小説 | ナノ

「いらっしゃいませ」
 アメリカで聞く日本語のいらっしゃいませ、はなんだか落ち着けるような気がする。見慣れた平たい顔の店員の出迎えと、日本の寿司店と同じ雰囲気の内装が、ここがアメリカだということを忘れさせてくれる。
「あら、主人さん」
「二人です」
 公子がピッと指を二本立てる。席を案内してくれる女性店員の表情からして、承太郎のことをお付き合いしている男性として見たのは間違いない。
「カウンターとお座敷どちらにしましょう」
「じゃあ座敷いいですか?私一人でしか来たことがないから座敷座ったことなくて」
「ああ」
 これから何度でも二人で来ればいいじゃないか、とは言えなかった。
 着席してまずは飲み物を注文する。とりあえずということで二人とも炭酸のきいたもの、ビールと梅酒のソーダ割を注文する。
 しばらくすると運ばれてきたグラスを各々手にし、前方に掲げたところで動きを止める。
「何に乾杯しようか」
「やはりプロジェクトの区切りに」
「……そうだな」
 公子の手が承太郎のグラスより下に移動する。日本式のマナーであるが、これは目上の人物に対して行う行為である。恋人同士の甘い夜どころか、完全にビジネスモードな公子の振る舞いに、承太郎は内心ため息をついた。
(デート、とは全く思っていないようだな)
 グラスが遠慮がちにぶつかり、二人は小さく「Cheers」と口にした。英語で乾杯の意だ。
 炭酸で喉を刺激し、腹を落ち着かせてから料理へと箸を伸ばす。最初は季節の野菜を中心にした前菜の盛り合わせ。皿を四分割するように並べられた一口サイズの色とりどりのメニューだ。
「んー。どんな食材でも裏ごしするだけで高級な感じしますよねー」
 一種類ずつ味わって食べる公子に対し、承太郎の皿は既に空っぽである。そもそも前菜メニューのため一つ一つが小さいのにくわえ承太郎の手と口の大きさからして本当に一口で食べてしまっておしまいなのだ。
 こっちの卵の……とか、この魚が……とか、話題をふられても手元にあるのは空の器だけ。
(しまった……)
「ひょっとしてお腹空いています?」
「あ、ああ」
 本当はそこまで空腹ではない。どちらかというと緊張を酒でごまかそうとして塩っ気のあるものに手を伸ばしてしまったというのが本音だ。
(がっついてみられるのは、よくないな)
 料理に対してではなく、自身の恋愛への態度について思った。次の蒸し物からは公子の様子を見ながらゆっくりとしたペースで食べる。なるほど、特に和食は噛むほどに味が出てくる。のんびり食べるのも悪くない。
 前菜を全て終え、あとは待ちに待った寿司である。目の前のガラスケースに並べられた各種切り身を見て、あれとこれとそれと注文をする。
「寿司通ならではの食べ方とかあるのか?」
「私はないです。その時々にその人が食べたいものを食べる。コレが一番美味しい食べ方です!」
「よかった。君とは気が合いそうだ」
「ふふっ。私実は、食べ方にうるさいラーメン屋の店主とかすごく苦手です」
「あるな。腕を組んだ店主の写真がある店」
「それです!それっ!」
 会話の基本は相手の好む話題を探り、そこから広げていくと会こと。しかしその方法は話がつながりやすいのだが、自分の知らない話題を興味を持って聞けるような聞き上手でなければなかなか難しいところがある。
 承太郎としてももう少し彼女のプライベートにまでつっこんだ話題に振りなおしたいのだが……
(いかん。主人くんがラーメントークモードに入ってしまった)
 頑固親父の話に始まり、テーブルの上の高菜、トッピングにもやしを置く店の話、ご飯は一緒に頼むべきかなど、ラーメン本体の話にまだ辿り着いていないのにかなり長い間語っている。
 その様子を見てカウンター越しの主人と思しき職人が心配そうな笑いを浮かべながら寿司を握っている。
「主人さん、寿司屋に来てラーメンの話ばっかりすると口の中までラーメンになっちゃうよ。はい、こちらアオリイカです」
「ハッ!そ、そうですよね!いただきまーす!」
 大将の機転でなんとかラーメンの話は落ち着いたのだが、そうなると今度は……。
「うん!ほら、ここのイカみたいに塩で食べるお寿司ってのもいいですよね。何か年配の方とかだと醤油つけない寿司なんて寿司じゃないとか言い出しますけど……」
(今度は寿司の話が……なんだろう、昔日本で出会った仗助の友達に似てるな、こういうときの主人くんは)
「主人さん!今日は、仕事帰りですか?」
「はい。プロジェクトもひと段落したのでそのお祝いも兼ねて」
「彼氏さんと」
「あ、いえ。上司です!」

 上司です!

「じょ、上司さん、ね」
 寸分も迷わず笑顔全開で否定するその様に、可能性というものが皆無であると承太郎と大将は思った。

 料理を全て食べ終え、最後の汁物を飲み干し、公子がお手洗いにと席を立った隙に承太郎がカードを出して会計を頼む。
「普段彼女はよくこの店へ?」
「ええ。いつもお一人で来られるので珍しいなと思って、てっきり……」
「……どうやら私は単なる上司らしいな」
「はは……しかし、本当に食べることにしか興味が向かないとご自分で仰っていましたので、一緒に出かけるというだけで十分脈はあるんじゃないかなと」
「だといいんだが……」
 公子が戻ってくると同時に席を立ち、出口へ促す。会計は?と尋ねる公子の背中を押しながら二人は暖簾をくぐった。
「ありがとうございました」

 翌日の午後二時。会議からの直行で研究室へと来た承太郎は、長らくの移動で溜まった眠気を飛ばそうとコーヒーを入れに給湯室へ立ち寄った。そこにいた先客のクロエがこちらを見るのだが、なんというかその表情は、がっかりしたような、呆れたような。
「室長」
「な、なんだ」
「室長はもう少ししっかりなさってください」
「……先日も聞いたセリフだな」
「公子の話を聞いて、二人きりで出かけたのに何一つ進展がなかったことはよく分かりました」
「ちなみに彼女、なんと言っていた」
「え、オスシの話をまだしたいんですか?」
「……寿司の話だけか?」
「スシの話だけですわ」
 どうやら次の段階に進むには、次に行ったら言おうと思っていたことをここで言わねばいけないらしい。
(付き合える確信がある程度ある相手にしか、普通言えないものなんだが……)
 この段階でI love youを伝えることに怖さを感じるのは、四十代になろうともかわりのないことである。それでも言わなきゃ、伝わりそうにない。


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