「…何考えてるし?」 天井をぼんやりと眺めていたトリコは、ふとかけられた声によって意識を呼び戻された。 「何も」 そのままその声にそっけなく返事をする。 「そっか…」 トリコの横から、小さな溜め息が漏れた。 トリコはそれに気付いて、その場を取り繕うかのように話しかけた。 「何か飲むか?喉乾いただろ」 「ならウチが行くよ」 言うより早く上体を起こすと、起き上がろうとしたトリコの肩を掴んで、ぐっとその手を引いた。 そのまま倒れこんだ二人を受け止めたベッドが音を立てた。 「ちょ、おま。乱暴じゃね?」 「えへへ」 仰向けの状態に戻ったトリコの横で、悪戯っぽい笑い声。 「トリコは寝てて」 すぐ耳元で聞こえた声の主に、トリコは軽く頷いた。 暗い部屋の中に、起き上がり揺らめく人影。 それは手探りで触れた物を引き寄せ、羽織って立ち上がる。 「待ってて」 そう言って部屋を出て行った影を見送って、トリコは小さく溜め息をついた。 暫くして戻ってきたリンは、両手に持っていた2つのカップを片手にまとめ、パチリと壁のスイッチを押した。 仄かな明かりが部屋に灯る。 「それ、シーツか?」 明かりに映し出されたリンが体に巻いていた物を見て、トリコは苦笑した。 「服が見当たらなかったんだし」 「あー……」 「今気付いたけど、部屋中に散らかされてるし」 「…気をつけマス」 トリコの返事に、ん。とリンは頷いて、ベッドに腰掛けた。 起き上がったトリコにカップを渡し、自身も手に持ったそれに口をつけた。 「これからどうするし?」 リンが聞いた。 「とりあえず、いつも通りだ。依頼を片っ端から片付ける」 トリコはリンに顔を向けた。 「ココんところも、昨日の様子だったら大丈夫だろ」 一昨日、IGOから蒼衣をココの家に送り届けたリンとサニー。 トリコはココの自宅で彼らと合流し、そのまま蒼衣の様子を窺っていた。 そして、とりあえずは問題は無いと判断したトリコは、一晩ココの家に泊まった後、自宅に戻ってきていた。 サニーとは、いつも通り途中で別れた。 「お兄ちゃんは暫く出掛けるって」 リンの言葉に、トリコはあぁ、と答える。 「私用でって言ってたな」 「うん…」 「珍しいな。オレにまでわざわざ断るなんて」 「うん…」 リンの気の無い返事を、トリコは訝しんだ。 「何だよ?良いじゃねぇか」 「お兄ちゃん、どこに行くか言わなかったし」 「そうなのか?」 「だから、心配だし」 「…大丈夫だよ。ハントじゃねぇよ」 いつも二人は、蒼衣をIGOから連れ出すタイミングで、IGOからの依頼を受けていた。 サニーは今回に限って、それを一つも受けなかった。 次の処置までには戻るから、とどこかに出掛けるような口調だった。 サニーに謝られたトリコは、そんな時も有るだろうと気にも留めていなかったのだ。 「何か一人でやりたい事でもあるんだろ」 トリコはリンの頭をポンポンと叩いた。 「いい加減兄貴離れしろ」 「してるし!」 どうだか、と言った目で見られたリンは、ぷうっと頬を膨らませた。 「してなかったら、ここにいないし」 リンは、トリコの顔からゆっくりと目線を下にずらした。 鍛え上げられたその身体に、自然と頬が染まった。 「してたら、この状態でその名前出さねぇと思うけど?」 つい口に出した言葉に気まずくなったトリコは、空になったカップをリンの持つカップに軽く当てた。 そしてそれに歯を立て、大きな音を立ててかち割った。 「それと」 トリコの手には、ほぼ食べ終えて取っ手部分が残っただけになったカップ。 それをトリコはリンの手に包まれた空のカップに入れた。 カチ、と底で音を立てたカップをそのままリンの手から掴み上げ、トリコはリンに顔を向けた。 「真面目な話だ」 一拍置いて真剣な表情に変わったリンに向かって、トリコは話し出した。 ココの家で、ココについてしまった『嘘』の事を。 リンは黙ってトリコの言葉を聞いていた。 「…だからもし、ココから何か聞かれた時は、」 「『処置の内容は良くわからないけど、処置中の蒼衣は穏やかに眠っている』だし?」 リンが遮って言った言葉に、トリコの目が合格、と告げた。 「…本当に?」 「え?」 「蒼衣は、眠ってるの?」 トリコは頷いた。 「それは本当だ」 「なら良いし」 リンは笑った。 「嘘じゃないから良かったし!」 トリコはそんなリンに向かって、静かに言った。 「済まない」 きょとんとしたリンに、そのまま続ける。 「こんな事に巻き込んでしまって本当に…悪いと思っている」 リンは困った表情で返した。 「また今日も同じ事言うし」 そう言うと、意を決したように顔を上げた。 「…悪くないし。自分の意思でだし。トリコの力になりたいんだし」 リンはトリコの目をじっと見詰めた。 「……もっと」 「え?」 「もっと、頼りにしてくれても良いし」 「…リンは今でも十分やってくれてるよ」 その言葉に、リンは大きく首を振った。 「お手伝いのままじゃ嫌だし」 「………」 「ウチ、平気だし。だからもっと話して欲しいし。『済まない』って言わないで欲しいし。それに」 リンは目を伏せた。 「…もっと別の事、言って欲しいし」 「リン…」 リンが言って欲しい言葉は分かっていた。 だがトリコは、これまで一度も言った事が無かった。 こうなってしまった今としては、いくら口にしても、偽りを含んだ薄い言葉にしかならないと感じていた。 例えそれが真の気持ちであろうとも。 トリコは黙って聞いていた。 泣きそうなリンの頬に、そっと指で触れた。リンはその指の感触に、くすりと笑う。 「てゆーか、これは最初に…この状態より前に話す内容だったし?」 「最初に話すつもりだったんだけどよ、」 頬に当てた指を、つぅ、と口元に滑らせた。トリコの何か考えているような顔を、リンは不思議そうに見上げた。 「……トリコ?」 「つるつる…だったか?」 「え?」 「つるつる…ぷにぷに…?」 リンははっとした。 「それを言うなら『すべすべ』と『プルプル』だし!」 「あー…そうだったな」 赤くなったリンの顔が、次の言葉で一段と色を増した。 「味わえって言われたから…つか早く味わいたくて、つい」 何かを言おうとして震えるリンの口元を見ながら、トリコはとどめをさした。 「確かに、味わった」 と同時に、リンの言葉に出せない気持ちが、トリコの顔にクリーンヒットした。 「バカ!」 「なんだよ?!」 「エロいし!!」 顔に飛んできた大きな枕を軽くつまみ上げ、余所に放り投げたトリコ。 枕の向こうに見えたリンの表情から、先ほどまでの雰囲気が一掃された事に安堵した。 「エロっておま……じゃあこの際だから言うけどよ?……くっついて良いぜ?」 「え?」 「セミみたいに」 「トっ……!」 トリコの指さす方向にある甘い柱を見たリンは、目を丸くした。 トリコはその様子にクククッと笑った。 「冗談だよ」 が次の瞬間、トリコの予想とは違い、リンは決意を胸に抱いたかのように立ち上がった。 「分かったし」 「ちょ!冗談だよ!!」 一歩前に出たリンの腕を慌てて掴み、トリコは引き寄せた。 体勢を崩したリンの身体を両手で抱え込み、胸で受け止めた。 「冗談だよ……」 トリコはそのままリンの首筋に顔を埋めた。 → |