そして数週間後、待ちに待った旅行当日…
だったのだが。
『本っ当にすみませんでした!!』
…私が別荘に到着したのは、その日の夕方のことだった。
「そんなに謝らないでください。急な仕事だったのですから、仕方ありませんよ。」
優しくそう言ってくれる右京さんに、私はおずおずと顔を上げる。
そう、遅れた理由は急な取材依頼が入ったためだった。事務所としても懇意にしている出版社からだそうで、どうしても断れなかったらしい。本当は一日掛けたいと言われていたそうなのだが、なんとか午前中だけという条件で受けてもらったとのことだったので、こちらとしても渋々ながら了承せざるを得なかった。しかしそのせいで、飛行機とフェリーのチケット変更手続きから荷物までほとんどを右京さんたち兄弟に任せてしまうことになってしまったのである。
『うう…』
「ああほら、そんな顔をしないで。それで、明日からはゆっくりできるのですか?」
『あ、えっと…一応、東京には戻らなくて良さそうなんですけど…。でも多分、遊ぶことはちょっと難しいかなと。』
「えー!蓮ちゃん明日も遊べないの!?なんでぇ!?」
突然、キッチンから飛び出してきた弥が今にも泣き出しそうな顔で叫んだ。
『うーん…ごめんね。急遽やらなきゃいけないことが出来ちゃったの。でも余裕があればビーチにも遊びに行くから、ね?』
「ええー…」
不服そうにほっぺたを膨らませて、私の服の裾を掴む弥。そりゃ本当なら私も一緒に遊んであげたいし、海に入って思いっきり楽しみたいんだけど…でも仕事だからなぁ。引き受けた以上、期限は破れない。
「ほら弥。誰が鍋のそばを離れて良いと言いました?」
「…はーい。」
右京さんに促され、弥はトボトボとキッチンへ戻っていく。その後ろ姿に、右京さんも苦笑していた。
「すみません…弥も、この旅行であなたと絵麻さんが一緒だということがとても楽しみだったようで。」
『いえ…』
少し哀愁の漂う弥の背中に、胸が痛む。彼の楽しみを一つ奪ってしまったことに、申し訳ない気持ちで一杯になった。
『あの…荷物置いてきますね。』
なんとなく居づらくなって、私は右京さんに自分の部屋の場所を聞き足早にリビングを後にした。
**********
「あー!蓮!」
『…え?』
2階へと上がり自分の部屋を探していると、突如背後から大きな声が響いた。何事かと振り向けば、誰かがこちらに向かって勢いよく駆け寄ってくる。
「やーっと来たのかよ!」
『うぐっ…つ、椿…声が大きいってば。』
嬉しそうに飛び付いてきたのは案の定椿で、その隣には少し呆れたように笑う梓もいた。
「お疲れさま。取材はちゃんと終わった?」
『うん、なんとかね。』
「うっし!じゃあ明日からは…」
『でもごめん。また新しく仕事入っちゃって。』
「…え?」
「急ぎなの?」
『うん、ちょっとね。だから、明日から別荘の中で作業かも。』
「作業って…何か作んの?」
『そう、ちょっと曲を。』
事務所を出る間際に社長から渡された新しい仕事の案件は、何曲かショートの新曲デモを作れという内容だった。詳しくはまだ確認していないが、何かドラマのBGMのコンペに出すんだとかなんとか…。しかも締め切りは一週間後。そもそも私作曲家じゃないんですけど、なんて言う前に社長はふらっと飛び出して行ってしまったので、結局持って帰って来てしまった。そして断ろうにも相手の電話がつながらないんじゃ断りようがない。つまりやるしかない…というわけだ。
「えー!?じゃあ蓮遊べねーじゃん!」
『そうだけど、仕方ないよ。明日からやらないと間に合わなそうだし。』
作曲なんてほとんど未経験。出来ないわけじゃないが、弾いてるだけの時とは訳が違う。だからショートとはいえ、余裕が欲しい。
「うー…」
『ちょっ…椿!』
しかし仕事で頭がいっぱいの私に機嫌を損ねた様子の椿は、ぐりぐりと首筋に顔を埋めてくる。そしてそれを見た梓も珍しく椿を咎めることはせず、代わりに小さく溜め息をついた。
「…ごめんね。」
『は?』
「これでも椿、気にしてるんだよ。…まぁ僕もだけど。」
『気にしてる…?』
「この旅行、僕らの予定に合わせてもらったから。」
『え…』
そんなこと…と言いそうになって、慌てて口をつぐんだ。私を見る梓が、あまりにも申し訳なさそうな顔をしてたから。
「蓮、今日のために結構スケジュール詰めてたでしょう?」
『あー…まあ、少しね。』
「うそ、少しじゃないよ。目の下にクマが出来てる。」
『!』
梓の指にするりと目元を撫でられて、一瞬びくりとする。実は数日前から消えなくなってしまって、今日もメイクさんに頼んでなんとか隠してもらったんだけど…梓には早々に気付かれてしまったらしい。それを見た椿も、頭を上げた瞬間辛そうに顔を歪めた。
「…体調、悪くない?」
『う、うん。悪くないよ。』
「ほんとに?無理してない?」
『全然!』
「…そっか。」
「それなら良いけど。」
ニッと笑ってあげれば、少し安心したように言う二人。私も内心ほっとしていると、ふいに椿が声を上げた。
「そうだ!な、今度は蓮と絵麻のスケジュールに合わせてここ来ようぜ!」
『ええ?』
「そうできたら良いけど…ね。」
驚く私に、にこりと微笑む梓。それに続いて椿にくしゃりと頭を撫でられると、タイミング良く下の階から右京さんがみんなを呼ぶ声が聞こえた。