好意を持っているはずなのに、何故こんなにもきよらの一挙一動にイライラするのか、奈良坂当人にさえ分かりかねる。そんな調子なのだから、きよらから与えられるストレスが古寺の手に負えるはずがない。どうも、きよらは自分が奈良坂をイラつかせることに関して無頓着なようで、大抵の場合、奈良坂の機嫌を悪化させてしまったと気付くのは随分後になってからだ。気付いても素直に謝るどころか「まーた何か怒ってる」とソッポを向いて、どこかに消えてしまう。本当に可愛げのない後輩だ。

 きよらは自分からの好意を軽んじているか、さもなくば認めていないのだろうと、奈良坂は思う。
 当真に絡まれなくとも、きよらは常に奈良坂の好意を“架空の存在”として処理するし、自分から奈良坂にちょっかいを出すことはあっても、奈良坂からちょっかいを出されることを酷く嫌う。自分が原因で奈良坂の気分を降下させてしまったと理解するや、たちまちきよらも不機嫌になる。逆に、きよらの行動で奈良坂の気分が上昇した際は、それに反比例して不機嫌になる。どうも、自分という存在が奈良坂の機嫌を左右するのが不快らしい。如何いった心理の下に“不快”の一言で片づけられているのかは分からないが、何にせよ、きよらが自分に向ける恒常的な不信感は、奈良坂としては面白からぬことだった。

 結局寄りを戻すことにはなったとはいえ、今年の半ばには一時的に師弟関係を解消している。
 今思えば、ムキになっていたのだろう。いつまでたっても、きよらが自分への線引きを撤回しないから、過剰に口出しする癖がついていた。狙撃に全く関係ない学校の成績なんかで揉めて、馬鹿なことをしたと思う。今だからこそ「馬鹿なことをした」と思えるが、その時には「きよらが自分に何も返してくれていない」というか――自分が少なからずきよらに情を向けて、狙撃にしろ勉強にしろ色々と骨を砕いて教えているのに、きよらが何一つ真面目に取り合っていないように感じて、堪らなく腹が立ってしまった。何を言ってもきよらの反応が変わらなかったのも、言っていいことと悪いことの判別がつかなくなった一因だろう。師弟関係を結んでから幾度となく揉めてきたが、大抵の場合はきよらが自分の非を認めて謝罪を入れてくる。謝るとはいっても、その後はクヨクヨした素振りも見せずに普段通りで、不平不満を漏らす際にも一片の躊躇いも見受けられない。向こうから謝ってくれるのは有難かったし、引きずる様子がないのも扱い易くて助かったが、きよらの謝意を「まあ、とりあえず謝っておけばいいと思っているんだろう」と軽んじる気持ちも存在していた。

 どうせ、本当に悪いとは思っていない。自分に何を言われても全く気にしていない。
 そう思っていたのに、自分たちの間に有り触れた揉め事一つで師弟関係の解消を乞われた時は少なからず驚いた。しかもLINEで。LINEで。そんな重要なことを口頭で伝えようとしないことへの苛立ちより先に、なんというか全身の力が抜けた。アタッカーに転向してまで縁を切りたいのかとか、それとも自分の価値観を知ってか知らずか円満に師弟関係を解消するために転向を選んだのか、そうでなくとも、もう自分とは顔を合わせる気はないということなのだろう――色々と考えた結果、きよらへの情は大分冷めてしまった。
 平素のふざけた態度は元より、きよらを傷つけた覚えもないのに、事あるごとに値踏みするような視線を向けられ続けるのにも疲れていた。太刀川や当真のように裏表のない不真面目さならまだしも理解できるのに、時として奈良坂の神経質さに共感を寄せることもあるきよらの“不真面目さ”は、それが果たして如何いった経緯で、何のために繕われているものなのか、奈良坂には理解しかねた。
 地頭が良い古寺と違い、奈良坂の賢さは“秀才”に分類される。だからこそ奈良坂は努力すればしただけ返ってくることを身をもって知っていたし、やろうと思って出来ないことはないという自負も抱いていた。きよらについても、自分が本当に興味関心を持っているなら、恐らく何を考えているか掴むことは出来ただろう。ただ、やはりたかが一後輩にそこまでする義理はないというのが奈良坂の結論だった。

 きよらと奈良坂の繋がりは“スナイパー”という一点だけだ。
 性別・年齢は元より、学校も、主だった交友関係も重なるところはない。各役職がバランスよく所属している三輪隊が無所属の隊員と組まされることは滅多にないし、それもA級隊員ならいざ知らず、B級隊員とくれば“あり得ない”と断じるべきだった。同じボーダー隊員、互いに放課後は本部基地内で過ごしているとはいえ、行動範囲が違う。師弟関係を解消していた数か月の間、奈良坂ときよらが言葉を交わした回数は片手に余るほどしかない。徐々にきよらについて考える時間は少なくなっていったが、米屋や出水など、奈良坂が後輩女子に振り回されているのが余程面白かったのか、要らん情報を寄越すことがままあった。それらは想定内としても、古寺がきよら贔屓になったのは奈良坂にとって思いがけないことだった。
 自分を介して間接的な付き合いしかないと思っていたのに、何故なのかきよらがアタッカーに転向してから急速に親しくなったらしい。らしい……と言うのは、きよらとも古寺とも親しい米屋から聞いた話だからだ。
 きよらと度々揉めていた奈良坂に気を使ってか、古寺の口からきよらとの親交について漏れることは滅多にない。その“偶さか”も、大抵の場合はごく短い一言で――しかし「先輩は秀才タイプだから、鈴原みたいにやっても出来ない人間の気持ちは分からないんですよね」といった、奈良坂の良心を苛むような持ち出し方だった。きよらとのやり取りで古寺の反感を買ったのだろうかと暫し思考回路が停止するものの、古寺本人は奈良坂を責めるでも、その強情さに呆れるでもなく、ケロリとしている。

『先輩は秀才タイプだから、鈴原みたいに、やっても出来ない人間の気持ちは分からないんですよね』
 普通に考えて、持たざるものの気持ちが分からないのは、古寺のような“天才”タイプの人間だろう。
 そうは思うものの、あてつけでも何でもなく、単なる一例としてきよらを持ち出されたのが引っかかった。他意のない声音で、尚且つ一つ年下とはいえ賢しさに関しては一目置いている古寺の考えだ。単なる雑談の一端として流してしまうには、含蓄のある言葉であるように奈良坂は思った。
 確かに古寺の言う通り、奈良坂は「やって出来ないことはない」と考えている。自分のものの考え方や価値観を他人に押し付けて悦に入る趣味はない。奈良坂自身そういった人間を好まないが、自分の原動力である「やって出来ないことはない」という考えを他人に押し付けたことがないかと己に問えば、はっきりと否定することは出来ない気がした。そもそも奈良坂にとって「こいつはやっても出来ない人間だ」と評価されるのは耐えがたい屈辱だ。古寺の台詞に対して、ちょっとの反感も持たなかったと言えば嘘になるだろう。他人に対して“やれば出来る”と信頼を寄せるべきだという考えが、奈良坂のなかには存在する。好意的に思う相手なら尚更その可能性を疑うようなことはしたくないとも思う。そう思うあまり、結果として自分の考えや価値観を押し付けることになってしまった……かもしれない。奈良坂は、きよらに少なからず好意を持っていた。
 狙撃にしろ勉強にしろ色々と骨を砕いて教えているのに、きよらが何一つ真面目に取り合っていないように感じていたのは、はっきりと思い出すことが出来る。ただ、きよらに対して“真面目に取り合っていない”と決めつけた理由については、具体的かつ理性的なものを思い出すことが出来なかった。

 きよらが不真面目を気取るのに腹が立つし、他の人間だったら聞き流せる軽口が無性に気に障る。原因不明の不信感を寄せられているのも苛立たしい。自分のなかの好意を軽視されるのも不快だ。
 一年以上の付き合いがあったにも関わらず、講和もなしに一方的に縁を切られたのも気に食わない。
 こんなにも可愛げのない女は中々見つからない。他人からも「おまえたちは相性が悪いよな」と散々言われ、師弟関係を結んでいるにも関わらず不仲であることは周知の事実だった。

 奈良坂はきよらの頬の輪郭をなぞって、緩く開かれた唇に触れた。つんと形のよい鼻梁を辿ると、眉間がぴくりと痙攣したが、それだけだった。きよらの体温を含んだ指先で、その瞳を覆う薄い瞼を撫でる。
 自分の温もりを頼りに微睡む寝顔はあどけない。その幼い安らぎを“可愛げがない”と切り捨ててしまうのは惜しい気がした。ふとした拍子に、奈良坂の目にはきよらが年よりずっと幼く見えることがある。
 狙撃場で出会った時の屈託のない笑顔や、師弟関係を再構築しようと二人で話していた時の、嗚咽ひとつない泣き顔。不慣れな褒め言葉を口にした時の、唇をかんで俯く横顔。冗談も憎まれ口も、取り繕うことが出来ないほどの感情を堪えて噤む口元。日々の凡雑さで塗り込めているのだろう感情が、漣のようにきよらの表情を揺らがせる。不真面目さの裏にある素顔を目の当たりにする度、“それ”が自分のものだったら良いのにと思う。大事にしてやりたいようにも思うし、粉々に傷つけてやりたいようにも思う。
 きよらの感情が自分のものだったら良い。自分との関わりのなかで、何の躊躇いもなく笑って、泣いて、拗ねて――奈良坂がきよらの一挙一動で苛立ったり安らいだりするのと同じに、きよらもそうであって欲しい。
 自分の手に追い縋る指を剥がしがたいのは、きよらのことが好きだからだ。

 奈良坂の悶々とした胸奥など素知らぬ顔できよらは眠っている。
 如何しようもない気持ちから、きよらの、睡魔で火照った頬をつねった。鈍い痛みを感じてか、小さく「うう」と歪んだ寝顔に、僅かばかり気持ちが晴れる。奈良坂は深くため息をついた。
 何故おれが、きよら如きに……という屈辱を感じないではないが、自分のなかにあるきよらへの好意は、世間一般で言う恋情なのだろう。癪に障ると言わんばかりの気持ちを持て余していると、きよらが奈良坂の手を自分の口元に手繰り寄せた。柔い温もりが、赤子のように奈良坂の指を食む。

 きよらにスナイパーとしての素質があると思っているのは事実だ。
 自分の能力を軽視してやたら無駄死にする癖さえなければ、とっくにA級に昇格していて可笑しくないだろう。出会った当初からきよらの射撃能力の高さはずば抜けていたし、だからこそ関心を持った。ただ、師弟関係を結ぼうと思った一番の理由は――自分のアドバイスに礼を言う笑みを、可愛らしいと思ったからだ。
 その時はきよらが太刀川に匹敵するレベルの馬鹿だと知らなかったとはいえ、軽率だったと思う。

 本当はきよらの不真面目さが、傷を覆うための殻だとは早々に分かっていた。
 A級にあがりたいと、きよらは度々口にする。自分のポイントを確認しては、早くA級に上がらなくちゃと爪を噛む。奈良坂ではない誰かのための焦燥感。一つ一つ着実にスナイパーとして腕を上げていく達成感に溢れる笑み。音ひとつこぼさない泣き方。自分のなかの甘えや、感情の発露を抑圧する理性。
 軽口や冗談で積み上げた殻の奥にある傷も、きよらの何もかも奈良坂ではない誰かのものだ。きよらの原動力。きよらが髪を切ろうとしない理由。きよらにとって、自分が寂しいことよりずっと大事な誰か。
 奈良坂は僅かに身を屈めて、きよらの上に影をつくった。数か月前、はたはたと無音で泣いていた目じりに、口付ける。瞼と唇、薄い皮膚の間でくぐもった熱が余韻として唇に残る。

 どうせと、静かに心中で呟く。
 きよらが奈良坂との間に引いた線は、この数か月で消えかかっていた。きよらが如何思っていようと、きよらは寂しいのだ。誰でも良いから一緒にいて欲しいと思っている。他人に対して線を引くのは、自分が傷つくのが怖いからだ。大事に思っていた相手を失った痛みを、繰り返したくないからだ。

 どうせ自分を囲う線のなかで、きよらはまだ一人ぼっちでいる。
 きよらが執着する“誰か”は最早過去の人間で、執着の元となった感情は疾うに涸れ果てているだろう。ただ自己肯定のために、自分の作った孤独のなかで過去の感情を反芻させているだけだ。自分を囲う線のなかで、きよらは孤独を己に強いている。それでも、いつかはきよらも、奈良坂がいることに気付くだろう。
 奈良坂に取りすがって傷を露わにして泣いても、死ぬわけではないと理解するはずだ。

 母親へのメールを入れ終わると、奈良坂もきよらの眠るソファへうつぶせるようにして何とか体を休めた。奈良坂の手を口元に引き寄せたままのきよらの手を握り返して、目を瞑る。


 無音の闇のなかで、繋いだ手の熱だけが赫々と灯っていた。

おとなのいないまち


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