頂*捧/薄紅に香る夢・9





「大丈夫なの?・・・小松シェフ?」
「すみません・・・」

ボクはまたもやウーメン事務局長に呼び出されています。
何故にボクが事務局長に呼ばれているのか・・・その理由は今回は明確です。
ここ数日の、ボクの仕事ぶりがあまりにも酷いからです。
まず、朝の仕込み。よりにもよってボクはメインで使う食材の仕込みを丸々一つ間違えた。幸いその日のメニューを変更する事で何とか無駄にはならなかったけれど・・・今までした事が無いような、初歩中の初歩のミスだった。
それから、ボーっと歩いていて搬入された荷物にぶつかってひっくり返して。食材ならまだ良かったけれど・・・運悪く新しく用意された食器だった。激しい音をたてて落ちた荷造りは、いくつかはものの見事に粉砕しただろうし、それ以外も欠けやヒビが入っているのは荷ほどきするまでもなく・・・そんなボクに『怪我は無いですか』と気遣う周りの声。ボクは消えたくなった。
うっかり指に切り傷も作ってしまった。何年ぶりだろう、包丁で指を切ったのって。流れる血を見ながらそんな事を考えていて、ふと視線を感じて隣を見たら、副料理長が酷く戸惑った表情で立っていた。
それ以外にも。細かいものを挙げればキリが無いほど、あれこれと不甲斐ない事をしています。
「小松シェフ?」
「は、はい・・・」
事務局長のサングラスが鋭く光ります。ボクは黙って頭を下げました。
「あーた、ちゃんと寝てるの?食事は?それとも何か」
悩み事?と聞かれて身体がピクリと動いてしまったボク。そんなボクを見て、事務局長は溜め息をつきました。
「・・・今日はもう上がって良いわ。今週は休みなさい。支配人には連絡しておくから」
「で、でも」
言いかけたボクの鼻先に、事務局長の人差し指。
「アタシも支配人も、小松シェフのイヤンなくらい図太い精神力を過信していたわ」
イヤン・・・いやそれより図太いって・・・
「こないだの騒動からトリコちゃんたちの来店も続いたし、あれこれと心労が重なっててもおかしくないもの。遠慮してないでリフレッシュしなさいよ?」
「でも、・・・」
「アタシだけの意見じゃないわ」
言い淀んでいるボクとは真逆に、事務局長の言葉は続く。
「副料理長もね、酷く心配していたわ。自分が未熟だから小松シェフの負担が減らないんだって」
「そ、そんなことないです!」
・・・十分なくらいしっかりやってくれているのに。
「そう思っているなら、今週は彼を信じて、全てを任せなさい」
「・・・はい」
ボクはぺこりと頭を下げた。
「あぁでも、忘れないでね?」
ノブに手をかけたボクに、事務局長の声。
「うちは、小松シェフあってのホテルグルメ。誰もがそう思っているわよ?」
その言葉は、ボクの胸の奥にずしりと落ちた。ボクは恵まれている。こんなにも。じわりと目が熱くなった。
「・・・はい」
「来週は例の団体様もお見えになるわ。いけるの?小松シェフ?」
「・・・はい!ボクが、おもてなしします!」
ボクは振り向かないまま顔を上げて、部屋を後にした。




洗面所で、服が濡れるのも構わずに凄い勢いで顔を洗った。
叩きつけるように頬に水を当てて、その刺激と滴り落ちる水の粒が無くなる頃。ボクは顔を上げて鏡を見た。
・・・まだちょっと情けない顔をしていた。
あぁ、本当に情け無いや。ボクってこんな女々しい性格だったっけ。
もう一度、同じように顔を洗った。何度も何度も。
そうして漸く自分でも良し、と思える姿が映ったボクは、ホテルを後にした。

ボクはさっき、『おもてなしをする』と言った。
そう、先日ボクに手紙をくれた老夫婦と、そのご友人たちを。
彼らが希望したのは、水。あの日二人で懐かしいと喜んでくれたもの。それをボクは、事務局長に味見してもらおうと思っていたんだった。
だから、それを作るために必要なものをまず、揃えないと。
「大丈夫。」
ボクは誰かに言い聞かせるかのように呟いた。
「大丈夫。ちゃんと注文してあるんだから」
一文字一文字を確認するように、しっかりと声にした。
「大丈夫。いつものように、話せば良いんだ」
歩くスピードを緩めたらいけないと思って、必死に足を動かした。
あの角を曲がれば、雪さんの店が見える。
「大丈夫。」
今みたく、しっかり声を出せば良いんだ。前を向いて。ちゃんと顔を上げて。

『小松くん?元気無いけど、何か有ったの?』

雪さんはそう言っていた。
きっと心配しただろうな。
大丈夫。ボクは元気です。ボクの身勝手で心配させてしまってごめんなさい。
ボクは、ホテルグルメの料理長です。
だから今から、注文した花を取りに行きます。
・・・料理人として。
店の前でもう一度気を入れようと思いながら角を曲がろうとしたその時。


「あ、小松くん」



すぐ目の先に、雪さんがいた。











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