ここへやってきた時から知っていた。
 この屋敷をぐるりと囲う生垣の中にも、外にも自分の居場所はない。自分は“人間”とは異なる存在で、消費されるだけの道具にすぎない。トバリという名前も、顔も、声も、家族も、住まいも、財産も、その何もかも他人から奪ったものだ。だから、それを自分の権利だと錯覚して、いつまでも享受していたいなどと望んではならないと思った。その節制だけが唯一、自らの意志だった。
 いつかは皆、わたしのものではなくなる。きっと、こうして思考することさえ。
 この世界の誰もわたしの未来を望みはしない。誰も――センテイ以外は――センテイだけが、


◆ ◆ ◆


 この地上で最も栄えた命は一途に陽光を求めて、青い影を落とす。
 天に張り巡らされた枝葉に、ずっしりと聳える幹。その根元で草は互いの背丈を競い合い、丁寧に刈り揃えられた芝が地表を覆っている。清潔に、そして穏やかに整えられた庭のなかで、花々は短い命を咲き誇っていた。春夏秋冬、外界から閉ざされて久しい庭にも四季は一巡する。
 トバリの体躯は五才相当に未熟なものだ。未熟な舌が真っ当に発声出来るようになるまで、一年掛かった。立って歩けるようになるまで一年と少し。自分で靴を履いて、庭へ降りていくまでには三年。トバリが自在に庭を歩き、四季を感じるようになってから然程時が過ぎていない。
 美しく、清潔で、安全で、健全な庭を抜けて、温室の扉を開ける。温室内は南方から差しこむ日差しがこもって生ぬるく、何とも言えないむっとした熱が篭っていた。花の香りと土臭さが入り混じった匂いは市販の芳香剤にある快さとは無縁だったけれど、それを嗅ぐと酷く安心する。
 小さな闖入者に気付くと、センテイは必ず振り向いてくれる。堆肥を混ぜていても、欠けた鉢植えに金継ぎしていても、花の間引きをしていても――そしてトバリがどんなに気配を殺して忍び寄っても、トバリが声を掛けるより先に振り向いて、仕事の手を止めてしまうのだった。
 センテイは長年の庭仕事で日焼けした顔をくしゃくしゃにして、トバリにしわの寄った両手を差し出す。仕事の邪魔をしている自覚はあったけれど、不思議なことに、センテイの腕のなかに収まることへ大した躊躇いはなかった。弱々しく上下する胸に顔を埋め、きつく目を瞑る。温室のなかは花と草と木と土が混ざり合った、命の匂いが充満していた。それはセンテイの匂いだった。
 年相応にやつれた腕。皮下脂肪がないことが分かる、骨ばった体つき。今にも止まりそうな鼓動に耳を澄ませながら、トバリは安堵した。その腕のなかだけが、トバリの居場所だった。
 センテイだけがトバリの成長を厭わない。それは極めて愚かな盲信だと、トバリは知っていた。

 人間の”大元の基盤足り得る知識“――意味記憶を有するトバリの成長は早かった。
 一才を迎える前に口が達者になって、二才で文字が書けるようになって、それから半年のうちに殆どの書物が読めるようになった。家政婦やヒルゼン、アスマさえも歓迎しようとしなかった全てのことを、センテイだけが平凡に喜んでくれた。センテイは「扉間様もそうだった」とか「柱間様もこうだったに違いない」とか、実際に血縁関係にあるかも分からない人間を引き合いに出して破顔する。まあ、まるっきり他人でもなかろうが……トバリは“適当なことを言う男だ”と思った。
 それでも、センテイの雑な賞賛を聞くのは不快ではなかった。実情が不明にしろ、兎に角自分は“千手扉間の孫”という立場に落ち着いていて、目の前の男は全てを知っているくせに“それ”が真実だと信じている。センテイの腕のなかで、その瞳のなかで、トバリは“千手トバリ”だった。


 “トバリ”という名前も、顔も、声も、来歴も、何もかもカンヌキの愛娘のものだ。
 千手の姓を名乗ることがなかった彼女は混乱極まる第二次忍界大戦末期に亡くなり、今は骸のまま息をしている。カンヌキの言うところの“蘇生計画”がまるきり論理的でないことには、トバリにも察しがついていた。その全容を把握しているわけではないが、カンヌキの話ときたら一から十まで荒唐無稽なのだ。やれ頭を挿げ替えるだの、柱間細胞が強すぎただの、一聴の価値もない妄言。
 例え母の力をもってしても、一度死んだ人間を無償で蘇らせることは出来ない。

 尤もトバリが彼女の体に寄生している間は仮死状態に留まっていたはずだ。
 種も苗も、それ単体で育つものではない。宿主の庇護は必要だ。どれだけ体が腐敗し、傷んでいたとしても、生殖のために最低限の機能は保障される。それが神樹の器になるということだった。
 少女の身に耐えがたい恐怖と痛みを味わい、彼女の脳は萎縮したかもしれない。自ら意識を手離しただろうことは想像に容易い。それでも未だカンヌキが愛娘を取り戻すことは可能だった。
 不可能なことではあるが、トバリの助言が得られれば彼女の仮死状態を解いて蘇生させる手立ては幾らでもあった。それと同時に、それが叶わなかった理由も無数に考えつく。
 トバリが自我を得た時、既にカンヌキは陰遁に依る精神支配を受けていた。
 カンヌキが悪手を打ったわけでも、忍者として特別劣っていたわけでもない。不運だったのだ。
 トバリと同じく無形の生命である兄は、他人の心の隙間にスルリと入り込むのが上手い。そのやり口は陰湿そのもので、己の術に僅かな綻びを残すことで被術者を追い詰めるのを得意としている。真意と作為の狭間でカンヌキの感情は千々に引き裂かれ、往年の聡明さは失われていた。
 兄が必要としたのは“妹の体を作るための胎”であって、カンヌキの愛娘ではなかった。

 自我境界を無理に破られた困惑のなか、カンヌキは足掻いていた。
 その懸命さが“異物”に対する怒りに昇華されるのも、トバリには分かっていた。既視感さえあった。円柱形の揺り籠のなか、トバリは考えた。前にも、こんな風に憎まれたことがあった。
 いつ、だれと……自分はどんな姿で、その憎しみに何を思ったのか。何も思い出せなかった。
 それが単なる既視感でないと過程して――ただ存在するだけが取り柄のトバリが“忘れてしまった”ということは、もうずっと昔のことなのだろう。兄と母は自らの目的のため、トバリをありとあらゆる人間に与え……そしてトバリも彼らに従順に振る舞うものの、それでも結局、トバリの所有権は兄たちに帰属する。トバリを所有するには、人間はあまりにも脆弱で、短命に過ぎた。
 カンヌキの前に出会った誰かとの間に起こった“何か”が、兄の不興を買ったのだろう。
 兄は物理的にはトバリを貪り、引き千切り、こねくりまわすことが出来るけれど、精神そのものを蝕むことが出来なかった。増して、母は自ら動くことの出来ない身の上である。
 トバリの記憶を薄れさせたのが時の奔流だろうことは、火を見るよりも明らかだった。
 この世界に生まれ落ちてから幾らもしないうちの記憶は残っていたけれど、物心ついてから今に至るまでの記憶は何ら思い出せなかった。本能的に、いくつもの時代が移り変わったことを肌に感じるだけで、その間の自分がどんな風に長らえていたのかは分からない。
 随分長い間、知性を持たないでいたらしかった。実際カンヌキの娘に寄生する前の器は原始生命体だったし、それより以前は兄の内部に納められていたに違いない。昔から、兄の意に反した時はそうされるのだった。やはり自分は、知性を奪うに値する“何か”を仕出かしたのだ。
 そこまで思い至って、トバリは今度の器が酷く上等であることを自覚した。頭蓋の裡に幾重もの絹が折り重なるような心地よさ。未だかつて、これほど滑らかに思考を展開させたことはないように感じた。これが“知性”で、人類の殆どに産まれつき確約されている機能なのだろう。

 晴れ晴れとした気持ちを味わったのは、ほんの一瞬だった。
 人間。この地上に数限りなく存在する命のなかで一際強い光を放つもの。賢くて、温かくて、群れて暮らすことが出来て、自らの命を次代に繋ぐことが出来る生き物。ずっと欲しかった。
 例え母の力をもってしても、一度死んだ人間を無償で蘇らせることは出来ない。それと同じに、例え母の力をもってしても、この世に産まれなかった命を無償で生かすことは出来ない。
 命は定数だ。繰り返し繰り返し命は輪廻する。その表皮に乗った人格を脱ぎ去って、命は飛翔する。カンヌキの娘は、彼女の前世は、もう二度とこの世界に戻ってこない。誰の胎にも宿らない。
 今後何千年も何万年も繰り返し産まれてくる来世を喰らうことで、トバリは産まれてきた。
 カンヌキは自らの選択で、彼岸からも此岸からも愛娘を消し去ってしまった。誰に教えられずとも、自然とそれが分かるのだろう。カンヌキは一度として愛娘とトバリを混同しなかった。
 無論のこと当事者たるトバリも理解した――自分が何を犠牲に知性を得たのか。
 知らなかったのだとも、分からなかったのだとも、稚拙な言い訳は通用するまい。トバリはこの体が欲しかったのだ。兄にけしかけられずとも、結局は自らの意志で彼女を貪っただろう。


 元々、トバリはこの世ならざる存在だ。トバリが産まれてくる前に母の肉体は損なわれた。
 そも母がトバリたちを孕んだ理由も、先に産んだ子らの代用品を欲したからに過ぎない。産まれる前から、トバリたちは実兄を始末するよう言い含められていた。何も考えず、感じず、望まず、ただ母の意志にのみ忠実な存在となることを義務付けられた。いやトバリに求められたのは新たな神樹を産むことだけだから、何も考えず、感じず、望まず、ただ母の意志にのみ忠実であることを望まれたのは兄に限った話だろう。全ての始まりから、トバリは常に副産物であった。
 トバリは、母に失敗作と見做された兄たちとも、自らの半身とも違う。例え無事に一個の命として産まれてくることが出来たとしても、トバリは人間ではない。単なる生殖器官がこうして知性を持ち、自我を芽生えさせるのは母の意に反する。トバリは道具としても不完全なものだった。
 ひとのいのりをかなえよう。そう思った。何も考えず、感じず、ただ他人のために存在しよう。

 そうしたら誰かが私の未来を望んでくれるかもしれない。




 トバリを連れ帰る段になって、カンヌキはトバリを他人と関わることを禁じた。
 ただ、不運なことに――幾らトバリの思考が年不相応に発達しているとはいえ、体は生後数ヶ月の赤子そのもの。比喩でもなんでもなく、自分でケツを拭くことさえ出来ない身の上だった。例え放置しても死ぬことはないが、生殖機能と深く結びついていない部分は壊死する可能性がある。
 そのあたりは、カンヌキも察しがついたのだろう。他人と関わらせたくないとはいえ、誰か世話人を宛がう必要が生じた。無論、自分が世話をしようとは毛ほども思わなかったに違いない。
 結局カンヌキは父の代からの腹心だという老爺に、トバリの世話を言いつけた。

 木ノ葉隠れの里にやってきたのは、月のない暗い夜のことだった。
 誰にも見咎められないよう、カンヌキは密やかにトバリを連れ込んだ。そうしてセンテイを呼びつけるなり「センテイ、見ろ。作った」と言って、トバリを畳に放り出したのだった。
 しかしトバリの予想と違い、いつまで待っても全身を打つ鈍い痛みはなかった。代わりに、大樹のようなものに支えられているのが分かった。目を凝らすと、自分を見下ろす老爺と目が合う。
『坊ちゃん、こんな小せえ命に無体はやめてくだせえ』
 それがセンテイとの出会いだった。


 センテイはカンヌキよりかは物の道理が分かっていない男だった。
 確かにカンヌキの言いつけ通り、センテイは決してトバリを外に出そうとしなかった。ヒルゼンやアスマ、手伝いの女との関わり方も、細かいことはセンテイが指示を出した。
 しかし、そうやってカンヌキの意向に従う一方、センテイ自身は頑なにトバリを“ふつうの子ども”として扱った。トバリにスイカズラやサルビアの花の蜜が甘いことを教えてくれたし、シロツメクサの冠を作ってみせることもあった。オシロイバナのラッパを鳴らしてごらんと誘われたこともある。しかしトバリはその何れに対しても碌な反応を見せなかった。彼を見下していたからだ。
 千手扉間に対する盲目的な執着が、この男の理性を阻害している。センテイが自分に敬称を用いて、人目のないところでも従者のように振る舞う狂気に理由を求めるなら、それはかつての主人に対する未練を置いて他にないと思われた。それはカンヌキに対する不実だと、トバリは憤った。
 他人の祈りを叶えよう。他人のために存在しよう。原初のアイデンティティは疾うに崩壊していた。いや、崩れかけのアイデンティティを維持するためにこそトバリはカンヌキの許しを欲した。
 それ故トバリは、センテイの前では好んで本性を露わにした。センテイが自分に怯え、畏怖し、こんなバケモノは殺さなければならない、カンヌキは被害者なのだと――カンヌキの憎悪が正当なものだという事実が広く認められることを期待したのである。尤も、それは叶わなかったが。

 自分はカンヌキの一番の味方だと、トバリは思っていた。
 そう思わずには、理性を保つことが出来なかった。何を読み、考えていても、カンヌキの娘の体を貪った罪悪感は常に付いて回った。何を飲んでも食べても、血肉を啜る浅ましさを思い出す。
 知らなかったのだとも、分からなかったのだとも、稚拙な言い訳は通用するまい。
 それでもトバリは主張せずにはいられなかった。私は知らなかった。自分の仕出かしたことの罪深さが分かる知性を有していなかった。兄にけしかけられなければ、決してあなたの大切な人を害したりはしなかった。私の意志ではない。私が成り代わりたくて成り代わったわけではない。
 トバリにとってカンヌキは全てだった。彼自身が望むにしろ望まざるにしろ、カンヌキはかつての母同様の独裁力でもってトバリを支配した。それは愛や情ではなく、もっと切実な狂乱であった。個体を持たないトバリにとって、アイデンティティの崩壊は死も同然の恐怖だった。
 カンヌキの許しを得るのが現実的でない以上、アイデンティティの崩壊を回避するためには永遠に詫び続けるしかない。カンヌキの娘を害した己を否定し続けるのは、簡単だった。
 トバリという名前も、顔も、声も、家族も、住まいも、財産も、全部他人から奪ったもの。
 それを自分の権利だと錯覚して、いつまでも享受していたいなどと望むのは悪いことだ。
 トバリが自らの生を借り物だと意識するのは、カンヌキの価値観に依るところが大きい。トバリに与えたカンヌキが、トバリの名前も、顔も、声も、家族も、住まいも、財産も、全部トバリのものではない考えている。トバリが自らの生を拒絶するには、それだけで十分だった。
 カンヌキはトバリが“トバリ”であることを望まなかった。
 トバリにとってはそれが正しいことで、全てを知ってなおトバリに“トバリ”を求めるセンテイは極めて愚かな人間だった。あまりに愚かなのでちょっと不憫になったが、死んだ男のためにカンヌキを謀る不実な生き物だ。カンヌキを蔑ろにしてまで、自分が尽くす価値はないと思われた。

『トバリさまはなんてぇ賢いんだろ。やっぱし扉間様の頭ん良いのが遺伝したんだなあ』
 不実なばかりか馬鹿な男だ。トバリは思った。
 トバリが文字を、他人の言葉を解する事実に、この体が誰の子孫であるかは関係ない。
 千手扉間の産まれるずっと前から、トバリは様々な知識を蓄積してきた。あまりにも長い歳月を経て宣言的記憶の殆どは失われたものの、意味記憶は綺麗に残っている。千手扉間の孫……もしくは曾孫であろうとなかろうと、それはトバリの賢しさにちょっとも影響しない。
 トバリがどれだけ冷たくしても、センテイは善良だった。トバリを“トバリ”として扱った。
 例えば“トバリ”という名前が“彼と彼の愛した女の間に産まれた子ども”を指し示す固有名詞であるなら、トバリは“トバリ”ではない。しかし、センテイはトバリが“トバリ”であることを望んでいる。センテイにとっての“トバリ”が“出自はどうあれカンヌキの娘として周囲に認められている子ども”であると察するのは、然程困難なことではなかった。センテイは明確に望んでいた。
 センテイの望みはカンヌキの望みとはまるきり逆で、トバリが自らの生を享受することだった。
 
 カンヌキは不在がちで、二人の相反する望みが競合する可能性は極めて低いように思われた。
 増して、カンヌキは実際にトバリに何かを望んでいるわけでもない。
 トバリが彼に望まれることを期待して、自らを律していただけだ。愚かにも彼に許されるのを夢見て、自罰行為に耽っている。本当に、そんな自己満足が、トバリの欲するものだったろうか。

 全ての始まりから、トバリは常に副産物であった。
 いつも――トバリが覚えている限りは――誰も、トバリの自我を認めてはくれなかった。神樹の肉畑として大切に守られてはいたけれど、トバリがトバリたる知性を求められることはなかった。
 兄と母は自らの目的のため、トバリをありとあらゆる人間に与える。彼らが必ずしもトバリに好感を抱かなかっただろうことは、カンヌキの反応からも明らかだ。人間は異端を嫌う。
 トバリと生きるには人間はあまりにも脆弱で、短命に過ぎた。それでも一緒に生きたかった。
 手を伸ばした相手が母でも兄でもなかった理由は単純で、彼らがトバリを道具としてしか見ないからだ。本当にたったそれだけの理由で、トバリは肉の体を欲した。孤独だった。
 他人の祈りに尽くさなくても、他人のために己の全てを投げ打たなくても、この老爺の茶番に付き合う時だけは現実を忘れることが出来る。そもそも自分が他人の祈りを叶えようと思ったのは、一時の夢に浸りたかったからではないのか。命の理から外れ、永遠に地上を彷徨い続ける定め。
 どうせ地上のありとあらゆるものはトバリの下を去る。
 その幾つもの喪失のなかに一つぐらい、自分に都合のいい命があってもよいのではなかろうか。

 浅ましい本音は易々と高尚な理性を凌駕する。
 嘘でもいいから、屈託のない愛情に包まれてみたかった。


 センテイの腕のなかで、その瞳のなかで、トバリは“千手トバリ”だった。
 おじいさまのような立派で優れた忍者になって、おじいさまの愛した里をあなたも愛し、守りなさい。祈るように、センテイが望む。夢を見る。トバリもセンテイと同じ夢を見た。ふつうの子どもになって、千手扉間のような立派な忍者になる未来を夢見た。いつしか、茶番のはずの夢想は歯止めが利かなくなっていった。トバリが“千手トバリ”として振る舞えたのは、“千手トバリ”としての未来を考えたのは、そこにセンテイがいたからだ。センテイが両手を差し出し、顔をくしゃくしゃにしてトバリを抱きしめる。この里に来たときから、センテイは何一つ変わらない。
 ここでいきてもいいのではないかと思った。どうせカンヌキは帰ってこない。下忍の噂なぞ、里の外に流れることはあるまい。千手扉間ほど立派な忍になれずとも、きっとセンテイはニコニコとトバリを褒めるだろう。クナイの構え方がおじいさまそっくりです――と、雑な賞賛を口にする。
 緩やかな鼓動に耳を澄ます。目を瞑っていても、何もかもが煌々と瞬いているのが分かる。

 スイカズラ。レンゲツツジ。アセビ。スイセン、トリカブト、キョウチクトウ。
 星のようにも金魚のようにも見える花をつける植物、緑色の飴玉のような実をつける木、アジサイに似た赤い花をつける低木。温室のなかは、春を迎えて色とりどりの花が咲き乱れていた。
 あの可憐な花々が猛毒を宿しているのと同じに、センテイのなかにトバリを疎む気持ちがあったとして何ら不思議なことはない。センテイはトバリのことを忘れ去り、トバリも、センテイとの日々を――それを拭い去ることを望む人物が、センテイをおいて他にいるとは思えなかった。
 センテイはトバリを見限った。もう二度と、永遠にトバリの存在を認めることはない。

 現実とあまりにかけ離れた夢想は破綻するものだ。
 ふつうの子どもでさえ想像のつくことが、トバリには分からなかった。


◆ ◆ ◆


 トバリはぼんやりと自室の天井を見上げた。
 初夏のじっとりとした闇が部屋にこもっている。花も光も、何も存在しない。ひとりだ。
 一度意識を取り戻しさえすれば、状況把握は容易なことだった。つい先ほどまで大蛇丸の趣味に付き合わされていたのである。いつものことだ――いや、生きる上で大蛇丸の無体になぞ慣れてはいけないのだろうが、過去の感傷に浸るよりかはずっと精神衛生に良い気がする。
 酸素不足と激しい嘔吐感から、トバリは上体を捻った。途端に、今さっき再生したばかりなのだろう肺が、気道のことなぞ素知らぬ振りで酸素を欲しがる。全く困ったワガママボディだ。冗談もそこそこに、トバリは喉に詰まっている血を床に吐き出した。脇に肘をついて、ありったけの体液を口と鼻から絞り出す。ゲホゲホと咳き込む度に体が軋み、真皮を露出したままの胸部が痛んだ。
 呼吸が楽になると、トバリは床に崩れ落ちた。ブルーシートの固い肌触りはぞっとしないものだった。視界の端には畳の青が映ったから、自分の周りにだけブルーシートが敷かれたままになっているのだろう。細やかな気遣いが有難い。失神手前で好奇心を収めてくれると、もっと有難い。
 深呼吸を繰り返しながら、トバリは思った。大蛇丸の存在はトバリを強くしてくれる。


 また懲りもせずに失神していたらしい。
 トバリは頭上に手を伸ばして、目覚まし時計を手に取った。意識を失ってから二十分も経っていない。いや失神する時点で全く良くはないのだけど、最早如何しようもない。何はともあれ、今回は母に振り回されることもなく、単なる走馬灯で済んだだけ運が良かった。運が如何こうで済ませて良いのかは不明だが――トバリは遅れてやってきた頭痛に頭を抱え込んだ。少しずつ息を整えて、気持ちを落ち着かせる。物理的な痛みは、却ってトバリの気持ちを和らげてくれる。実験と称する性癖によって、全身余すところなく傷めつけられるのは言うほど嫌ではなかった。
 それにしても大蛇丸もよくよく懲りない男……心は女……? いや、どちらでも良いか。
 数日おきとはいえ、大蛇丸はトバリの血液や肉片を遠慮なしにガバガバ採取していく。重量で言えばとっくにトバリ一人分になったのではなかろうか。それだけの体組織一体何に使っているのだろう。もの知らずなトバリが幾ら考えても、あれだけの体組織を消費する方法が食用以外に浮かばない。まあ多分、トバリ以外の何かにくっ付けて遊んでいるのだろうが……考えるだけ無駄だ。

 ぼーっと天井を見つめながらトバリは回復を待った。
 精神衛生が整うと、やはり物理的な痛みも不快になってきた。大蛇丸が「そのうち痛覚も鈍るわよ」と言っていたので幾らか期待したのだけど、全くそんなことはなかった。全然なかった。
 寧ろ、痛覚が鈍るどころか、まだ訪れてもいない痛みまで生々しく予知できるようになってしまった。血を流し、体が傷つく度に、五感は鋭敏に研ぎ澄まされていく。これでは単に意識が飛びやすくなっただけだ。前より悪いではないか。トバリの「あなたはうそつきだ」というクレームに対しても、大蛇丸は「そこを乗り越えてこそ新しい扉が開くの」などと適当な助言を返すばかりである。性別もよくわからないし、やはりヒルゼンの言う通り、あの男は教師に向いていない。
 四才児が相手だから舐めた態度を取っているのか、元からそういう人間なのかはいまいち判別がつかないものの、大蛇丸が口にする言葉は思い付きが殆どだった。真摯に受け取らない方が良い。
 重度の貧血症状に悩まされながら、トバリは「大蛇丸の言うところの新しい扉とは、異常性癖に繋がっているのではないだろうか」と思案した。痛覚が鈍くなることと引き換えに人体実験でしか性的興奮を覚えられない人間になるなら、痛覚なんて鈍くならないほうがいい。
 こうも連日大蛇丸のアブノーマルなご趣味に付き合わされると、小さい大蛇丸になってしまう。
 尤も、幸いにして明日から長期の任務に出るらしいので、その心配は杞憂である。
 暫くは大蛇丸節を聞かずに済む。安堵のあまり、思わず「二度と帰ってこなければいいのに」とか言ってしまった。流石に“口に出すべきではなかったな”と自省する一方で、それを耳にした大蛇丸は上機嫌のまま去っていった。トバリの鼻を削いでから。二十分前のことである。
 鼻を削がれるのは初めてだったので、恐らくそれが決め手になったのだろう。

 大蛇丸への不平不満で気持ちを紛らわせていると、時間は飛ぶように過ぎていく。
 トバリは床に寝転がったままの遅々とした動作で、血なまぐさい寝間着を脱ぎ捨てた。
 下着のままブルーシートを下り、窓際に這っていく。大蛇丸との情事のため、窓は雨戸に至るまできっちり閉められている。イタチの家を訪ねてからずっと雨戸を閉め切った寝室に篭っていたが、今宵の月が満月だということをトバリは知っていた。その証拠に、欠損部位の再生が速い。
 窓枠に縋るようにして体を起こすと、トバリは窓を開けた。雨戸をずらす。鼓動はまだ激しく脈打ち、腕の火傷はまだ残っていたが、もう真皮を露出している部位はない。胸が詰まった。
 物理的な痛みが収まると、大蛇丸で茶化したはずの感傷が頭蓋に立ち込める。
 頬を、生ぬるい夜風が撫ぜた。トバリは窓枠に殆どもたれかかって、外を眺めた。
 部屋の空気を入れ替えるためだけに設けられた窓は、大した景観を望めない。雨戸を閉め切って陰気な母屋と、そこへ続く通路、荒れた庭。その向こうに、無人の温室がある。抜いても抜いても生い茂る雑草に覆われ、気難しい草木の一部はトバリに愛想を尽かしはじめていた。初夏であるにも関わらず、擦りガラス越しに低木の骨が見える。それがトバリが見た夢の正体だった。


 去年の春、温室のなかは色とりどりの花が咲き乱れていた。
 金と銀の花びらを広げ、甘い芳香を漂わせるスイカズラ。その傍らでスイカズラと殆ど同じ色・形の花をつけるのは猛毒の瓢箪木。ちぐはぐなサイズの実が二つ並んだ姿は瓢箪そっくりで愛らしいけれど、どれだけツヤツヤと赤く熟しても口にしてはならない。縮緬を思わす朱の花塊はレンゲツツジ。甘い蜜には強い痙攣毒が混じっている。白い花胞を鈴なりにつけるアセビには神経毒がある。スイセン、トリカブト、キョウチクトウ……いずれも有毒植物だ。人を殺すために集められ、幾度となく人を殺めてきた花々。荒廃しきった庭と地続きの悪徳は白々とした光に包まれている。
 勿論センテイは、あの可憐な花々の正体を知っていた。代々奈良一族は薬学に長けた者が少なくない。センテイも奈良家の男の御多分に漏れず、ありとあらゆる植物に通じていた。

 センテイは数限りない有毒植物を育て、求められれば毒薬の調合もしてみせた。
 扉間が生きていた頃は扉間のために、そして彼の死後はカンヌキのために。
 里の内外を問わず敵の多い扉間にとって、足の怪我を理由に侮られるセンテイは最も身近な“暗部”だったのだろう。カンヌキがトバリの世話役と定めた以上ただの“庭師”でないのは分かっていたものの、トバリの前では若い頃の話をしたがらなかった。ただ、トバリの身を案じたのだろう。口元に人差し指を立てて、この温室内の花はみんな有毒植物なのだと教えてくれた。
 瓢箪木とスイカズラのように、近縁種で無害なものがある場合はそれと混ぜて、観賞用として一般家庭でも育てられる種は可憐な鉢植えに植える。センテイはそうやって、生々しい悪意を丹精に誤魔化して、あの温室内を清浄な光で満たしているのだった。それは見事な仕事だった。
 センテイは色々なことを知っていた。去年の春、トバリは植物についてうんと詳しくなった。
 スイカズラと瓢箪木の見分け方は、教わってしまえば簡単だ。同じ色形をしていても、花びらが糸のように細い。スイカズラと瓢箪木の見分け方を覚えたのが愉快で、時折スイカズラの蜜を楽しむようになった。まるで生産性のない花蜜には、血肉の気配がない。その虚しさが面白かった。
 しかし、センテイはトバリの“お楽しみ”を許さなかった。瓢箪木の毒は花弁にないけれど、万一のことがあるから花蜜を吸ってはいけない。それがセンテイの主張だった。そう叱責された時、トバリは随分久々にセンテイに対して「愚かな男だ」と感じた。どうせ、万一毒に当たったところで死にはしない体なのだ。無意味としか思えない説教を拝聴しながら何の気なしにスイカズラの花を咥えたところ、センテイが顔を真っ赤にして怒った。坊ちゃんもトバリ様も、そうやって、オレが“しちゃなんねえ”つうことを必ずやりなさる。そう言うが早いか、センテイはトバリの口元からスイカズラの花を取り上げた。舌先には僅かに甘い蜜が残り、トバリは自分がスイカズラと瓢箪木を見分けられるのを確信した。それでも、ああも憤られては二度と花蜜を吸う気にならなかった。

 万一のことがある――その“万一”が一体何だったのか、トバリは遂に知ることがなかった。
 その内にカンヌキが死んで、トバリはセンテイの言葉も、スイカズラと瓢箪木の見分け方も、そっくり忘れてしまった。何もかもを。その代わり、今になって瓢箪木の花を吸うのは何ら危険なことではないと理解する。センテイが言うところの“万一”は、結局荒唐無稽なものだったのだ。
 あの温室のなかに渦巻く悪意の全てを呑みこんでも、トバリが死ぬことはない。


 センテイが自分の姿を認めないことについて、然したる不満はなかった。
 毎日のように庭へ通ってくる老爺との思い出が乏しいのは些か不思議だったものの、別段違和感を覚えるほどでもない。センテイは庭師だ。トバリの親でも、親戚でも、友人でもない。養い親のヒルゼンさえ滅多に会いにこないのに、たかが庭師との思い出が幾らもあるはずがない。
 自分が来てから後の記憶がまるきり存在しないことにも、“きっと自分はカンヌキや祖父程に彼と交流してこなかったのだろう”と思っていた。所詮は祖父と父親が懇意にしていただけの庭師。
 汚れた指で自分を抱くのを躊躇っていた老爺が、自分に何をしてくれたかなど探るまでもない。自分たちはそういう他人行儀な間柄だったのだ。そして幾らか思い出したあとでも、滑稽なことに“自分はセンテイに恨まれていたのかもしれない”とは、ただの一度も考えたことがなかった。
 あの老爺が逃げ出したかったのは“大切な人間が誰一人いない世界”ではなく、“トバリというバケモノひとりが残された世界”だったのではないか――そう気づいてしまえば、納得がいくのに。
 センテイはトバリを恨んだだろうか。この子さえふつうだったなら、全てをやり直すことが出来たと思ったのだろうか。多分そう思ったんだろう。だからトバリのことを忘れてしまった。
『かわいい子ぉだった。三代目の言う通り、ほんとに柱間様によく似とってな』
 自らの心を守るために、そう思い込むことにしたのだろうか。
『あなたの背後に守られた土地に、あなたの慕ったお兄様によう似た子ぉが産まれました』
 やさしく謳いながら、センテイは決してトバリを見ようとしない。
 

 スイカズラと瓢箪木を混同しながら、トバリはよくセンテイの話に耳を傾けた。
 誰か、トバリではない相手に話し掛ける声は優しい。センテイはいつもそうだ。あまりに優しいから、その内に自分に対する畏怖や憎しみがあるのではと思い至ることが出来なかった。
 二人で子猫の世話をした。カンヌキから庇ってくれたことも、有毒植物の見分け方を教わったこともあった。その、トバリに対する優しさの全てを消し去りたいと望んだのだろうか。この子さえいなければ、それとも普通の子どもだったらこんなことにはならなかったと思ったに違いない。
 カンヌキの集めた有毒植物に水を遣りながら、トバリがそのどれかに中って苦しめばよいと思ったかもしれない。そうじゃないと言うなら、何故トバリのことを忘れた。如何して、センテイに優しくされた記憶ばかりが抜け落ちている。フガクとミコトの間で幼さを見せるイタチの姿に、トバリは幾らか既視感を覚えた。あの温室内は有毒植物で満ちていたけれど、知識さえあれば毒は何ら恐ろしいものではなかった。温かな光のなかで、センテイの指が、声が、トバリに様々なことを教える。坊ちゃんもトバリ様も、そうやって、オレが“しちゃなんねえ”つうことを必ずやりなさる。スイカズラの蜜を吸う。食事を摂らない。眠ろうともしない。センテイ以外の人間と関わる。外へ行く。外へ行く。外へ。センテイが禁じた全てを試してみても、二度とセンテイは怒らない。

『なんて可愛い子だろう……なんて、いとしい子だろう……』
 腕に抱いた温もりは、カンヌキの心の傷を癒すための希望。誰より慕った男の子孫。
 そう信じたあの頃のまま、センテイは永遠にトバリのことを許さない。
 喩え人間でないにしろ、この子に何の罪があります。いつかの夜にセンテイが口にした台詞だが、彼はその問いの答えを見つけたのだろう。保身のために自らの罪を噤み、他人のものを欲する。トバリの決断は、ひととしての理性より、獣としての本性が常に勝ってしまう。
 いつ他人に牙を剥くか分からない獣を人里に放すことは出来ない。自分で自分が恐ろしかった。

 ……食事会のあと、何度かイタチが訪ねてきたのは家政婦から知らされていた。
 “具合が悪いなら見舞いたい”という申し出もあったものの、その何れも家政婦に頼んで断って貰った。イタチがトバリのことを気に掛ける間はずっと寝室に篭るつもりだ。もう二度とイタチには会わないだろう。センテイとの顛末を思い出したのだから、情がある相手にはあまり会うべきではない。トバリが傷つくからでも、兄たちが手を出すからでもない。トバリが害してしまう。
 トバリは化け物だ。体が如何こうではなく、道徳の根付いていない本性が人の枠を超えている。
 イタチの家にいる間、トバリは自分の理性が薄れていくのが分かった。代わりに狂おしいほどの飢餓感と、原始的な欲望がトバリの裡に渦を巻いて、その思考回路を灼いた。
 フガクが炊いたらしい水気のないご飯、不格好に繋がった漬物と塩辛い味噌汁。残しても大丈夫よと苦笑するミコト、屈託なく父親の包丁さばきを詰るイタチ。平和で有り触れて退屈な夕餉。何を食べても血肉の味がした。カンヌキの娘を貪った時と同じだと、トバリは悟った。
 自分が踏みにじったものが何か知らしめるため、わざとここに呼ばれたのではないかと思った。トバリさえいなければ、カンヌキはこうした団欒に囲まれていただろう。カンヌキの娘は、生きていれば今年二十四才になる。ミコトのように、子どもがいたかもしれない。ぬくぬくと自分の存在を保証されて、迫害されることも、知性を奪われることもなく、しあわせに老いていく生涯。この里に生きる人々は、トバリがどれだけ望んでも手に入らないものを平然と手にして生きていく。

 最早認めるとか、認めないとかではなく、トバリの本心は明らかだった。
 もう、イタチに会うのは止めようと思った。明日も明日も明後日も、トバリは微熱を拗らせたまま生垣の外へは出ないだろう。イタチが訪ねてくる間は、ずっと。あの根気強い幼児がトバリとの和解を諦めるのは、いつになることか。去り際に眼を飛ばしたのが悪かったのかもしれない。しかし何の前触れもなく疎遠になるのも、納得しがたかったのではなかろうか。分からない。
 トバリは頭を抱えて苦悩した。月は豊かに満ちて、白々と清浄な光を放っている。しかしその光を何万何千年も浴びて育ったトバリは、彼女が捨て去った悪徳の全てを注ぎ込まれていた。
 兄にけしかけられた時と同じだ。トバリは分かっていた。過去現在未来の何れの世界線でもトバリの手に入らないもの。生殖のために産まれ、生かされながら、絶対的にトバリが得る事の出来ないもの。温かな子宮に潜り込んだ時の恍惚を思い出す。祝福を宿して、次代の命を産む身体。


 次は“あれ”が欲しいのだ。
緋色の果実
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