空は陰り、空気は淀み、外では争いが続いている。
少し前まではこのラティオがセンサスのような野蛮人共に負けることなどはなかった。しかしあのアスラが将軍となってからは戦況がガラッと変わった。圧倒的有利から一変。このままではもしかしたら、ということもあるかもしれない。そんな場合も想定しておかなければならないくらいラティオは圧れていた。
だが例えどんなことになろうとイナンナ様だけはこの俺が守りきってみせよう。この美しき、唯一無二の主を――。
「………イナンナ様、本当によろしいので?」
「ええ。…決めたことだから」
支度を終えたイナンナ様は立ち上がると、すぐ側に置いてある剣を手にとる。
――名匠バルカンが作りし剣、デュランダル。
白く細い腕の彼女が持つには相応しくない代物である。一番と言ってもいいほど争いとは無縁の彼女が、なぜ野蛮なそれを持たねばならないのか。俺はそれをしてほしくはないが、彼女が決めたことに口を挟む権利はない。
その刀身を数回優しく撫でると、覚悟を決めた眼差しで、ゆっくりとこちらに向かってくる。
「では参りましょうかイナンナ様」
「ぜんせはいいの?国を、……センサスを裏切ることになっても。無理に着いてこなくても構わないのよ」
心配するように聞いてくるイナンナ様の手を、自らの手で包みこみ「いいんです」そう首を振った。
「私のあるべき場所はイナンナ様のお隣りですから」
「ぜんせ……」
先日元老院から呼び出された時から少し落ち込み気味であったイナンナ様を励ますように言う。
ただでさえ母親の死、戦況がひっくり返りつつある争いに心が弱っている彼女に、これ以上重荷を増やしたくない。そんな彼女の重荷を減らすため、俺は着いて行くと決めたのだ。その俺が重荷になんてなってはいけない。
「もちろん無理に、とは言いませんが、どうかこのぜんせをイナンナ様のお側に」
彼女の足元に膝をつき、冗談めかして微笑んでみると、少しだけ緊張が解けてきたらしい。一瞬だけ笑顔が姿を表した。
「どこへでもお供します」
小さくありがとうと感謝の言葉が聞こえた気がした。
それを最後の会話に俺達はこの部屋を後にする。デュランダルは俺の背に負い、イナンナ様の身に危険がないよう半歩先を歩く。もう後戻りは出来ない。なんせこれから俺達二人が向かうのは戦場。今からセンサスに亡命するのだ。
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