二人、青い空をひらいて・2







「・・・来ないでって言ったのに」




「え?」
なまえの声は傘が受ける雨音に混じって、ココまでは届かなかった。
聞き返したココに『なんでもない』とばかり首を振って、差し出した傘を取りもせずに素通りしたなまえ。それを慌てて追うココ。



ぽつり、と降り出した夕方。

ココは夕食の準備を丁度終えたところだった。今日はなまえのリクエスト通り、チーズ入りのハンバーグと栄養を考えてサラダを用意した。デザートに果物の一つでも、と思って覗いた冷蔵庫に目当ての物は無く・・・次いで窓の外に目を遣ったココは、うん、と一人頷いて。自分となまえの2本の傘を持って家を出た。
なまえの好きなオレンジと、偶々目に入った鮮やかな赤いトマトをいくつか手に取った。それらを購入して店を出ると、やはり雨がぱらついてきていた。このまま本降りになるだろうと確信したココは、買い物を済ませたその足でなまえの通う小学校まで向かった。

つい先日も、『午後から雨だ』と言ったココの忠告を聞かずに手ぶらで行ってしまったなまえ。
そんななまえを、その日もココは傘を手に迎えに行った。今までと同じように。

(そう言えば。この学校ではあれが初めてだったな)

彼女がそれまで通っていた異国の学校。それと全く文化の異なる門構えが道のずっと先に見える。
縁あって国内有数の名門校・・・いわゆるお嬢様学校・・・になまえが編入したのは、僅か数ヶ月前の事だった。
なまえを襲った突然の悲劇。それから3年もの間、人間の醜さに全身どっぷりと浸かった。その全ての繋がりを断ち切るかのように、ココは自分が幼い頃暮らしていたこの国に戻ってきた。なまえを連れて。
この国にはまだ、信じられる人がいる。ココはそう信じていた。そしてココが信じていた心の持ち主、その一人がなまえが通う学校の理事長だった。
事情を知った上で受け入れてくれた彼女に深く頭を下げた日を、ココは今でも鮮明に思い出せた。


ポツ。


あれこれと思案していたココは、鼻先に当たった雫に雨が本降りになった事を教えられた。鼻を拭い持っていた傘を静かに開くと同時に、パラパラと傘が雨を受け止める音が頭上に響く。
その音をぼんやり聞きながら歩を進め、辿り着いた正門前。そこでココは足を止め、その質素な・・・伝統と言うべきなのか・・・校舎をまじまじと眺めた。帰国して早や数ヶ月経っているのに、この場所に来たのはまだ数回。ココはこの地の雨の少なさを痛感した。

・・・かつて住んでいた場所は、雨の多い土地だった。なのになまえは傘を持っていくのを嫌った。
『どこかに忘れるから』が第一の理由。『そんなに使わないから』がその次。事実、学校へは自宅前からスクールバスを利用していて、例え雨でもずぶ濡れになる事はほとんど無かった。
そして彼女の根底にあって揺らがなかった理由。それは、『雨が降ったらココが来てくれるから』
なまえがそう断言する通り、ココはいつもなまえを迎えに行った。・・・小さな傘を手に。

ふと、雨音に混ざって響くチャイムに、ココは時計を確認した。今のは下校のベルの5分前か。

(また早く来すぎたな)

先日迎えに来た時もココは一番乗りだった。つい、前の学校のタイムスケジュールで来てしまったのだ。終わるまで暫く待つつもりでいたけれど、なまえはそんなココの姿をいち早く見つけて教室の窓から身体を乗り出して手を振った。
帰りの道すがら、授業が途中だったけど飛び出してきたと笑いながら話すなまえにココは冷や汗が出た。天気に関わらず下校時刻は子供を迎えに来た保護者とその送迎車でごったがえすと以前なまえから聞いていた。それが全く無かった事でピンとこなかったココは、自身の洞察力の低さに項垂れた。思い返せば今日は絶好のチャンスだった。新しい環境でうまくやっているのか、どんな友達が出来たのかなど気になっていた事も確認できたろうに・・・

「ココの天気予報、また当たったね」

チャンスを逃した上に帰ったら謝罪の電話を入れないと、と暗く落ちていた気持ちは、照れ臭そうに笑ったなまえの顔を見た途端消えた。そして、その後に続いたなまえの話に、うまく馴染んでいるようだと安堵した事を思い出した。


それが。
ココは、ベルと同時に飛び出してきた一番手・・・なまえに手を挙げた。
今までは気付いたと同時に笑顔で両手を大きく振っていたなまえ。今日に限ってそれが真逆だった。
なまえはぎょっとした表情の後、俯いてココの横を通り過ぎようとした。
突然の拒絶に、年甲斐もなくココはうろたえた。
なまえが何か言ったが良く聞こえなかった。それをすぐに聞き返すも、返答は無い。小さく首を振るだけで差し出した傘を受け取りもせずに素通りしたなまえの後に続くように、ココも校舎から背を向けた。
通学帽子のつばを鼻まで下げ、俯いたまま真っ直ぐ歩くなまえ。
何度話しかけても傘を受け取ろうとしないどころか振り向きもしないなまえの頭上に、ココは濡れないようにと自分の傘を傾けた。その傘の気配を感じ、傘の中にいる事を避けるように、なまえは無言のまま進む。
何で、と言う言葉はココの心の中で幾度と繰り返されたが、先を急ぐ彼女には一度も届かなかった。
そのままマンションに到着し、二人無言のままエレベーターに乗り込んだ。







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