家に帰ると、リンの泣き声が聞こえた。 しまった。起きてたか。当然だ。遅くなりすぎた。 「リン?!」 オッサンから貰った荷物を入り口の見えない所に置いて中に入ると、何かをひっくり返したような跡があった。 側でリンの腕を掴んでいるオジサンがいた。 今にもリンを殴りそうなオジサンの腕に、オレは咄嗟にしがみついた。 バシッ……。 リンの代わりにオレが。襟元をつかまれてそのまま頬を殴られた。 二発、三発。 四発目。…いつもの通り。 だけど…いつもならあまりの痛さに、オジサンが襟から手を離せばそのままよろけて床に転がって。暫くうずくまっていたんだけど。 今日は違っていた。全然痛くなかった。痛くなかったから、支えが無くなっても倒れなかった。何でだろう?自分の身体が不思議すぎて、どうして良いか分からなくて思わずオジサンの顔を眺めてしまった。 オジサンはいつもと違うオレに一瞬ギョッとして「何だお前」って怖い物を見ているような顔で、もう一度オレの襟を掴んだ。 「もうやめな!死んだらどうするんだい!」 目を瞑ったオレの耳に、オバサンの声が響いた。 「何のために今まで耐えてきたんだよ!死んだら貰える物も貰えないだろ?!」 その言葉に目をうっすらと開けると、オジサンは視線を泳がせていて、チッと舌打ちをしてオレを離した。 「ほら!うるさいのを連れてとっとと部屋に戻りな!」 オバサンに言われてオレは泣きじゃくるリンの手を取った。 「飯は無ぇからな!」 背中越しにオジサンの吐き捨てるような怒鳴り声が聞こえた。 「お、おにーた、おにーたん!」 「ゴメン。一人にしてゴメン。もう絶対一人にしないからな」 「お腹。お腹、空いたの。それで、ご、ご飯ちょうだいって、オジタンに、」 「分かった。分かったから」 オレに縋り付いて泣くリンを、部屋で必死に宥めた。 リンが悪いんじゃない。オレが早くに戻らなかったからいけないんだ。 あのオッサンと長く話しすぎたからいけないんだ。 あのオッサンが、優しかったからいけないんだ。 リンが起きて、お腹空かせて。あんなパンだけじゃ足りなくて。そんなの分かってたのに。 オレのせいでオジサンを怒らせて。今日はご飯も貰えなくて。 ……ご飯。 オレは家の入り口に置きっぱなしの物を思い出した。 オッサンが秘密って言った、凄く美味い物。 「リン。ちっと良い子にしてな。美味しい物、持って来るから」 オレはそう言って、音がしないようにそっと部屋の扉を開けた。 静かに階段を降りていくと、オジサンとオバサンは奥の部屋で何やら話をしていた。 (もう半分過ぎたんだよ。あと半分の辛抱だよ?そうしたら1回目の遺産が手に入るんだから!) ………遺産? (全くあのばあさんは面倒な遺言残しやがったな。あいつらの成人まで2年ごとに遺産を分けるなんてよぉ) ………遺言? (仕方ないよ。遺言覚えてるかい?『かわいい娘の子』だなんてさ?今だって心残りで天国にも行けてないんじゃないのかい?) ………心残り?誰が? オレはそう思いつつも、気付かれないように入り口に転がったままのケースをそっと抱えて、2階に戻った。 リンは初めて見る食べ物の形とその美味しさに、涙をピタリと止めて一生懸命頬張った。 「おにーたんも食べよ」 「ん。」 リンが寄越した半分をオレも齧った。あぁ、やっぱり美味しいな。 リンが美味しい美味しいって言いながら食べるの、初めて見たな。 オレはそんなリンの顔に残った涙を拭いてやった。 リンがお腹一杯になった残りはオレが全部食べた。秘密って言ってたから、残しておいたらいけないと思った。 全部食べきってリンを見たら、リンはたくさん食べたからか少し大きくなったような気がした。 そしてオレは…何だろう?身体が熱い。それに無性に喉が渇く。 「おにーたん、お水ほちい」 リンも同じみたいだった。赤い顔をしている。 「ちっと待ってな。貰って来る」 オレは部屋を出た。 真っ直ぐ歩けなくて、壁に身体を預けながら何とか階下に降りた。 台所でオバサンが片付け物をしていた。オレはその背中に声を掛けた。オバサンは振り向いたと同時に悲鳴を上げた。 「ちょっと!どうしたんだい!?」 オバサンの悲鳴でオジサンも来た。 「おい?!しっかりしろ!おい!!」 「どうすんだいあんた!さっきやりすぎたんだよ!!」 「そんな事言ってる場合じゃねぇだろ!おい!目ぇ覚ませ!おい!」 あれ?オレ、倒れたのか? 良く分からなかったけど、目の前が真っ暗になる前に「水。」って言葉だけは、言えた。 ← → |