君の音色を | ナノ

『ただいまー。』
「あ、蓮ちゃん早く早くー!」
『…え?』

7月のとある夜。仕事を終えてマンションに帰宅し、いつも通り5階のリビングへ行くと、そこには珍しく風斗以外の兄弟が全員集まっていた。

「こら弥。まずはおかえりなさい、でしょう?」
「はぁーい、おかえりなさい蓮ちゃん!」
『うん、ただいま。』

弥の隣に腰を下ろすと、同じ目線でずらりと兄弟が並んでいる。

これは…

『なんというか、圧巻…ですね。こんなに兄弟がそろってると。』
「ああ、うん。実はね、今年の夏の旅行についてみんなで決めていたんだ。」
『夏の旅行?』

唐突な話に思わず聞き返すと、雅臣さんは続けて説明してくれた。なんでも朝日奈家では、年に1回美和さん所有の別荘へ旅行に行くのが恒例なんだとか。ここからは少し遠いけれど国内の離島なのだそうで、なんとプライベートビーチまであるらしい…。

「毎年、みんなで予定を合わせて行ってるんだよ。」
『そ、そうなんですか…』
「ええ。…ということで、あなたの予定もお聞きしたいのですが。」
『え?』
「もしかして、今年の夏は忙しいですか?」
『あ、いえ…』

当たり前のように右京さんに聞かれてハッとした。つい他人事のように思ってしまっていたけれど…そっか、私も行っていいんだ。家族旅行なんて久しぶり過ぎて、なんだか不思議な気分。そんな思いのまま、私は鞄から手帳を取り出す。

『そうですね…予定はありますけど、どれもまだ日にちは確定じゃないので、日程を決めてもらえればそこに合わせて調整出来るかと思います。』
「そうですか…分かりました。」

私が言うと、右京さんはカレンダーを見つつ頷く。

「では、やはり椿と梓の休みに全員の休みを合わせるということで良いですか?」
「うん、そうだね。みんなもそれで良いかな?」

雅臣さんが訊ねると、みんなそれぞれ合意の意志を示した。そしてそれが合図のように、兄弟たちはバラバラとリビングから散って行く。それに続いて、私と絵麻もリビングを後にした。

『海かぁ…絵麻、水着買いに行く?』
「あ、うん!前に買ったの随分前だから、多分もう着れないし…」
『あー、胸も前より成長したしね。』
「むっ…た、確かに成長はしたけど!でもそういう意味じゃ…」
『やっぱビキニかなー、ワンピースじゃちょっともったいないよね。』
「何言ってるのお姉ちゃん!?」

「へぇ。じゃあ可愛いの、選んできてね。」

『…は?』
「え…?かっ…要さん!?」

廊下でエレベーターを待っていると、いつの間にか私の隣に要が立っていた。てっきり私たちが一番最後だと思っていたので、二人して驚きのあまりマヌケな顔を晒してしまった。

「い、いつからそこに…」
「ん?もちろんむn…」
『ちょっと要、絵麻に変なこと吹き込まないで。』
「やだな、俺は妹ちゃんの質問に答えてあげてるだけだよ?」
『その余計なエロオーラいらない。』
「あ、ひどっ!」

わざとらしくおどける要。でもそんな冗談も、絵麻には通じなかったようで…

「おっ…おおお姉ちゃん!!」
『ん?』
「わ、私先に行くね!」
『え?あ、絵麻!待っ…』

顔を真っ赤にした絵麻は、私の声を振り切り早足でエレベーターに乗り込んで行ってしまった。

『あーあ、行っちゃった…』
「あはっ、ウブだなぁ妹ちゃん。可愛いね。」

壁に寄り掛かりながら、楽しそうに笑う要。まったくこの男は…

『もー…あんまり絵麻のことからかうのはやめてよ?』
「うーん、俺としてはそんなつもりはなかったんだけど。」
『どの口が言うの…』
「ん?」
『いーえなんでも。』

向けられる視線を無視して、エレベーターのボタンを押そうと前に歩み出る。すると、後ろで要も動く気配がした。

「…ねえ、蓮ちゃん。」
『なに?』
「俺と二人きりになるの、嫌?」
『っ!』

自分の肩が、びくりと跳ねるのが分かる。自分の心の奥が、読まれてしまったような気がした。けれど、なんとか取り繕うために必死で言葉を紡ぐ。

『あ、たり前でしょ!?私言ったじゃない、要と二人きりになるのは危険って。』
「ふふっ…」
『ちょっ…だからなんで笑うの!?』
「蓮ちゃん分かりやす過ぎ。動揺がすごく声に出てる。」
『なっ…』

指摘されて、思わず口を押さえる。すると要は私の背後に立ち、後ろ髪にするりと触れた。

「大丈夫だよ、何もしない。」
『…うそ。』
「本当だってば。逃げられてばかりは嫌だからね。」

低く響いたその声と同時に、目の前にはエレベーターが到着しその扉が開く。私が言葉を発する前に、要は横をすり抜けてそれに乗り込んだ。

「じゃあ俺はこれからちょっと用あるから、先に行かせてもらうよ。」
『え、』
「水着、楽しみにしてるから。」

そういつもの軽い調子で言い残し、彼は私の前から立ち去って行った。


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