パンはパンでも
たべられないパン
なーんだ

 1949年、エンジニアのエドワード・アロイシャス・マーフィーJr(当時大尉)は、空軍研究所からエドワーズ空軍基地に来て、strap transducer(加速度計)に発生した異常を調べ、ひずみゲージのブリッジにあった(誰かの)配線間違いが原因であるとつきとめた。その際に、"If there is any way to do it wrong, he will"(「いくつかの方法があって、1つが悲惨な結果に終わる方法であるとき、人はそれを選ぶ」(アスキー出版『マーフィーの法則』(1993)、p. 270 の訳文)、"he"は「間違えた誰か」を指している)と言った、という。
(Wikipedia:マーフィーの法則より引用)




 世に広く知られる法則の生みの親、マーフィー大尉の言わんとすることは極めてシンプルだ。
 起こる可能性のあることは、いつか実際に起こる。それが“起こってほしくないこと”で、尚且つバカを経由する事象の場合、まず間違いなく起こる。むぎの通う雄英高校はアメリカ空軍と無縁だったし、加速度計もユーモア溢れる大尉も存在しなかったが、“マーフィーの法則”は国境を越えて万人の上に平等に降り注ぐ。バカは国境を超越して存在するからである。そして人間行動学的見地に基づいて、バカは必ず何かをやらかす。――何より不運なことに、むぎはバカだった。

「PTAからの熱い苦情により、お前は除籍処分となった」
 バカの身の上に、起こるべくして起こることが起こった。

 ガランとした教室に担任教諭と二人きり、むぎは諦観の笑みを浮かべていた。
 物心ついて以来の志望校だった雄英高校ヒーロー科に入学してから、まだ半年も経っていない。それにも拘わらず、この1-Aの生徒はむぎ一人だけだった。理由は単純明快で、担任教諭――相澤消太がガンガン除籍処分にしていったからだ。もう週に一人のレベルで減っていた。夏休み中の注意事項を伝達するためのLHR冒頭でサラッとラスト三人を退学にした時は流石のむぎも武者震いしたものだ。何故このタイミングで除籍を言い渡したのか、何故むぎだけを除籍しなかったのか。
 何より口々に不平不満を述べる元クラスメイトたちに背を向け、「はい、じゃ何か質問があったら挙手するように」と言いながら去っていく姿は最高にCOOLだった。答える気/Zeroである。
 相澤が去ると、必然的に元クラスメイト三人とむぎだけが教室に残された。このままだとリンチにかけられると思ったむぎは間髪入れず「でも実際相澤先生ってキレ痔だし、今日も頻りにお尻を気にして、イボ痔の出来どころが悪かったって感じだよねえ!」と相澤DISを繰り返すことで事なきを得た。翌朝のSHRで「はい、イボ痔のキレ痔です。轟、昨日のプリント提出しろ」とかまされた時は「あっ殺されるな」と確信したものの、痔主扱いはそれほど癇に触らなかったらしい。

 むぎの脳裏に、この半年弱の出来事が走馬灯のように思い起こされた。
 四月からの五か月ちょっと。懐かしい日々。毎日のように相澤に叱られ、めっちゃ叱られ、お前のことでPTAからクレームが入ったとため息をつかれ、今度はOG会から厳重注意を受けたとため息をつかれ、ミステリー小説並にガンガン減っていくクラスメイトたち、次は誰が除籍になるかでお通夜状態の教室――むぎにしろ、この半年弱の高校生活についての不平不満は山とあったが、しかし“いずれ自分もクビになるだろう”という諦観の前に表立って反論する気力は産まれなかった。尤も、クビになるだろうと思いつつ、何だかんだ七月からの二か月強を上手いこと乗り切ったため、“逆にワンチャンあるかもしれない”という期待も存在した。実際のところ、この鬼教師とのマンツーマン生活にワンチャンあってほしいかどうか分からないものの、「流石に高校中退はちょっとな……」と思っていたので、まあワンチャンあったほうが良いかな……いや、別に如何でも良いか……ネコチャンのが好きだし……恐らく相澤がむぎの除籍を後回しにした理由には“猫好き仲間だから”というのも幾らか含まれるであろう。二人は教師と生徒である前に、単なる猫好き仲間だった。野良猫スポットで出くわす度に「お前が受け持ちの生徒でなければな……」と言われたが、受け持ちの生徒でなければなんだと言うのだろう。むぎには分からなかった。除籍された以上、それは永遠の謎であろう。中卒ニートになったら、これを基にミステリー小説でも書こうかな。

 そこまで考えて、むぎは改めて自分の身の上を思い知った。
 ここで除籍されると最終学歴が中卒になる。まあ、でも、一年留年して別の高校に入ればよいか。むぎは思った。兎に角、これでもう二度と“自分はいつ除籍されるのか”と怯えなくて良いのだ。恐れと期待の狭間でグラグラ揺れ動いていた未来が、やっと定まった安堵。
 何より、波動先輩から二度と「ぼっちちゃん」と呼ばれることはないのだと思えば清々する。
 ぼっち――林間学校も、学園祭も、むぎには常に孤独が付いて回った。ついでに異性同士の二人のこと「セクシャルなアレコレが発生しないように」との気遣いで、ありとあらゆる行事にミッドナイトもついて回った。無駄を嫌う相澤のことだ、むぎ一人に教師二人を使う豪勢な人事も常々気になっていたのだろう。もしくは一昨日の模擬戦闘でむぎにケツを揉まれたのがトドメとなったのかもしれない。生来生真面目な相澤は、万札と水の区別のつかないむぎと相性が悪かった。
 今度はもうちょっとゆるゆるふわふわな高校に入学しなおそう。
 

「……お前はすぐそうやって自己完結する」
 教師として優秀な相澤は生徒のクビを切るだけでは飽き足らず、その人格をも否定してくれる。
「じゃあ、言いますけどお」むぎはハ〜〜〜と深いため息を漏らした。「PTAとか何とか言って、相澤先生がクラス担任という仕事を億劫がっているだけなのでは?」
「今回は本当にPTAから苦情があった」
 じゃあ前回はなんなんだと追及するだけの覇気を、むぎは有していなかった。

「パンを攻撃手段に使うのは幼児の教育に悪いから止めさせろと」
「パンしか出ないのにい!!」
 突如としてむぎは発奮した。

「PTAの皆さんはこのか弱い乙女に、ヴィランと肉弾戦をしろと仰る!」
「PTAの皆さん、お前のようなか弱い乙女をヴィランと戦わせるのは……」
 呆れた風な声音と裏腹に、ニヤッと、相澤の口角が上がった。
 我ながら面白い返しを思いついたと思っているのだろう。
 相澤はそういう男だった――少なくとも、むぎにとって良い教師とは言い難かった。

 むぎには、何故自分の除籍が一番最後になったかはっきり分かっていた。
 むぎは相澤にとって猫好き仲間だったし、扱いやすい生徒でもあった。しかしクラスメイトのなかで一番ヒーローとしての素質があったとか、意思が強くて、根性があったとかではない。勿論雄英のヒーロー科に入学したからには学力・体力共に人並み以上の自負はあるものの、周囲と比べて「一番か」と問われれば根が温厚なむぎには「そうだ」と断定することは出来なかった。しかしクラスメイトたちと比較した時、自分の個性が一番傍目に面白いものだったと断ずることは出来る。手からポンッとパンが出るのである。しかも、焼き立てのパンだ。フカフカで美味しい。
 父方の創造系個性と母方の燃焼系個性が複雑に絡み合った結果、何の因果かむぎには手から焼きたてのパンを出す個性が備わっていた。ついた仇名が“ジャム子ちゃん”。小学校・中学校のクラスメイト、母方の親戚、両親の友だち……ありとあらゆる相手に、むぎはパンを振る舞ってきた。
 一体手からパンが出ることの、何がそんなにも面白いのだろう? むぎが手からポンッとパンを出すと、皆一様にニヤッとするのであった。案の定と言うべきか、相澤も笑った。ニタニタした。
 入学してからの半年弱、相澤はむぎがフランスパンや食パン、ジャムパン……果ては肉まんまで出すのを見る度にニヤニヤした。その反応を不服に思ったむぎが「肉まんを出すのは、それも食べておいしいのを出すのは大変なんですよう!」と熱弁すると、相澤の笑みは一層深くなった。
 フランスパンでぶん殴ってやりたい。何の比喩でもなく、むぎは真摯に呪った。パン・ド・カンパーニュでぶん殴ってやりたい。ああ、手から鉄の棒が出る個性だったら――!! どうせ除籍になるなら相澤の綺麗なケツにキレ痔を作ってから去りたいものだが、しかし、手から何が出たところで避けられるだろう。当然のことではあるが、相澤は強かった。むぎには、ケツにフランスパンを突っ込むどころか、そのキュッとつり上がったヒップを揉むのがやっとであった。
 あっ手から“当たるとキレ痔が出来るビーム”が出る個性だったら可能かもしれない。
 しかしむぎの手から出るものはパン以外になりえないので、来世に期待する他ないのだ。

「PTAの皆さんはむぎの学歴を高校中退で終わらせてやれと思っているのねえ」
 むぎは、いよいよ叔父に泣きつく覚悟を決めた。ついでにTwitterで拡散する決意も固まった。
 コネがあるというのは良いことだ。未来への展望乏しき者にとって、所詮学歴など就職活動に役立つ以上のものではない。そもそもむぎが雄英を志望したのも、叔父が「仮にもヒーローを名乗るなら、せめて雄英ぐらい出てないと話にならん」と口煩いからである。むぎは“ブランド重視なら士傑でもいいじゃん、制服可愛いし”と思ったが、叔父はいつ如何なる時も正しいので「はえーすっごい!」と答えるに留めた。むぎは物心ついた頃からずっと、クソ厳しい叔父に媚びるため文武両道を修め、才女の名を欲しいままにしていた。そんなむぎにとって雄英は大した難関ではなく、「チョロ!」と舐めに舐めまくった結果がこれ(除籍)である。ある意味妥当な結末と言えた。
 確かに“人生ってままならないな〜”とは思うし、“相澤先生、痔瘻になんないかな〜”とも思うものの、むぎは己の生き方を大して反省していなかった。元々むぎの目標は“プロヒーローになること”ではなく“叔父に寄生して生きること”なので、今ここで除籍になろうとならなかろうと大した問題ではない。雄英以外にもヒーロー科は山ほどあるし、前々からマスコミに叔父との関係を注視されているのを思えば、中卒で事務要員に徹した方がいいかもしれない――とも思っていた。
 体面を気にする叔父は無論、姪が高校中退でヘラヘラ遊び回るのを良しとはしないであろう。
 一つ年下の子たちと同級生なんてイヤ、恥ずかしいと涙ながらに訴えれば、最終学歴が中卒になることも勘弁してくれるに違いない。高校進学さえ諦めさせれば「じゃあ俺の事務所で死ぬまで使いパシリをしろ」コースにたどり着くのは容易である。尚且つ無辜の女学生が口やかましい大人のせいで除籍処分になった風を装って、メモに事の顛末を纏めたものをスクショで拡散してやる。顔を隠したエッチな写メを添付しても良い。何にせよ相澤に全責任を押し付けることに成功すれば、あとは雄英アンチスレがフル稼働で電凸してくれるに違いない。叔父もきっと可哀想にと思ってくれるはず。最早むぎには、先週取得したばかりの仮免どころか雄英への未練も存在しなかった。
「いや、まあそこはな……流石に累が及ぶのを恐れたんだろう。今は何でもかんでも炎上する時代だ。精確にはヒーロー科から、普通科か経営科、もしくはサポート科の何れかに転科させろと」
「じゃあなんで除籍とか言ったんです」

「お前には緊張感が足りない」
 ニヤッとする相澤を前に、むぎは「この男は自分を気に入ってるのだろうか」と思案した。
 実際相澤がむぎのことを気に入っていたとして、果たしてむぎが受け持ちの生徒でなければ何だと言うのであろう――同校の猫ちゃん友達であろうか。多分そうなのだろう。

A.最後の神判
(神はひとの口に入るもの全てを識っておられる。)



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