頂*捧/薄紅に香る夢・3








「まぁそんな感じで、昨日は散々でした」
ボクはテーブルに頬杖をついて、半ば愚痴のような口調の最後を溜め息で締めくくった。
「あはは。それは災難だったね〜」
「はい。ホントにこれでもかってくらい」
もう一度溜め息をついたボクの目の前の景色は、突然遮られた。ちょん、と冷えたペットボトルが鼻先に触れる。
「まぁ、これでも飲んで機嫌直して」
「あ〜いつもありがとうございます」
ボクはそのペットボトルをありがたく頂戴した。

ここは、とある小さなフラワーショップ。
丁度3ヶ月前。買い物がてら街をぶらぶらしていたボクが、偶然出会ったお店です。
その日は特に必要な物は無かったけれど、ボクは商店街のレンガ通りをその道の続くがままに歩いていたんです。自宅と店を往復する毎日には、たまには息抜きだったり新しい風だったりも必要な訳で。もっと言えば街の喧騒には刺激の種がちらほらと見え隠れするから。あ、この配色夏っぽくて良いな。新しいデザートの器、このイメージで挙げてみようかな、とか。この間はアンティークショップのウィンドウからこちらを見ていたビスクドールと目が合って。その子に付けられていた名前を料理のコース名にもらったりもして。
だからその日も、何か料理のプラスになる物と出会えないか。そんな事を考えながらかなり遠くまで足を伸ばしていた。
と、日が傾く頃に急遽やってきたのが、まさかのにわか雨。それもあっという間にスコールばりの豪雨になった。
当然傘なんて持っていないボクは慌てて走り出した。とっとと帰ろうと思っていたけれど、雨の勢いに撤回。『定休日』と書かれた札が下がっている店の軒下に飛び込んだ。
そこで一息ついたボクは、持っていたバッグも自分自身もかなり濡れている事に気が付いた。
『参ったなぁ・・・遠出しなきゃ良かったな』
やみそうに無い上に、周りに傘が売っているような店も無い。それに少し冷えてきた。気温も下がってるんだ。
どのタイミングで雨降る街に舞い戻ろうかと考えあぐねていた時、ふと道路向かいの店に目が止まった。

・・・それがこの店だったんだけど。

「どう?お味は?」
「あっ・・・はい!」
あの日の事を思い出していたボクは、キャップを回しかけたまま止まっていた手を慌てて動かして、口をつけた。
あの時入り口に見えた人影は、打ちつける雨に躊躇いもせず外に出てきた。傘を差す手の逆の手には、もう一本の傘。
あぁ誰か迎えに行くのかな、と思ったら、その影は真っ直ぐボクの方に・・・・・・そして目の前で立ち止まった。
『あ、あの、何でしょう?』
『うん。この傘どうぞ、って言おうとしたけど、ダメだね』
『え?』
『濡れすぎだよ。風邪ひくから、まずはウチで乾かしてって?』

・・・それが、ここ。雪さんの店だったんだけど。

雪さんの店は、他の花屋とは少し違っている。
勿論売っているのは花だけれど、その花は一つだけ他の店と違う点が有った。
この店で売っている花。それは全て『食べられる』ものばかりという事。
そして雪さんはこの店で働く傍ら、『食べられる花』の『食べ方』を考えたり、自身で品種改良も行っているそうだ。
チラリと聞いた話だと、かつてはその手の技術を学んでいたとか。
ボクはそんな雪さんの店と、色とりどりに咲く美味しそうな花たちに興味が沸いて。あの日、自分をホテルグルメの料理人と名乗った上で、メニューの参考にさせてほしいと頼み込んだ。
初対面のボクが、しかもいきなり口走ってしまった失礼極まりない発言を、快く承諾してくれた雪さん。
『私も興味がある。プロがうちの花からどんな料理を考えてくれるのか』
『本当ですか?!』
そうしてボクたちの間には、『花のアレンジメント』・・・と言っても飾るのではなく美味しく食べる方で・・・を考える、言わばプロジェクトみたいなものが誕生した。

雪さんは・・・・・・表現する言葉に迷うんだけど・・・とてもさっぱりした人で。彼女の口調やさりげない仕草を説明すると、中性的(本人は『男勝り』と言ったけれどそうじゃないと思う)と言う言葉がピッタリな人だ。
あの日雪さんは、初対面のボクに傘どころか暖かい飲み物まで出してくれて、更には『店の名前が入ってるけど』と新品のTシャツをボクの着替えにと用意までしてくれた。
服、しかも新品の物を借りてしまうなんて申し訳ないと断ったら、『じゃあそっちを私が着るから、今私が着てるのを着てくれる?』って耳を疑う言葉が。・・・当然だけど、ボクは新品の方のシャツを受け取った。
雪さんの独特な雰囲気に最初は戸惑っていたけれど、頂いた飲み物の美味しさにビックリして『これ何が入っているんですか?』と尋ねた事がきっかけで話し込んで、気が付けばボクはほんの数十分の会話で雪さんと打ち解けていた。
そんな雪さんとの会話と招き入れられた店内が、ボクには凄く居心地が良くて・・・厚かましくもボクはその日以降、休みのたびにここに顔を出している。
店の隅に置かれたテーブルで、彼女のアイデアを元にレシピを練ったり。花の味見をして合う食材合わない食材をピックアップしたり。彼女が接客や花の世話をしている側で、一人であれこれと調理方法を考えたりもしていた。不思議と、自宅で考えるよりも良いアイデアが浮かんだ。
そうして気が付いたら、いつの間にかボクは料理の話だけでなく世間話とか友達に話すような砕けた会話までするようになっていた。


「あ、」
喉を通った冷たい水。その一口から、ふわりとボクの鼻に湧き上がってくる香りがあった。
・・・花の香りだ。
「何だろうこれ・・・凄く飲みやすいし、良い香りがします」
「ん?気が付いた?」
よく見ると、無色透明と思っていた液体はうっすら紅色に染まっていた。それに・・・
「砂糖?・・・じゃないな。でも何となく甘い気が・・・それも凄く懐かしい甘さです」
「流石だね。プロの舌じゃクイズにもならないや」
「いやでも、まだ何の甘さかが・・・」
うーんと考えていたボクにクスクス笑いながら。正解はこれ、と雪さんは奥の冷蔵庫からウォーターサーバーを取り出した。その水は紅色で、中にはいくつもの花が浮かんでいた。
「もう分かっちゃったかな」
「・・・蜜の甘さ・・・ですか?!」
「ご名答。この種類は花びらの付け根に蜜を持ってるじゃない?やった事ない?」
雪さんの花を咥える素振りを見て、子供の頃良く似た花を摘んではチュッチュッと蜜を吸って遊んでいた事を思い出した。
ボクはもう一口飲んだ。・・・そう、その時の蜜の甘さだ。
「懐かしいと思ったのは、蜜の味が記憶に残っていたからだったんだ・・・凄い」
「ホント。凄い記憶力」
「違いますよ!雪さんの発想がです!」
「たまたまだよ?花を味見した後に飲んだ水が凄く美味しくてさ?だったら先に入れておけば良いじゃん!って」
横着したら出来た。と軽快に笑う雪さん。ボクはそんな彼女と目の前に置かれたサーバーを交互に見た。
「でも、色も香りも、言うことないですよ」
「それは本当に偶然。やってみたら結果がそうだった」
「偶然って・・・」
サラリと答える雪さんの言葉に、ボクは驚きを隠せなかった。そんなボクを見て雪さんは、さも当たり前のように笑う。
「世界はやってみないと見えない事ばかりって事」
愕然とした。
「何かもう・・・凄すぎて言葉が出ないですよ〜」
「こっちはもう、褒められても何も出ないよ〜?あ、食べかけだけどクッキーなら有るよ」
「ありがとうございます・・・じゃなくって!」
「そんな遠慮されたら私も食べられないじゃんか」
「う。じゃ、じゃあ、いただきます」
「あ、こんなところにチョコもあったや」
「ええっ?!」
「しょっぱいもの代表でポテチも有ったりして」
「色々出るじゃないですか!」
「それはオヤツの時間だからです。あ、ちょっと待ってて」
何だか上手くかわされてしまった気がするけれど、ボクは本当に雪さんの事を凄いと思っていた。
彼女の発想も、言葉も、気取らない人柄も。凄い、尊敬する、そしてかっこいい。会うたびにそう思う。

「本当は、こうやって飲んでもらおうと思ってたんだ」
雪さんはスナックの袋と氷の入った広口の透明なグラスを持って戻って来た。グラスに静かにサーバーの水を注ぐと、テーブルのすぐ横の鉢から小さな花を二つ、プチリと摘んでグラスに落とした。
「香りも楽しんでもらいたいから、ストローは無しで」
どうぞ、と勧められたボクは、ただただ受け取ったグラスの中身に見惚れていた。
微かに溶けた氷がカラリと音を立てて沈む。その揺らぎに水面に浮かんだ花がくるりと円を描いて、ふわり。甘い香りが舞い上がる。
「あの・・・毎回毎回申し訳ないんですけど、店の参考にしても良いですか?」
だってもう、何処かのレストランで出されているのと見間違うくらいの鮮やかさで。
「勿論。あ、作り方も書いておくよ」
「良いんですか?!」
「うん。企業秘密って程、難しいものじゃないからね」



ボクの周りには、凄い人がたくさんいる。カリスマ的存在のトリコさんをはじめ、世界に名の知れ渡ったたくさんの人が。
でも世の中には存在すら知られていない凄い才能を持った人が、もっともっとたくさんいる。
ボクの目の前にも今、そんな存在が一人。尊敬に値する人がいる。
ボクはあの雨の日、雪さんに声をかけてもらって、この店に足を踏み入れて。そこで呼吸している植物たちに目を奪われて、雪さんの手が作り出す物に息を呑んで。それから、

『うーん。ボチボチな出来かな』
『やっぱり改良って難しいんですね。もっと簡単にできる方法があればなぁ』
『楽なやり方ならあるけどね』
『そうなんですか?』
『遺伝子操作。DNAレベルまで解読してチョイチョイっていらない物といる物を交換してね。うまく行ったらそれをコピー、コピー、コピー。』
『じゃあどうして』
『どうしてって、そんな機械的な操作でできた物って、味気ないと思わない?』
『味気ない、ですか?!』
『私はそうじゃなくて、あくまでも自然で行きたいんだよね。手を加えるのは本当に少し。後は花の持っている力を信じたい。だってさ?』
・・・・・・もし仮に。小松くんの作る料理と全く同じ料理を機械が作れたとしても。
例えそれが安かったとしても、私なら小松くんの料理が食べたいよ。
人の手には、機械に追いつけない何かが絶対あると思う。
簡単に言ったら『こころ』かな。
こんな考えって変かなぁ?・・・・・・


あの日聞いた雪さんの言葉に、心を打たれた。









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