「ぅぐぇっっ!」 部屋の中に響いたワシの声と鈍い音に、庭の虫の音がはたと止んだ。 その暫しの静寂と薄暗い中、二・三度瞬きをしたワシは己の腹の上に落ちてきたソレを掴みあげた。 「このガキャぁ〜・・・」 「ZZZ・・・」 足首を持ち上げられたのにコイツ、目を覚ます気配が微塵も感じられへん。むしろ快眠中の快眠や。 ん?何や?・・・相変わらずモテますね?アホか。違うわ。コイツはアレや。四足のチビ。 名前は・・・せや、エルグ。 美食會の何か肩書きついとったヤツや。ソイツをワシがコテンパンにどついて塵にしてやったんはついこないだの話。 なのに、何の因果か。その一部が再生して出てきたんが目の前のコレ、ミニマム版エルグ。体も態度もえっらくミニマムになっての復活じゃ。 そのチビの踵が今。気持ち良く寝ていたワシのみぞおちに落ちてきたっつー訳や。 思わず変な声が出たわ。それくらいの衝撃やった。 何や、寝たら本性を出すっちゅー事か?上等やなワレ。同じ目に遭わせたる。覚悟しぃや? ワシは体を起こした。 ・・・よっぽど叩き起こしてしばこうかと思ったが・・・ むにゃむにゃと何か食ってるのかしゃべっとるのか分からん口の動きと穏やかな寝息。暗さの中に仄かに感じる幸せそうなチビの寝顔に、とりあえず大人なワシは思い留まった。 此処は、ワシの家。 ワシらが居るんは、当然ベッドの上。時刻は・・・俗に言う『丑三つ時』や。 何をどう間違ったのか。チビをワシのベッドで寝かす羽目に、しかも一緒に寝るようになったのは、つい先日の話や。 あの日。チビが妖食界で復活した日。ワシはチビを連れて立ち寄った家の主、ダルマのおっさんにこっぴどくボコられた。 ボコられた理由は、ワシの育児放棄。 勘違いも甚だしいが、おっさんは頭がアレやからの。思い込んだらテコでも転がらん。ワシがチビをおっさんの家に置き去りにするべくやって来たと勘違いした。 ・・・そして。おっさんは本気でチビをワシの子と思っとった。 チビの口から『違う』と聞くまで。 ◇◇◇◇◇ 「何じゃ、お主ブランチの子じゃないのか」 「・・・たぶん」 「説得力に欠けるのぅ。ブランチよ、お主まさか嘘を教えてはおらんだろうな?」 「ウソも何も、ホンマに違うっちゅーねん!せやろ?」 「・・・たぶん」 「説得力に欠けるのぅ。・・・お主まさか」 「ホンマに違うんやて」 「・・・」 「・・・」 「・・・説得力がの〜」 「せやから・・・」 「・・・・・・だがのぅ」 「せやから・・・」 「・・・むぅ・・・」 「やから・・・」 「・・・じゃがのぅ・・・」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 ・・・きっとワシ、一生分の『違う』を使い果たしたわ。 えらい時間をかけた末にかろうじておっさんを納得させるまで漕ぎ着けたワシは、脱力感でフラフラやった。何もする気になれんし、今更食うモンもええわと思って、そのまま己の家に帰ろうとした。 そこで。 「あだだだだだ!」 「一人でどこへ行くんじゃこの小童めが」 ダルマのおっさんに再度ボコられた。 ◇◇◇◇◇ ・・・結局のところ、おっさんの家にチビを置いて来る事はできんかった。 チビは初対面のおっさんにすぐ懐きよった。その懐きようからしておっさんの所におるのが最善と思ったんやが。 なのに何故なのか。チビはワシがほな、と言ったと同時にシャツの裾を掴みよった。それをにっっっこり笑って外し、再度ほな、と言ったと同時のおっさんの衝撃波。 疑り深いジジィは、この期に及んでまだワシを父親と思っとった。チビもチビで。何故にワシのシャツを掴むんや。ええ加減にせんかワレ、と睨んどったら、おっさんに育児放棄も大概にせぃと一喝された。そんで、ボケるのも大概にせぇやジジィ!・・・と本気でキレとったワシは、眼が口ほどに物語っていたのか、おっさんと目が合うと同時に更に強い圧でへこまされた。 半泣きで許しを請うワシに、ダルマのおっさんは茶をすすりながら言った。『寝床くらい用意してやらんか』だと。二つ返事の後、うっかり『村はずれに厩舎が』と言いかけたワシは当然死にかけた。危なかったわホンマ。一瞬花畑に居ったわ。 だがしかし。そこが駄目ならどこが有るのか。野生のヘラクの居る森は・・・は声に出す前に呑み込んだ。危なかったわホンマ。これ言ったらホンマに死ぬわ。じゃあ何か?家一軒建てればええのんか?建てたるわそんなん。いや、建てるっつっても今日言ってはいどうぞとできる訳ないがな。 ・・・不本意極まりなかったが、おっさんの仕置きももう堪忍やったワシ。家が完成するまでの間と己に言い聞かせてチビを家に連れてきた。 そして・・・ ワシはチビの寝顔を見つつ、ため息をついた。 腹に喰らった衝撃は、まぁ何とかやり過ごした。どんなに殺人的かて、所詮ガキの力や。不意打ちやったからちぃと効いただけの話で、それ以上もそれ以下も無い。 チビは相変わらず、むにゃむにゃと口を動かしていた。 何や、草でも食っとんのか。でもって反芻・・・は牛か。ワシとしたことが全力で間違うたわ。で、何や?たまーにピクピクと動く手足は。春の草原でも気持ち良く駆けとるんかいな?調子に乗って落馬するんやないで?・・・って落ちようがないわ。しっかり繋がってるっちゅーねん。ホンマ、ワシとしたことが・・・ ワシはチビの寝顔の前で、もう一度ため息をついた。 こんな事なら、チンタラやってないでとっととひん剥きゃ良かったわ。何がって?夢の中のごっつ別嬪さんの事や。 つーか。 コイツ居らなんだったら、普通に遊びに行ってる所やで?普通にその辺の姉ちゃん釣って、普通にどっか入っとるわ。 何が悲しゅーて、家で一人寝・・・もとい子守添い寝してなあかんねん。しかも妄想夢まで見て。何処の青臭いガキやねんワシ。 ・・・別に、その辺に転がしておけば良いだけの話やった。 一言断って出掛ければ済む話や。嫌がったらしばいてでも、寝かしてからでも遊びに行けば良い。 なのに。 自分でもよう分からんが、ワシは今此処に居る。 チビがワシの家に来た初日。 キョロキョロと辺りを見回して所在無さ気にしているチビに、適当に寝ろと声をかけた。 そうしたら暫くウロウロした後、ベッドの横で膝をたたんだ。当然下は板張りやったが、あぁ、せやな。とワシは納得した。柔らかいマットレスでは、ヤツは上手く立ち上がれない。 だからワシは一人でベッドに大の字になった。 なったが・・・起きた。 気になって眠れんかった。 寝苦しいようなうなされているようなチビを起こして、無理やりマットの上に引っ張り上げた。直ぐに起きんといかんような事件は無いわ。このワシの隣におったらな。そう言って毛布を渡してやった。 チビはベッドの隅の方で、毛布を被って小さくなって寝た。 次の日。 チビはワシの家のアレコレに興味を持った。 あれは何だこれは何だとやかましいチビに、好きにいじって構へん。ちゃんと戻しとき。と言って好きにさせた。仕事もあったがやる気が起きずにいたワシは、そのままベッドの上でダラダラしていた。気が付いたらチビは一人で何やらせっせとやっていた。一人で遊んでいるのか、ワシも都合が良かったからそのままにしておいた。 夜になるとベッドの横で何も言わずに立っていたから、さっさと寝ろ。と引きずり上げた。昨日と同じように小さくなって、モゾモゾしとるから何や、寝づらいのか?と聞いたら頷いた。ほな転がっとき。と横倒しにしたら慌てていたが、少し経ったらそのまま眠っていた。 そして次の日。 ワシは店に行く前に、チビをおっさんの家に連れて行った。 仕事が終わったらそのまま家に帰れば良いものの、何を血迷ったのかワシはおっさんの家に顔を出してしもうた。当然のようにチビに出迎えられ、当然のように脇に抱えて家に戻った。 寝るぞと言ったらチビは自分からベッドの上に上がってきた。おっさんの家で何をやっていたのか、ちっと目を離して振り返ったら、チビはもう寝息を立てていた。何や、そんな疲れてたんか。気持ち良さそうに寝ているなと思った矢先、寝返りをうったチビはベッドから転がり落ちた。 その後、ワシが眠ってからも何度もベッドから落ちた。落ちた音で目が覚めたワシは、律儀にも寝ぼけたチビを引きずり上げてやった。挙句チビは5回ほど落ちて、ワシは5回ほど引きずり上げた。 そして次の日。ワシはベッドを壁にくっつけ、チビを壁側に寝かせた。 ホンマ、よぅやるわワシ。ワレながら褒めるに値するわ。ワシはチビの体から落ちた毛布を拾い上げ、腹にかけてやった。 チビはもそもそと動き、毛布をきゅっと握った。 いつの間にか、虫の声が戻っていた。 柔らかく温かい、静寂。 ・・・ワシにも在った。こんな時代が。 寝相が悪いとよく言われた。一晩に何度直したかしら、と。 チビは今でこそこの体躯だが、本当にチビの頃は四足じゃなかった筈だ。ヘラクとの融合は美食會に入ってからだろう。だから今のチビは、床で膝をついての寝方など知らない。だから本当のチビにはきっと居った。居ったはずじゃ。 ワシが触れていたのと同じ、共に暮らしていた、笑顔が。 「・・・慣れるまでじゃ」 此処での暮らしに。 今の『エルグ』としての生活に。 「慣れるまでしゃーないわ」 ワシは一人頷いた。 と。 チビが寝返りしたと同時。ワシの耳のすぐ横をひゅっと囁くような音が掠めた。と次の瞬間、鈍い音と共にベッドが大きく弾む。 一瞬で虫の音も止み、真の静寂が訪れた。 ・・・見たで今。ワレの足、寝返りと同時にムーンサルトさながらの見事な円を描いとったわ!! 高速で繰り出された踵をマットレスがこれでもかと受け止め、反動でワシの体を跳ね上げた。 遠心力も加算されたその回し蹴り、ワシのみぞおちに注いだっちゅー訳かワレは?! で? むにゃむにゃほざく寝言の中に、確かに聞こえたで?ワシの名前や。『ブランチ』と。 ワレ、その寝返り・・・ ・・・わざとじゃあるまいな!? ワシは拳を握った。 ・・・よっぽど叩き起こしてしばこうかと思ったが・・・ むにゃむにゃと何か食ってるのかしゃべっとるのか分からん口の動きと穏やかな寝息。暗さの中に仄かに感じる幸せそうなチビの寝顔。それから、ワシの耳が拾い上げた唯一の寝言。 『おかえり』 それは、おっさんの家から出て来るチビがワシに言う一言やった。 ワシはチビに向けた拳を空に振り上げた。 振り上げて、そのまま毛布に包まった。 「・・・しゃーないわ」 ・・・ワシにも在った。こんな時代が。 寝相が悪いとよく言われた。風邪をひかないか心配だわ、と。 ワシの手や足が当たっても許してくれた、笑顔が。 ワシは目を閉じた。 柔らかく温かい、静寂の中で。 「ぐはぁっっ!」 再度響いたワシの声と鈍い音に、庭の虫もショックで死んだんちゃうか? 「こ、こ・・・このガキャぁ〜・・・」 「ん〜・・・」 い・・・今のは効いた。ム、ムーンサルトか?いや違う。今のは垂直蹴りやった。 しかも・・・凄いところに喰らったわ。 何や、花畑にチョウチョが飛んでるわ。いや、チョウチョやない、星や。キラキラ光っとって綺麗やなホンマ。 あ、あかん。ちぃと呼吸困難やでホンマ。 ・・・ ・・・・・・ 蹴りの入った場所をかばいつつ起き上がろうと手をついた先に・・・マットレスが無かった。ワシはそのままベッドから転がり落ちた。 落ちた瞬間、直前に見ていた夢を思い出した。夢の中のごっつ別嬪さん。 ひん剥こうとしたら、足が四本あったわ。 ・・・何の悪夢やねん。 ・・・ ・・・・・・ しばくぞ。ホンマに。 ← → |