大陸北部――火の国上方に位置する“空区”の果て、鉄の国。
 三狼と呼ばれる三つの山からなるばかりか、一年を通して雪が降り積む寒冷地だ。一応土地が痩せているなりに、キャベツ・ホウレンソウなどの寒冷地農業に適した作物を育てているのだが、それでも食料自給率では他国に劣る。しかし農業以外にも漁業や林業、刀鍛冶をはじめとした工業面に力を入れているので、単純な国力では火の国にも引けを取らないだろう。尤も鉄の国が独立を……それも中立国を気取っていられるのは、国力に富んでいるからではない。
 侵略者的視点から値踏みすると、鉄の国は所詮“その土地固有の名産物があるわけでも、名だたる人材を輩出する一族が暮らすわけでもない、深い雪に閉ざされた不毛の地”。増して、特別攻撃的なわけでもなかった。遺恨がない代わり、富もない。そんな国と争ったところで、悪戯に疲弊するだけなのは自明の理。そういう背景故に、鉄の国は“永世中立”を声高に喧伝出来た。

 国家の様相を呈していない放棄地ではあるものの、空区も鉄の国と同様の中立地帯である。
 空区に立ち並ぶ廃墟群は、火の国・滝隠れの里・田の国による分割統治時代の名残だ。元々空区から先の北方半島は土地こそ痩せているが、水源は豊富である。そこに、第一次忍界大戦に前後して鉱山が見つかったことで周辺三国から人が集まり、あっという間に鍛刀地として成立した。鍛冶師・武器商人とその関係者たちで構成された自然村は後に“鍛の里”と名付けられる。
 火の国は滝隠れと友好関係を結んでいたし、田の国も国力差故にあからさまに不仲だったわけではない。三国による分割統治は円満で、火の国という大国を後ろ盾に鍛の里は“流通の要衝”と言われるほど発展した。雨後の竹の子に負けず劣らずの勢いで建物が増え、人口が増す。しかし際限なく膨らむ人口と違って、鉱脈は有限だ。時間を置けば増えるというものでもない。

 大陸北部は寒冷地である。夏が短く、冬は寒い。
 それも田の国程度の気候なら返って良い米が獲れるのだが、北方半島は土質もさることながら気候的にも農耕に向いていない。露地栽培はまず不可能。ビニールハウス栽培を試すほど熱意のある農家は鍛の里にやってこなかった。何故と言えば、大陸気候は温暖で、北方半島と雷の国と土の国の一部を除いて雪は降らない。大陸の人間は原則的に寒さにめっぽう弱かった。ただでさえ初期投資の回収が見込めるかどうかも危ういのに、誰が好き好んで寒い里にやってくるのか。
 殆どの食料品は輸送費が上乗せされて高い。閉山後は無論、武具の材料となる鉄鉱石を余所から仕入れなければならない。それまで原材料費だけで済んだものに、輸送費が上乗せされる。吹雪が来ようものなら平気で一月二月、物資輸送が滞る。さむい。さむい。めっちゃさむい。ヤバイ。
 極めて博打要素の高い資源を軸に繁栄した鍛の里は、たった八年で消滅した。
 鍛の里のような、泡沫的かつ実験的な都市作りが各地で横行した遠因も隠れ里システムにある。


 木ノ葉隠れの里は、千手一族とうちは一族の連盟組織に端を発する。
 千手とうちは、その二つの一族が幾ら火の国で一二を争う有力な忍一族とはいえ、互いに与えられた領地は微々たるものだった。休戦協定と連盟締結を重ねて“合併”の運びになったとはいえ、国家にしてみれば村とも呼べない小規模な組織である。しかし、そこに猿飛一族、志村一族、奈良一族……多くの忍一族が混ざることによって、急速に領土を拡大。連盟組織の共有不動産が集落・村を超えて“里”と呼ばれる規模になるまではあっという間で、昔ほど頻々でないとはいえ、“木ノ葉隠れの里”への帰化と拡大は設立から四半世紀ほど過ぎた現在も行われている。
 火の国上層部が“木ノ葉隠れの里”という忍一族の連合組織を認知した時には既に一組織として看過するのは不可能な規模であった。何も考えていない千手柱間は呑気に承認を求めたが、国家の脅威もしくは国家転覆を狙う逆賊と見做される可能性も全くないではなかった。
 結論から言うと、勿論、千手柱間の屈託ない提案は新たな火種とはならなかった。兄よりかは何か考えている千手扉間が「兄の手綱を握る必要はない」と判断した通り、大名は木ノ葉隠れの里を“地方自治体”として認め、その一切の自治を里長として定められた者に任せると公的に約束した。疾うに侍は前世紀の遺物となって久しかった当時、“忍無くして国家存続は不可能”という認識が当たり前だった。国家帰属を誓う軍事組織と争う理由も、力もなかったのである。

 一つ認めたのだから、同じ条件を満たした他を認めないわけにはいかない。
 従来の“行政区域”としての括りではなく、“一つの組織形態”としての里が多量に新設された。
 そうした新興里の最大の特徴は、里長が地方官僚の末席に組み込まれず、大名直下に置かれることである。無論国家の一員として果たすべき義務は決して少なくないものの、取引なり提言なり、国家元首相手に直接やり取り出来るのは非常に大きいメリットだろう。
 ただし里長による自由自治が認められる代わり、治安維持に即しても独力で解決することを求められる。勿論大した軍事力を有さない場合は国家行政機関に委託することも可能だが、その分里政に制限が課される仕組みになっていた。しかし、そうしたケースにおいては傭兵を雇うのが主流だ。自由自治を目的に里を興すのだから、金銭的解決を選ぶのは当然と言ってよい。
 隠れ里は一個の独立組織ではあるが、それと同時に一つの国家に帰属する軍事組織の側面をも併せ持つ。それ故、依頼時の契約書には戦争状態に陥った場合は任務を切り上げて国家の危機に備える旨が記されている。また、民間人が依頼する際は、任務達成まで半年以上掛かるだろう案件は予め断られる。そして長期任務は、喩えランクが低かろうと高い。ついでに、長期任務の際は帰里後の報告書作成だけでなく、任務中の定時連絡が義務付けられている。
 一々里内の機密情報を他里に報告する傭兵など、どこに雇う価値があるのか。傭兵として雇うなら、帰属権ごと買い取りたいと思う人間は少なくない。とかく忍者は傭兵に不向きであった。

 それではどこで“理想的な傭兵”を調達したらよいのだろう? その答えが鉄の国である。
 鉄の国の主な財源も隠れ里同様“人的資源”なのだが、隠れ里よりずっと自主性が強い。軍備を疎かにしているわけではないが、軍属の人間でない限り帰属先の選択は各自に委ねられる。
 なお独自性が高い代わりに所得税の税率も高い。金策の如何は問わないが、十八才以上の国民からは稼いだだけ税金を徴収する仕組みになっている。尤も、国が違えど経済事情はそう変わらない。火の国のみならず殆どの国では忍者は個人に掛かる所得税を免除されるが、民間人は隠れ里に住んでいようといなかろうと所得税を納めることが義務づけられている。

 殆どの財源には限りがあり、安定供給は難しい。
 鉱脈はいずれ掘り尽くされるし、農作物は天候と土壌に左右される。漁業・狩猟は無論、獲物として狙う魚や鳥獣が絶滅するほど獲ってはならない。一見安定して見える畜産にしろ、病の流行や出産率を完全にコントロール出来るわけではなかった。しかし“人的資源”はその限りではない。

 最初は、各大名とその流れを汲む者による内乱に過ぎなかった。
 自らが覇権を握るため、同じ国に産まれた者同士で潰し合う。自分より富んで、位の高い人間を殺そうを目論む。しかし貴人は決して自らの手を汚すことなく、遊戯盤の上に立とうとはしない。彼らは指先の“駒”が忍者だろうと侍だろうと、そのどちらでもなかろうと、ただ役に立つなら何でも良かったのだと思う。即物的思考と露骨な侮り。それゆえ彼らは忍者を好んで利用した。
 戦国時代末期の血で血を洗う混乱の中で、千手柱間の打ちだした“隠れ里システム”は大きなターニングポイントになった。国内の有力な忍一族がこぞって千手柱間に同調した結果、遊戯盤に乗せる駒がなくなってしまった。いや、それでも彼らの手元には自らの領地で育てた兵があり、侍を頼ることも出来た。千手とうちはの同盟によって内乱が収まったのは、大名たちが“忍術という圧倒的な力の前に、自分たちの渇望した覇権とやらは何の価値もない”と察したからだった。
 忍一族が“その気”になりさえすれば、国家転覆なぞ朝飯前だ。優れた忍者なら、たった一人でことを為すことも不可能ではない。机上の空論ではなく事実として、忍術は容易に国を亡ぼす。
 忍一族が大名以下、チャクラを使いこなせない一般人に金で雇われるのは、彼らに劣るからではない。忍一族に産まれた者はごく幼い頃から厳しい修練に励み、青春期においては先祖代々伝わる秘術の会得と発展に時間を費やし、やがては強者との命を賭したやり取りのなかで没する未来を疑いもせずに日々を生きる。無論畑を耕す暇も、魚を獲る暇も、家畜を飼う暇もない。“絶対嫌だ”というほどではないが、“出来れば修行ついでに生きる糧を得られれば良い”と思うのは極めて自然だろう。彼らは自分以外の財源に費やす手間を惜しんで、一般人に飼われることにした。
 “飼い主”は誰でも良い。可愛がってくれるひとであれば懐くし、善人でなくとも最低限こちらを尊重してくれれば従おう。しかしあまりに愚かな飼い主に飼われたくはない。
 確かに最初は、各大名とその流れを汲む者による内乱に過ぎなかった。しかし、その“最初”のずっと前から主従関係の主導権は忍一族の側にあったのだ。大名たちは自分が立っている床に引かれた直線が盤上のマス目に酷似していることに気付いて、あらゆる荒事から手を引いた。

 戦国時代末期、並み居る政敵を退けて火の国の大名となった男は傍系の産まれである。
 豊かな領地を与えられていたわけでも、機知に溢れていたわけでもない。ただ一応公家の末席に身を置く都合上“何が何でも勝たなければならない戦”があって、数度千手を雇った。その際、まだ若い千手兄弟と一言二言交わした。彼が大名の座を勝ち得た理由は、それだけである。
 忍一族は幾ら活躍したところで家臣として取り立てられることはなく、契約期間が終われば雇用主に何の義理もない。その気ままな立場を利用して、扉間は御しやすい好人物を探した。
 政敵どころか家臣たちにさえ“万が一にも大名の座にはつかないだろう”と軽んじられていた“彼”は、扉間の知る限り大名系譜に記された者のなかで最も温和な気性の男だった。
 彼にとって千手一族は立身出世の恩人であり、千手一族主導の連合組織には端から何の危機感も抱いていなかったのである。戦国時代が終わると共に大名職は本来の世襲制に落ち着いた――というか、無理やり落ち着かせたため、当代大名が木ノ葉隠れに抱く好感情は強烈かつ根強い。

 人が好いだけの傀儡は千手柱間が望むだけの権利を木ノ葉隠れの里に認めた。
 今後如何なる法統治が敷かれようと、忍者の生死、その人権については各々の属する隠れ里に委ねられ、国家は一切関与しない。各国隠れ里との外交の場に国家要人を必要としない。飽く迄“結論”は大名殿で出すものの、対隠れ里外交の最中で成立した越権行為は国家への帰属意識が見受けられる場合に限り黙認する。一応“越権行為”とは言うものの、建前に過ぎない。茶番である。隠れ里システムが成立すると同時に、世の中には“合法的治外法権”という矛盾が産まれた。
 たかが地方公共団体の長に、国家元首相当の権力とそれを上回る軍事力が集約している。どれだけ大名以下、真っ当な家臣が自分たちのみで国を回そうと四苦八苦したところで隠れ里に頼らなければ暮らしていけない。そういう社会構造が闇に包まれていた時代は戦国時代が最後となる。
 千手柱間は隠れ里システムに望みを託したが、或る意味では隠れ里が成立した時点で更なる戦火は確約されていたのかもしれない。隠れ里システムは忍界のみならず様々な方面に影響を与えた。
 
 凡そ、資源と言うべきものは八種類に分けられる。
 水資源。鉱物資源。森林資源。水産資源。海底資源。海洋資源。観光資源。エネルギー資源。
 戦国時代が終わり、同国内の忍一族の連盟からなる隠れ里システムが普及すると、それまで暗黙の了解として主軸に据えられることがなかった人的資源が大々的に利用されるようになった。
 例え資源に乏しい国であっても、優れた忍者を輩出することで外貨が稼げる。一人の力で国を豊かにすることも出来る。人々は同国内で奪い合うのを止め、他国から奪うことを覚えた。

 はじめは小さな祈りだ。
 家族を飢えさせたくないとか、ちゃんとした医師に診せたい、温かな寝床で休ませたい。愛するひとに何の苦痛もなく、幸せに笑っていてほしい。彼らが平和に年を取っていける未来が欲しい。自分が望んだ人と屈託なく過ごしたい。その何もかも微笑ましい、無垢なる祈り。
 隠れ里システムがあらゆる忍一族にとって希望だったのは言うまでもない。しかし人的資源が一番役立つ事業が“戦争”である時点で、千手柱間の夢見た未来は絶望と表裏一体の“業”だった。
 業と化した時点で罪なのか、それとも遅かれ早かれ絶望をまき散らすなら、祈った時点で罪なのか。一つの祈りが結実した暁に一つの地獄を産むのなら、その“願望”を如何するべきだろう。

 ……人々は果たして、あの渇望を如何するべきだったのだろう?


 青々とした海洋の中央に横たわる大陸は、五つの気候帯が複雑に混ざり合う広大な土地だ。
 鉄の国を最北端に頂く北方半島は人が住むのに些か不向きではあるものの、一応は春夏秋冬ぐるりと季節が巡る。冷たい大気は火の国方面へ南下するに従ってぬかるみ、湯の国・田の国が群れ固まった草原地帯へ差し掛かろうかというところで雨雲をもたらす。それは、雨隠れの苛烈な豪雨とは違う豊かな降雨だった。山脈を潤し、地中から溢れた水は山肌の上を滑って山麓へ向かう。
 異なる径路を伝って下りてきた支流は糸を縒るようにして束ねられ、やがて人々から中央大河と称される奔流を南方に走らせる。火の国を横断した後は川の国へ下り、海に放出される。

 川の国は中央大河の支流が最も多く、古くから操船技術に長けた一族を有してきた。そうした一族は運送業を営む他に漁船を操り、川は勿論、沿岸・沖合含め国内のありとあらゆる水場で漁を行う。大陸一の水産国と名を馳せる川の国は、その高度な輸送技術もあって河川沿いに多くの魚河岸・青果市場を抱えている。河川水運を軸にした運送業は各国の陸路輸送構造が発展するに従って縮小傾向にあるとはいえ、川の国が内陸輸送の覇者であることに変わりない。
 強大な軍事組織を有さない小国は、原則的に大名以下民間人に至るまで同盟関係にある国としか交流を持たない。友好国の人間でない限りまず査証が発行されないため、友好関係にない国の人間が入国するには国境警備の穴を突いて無法侵入を図るのが一般的である。尤もきな臭い昨今、無法侵入はそう珍しいことではない。各国首脳も忍者たちが己が任務のために査証なしに入国してるだろうことは織り込み済みで、事が起こらぬ限りは“知らんふり”を決め込んでいる。しかし鉄の国に劣るとはいえ“中立”寄りの川の国に限っては例え友好国の人間であっても、本人含めその三親等に軍事関係者がいる場合は査証が下りない。自国内に隠れ里を有するが故の余裕だろう。勿論川の国側から要請を受けるか、もしくは大名直々に許可が下りた場合は別だが、前例は少ない。
 ただし国籍に関係なく、飲食関係者は比較的容易に査証を得ることが出来る。特に大口の輸入業者であれば事業所単位の審査となるため、ガバガバと言っていい。勿論“信頼”が損なわれることがあれば連帯責任を取らされるものの、逆を言えば川の国にバレさえしなければ良いわけだ。
 名実ともに“流通の要衝”として賑わう川の国には、時期を問わず多くの食品業者が入れ代わり立ち代わり買い付けに訪れる。その“食品業者”のなかには川の国経由に他国へ不法侵入しようとする間諜が少なくない。カンヌキも、そうやって他国に侵入する間諜の一人だった。

 彼が他の間諜と一線を画す理由に、里外で真っ当な貿易会社を経営していることが挙げられる。
 極めてマメな彼は間諜任務用に里から貰った外部戸籍の他、任務に巻き込まれて死んだ一般人やチンピラの戸籍をも有する。後者については完全に違法行為なので公にしていないが、暗部の一部――ダンゾウはよくよく理解した上で、“根”から数人の訓練生を貸与していた。
 幾ら放浪癖があったとしても、それまで懇意にしてきた人間と一切の連絡を経つのは不自然である。そのため入念にその人物像と交友関係を洗った上で少しずつ交友関係を狭めていき、最終的に“便りがないのは良い便り”状態に持っていくわけだ。大抵の人間関係はパターン化しているので、そう難しい作業ではない。ただ、それが十数人となると流石にカンヌキ一人で如何にか出来る問題ではなくなる。そこで、ダンゾウから借りてきた人間に自分の代わりを任せるのだ。
 感情のない根の人間は忍術や体術こそ大したものだが、対人スキルが全くといってない。ダンゾウにとっても、カンヌキが自分の部下に間諜技術を仕込んでくれるのは有難い側面がある。
 彼らは一月ほどかけて一般人に溶け込む術、自分が演じる人物の人となりを学んだ後、カンヌキの“代理”を務める。なお“適性”があると見做された場合は、任務終了後もカンヌキの経営する会社の従業員として、そのまま公的な――とはいえダンゾウの独断によるところが強いが――間諜任務に回されるのが常だ。カンヌキは“根”の一員ではないが、彼の組織との癒着は深い。

 多くの手間と人材を掛けているだけあって、カンヌキは優秀な間諜だった。
 彼はありとあらゆる場所に知人がいて、彼自身も両手の指に足らぬだけの仮面を演じ分けることが出来た。大した忍才を有さない代わり、己の労苦を惜しまないカンヌキは世情に通じていた。

 隠れ里の勃興期、人々はただ千手柱間をはじめとした才能ある人間に牽引される。
 それで良かったのははじめの十数年。当時を知る忍が死に絶え、もしくは現役を退くと、後には強烈な光に焦がれた秀才――決して凡才なわけではないが、“決して千手柱間にはなりえない”――そういう種類の呪いに囚われた者たちばかりが残される。二代目火影・千手扉間の死後、いよいよその呪いは色濃くなり、勃興期にまだ幼児だったヒルゼンを度々悩ませた。
 そうした状況で、恐らく“強烈な光”に慣れたカンヌキは使い勝手が良かったのだ。中途半端に忍才があるわけでもないカンヌキは、凡才には凡才なりのやり方があることをよく知っていた。
 カンヌキはヒルゼンたちが知りたがっていた処世術をよく知っていたが、それだけだ。
 カンヌキと付き合いの長い大蛇丸には、彼の正体がよく分かっていた。カンヌキはふつうの男である。その感情の発露も、忍才も、その何もかもが成人男性の平均に沿う。他人より秀でているのは忍耐力と洞察力のみ。隠れ里においては珍しくもない“努力家”の一人だった。その凡才が、分不相応の汚濁に塗れていくのは傍で見ていて面白いところがある――と、大蛇丸はそう思っていた。
 カンヌキは別に心に誓った大望があるわけでも、特定個人への深い憎悪があるわけでもない。
 ただ、闇中を手探りで歩くのが上手かった。努力家だった。彼なりに里を愛していた。偉大な父親への対抗意識もあった。その全てが鎖となって、彼は日の下へ行くことが出来なかった。


 カンヌキにとって、自分の境遇の何もかもが不運だった。
 本来人生の導き手となってくれるはずの兄たちは年が離れていたし、早々に殉職した。優しい母は病気がちで、やはりカンヌキが幼い頃に亡くなってしまった。後に残された家族は、兄たちを見殺しにし、母が危篤の時も里政を優先させて帰ってこなかった父一人きりである。
 カンヌキは父親が嫌いだった。そして父親も、血縁関係にある凡才を愛そうとはしなかった。
 “隠れ里”で産まれたカンヌキには、父親に構って貰った記憶などない。二代目襲名以前から、父親は多忙だった。父親は常に家を空け、火影屋敷を拠点に方々を飛び回っていた。その薄情さを詰るでもなく、カンヌキ以外の家族は週に一度帰ってくるか来ないかの父親を大喜びで出迎えた。大黒柱の帰宅に賑々しい家のなかで、カンヌキだけが“父親”という名の他人を持て余す。
 皮肉なことに、カンヌキは容姿だけでなく、声も、口下手なところまで父親によく似ていた。共通の話題が一切ない他人と話が弾むわけもなく、稀に父親が話しかけてくれても碌な返事が出来なかった。それを“気まずい”と思ったのか、いつからか父親はカンヌキと直接話そうとはしなくなった。二人きりの家族になるまで、父親とカンヌキの会話は必ず家族の誰かを介して行われた。
 カンヌキと父親の父子関係は極めて希薄だった。カンヌキは父親が嫌いだったし、父親も末子を愛していなかったのだと思う。そもそも三人も子どもを作ったのは娘が欲しかったからだと、母親から冗談交じりに聞かされたこともあった。恋愛結婚で結ばれた両親は睦まじく、例え自分と同じく――そう思うことで、当時のカンヌキは平静を保っていた――無能だったとして、母親によく似た兄二人が父親に愛されるのは当然の帰結だった。カンヌキは要らない子どもだったのだ。
 半ば本気で、カンヌキは自分だけが父親に愛されていないと思っていた。
 母と兄たちに囲まれた父親が目を細めて笑う。アカデミーの視察に来た父親がカンヌキを一瞥するでもなく、教職員と語り合う。演習場や街中で、才能ある若い忍たちを率いた父親が不意に相好を崩す。カンヌキは誰より父親の気配に敏感だった。相反して、父親は誰よりカンヌキの気配に鈍感だった。父親の意識の外にいるという安堵から、カンヌキはよく父親の姿を遠巻きに眺めた。
 顔だちも声も背格好も嫌になるほど父親に似ているのに、その忍才だけが受け継がれていない。
 父親にとっても、父親以外の人々にとってもカンヌキは“出来損ない”だった。

 カンヌキは父親が嫌いだった。
 父親によく似た自分が嫌いだった。
 父親に似ているにも拘わらず忍才のない自分が許せなかった。

 エディプスコンプレックスの申し子とも言うべきカンヌキだが、彼は素直な子どもだった。
 富裕層独特のゆとりで、カンヌキはごく幼い頃から“客観的に見て父親が優れていることは事実だ”と理解していた。自分の感情を置き去りに、父親の言動を素直に出来る――そういう子どもだった。意図せずして、千手扉間の“客観的事実を重んじる性格”も受け継がれたわけだ。
 またカンヌキの母親は愛ゆえに自らの価値観を夫に合わせていた。結果、自他ともに認めるマザコンであるカンヌキは、遺伝と刷り込みによる強烈な帰属意識を有する。それもカンヌキにとって不運なことだった。父親と同じ価値観で生きるカンヌキには、心から父親を否定することが出来なかった。それに加えて、小手先の技術のみで重用される罪悪感もある。己の“義務”を全うするため、カンヌキはひたすらに自分を犠牲にした。それが正しいことだと思っていたからである。
 歪んだ承認欲求を抱えるカンヌキが自己正当化を図るには、“父と同様に里を愛する二代目火影の息子”という期待に応える他ない。その生死に関係なく、カンヌキは父親の影に縛られた。自分の時間は愚か感情さえ削ぎ取って任務に打ち込むにつれカンヌキの厭人癖は悪化していった。
 他人と関わらないということはすなわち隠密行動に適しているということだ。
 生真面目かつ卑屈なカンヌキは自己正当化に失敗すればするほど、使い勝手の良い道具になった。優れた忍者になれば父親への劣等感も消えるのではないか――そんな夢想を抱えて、父親の言うところの“理想の忍者”目指して更なる努力を重ねるからだ。無論、死者に認められることはない。カンヌキの生き様は、鼻先のニンジンを追ってひた走る馬とそう変わらない。
 自分より遥かに忍才に溢れて聡明だった父親を基準に生きるカンヌキは常に草臥れていた。

 カンヌキは自分を含め、“忍者”という生き物を心底嫌っていた。
 祈りあるところに地獄が産まれると言うなら、自己否定の塊とも言うべきカンヌキは楽園に産まれたも同然であった。自らの未熟を確信する彼に、何か祈るゆとりがあろうはずもない。
 母や兄たちのことは愛していたし、少なからず親しい友もいたが、それ以上に彼は不運だった。愛しいと思う気持ちも、快いと感じる気持ちも、全ては欺瞞でしかなかった。自分が本心からそれを愛しいと思っているのか、“そうするべきだ”という義務感から愛しいと思うよう努めているのか、区別が付かないのである。当然、喪った時のショックも微々たるものだった。泣きはするし、笑いもするが、カンヌキは空虚だった。ただ自分の命さえ如何でも良かったので、忍者として良い働きが出来た。結果が出た時の達成感だけが、カンヌキを心から安らがせた。
 これだけ我武者羅に働けば、誰かは「カンヌキもそれなりに優秀な忍者だった。里のために身を粉にして尽くし、最期は木ノ葉隠れの忍として立派な死にざまだった」と認めてくれるだろう。

 随分長いこと、父親のように里に殉じることだけがカンヌキの“祈り”だった。
 多分、いつまでもそのまま、胸の穴を埋める“何か”があると気付かないほうが幸せだったのだ。


◆ ◆ ◆


 雨隠れの南端、川の国との国境近くに深い渓谷がある。
 雨隠れには珍しく水源・自然が豊かで土地が肥沃なことから、ほんの数年前まで渓谷を中心に農村が点在していた。しかし谷底に毒蛇の群生地があるのも関係して、水脈が涸れると人々は渇水の原因を調査するでもなく移住した。逞しい国民性と言えば聞こえがいいものの、国の助けを期待できない雨隠れの住人は移住に慣れている。連続して起こった忍界大戦の影響で、雨隠れの里は大幅に国力を削がれた。社会資本整備の手を地方に回す余地がない関係上、人々は一度“住めない”と見るやあっさり自らの住居を放棄する。そういう背景故に、単なる毒蛇の巣と化した渓谷へ立ち寄る者はなく、付近を通るのも川の国を目指す隊商のみとなった。無水にして無人の場所である。
 その谷底――毒蛇の巣である沼地のど真ん中にカンヌキの隠れ家があった。
 作り自体は雨隠れの里によくある半球体の家屋だが、入口周辺に散らばった毒蛇の死骸や、建売住宅をそのまま持ってきたかのような真新しい外観が異様な雰囲気を醸している。研究施設を地下に格納しているとはいえ、誰の目にも不審な建物として映るだろうことは明白だった。それにも拘わらず一切の偽装工作を行っていないあたり、立地に驕っている様子が露骨に伝わってくる。簡単な結界ぐらい張っておけばよいのにとは思うものの、大蛇丸はこの研究所を気に入っていた。
 カンヌキの息の掛かった隊商に紛れれば、川の国伝いに他国に侵入出来るし、山間部を突っ切ればすぐ火の国だ。谷底はそれなりに広いため、マンダの躾も行える。長年の調教にもめげず全く大蛇丸に忠誠を誓う気配のないマンダだが、ここで躾けるようになってからどちらが上か身に染みて覚えた。調教の様子を眺めていたカンヌキに「君は人徳がないだけでは飽き足らず、蛇にさえ嫌われるのか」と言われたのは腹立たしいが、大蛇丸はそれなりにここを気に入っている。
 何より、大蛇丸はこの隠れ家の地下ですくすくと育つ命に夢中だった。

 地下に格納された研究施設へ降りるには、客間のクロゼット内にある隠し階段を使う。
 一応一般人には分からないようになっているが、偽装工作を行っていないのと同じで熟練の忍者であれば見つけるのは容易である。無事に第三次忍界大戦が長引けば良いが、計画倒れに終わった場合まず間違いなく何故長期に渡って里を空けたのか不思議がられる。ヒルゼン自ら調査に乗り出せば、幾らダンゾウでも庇いきれるものではない。もしそうなったら、カンヌキは如何するつもりなのか――まあ何も考えていないのだろう。よくあることだ。上下関係故に任務中はカンヌキの作った“大穴”をペタリコペタリコと埋めることにしていたが、隠れ家内はプライベート空間である。この泥船に自分の名前が彫られているわけでもなし、大蛇丸はカンヌキの意向に口出ししないことにしていた。飽く迄大蛇丸が関心を向けるのは、カンヌキ自身ではなく、彼の研究内容だけだ。
 どれだけ幼稚な泥船だろうと、沈む時に自分が乗り合わせていなければ何の問題もない。
 階下は長方形のシェルターとなっており、元々一部屋しかないものを二つに区切って使っていた。二部屋だけとはいえ中は広々とした作りで、下りてすぐ右の壁際に人体を収めた生命維持装置五台を設置してもまだ余裕がある。左方には精密機械の他、書棚や作業台、簡易コンロまでもが並んでいた。冷凍設備やカンヌキ個人の研究成果のファイリングは奥の部屋にあるが、大蛇丸は滅多なことでは入れて貰えない。どの道冷蔵庫なら手前の部屋にもあるので、柱間細胞は好きに弄ることが出来た。まあ、柱間細胞の持ち帰り不可で、住居部に戻る前に入念なボディチェックを受けるのが残念と言えば残念だが、それ以外は取り立てて不満もない。寧ろ個人所有と考えると法外に金のかかった設備と言える。カンヌキが死ぬ時は謝礼金代わりに一部チョロまかそう。
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