アリスドラッグ | ナノ


▼ 再開

「君もショーにでるんでしょ!? いつ? いつ? すごくみてみたいなァ!」

「あれ? 新顔じゃん! こんな美人さんいたっけ?」

「このあと時間ない?」



「……」



 何度、手が出そうになったかわからない。ヘンゼルは苛立ちが隠しきれていない顔を隠すべく、俯きながら作業をする。



(……この役は俺がやる必要あったのか……?)



 ヘンゼルが任された仕事は、ショーの受付だった。客からチケットを受け取り、処理をする……所謂雑用である。直接あの忌々しいショーを見ないですむのだからマシかと思ったものの、実際のところは非常に不愉快な仕事だった。客の殆どが、ヘンゼルを見る度に何かしら猥褻な言葉を投げかけてくるのである。中には急に興奮しだして襲ってくる者もいた(流石にその客は殴ってしまった)。



(なーにが人手不足だよ。俺には給料払わなくていいからこんな仕事やらせてんだろ、クッソ)



 入場が落ち着いてきて、客足が減ってくる。下卑た顔つきで何度も何度も口説かれて怒りが頂点に達していたヘンゼルは、あまりの疲労感にテーブルの上に突っ伏して目を閉じた。

 男に口説かれることは初めてではない。ここに来る前も、そうしたことを言われたことが何度もある。その度相手を殴り飛ばしてはいたが、椛を弟にもつ自分へのからかいだとばかり思っていたそれは、もしかしたらホンモノの口説きだったのかもしれない。思えばいくら弟が身体を売っているからといって、兄にまで欲情する必要などないのだ。



「はぁ……世知辛い」



 そんな目で見られながら生きたくない。そういうことが嫌いで嫌いで、関わらないようにしてきたのに。いくらヴィクトールに抱かれることに抵抗がなくなったからといって、誰にでも触られていいわけじゃ……



「……ヴィクトール……」



 ふとヴィクトールのことを考えて、ヘンゼルはぼんやりとため息をつく。なぜ、自分はあの男に触れられることを許してしまったのだろう。顔がいいから? セックスが上手だから? きっかけなんてわかれば苦労はしない、気付けばこんな風になっていた。今だって、今朝つけられた痕が疼いて仕方がない。



『夜になったらいっぱいエッチしようね』

「……いっぱいって……いっぱいってなんだよ……」



〜〜〜



「ヘンゼルくん、今自分がどんないやらしい格好しているかわかる?」

「やだ、離せよヴィクトール……」



 鎖で天井から脚を開脚するように吊るされて、丸見えになった後孔には太いバイブ。何度も何度も達してしまって腹のあたりが自分の白濁液で濡れてしまって、それでもヴィクトールは開放してくれない。



「変態だねぇ、こんなことされて感じてるなんて」

「あぁっ……!」



 バシリと鞭で身体を打たれて、思わず甲高い声が唇から漏れてしまう。そんなはしたない姿を嗤われて、また、精液を吐き出したはずのペニスがたちあがってきて……



〜〜〜



「……いやいやないない、アイツは痛いことはしないし……」



〜〜〜



「ヘンゼルくん、やっぱり君はすごく綺麗だね……この薔薇なんかよりもずっと芳しくて、華やかで……美しいよ」

「あっ……そんな……」



 薔薇の花弁が浮かぶ湯船に、後ろから抱きしめられるようにしてヴィクトールと一緒に入る。首筋に何度もキスをされて、甘い言葉を吐かれて……そんなふうに頭のなかをとろとろにされた状態で、ゆるゆると後孔に指を挿れられる。



「あっ、あっ……」

「嗚呼……その声も小鳥の囀りのように愛おしいね……もっと聞かせて……」

「だめ、恥ずかしい……」

「そんなこと言って……ほら、こうするとその愛らしい唇から乙女の歌声のように可愛い声がこぼれてくるってこと、僕は知っているからね」

「あっ、そこ……だめぇ……」



〜〜〜



「ちょっと、ヘンゼルくん!」

「はっ」



 唐突に頭上から声が降り注いで、慌ててヘンゼルは身体を起こす。そこには、困った顔をしたドクターが立っていた。急に現実に引き戻されたヘンゼルは、自分が今、とんでもない妄想に耽っていたことに気づき、顔を赤らめて、すぐに青ざめさせる。



「あのねぇ……やたらと問い合わせがくるからどういうことかと思えば……納得したよ」

「え、問い合わせ……?」

「君についてのだよ! 受付していた美青年は誰だって! ……君、ずっと団長のこと考えていたでしょ」

「か、考えてない!」



 とす、とヘンゼルの額を指で突いて、ドクターは怒ったように言う。ドクターの言っている「美青年」というのにはどうにも納得がいかなかったが、言われたことは図星だったため、ヘンゼルは慌てて否定した。ずっと、ではないにしても、今しがたヴィクトールに抱かれることを想像してしまっていたのだ。自分の恥ずかしいにもほどがある妄想に冷や汗を流すヘンゼルの顔を、ドクターは訝しげに覗きこむ。



「君さぁ……そろそろ自覚したほうがいいよ。自分の容姿がどれくらい優れているものなのか……性別なんて関係なく惹かれてしまうくらい、君の容姿は魅力的だ」

「は、はあ……? 意味のわかんないこと……」

「そんなに綺麗な顔をしておいて……それで団長に抱かれたこと考えていたんでしょ? 段階的にいって、昨日団長に抱かれたとしてもおかしくないもんね。そんなことで頭がいっぱいになっている君の顔、男にとっちゃあものすごく下半身にくるわけだよ」

「ヴィ、ヴィクトールに抱かれていることとか考えてない! なに気持ち悪いこと言ってんだよ! 今夜何されるのかとか、そんないやらしい期待とかしてないからな!」

「へえ……」

「あっ」



 馬鹿野郎、自分に頭のなかで突っ込んで、ヘンゼルはガクリとうなだれる。恥ずかしさで全身が真っ赤になる。ドクターの視線が痛い。



「……妬けるねぇ……そんなに団長に抱いて欲しいんだ……ちょっと前まではあんなにきかない性格をしていたのに、随分と可愛いメス猫になったもんだ」

「だ、抱いてほしくなんか……」

「団長に抱かれるの、気持ちいいだろう? あんなにいい男なんだ、あの人に愛されるのはさぞ幸せだろうねぇ……でもね、」



 ドクターがヘンゼルの顎を持ち上げる。ボサボサの髪から覗く瞳に、ゾワッと身の毛がよだつ。



「……あの人のことを本気で好きになるのはやめておけ、と言っておこうか」

「……、」

「君のためでもあり、そして団長のためでもある。君たちは住む世界が違うんだ。私たちのように闇を生きてきた汚れ物は、純粋な君にとって冷たい刃となり、君の心臓に突き刺さる。……もうわかっているだろう? あの人へ焦がれるたびに君はどのくらい苦しんだ?」



 ドクターの言葉がまるで鉄槌のようにヘンゼルの心を殴った。そうだ、自分はヴィクトールのことを想うたびに、悪者である彼へ堕ちることへの罪の意識に苛まれてきたじゃないか。わかっているんだ、ヴィクトールに堕ちてはいけないということは。



「……わざわざ忠告ありがとう。でもさ、いいだろ、俺のことなんて放っておけば。どうせドールとして弄ばれて、最後にはアイツともおさらばだ。ほんの短い期間、アイツの下で惑っている俺のことなんて気にしなくてもいいよ」

「……君だけが団長を好いているならわざわざこんなこと言わない、君の言うとおりさ。たったひとりのドール候補を気にかけている暇なんて私にはない。でも、珍しく団長が入れ込んでいるみたいだからさぁ、ちょっとねぇ」

「……入れ込んでいる?」

「……あんなに幸せそうな顔の団長は初めて見た」

「え……」



 ぎゅっと心臓を掴まれたような気がした。ヴィクトールが? 今までとは違う表情をみせるというようになったって? 

 呆然とするヘンゼルを一瞥し、ドクターは「じゃあしっかりお仕事してね」と言い残し去ってゆく。



「……なんだよ……クズのくせに」


 ヴィクトールの笑顔をみたとき。ヴィクトールに抱かれたいと、そんなことを思ってしまったことを思い出す。あんな笑顔を、自分がつくっているのかと思うと……なぜだか、堪らなく嬉しくなった。ずっとずっと、悪いことをしてきたあの男が、あんな風に笑えるようになったのが、自分を好きになったからだとしたら……。


「……ふん、なんで俺ばっかり悩まなきゃいけないんだよ、アイツも悩めよばーか」


……普通に出逢っていればよかったのに。そうすれば、こんなに苦しまないですんだのに。

 ヘンゼルは再びテーブルの上に突っ伏した。

 痕をつけられた、首、鎖骨、胸……静かに服の上からなぞってゆく。ここに、ヴィクトールが唇を這わせた。あの、燃えるような紅い瞳で、見つめながら。思い出すだけで全身が火照ってきて、胸の中までを焼き尽くしてしまいそう。あの細く美しい指は、この身体で甘美な唄を奏でて心を震わせて、脳髄に染み込んだそれはいつまでも、繰り返し頭のなかで響いている。

 彼に触れられたところに再び触れれば蘇る、あのときの熱。ただ軽く撫でただけで……くらくらと強烈な花の香りにあてられたように目眩がする。


「……あのー」

「……ッ!」


 不意に声が降ってくる。慌てて身体を起こせば、声の持ち主と思われる人物は、チケットを差し出してきた。


「もう始まってると思うんですけど、途中入場できますか……?」

「あ、ああ……たぶん大丈夫だと……」

「……って、おまえ、ヘンゼル……?」

「……え?」


 接客をするときには基本的に顔を見ないようにしていた。だから、チケットをもつ指先だけで気付くことはなかったが、名を呼ばれてちゃんと顔をみれば……見覚えのある人物。


「……テオ」

「あ、ああ……マジでヘンゼルだ……い、いや……なんかすごい色気のある男の人だな〜と思ったら、ま、まさかヘンゼルだとは……ははは」


 その人物は、ヘンゼルがお菓子の家に来る前に友人としてよく一緒にいた青年・テオ。なんでこんなところに、と一瞬思ったが、テオは元々このトロイメライのショーに興味を持っていて、何かの拍子にチケットを手に入れて来たと思えば特段不思議なことではない。


「……えっと……最近みないな〜とは思っていたけど、まさかここにいるとは思わなかったよ! え、なに? 入団したの?」

「い、いや……」

「……そういやヘンゼルの家、急に金持ちになっていたけど……ねえ、ヘンゼル……もしかして、おまえ」

「でてないからな! 俺は、あのショーに!」


 テオに自分がドール(とは言っても現段階では「候補」だが)であることがバレそうになって、ヘンゼルは慌てて否定した。悪友として連れ添っていた彼に、身体をつかった仕事をしているなんて知られたら気まずいどころの話ではない。ヘンゼルがバシリと一言否定すれば、テオはとくに疑う様子もなく、ほっとしたように笑った。


「だ、だよな〜! だっておまえそういうの嫌いだし」

「そうだよ、俺は……」

「……それにしてもヘンゼル、おまえ、ちょっと変わったよね」

「……え?」

「……いや、はじめ見たとき、……まあ、おまえが突っ伏していたっていうのもあるけどさ……なんかすっごい……その〜、なんていうか……エロいっていうか……ムラッとくるっていうか〜……そんな雰囲気だったからおまえってわかんなかったよ」

「は? キモ」


 薄笑いをして目を逸らしながらそんなことを言うテオに、ヘンゼルは心の底からの罵倒を送った。容姿を賛辞されること自体好きではないというのに、くだらないことを一緒にしてきた悪友にそんなことを言われたのだから当然と言えば当然、暗に「興奮した」なんて言われれば嫌悪感しか覚えない。


「……ほんとにショーにでてないの?」

「……だから、なんだよ気持ちわりィな……何も変わってないし、髪も顔もいじってない。服が前よりちょっといいヤツだからそう見えるんじゃないの」

「いや〜……てっきり何かされたのかと思ったわ。全然雰囲気が違うから」

「……ッ!」


 テオの言葉にハッとする。今朝、ヴィクトールにも言われた、ついさっきドクターにも注意された……抱かれたことを考えているとき、自分は雰囲気が変わってしまうと。ヘンゼルはそんなに変わるか?と焦り、そう意識すればまたヴィクトールのことを考えてしまい……


「……ヘンゼル」

「な、なんだよ」

「おまえって抱かれているとき、声だす派? 我慢する派?」

「えっ……え、」


 行為の最中に自分が声をだしているのかどうか、そんなこと意識もしていなかったヘンゼルは、なにか恥ずかしいことをヴィクトールの前で言ったのではないかと記憶をたどってしまった。


「おまえは声ださなそうだね。気が強いもん」

「そうだよ出すわけ……うっ」

「……ふーん」


 デジャブだ、ヘンゼルはあまりの羞恥心にテオに背を向けてしまった。ドクターのときもそうだ、ヴィクトールのことになるとどうしても顔に出てしまって、嘘もつけなくなってしまう。彼のことを考えると頭が真っ白になって、誤魔化さなくては、という意識すらも吹っ飛んでしまうのだ。


「ね、ヘンゼル。今時間ある?」

「……え、いや……客はこない、けど……」

「久々に会えたんだからさ、ちょっと話そうよ。外にでてさ」

「でも……バレたら怒られる」

「大丈夫、ショーが終わる前に戻ればバレないって。いいでしょ? 町のみんなに言っちゃうよ〜ヘンゼルがトロイメライで抱かれてたって」

「はっ……ふ、ざけんなっ! わかったよ、少しだけだぞ」


 テオと話したくないわけではない。久々に会えて嬉しいのは、ヘンゼルも同じだった。


「……おまえ、せっかくこのチケット手に入ったのにいいの? 見れなくなるぞ? これは当日限りのチケットだ」

「んー、俺は例のエロいショーがみたくてきたんだけど……うーん、大丈夫、それよりもずっと……いや、なんでもない」

「?」


 チケット売り用の小さな個室に鍵をかけ、あたりを見渡しヘンゼルはそこを抜けだした。ヴィクトールにバレる心配ばかりしていたヘンゼルは、気付くことはない。テオの瞳に宿る、小さな欲望の灯火に。


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