二人、青い空をひらいて・6





朝は、確かに陽が出ていた。
・・・あと5分待ってくれれば。
なまえは心の中でそう呟いた。
午後の授業の開始と共に、段々と暗くなる空。なまえの頭は授業の内容など一つも入らず、あと少しあと少しと呪文のように繰り返していた。そんな祈りの甲斐も無く、下校の時間まであと少しというところで大粒の雨が降り出していた。

「なまえちゃん、今日はお迎え来ないの?」
帰り支度を済ませて校舎の入り口で雨の様子を窺っていたなまえに、級友が声をかけた。
「来ないよ」
「一人で帰るの?」
「うん」
「でも傘無いんでしょ?」
「平気」

平気と断言したなまえだったが、目の前は土砂降りの校庭。その雨の強さと霞む景色になまえは一歩踏み出すのを躊躇っていた。
雨足が遠ざかるのを待っている間、母親らしき女性が一人、また一人と迎えに来ては我が子を連れて帰っていった。
「ゴメンね。急な雨だったから遅れちゃったわ」
「も〜遅いよ〜」
優しく謝る母親に、頬を膨らましつつもご機嫌な子供。
ピチピチ、チャプチャプ、と仲良く口ずさんで去っていく後姿。二つ並んで揺れる、鮮やかな色の傘たちを、なまえは黙って見つめていた。

そうして暫くすると、なまえの周りにいた子供達の母親もやって来た。
「こんにちは、なまえちゃん」
まるで一枚の薄い紙に書かれたような言葉に、なまえも形だけの挨拶を返した。
その後に続く母親たちの社交辞令もいつもの通りだった。謙遜している風に見せかけて、内心は高慢で。親しく接しているようでいて影では牽制しあう様子は、以前自分の周りにたくさんいた大人たちと同じに見えた。
なまえはフラフラと目的も無く動き、皆から少し離れた所に置かれている水槽に駆け寄った。その中を泳いでいる熱帯魚を眺めている振りをして、嫌でも耳に入ってくる会話を聞き流すように努めた。

「なまえちゃんは、どなたかお迎えは来るのかしら?」
背後から急に話を振られたなまえは、振り向かないまま答えた。
「小降りになったら帰ります」
「あれ、なまえちゃん?この間の男の人は?」
なまえは級友の問いに肩を揺らしたが、聞こえない振りをした。
「男の人って?」
「なまえちゃんが一緒に住んでる人だよ」
「じゃあその方が来られるのね」
「来ません。一人で帰ります」
「この雨の中を?」
「はい」
早く話題が変われば良い。そんななまえの願いも遠く、なまえのクラスメイトは母親たちの興味のままに、素直に答えていった。
「お迎えの男の人、ココって名前だよね?」
「だから来ないって言ってるでしょ!」

振り向き様、思わず大きな声を出してしまった。・・・かつての国の言葉で。
きょとんとする級友の横であらまぁとわざと大袈裟に驚く母親の姿。なまえは苛立った。それでもぐっと言いたい事を飲み込んで、また水槽に顔を向けた。
水槽の中でパクパクと水を飲んでいる熱帯魚。それを見ようとしているのに、目に入ってくるのは水槽に映る自分の顔と、その後ろの風景だった。今にも泣き出しそうな自分の顔と、その背中越しに様子を窺う影を、なまえはドン!と叩いた。熱帯魚が驚いて身を翻して逃げた。

『あの話本当なのね』『かわいそうに』と言った母親達のヒソヒソ声は、雨の音で消されている。
それでも、皆が何を言わんとしているのか。なまえは敏感に感じ取っていたたまれなくなった。
水槽に握った手を押し付けたまま目を伏せたなまえに、駆け寄ってきた人物がいた。
「ね、なまえちゃん。良かったらうちの子の傘を使って?」
そう声をかけたのは一人の母親だった。なまえが濡れるのを心配して、と言うよりも憐れみの方が勝っているであろう笑顔だった。幼心にそれを察したなまえは何も答えられずにいた。
「ほら、なまえちゃんに傘を貸してあげて?」
「えー?」
子供の不満そうな声に、優しく微笑む母親。
「ママの傘は大きいから、二人でも大丈夫よ」
「でも」
「ママとくっついて帰りましょうよ」
なまえは奥歯をぐっと噛み締めて二人から顔を背けた。ランドセルを背負い直す。
「さよなら」
「なまえちゃん?」
「このままでいいです」
なまえは顔を上げて、雨の校庭に一歩踏み出した。





その時。





・・・・・・青空?!




降りしきる雨の中に、一箇所。小さな青い空がぽっかりと浮かんでいた。





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