メビウスの指輪・5 1





「…何考えてるし?」
天井をぼんやりと眺めていたトリコは、ふとかけられた声によって意識を呼び戻された。
「何も」
そのままその声にそっけなく返事をする。
「そっか…」
トリコの横から、小さな溜め息が漏れた。
トリコはそれに気付いて、その場を取り繕うかのように話しかけた。
「何か飲むか?喉乾いただろ」
「ならウチが行くよ」
言うより早く上体を起こすと、起き上がろうとしたトリコの肩を掴んで、ぐっとその手を引いた。
そのまま倒れこんだ二人を受け止めたベッドが音を立てた。
「ちょ、おま。乱暴じゃね?」
「えへへ」
仰向けの状態に戻ったトリコの横で、悪戯っぽい笑い声。
「トリコは寝てて」
すぐ耳元で聞こえた声の主に、トリコは軽く頷いた。
暗い部屋の中に、起き上がり揺らめく人影。
それは手探りで触れた物を引き寄せ、羽織って立ち上がる。
「待ってて」
そう言って部屋を出て行った影を見送って、トリコは小さく溜め息をついた。

暫くして戻ってきたリンは、両手に持っていた2つのカップを片手にまとめ、パチリと壁のスイッチを押した。
仄かな明かりが部屋に灯る。
「それ、シーツか?」
明かりに映し出されたリンが体に巻いていた物を見て、トリコは苦笑した。
「服が見当たらなかったんだし」
「あー……」
「今気付いたけど、部屋中に散らかされてるし」
「…気をつけマス」
トリコの返事に、ん。とリンは頷いて、ベッドに腰掛けた。
起き上がったトリコにカップを渡し、自身も手に持ったそれに口をつけた。

「これからどうするし?」
リンが聞いた。
「とりあえず、いつも通りだ。依頼を片っ端から片付ける」
トリコはリンに顔を向けた。
「ココんところも、昨日の様子だったら大丈夫だろ」
一昨日、IGOから蒼衣をココの家に送り届けたリンとサニー。
トリコはココの自宅で彼らと合流し、そのまま蒼衣の様子を窺っていた。
そして、とりあえずは問題は無いと判断したトリコは、一晩ココの家に泊まった後、自宅に戻ってきていた。
サニーとは、いつも通り途中で別れた。
「お兄ちゃんは暫く出掛けるって」
リンの言葉に、トリコはあぁ、と答える。
「私用でって言ってたな」
「うん…」
「珍しいな。オレにまでわざわざ断るなんて」
「うん…」
リンの気の無い返事を、トリコは訝しんだ。
「何だよ?良いじゃねぇか」
「お兄ちゃん、どこに行くか言わなかったし」
「そうなのか?」
「だから、心配だし」
「…大丈夫だよ。ハントじゃねぇよ」
いつも二人は、蒼衣をIGOから連れ出すタイミングで、IGOからの依頼を受けていた。
サニーは今回に限って、それを一つも受けなかった。
次の処置までには戻るから、とどこかに出掛けるような口調だった。
サニーに謝られたトリコは、そんな時も有るだろうと気にも留めていなかったのだ。
「何か一人でやりたい事でもあるんだろ」
トリコはリンの頭をポンポンと叩いた。
「いい加減兄貴離れしろ」
「してるし!」
どうだか、と言った目で見られたリンは、ぷうっと頬を膨らませた。
「してなかったら、ここにいないし」
リンは、トリコの顔からゆっくりと目線を下にずらした。
鍛え上げられたその身体に、自然と頬が染まった。
「してたら、この状態でその名前出さねぇと思うけど?」
つい口に出した言葉に気まずくなったトリコは、空になったカップをリンの持つカップに軽く当てた。
そしてそれに歯を立て、大きな音を立ててかち割った。

「それと」
トリコの手には、ほぼ食べ終えて取っ手部分が残っただけになったカップ。
それをトリコはリンの手に包まれた空のカップに入れた。
カチ、と底で音を立てたカップをそのままリンの手から掴み上げ、トリコはリンに顔を向けた。
「真面目な話だ」
一拍置いて真剣な表情に変わったリンに向かって、トリコは話し出した。
ココの家で、ココについてしまった『嘘』の事を。
リンは黙ってトリコの言葉を聞いていた。
「…だからもし、ココから何か聞かれた時は、」
「『処置の内容は良くわからないけど、処置中の蒼衣は穏やかに眠っている』だし?」
リンが遮って言った言葉に、トリコの目が合格、と告げた。
「…本当に?」
「え?」
「蒼衣は、眠ってるの?」
トリコは頷いた。
「それは本当だ」
「なら良いし」
リンは笑った。
「嘘じゃないから良かったし!」
トリコはそんなリンに向かって、静かに言った。
「済まない」
きょとんとしたリンに、そのまま続ける。
「こんな事に巻き込んでしまって本当に…悪いと思っている」
リンは困った表情で返した。
「また今日も同じ事言うし」
そう言うと、意を決したように顔を上げた。
「…悪くないし。自分の意思でだし。トリコの力になりたいんだし」
リンはトリコの目をじっと見詰めた。
「……もっと」
「え?」
「もっと、頼りにしてくれても良いし」
「…リンは今でも十分やってくれてるよ」
その言葉に、リンは大きく首を振った。
「お手伝いのままじゃ嫌だし」
「………」
「ウチ、平気だし。だからもっと話して欲しいし。『済まない』って言わないで欲しいし。それに」
リンは目を伏せた。
「…もっと別の事、言って欲しいし」
「リン…」

リンが言って欲しい言葉は分かっていた。
だがトリコは、これまで一度も言った事が無かった。
こうなってしまった今としては、いくら口にしても、偽りを含んだ薄い言葉にしかならないと感じていた。
例えそれが真の気持ちであろうとも。
トリコは黙って聞いていた。
泣きそうなリンの頬に、そっと指で触れた。リンはその指の感触に、くすりと笑う。
「てゆーか、これは最初に…この状態より前に話す内容だったし?」
「最初に話すつもりだったんだけどよ、」
頬に当てた指を、つぅ、と口元に滑らせた。トリコの何か考えているような顔を、リンは不思議そうに見上げた。
「……トリコ?」
「つるつる…だったか?」
「え?」
「つるつる…ぷにぷに…?」
リンははっとした。
「それを言うなら『すべすべ』と『プルプル』だし!」
「あー…そうだったな」
赤くなったリンの顔が、次の言葉で一段と色を増した。
「味わえって言われたから…つか早く味わいたくて、つい」
何かを言おうとして震えるリンの口元を見ながら、トリコはとどめをさした。
「確かに、味わった」
と同時に、リンの言葉に出せない気持ちが、トリコの顔にクリーンヒットした。
「バカ!」
「なんだよ?!」
「エロいし!!」
顔に飛んできた大きな枕を軽くつまみ上げ、余所に放り投げたトリコ。
枕の向こうに見えたリンの表情から、先ほどまでの雰囲気が一掃された事に安堵した。
「エロっておま……じゃあこの際だから言うけどよ?……くっついて良いぜ?」
「え?」
「セミみたいに」
「トっ……!」
トリコの指さす方向にある甘い柱を見たリンは、目を丸くした。
トリコはその様子にクククッと笑った。
「冗談だよ」
が次の瞬間、トリコの予想とは違い、リンは決意を胸に抱いたかのように立ち上がった。
「分かったし」
「ちょ!冗談だよ!!」
一歩前に出たリンの腕を慌てて掴み、トリコは引き寄せた。
体勢を崩したリンの身体を両手で抱え込み、胸で受け止めた。
「冗談だよ……」
トリコはそのままリンの首筋に顔を埋めた。








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