アリスドラッグ | ナノ


▼ 疑惑


 ヴィクトールが仕事をしている間は何かしらの雑用、それがヘンゼルの日課となりつつある。この調子で本当に椛を助けられるのかと思いつつ、言われたことには従うしかない。本日の雑用の内容は、ショーの舞台袖で出演者たちを補助する仕事。またショーに関わる仕事かとうんざりしながら、なるべくショーが視界に入らないように作業をする。


「ヘンゼルくん、それ、その黒いのとって!」


 バニーガールが遠くから声をかけてきて、ヘンゼルは近くにあった衣装ケースのなかをのぞく。黒いの、といったらこれか、となんとなくそれっぽいものを取り出せば、バニーガールが近くによってきてその衣装を受け取った。


「ありがと!」


 ふふ、とバニーガールは笑う。ふわふわとした金髪を揺らして、近くで見てみれば少し幼い顔をしている彼女とは今初めて話したのだが、存外に優しそうだった。薄めの化粧で、非常に愛らしい顔立ちをしている。


「……って、うわっ」

「え?」

「ここで着替えるんですか」

「そうよ? 他に着替える場所ないじゃない」


 バニーガールはヘンゼルから衣装を受け取った瞬間、着ている服を脱ぎだした。下にインナーを着ているわけでもなく、素肌がすぐに見えたためヘンゼルは慌てて目を逸らす。女っ気のない生活を送っていたものだからあまりこういうのには慣れていない。早く着替え終わってくれとヘンゼルが思っていると……


「あ、いたたた、ヘンゼルくん、ちょっと」

「はい?」

「ネックレス絡まっちゃった! ちょっと見てくれない?」

「え、」


 まさか、そう思って振り返れば、案の定彼女は着替え途中。肩のところまで着ていた服をたくしあげていて、下着が丸見え。――しかし、ヘンゼルが抱いたのは、女性の半裸姿への興奮でも嫌悪でもなく……

 背中にびっしりとはしる赤黒い傷跡への驚きだった。


「ね、はやく……あれ、どうしたの? もしかして、コレ?」


 動揺し固まってしまっていたヘンゼルを急かすように振り返ったバニーガールは、自分の背中の傷を見られていたということに気付いたようだ。服を直して、困ったように笑う。


「気になる?」

「えっ、いや……その傷は、いつ……」


 もしかして、トロイメライでつけられた傷なのだろうか、そんな疑問を抱いてヘンゼルはしどろもどろに尋ねた。しかし、帰ってきた答えは全く違うもの。


「入団前。私が娼婦をやっていたとき」

「……娼婦?」

「えっと……私、ここに来る前に、親に売られて娼館で働いていたの。そこはなんかへんな性癖をもったやつらが来るところでさ、鞭で叩かれたり体燃やされたり、そんな毎日を送っていた。でも、そんなときに団長が私をそこから連れだしてくれだの」

「……ヴィクトール?」

「そう! トロイメライに入団しないかって誘ってくれた。団長はあそこから私を連れだしてくれた、だから団長は、私の全て。……まあ、団長は私のことは団員の一人としてしかみていないだろうけど……。でも、私は団長のためだったらなんでもする。団長がやっていることは正しいことじゃないって、わかってる。それでも、世界が団長の敵に回ろうと、私はいつまでも、団長の味方でいる」


 にっこりと笑って、バニーガールは言い切った。ヘンゼルがぽかんとしている内に、絡まったネックレスはとれたらしい。バニーガールはひらひらと手を振ってその場を去ってしまう。


「……」


 なんとも変な話だ、とヘンゼルは思う。ヴィクトールの性分を考えれば、行き場を見失ってしまった人を集めて人材を確保しているだけ、というのは少し考えればわかることだ。どん底まで堕ちた人は、自分を闇から救い上げてくれた人を雛鳥が親鳥をみるように絶対と思い込む。

 それでも……彼女はヴィクトールのことを敬愛していた。愛されているわけでもないのに、自分の一方的な愛のために悪を貫くことができるのかと……ヘンゼルは考えこむ。自分は、ヴィクトールからの愛を受けて、そしてそれを受け入れて、それでもトロイメライの行いを許せないと思っているのに。

 あのバニーガールと自分の違いは一体なんだろう、ヘンゼルはひとり、考える。状況は違えどもヴィクトールを慕う気持ちは一緒だ。男と女の思考回路の違い? いや、違う。――大切なものをもっているかもっていないか。

 彼女は親に売られ全てを失った。ヘンゼルは違う。弟がいる、椛がいる。椛がいながら全てを投げ出してヴィクトールにつくことはできない。全ては椛のため。椛の幸せを思うから――


(なんで俺、椛だけ特別なんだろ)


 はあ、とヘンゼルはため息をつく。家族だから……その理由ではない気がする。父も母も、どうなったっていい。家にいたときだって、ヘンゼルと椛は仲が悪く、お互いを嫌悪し合っていた。出てくる前に少し変なことはあったが、アレがあったからといってヘンゼルの中で椛への意識が変わったということはない。ヴィクトールには「たったひとりの家族」とは言ったけれど……なにか違うような気がする。

 椛を守らなければいけない――そんな使命がはじめから下されていたような。


「ねえーそこの君」

「!」


 不意に声をかけられて、ヘンゼルは弾かれたように顔をあげた。声がした方をみれば、そこには椅子に紅い縄で括りつけられた少年。ショーにでるドールだ、関わりたくない……そう思ったが目があってしまってからでは遅い。


「縄が変なところに擦れてさ、具合悪いんだけど。ずらしてくれない?」

「あ、はい」


 少年はぐっと首を逸らしてヘンゼルを見つめた。どこか狂気が滲んだその瞳にゾッとしながら、ヘンゼルは恐る恐る少年のもとに近づいていく。近くでみてみれば真っ白の肌にところどころ赤い痕がついていて目に悪い。さっと血の気が引くのを覚えながら、どこか変なところがないかと探してみれば。


「君さー、さっきヘンゼルって呼ばれてた?」

「えっ、ああ、うん」

「ああ……君がヘンゼルね。へへ、知ってるよ、ヘンゼルくん。『C』の間で有名だ。ヴィクトールに目をつけられたドールの候補だって?」

「……『C』?」


 トロイメライのルールをほとんど知らないヘンゼルにとって、「C」は聞き慣れない言葉だった。にやにやと笑いながら話す少年をヘンゼルが訝しげに見つめていると、少年はヘンゼルを品定めでもするようにじっと顔や体をみつめる。


「ああ……なるほど、へえ……随分とお綺麗な顔をしているね。ヴィクトールに気に入られるのも納得……ふーん、羨ましい。見た目さえよければアイツに気に入られて、こんなクソみたいな生活送らなくてすむのかぁ……へえ……」

「……」


 少年の言葉は、ヘンゼルにとって非常に不愉快なものだった。苛立ちを覚え、そして少年の「縄をずらして」というのがこうしてヘンゼルを呼び出す口実なのだと気付き、その場を離れようとする。すると、少年がじっとりと蛇のような目でヘンゼルを見つめ、一言、言った。


「……覚えたよ。ヘンゼルくん、君の顔。ヴィクトールの、大切な人の顔」

「……ッ」


 ゾクッと悪寒が全身を貫いた。ヘンゼルは逃げるようにして少年から離れてゆく。

 なんだ、なんだ、あいつはなんだ。憎悪とも嘲りとも違う……まるで何かを企んでるかのような視線を投げられて、恐怖に身の毛がよだった。

 そのとき、違うスタッフがヘンゼルを横切り、少年を括りつけた椅子をステージまで引っ張ってゆく。ステージからきこえる歓声も、なぜかヘンゼルは聞こえなかった。ただ、嫌な予感への不安だけが、心のなかで募ってゆく。


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