浮気

◎教授視点


外出先で妻の心からの笑みに遭遇するというのはごく稀であるということに気づいたのは、いつのころだったか。

どんなに雑多な要件のときでも、丁寧に薄化粧をしていく彼女は、どこか華やかさを纏っていた。
そこに添えられる微笑はどこか穏やかで、あからさまには作り笑いと分からない程度に冷めたものだった。
彼女の家柄がそうした身のこなしを身につけさせたのだと想像ができて、呆れながらも特に言及はしなかった。したところで、「だからなんですか?」と言われるのがオチである。


家でアップルパイを頬張っているときの彼女のほうが優しい笑い方をする。

ただ、外出先でヘラヘラと体裁も気にせずに表情を崩されるのは、彼女の品位に関わるだろうから、まあ仕方のないことだろう。




そんな妻が、最近嬉しそうに笑うようになった。

きっかけは、ナルシッサが紹介したらしいフランス人の男だった。
この男が、ルシウスの若かりしころに勝るとも及ばない程の美しい造形の男で、まるで作り物のようだった。
妻は俳優だろうが歌手であろうが、外見で人を好むことは少ないようだったし、たとえ外見がよくても、軽率な発言をするような常識のない人間も嫌っていた。

ただ、そのフランスからやってきたという男は、どうにも妻の意に沿った人間だったようだ。


マルフォイ家と懇意にしているとあって、家柄も良く、温和な性格は他者の評価も上々であった。

「最近彼女は、ベルナールがお気に入りのようだな」
余計なルシウスの一言に、視線で応えた。
「そう思うかね?」
からかい混じりの声色に、そう尋ねれば、彼は肩をすくめた。
「まあ、君の奥方を気に入っているのは彼も同じのようだがね。気をつけた方がいいぞ、セブルス」
わざとらしく真面目な目をした男は、自分の好色を棚にあげてそう言った。


少し離れた位置にいる妻は、背の高いその男を見上げて穏やかに笑っていた。
笑顔が綺麗だ、などという歯の浮くような台詞を使うのは大概ルシウスの役目であったが、理解できないわけではない。

楽しそうだ、と微笑ましいというだけの情景にするには少し眩しすぎた。




これで、あの男が恋多き男であったり、性格や行動に問題があれば気にする必要もなかったのだろうが、そうした問題が特に無かったことが逆に問題であった。
ルシウスのサロンで会う度に彼女はあの男を気にしていたし、あの男も妻を気に入っているようだった。
考えてみれば、妻には心から信頼の置ける友人が少ないようだった。
家のしがらみから解放されたからこその交友関係だと思えば、妻の好きにさせてやろうという気持ちにもなったし、自分と彼女の関係も望んだものでなかったものだと思えば仕方ないという気持ちにもなった。


二人の親密さは目に見えて明らかであったが、男は私に対しても礼儀正しかった。
せめてもう少し嫌な男であったなら、と思わないでもなかったが。


「ベルナールは分からないけれども、少なくともあの子は、不義を働くような子じゃないわ」
ルシウスがたまに二人の関係を疑うような発言をすると、ナルシッサは困ったように妻についてそう言った。
「別に二人について疑ってはいない」
「ええ、分かっているわセブルス。でも、最近本当にあなた怖い顔してるわよ?」
そう指摘されて、ナルシッサを見れば「そんなに心配しないでも大丈夫だと思うけど」と言われた。

「似合いだと、思わないか?」
ふと、そう尋ねたのが自分の言葉だと気づくのに間があいた。
ナルシッサも、ルシウスも驚いたように私を見て、私もつい、と言った表情になってしまったことは気づいた。


幸せそうだ、と思った。
美しい男は、優しく妻の言葉に耳を傾けていたようだし、妻もやはり笑っていた。




「他者の目にもそう思われては困る。変な疑念が湧くようなら、本気であの子を注意したほうがいい。君にも面子にも関わる」
ルシウスはそういった。今度こそ、真剣な顔つきであった。
女性に貞淑さや慎ましさを求め、女の為に名を損ねるということは、恐らく彼にとってはあってはならないことだと思ったらしい。

今まで、二人で夫婦でいられたのは、別段分かれる理由もなかったからである。
決められた結婚の割には、上手くやれていたのは、妻の思いやりによる部分が大きい。


彼女の生まれ育った境遇を考えれば、なるべく不便無く、自由にさせてやりたいという気持ちはあった。

「ここであなたたちが話していても仕方ないでしょう?」
ナルシッサはそう私たちを窘めた。




その日の夜、妻に例の男について尋ねてみた。
妻はゆったりとポファーに腰掛けながら「良い人ですよね」とのんびりと笑った。
「随分親しくなったようだが」
「今まで知人にいなかったようなタイプの人だわ。ルシウスの知り合いにしては少し珍しい。…あなたもそう思わない?」
そう尋ねかけられて、まあ、そうだなと頷いた。





結局、妻とフランス男との疑念は、彼の帰国とともに消えることとなった。

彼がフランスへ帰国することになったと、妻が言っていた。
残念だ、と話す妻の顔には、別段悲壮感はなく、そのことに安堵した。

フランスに駆け落ちしたらどうするんだ、というルシウスの声は、聞かなかったことにする。



「安心した?」
「は?」
妻は、別れの手紙に目を落としながら、そう言った。

「ナルシッサが捲っていたの。あなたとルシウスが私とベルナールの仲を疑っているって」
まあ、ナルシッサが妻にそういっていてもおかしくはなかった。
彼女にしてみればナルシッサは姉のように慕っていたし、ナルシッサも目をかけていたから。

「好きだったのか?」
「好きだったけれど、別にあなたたちが疑っているような感情じゃあないわ」
「彼も?」
「それはどうかしらね」
妻はそう笑っていた。

口説かれていた、といういうならば、それはそれで納得もしたが。


「人の心は自由よ。心の中にしまっておけるならね」
あなたも分かるでしょう?と目を細めた彼女に、やれやれ、と首を振る。

「ルシウスが、君がフランスに飛んでいくんじゃないかと馬鹿な想像をしていたぞ」
「あの人、少し自分の好色を棚にあげすぎじゃあないですか?」
少しだけ不満そうな彼女の声に苦笑した。考えることは同じだ。


「それで、私の旦那様は、『そんなわけあるか』っていってくれたんでしょうね?」
面白そうに笑う妻に、「どうだろうな」と応えれば、「あなたは私を信用してくれるくせに、なぜ自分のことになると自信がなくなってしまうのかしら」と苦言を漏らした。

「あの男が、見かけだけの能なしならばなんとでも言えた」
「確かに、ベルナールは見かけだけじゃあないけれどもね」
お前によく釣り合う男だ、と正直に言ったら妻はきっと怒るだろう。



「あなたが、何も言わないのが私への信頼だったとしたらそれはとても、とても嬉しいと思うわ」
妻はまるで子供に言い聞かせるように言った。
かちあった視線は、有無を言わせない強さで、負けそうになる。

「でも、私のことがどうでもよくて、それで黙っているっていうなら」
「そんなことがあるか」
彼女の自由を優先させたいという願いを言い当てられたならば、素直に頷くつもりであったが、逆の事を言われてはなすすべもない。
思わず頭を抱えたくなった。
自己評価が低いのはお前もだ。


彼から妻への手紙の内容を、私は知らない。それで良いと思っている。


「大事に、思っているつもりだ」
静かにそう言えば、彼女は「私もよ」と笑った。


END




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